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沖縄慰霊の日で戦没者追悼式6月23日 13時52分
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沖縄は23日、太平洋戦争末期に20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から70年の「慰霊の日」を迎え、最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市では、遺族などおよそ5400人が参列して戦没者追悼式が開かれました。
70年前の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦が3か月続き、沖縄県民の4人に1人が犠牲になりました。
「慰霊の日」の23日、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、遺族などおよそ5400人が参列して沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれ、正午の時報に合わせて全員で1分間の黙とうをささげました。
このあと、沖縄県の翁長知事は「平和宣言」で、「私たち沖縄県民は、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶し、恒久平和を切望している。戦後、この思いを忘れることなく復興と発展の道を力強く歩んできた」と述べました。そのうえで翁長知事は「沖縄の米軍基地問題はわが国の安全保障の問題であり国民全体で負担すべき重要な課題だ。普天間基地の辺野古移設は去年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難だ。政府は固定観念に縛られず、辺野古へ移設する作業の中止を決断し、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求める」と述べました。
続いて与勝高校3年の知念捷さんが沖縄が置かれた現状や、平和を願う気持ちを表した「平和の詩」を朗読し、戦争の惨めさと平和の尊さを伝えなければならないと訴えました。
このあと、安倍総理大臣は沖縄戦の犠牲者に哀悼の意をささげたうえで、「沖縄の人々には永きにわたり、安全保障上の大きな負担を担っていただいている。この3月末に西普天間住宅地区の返還が実現したが、今後も引き続き沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしていきたい」と述べました。
沖縄戦から70年という節目の年の「慰霊の日」は、戦没者を追悼し、平和を願うとともに、戦後、沖縄が感じてきた基地負担の重さを内外に示す日になりました。
「慰霊の日」の23日、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、遺族などおよそ5400人が参列して沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれ、正午の時報に合わせて全員で1分間の黙とうをささげました。
このあと、沖縄県の翁長知事は「平和宣言」で、「私たち沖縄県民は、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶し、恒久平和を切望している。戦後、この思いを忘れることなく復興と発展の道を力強く歩んできた」と述べました。そのうえで翁長知事は「沖縄の米軍基地問題はわが国の安全保障の問題であり国民全体で負担すべき重要な課題だ。普天間基地の辺野古移設は去年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難だ。政府は固定観念に縛られず、辺野古へ移設する作業の中止を決断し、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求める」と述べました。
続いて与勝高校3年の知念捷さんが沖縄が置かれた現状や、平和を願う気持ちを表した「平和の詩」を朗読し、戦争の惨めさと平和の尊さを伝えなければならないと訴えました。
このあと、安倍総理大臣は沖縄戦の犠牲者に哀悼の意をささげたうえで、「沖縄の人々には永きにわたり、安全保障上の大きな負担を担っていただいている。この3月末に西普天間住宅地区の返還が実現したが、今後も引き続き沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしていきたい」と述べました。
沖縄戦から70年という節目の年の「慰霊の日」は、戦没者を追悼し、平和を願うとともに、戦後、沖縄が感じてきた基地負担の重さを内外に示す日になりました。
最後の激戦地・糸満市では平和行進
沖縄戦最後の激戦地となった糸満市では遺族や子どもたちが平和祈念公園に向けて行進し、平和の尊さを訴えました。
この行進は沖縄戦最後の激戦地となり多くの住民が犠牲となった糸満市から戦争の悲惨さや平和の尊さを訴えようと、毎年「慰霊の日」に合わせて行われ、ことしで54回目になります。23日は、県内外から集まった遺族や地元の子どもたちなど1000人余りが糸満市役所の前に集まり、黙とうをささげて戦争で犠牲になった人たちを追悼しました。
このあと、戦没者追悼式が行われる平和祈念公園を目指して、およそ8キロの道のりを出発しました。参加した人たちは、アメリカ軍の激しい攻撃にさらされ逃げ惑った当時の人たちに思いを巡らせながら、強い日ざしのなか歩みを進めていました。孫と一緒に参加した沖縄市の70代の女性は、「子どもたちには沖縄戦のことを忘れてほしくない。これからは子どもたちに託していきたいです」と話していました。また、南風原高校から参加した女子生徒は、
「この道を一歩、一歩歩いていると、ここで実際に戦争があったことが感じられてとてもこわいです。争わずに話し合いで解決する平和な世の中になってほしいです」と話していました。
この行進は沖縄戦最後の激戦地となり多くの住民が犠牲となった糸満市から戦争の悲惨さや平和の尊さを訴えようと、毎年「慰霊の日」に合わせて行われ、ことしで54回目になります。23日は、県内外から集まった遺族や地元の子どもたちなど1000人余りが糸満市役所の前に集まり、黙とうをささげて戦争で犠牲になった人たちを追悼しました。
このあと、戦没者追悼式が行われる平和祈念公園を目指して、およそ8キロの道のりを出発しました。参加した人たちは、アメリカ軍の激しい攻撃にさらされ逃げ惑った当時の人たちに思いを巡らせながら、強い日ざしのなか歩みを進めていました。孫と一緒に参加した沖縄市の70代の女性は、「子どもたちには沖縄戦のことを忘れてほしくない。これからは子どもたちに託していきたいです」と話していました。また、南風原高校から参加した女子生徒は、
「この道を一歩、一歩歩いていると、ここで実際に戦争があったことが感じられてとてもこわいです。争わずに話し合いで解決する平和な世の中になってほしいです」と話していました。
子どもたちが平和願い ちょうを放つ
沖縄戦最後の激戦地となった糸満市では、「慰霊の日」に合わせて沖縄の歴史や平和を学んでいる子どもたちが平和の象徴として育てているちょうを空に放ちました。
市内の平和祈念堂では、白と黒のまだらもようが特徴の大型のちょう「オオゴマダラ」を10年前から育てています。23日は、県内の幼稚園児から高校1年生までの合わせて14人が、沖縄戦で犠牲になった人々を追悼したあと、正午の鐘の音に合わせて90匹のオオゴマダラを一斉に空に放ちました。子どもたちは歓声を上げながら、空に羽ばたいていったオオゴマダラを姿が見えなくなるまで見つめていました。
糸満市の高校1年生の水落琉海さんは「日本だけではなく、世界中で戦争が起こらないようにと思い、ちょうを飛ばしました。これからも体験者などから話を聞いたり、平和に関する行事に参加したりしたいです」と話していました。
市内の平和祈念堂では、白と黒のまだらもようが特徴の大型のちょう「オオゴマダラ」を10年前から育てています。23日は、県内の幼稚園児から高校1年生までの合わせて14人が、沖縄戦で犠牲になった人々を追悼したあと、正午の鐘の音に合わせて90匹のオオゴマダラを一斉に空に放ちました。子どもたちは歓声を上げながら、空に羽ばたいていったオオゴマダラを姿が見えなくなるまで見つめていました。
糸満市の高校1年生の水落琉海さんは「日本だけではなく、世界中で戦争が起こらないようにと思い、ちょうを飛ばしました。これからも体験者などから話を聞いたり、平和に関する行事に参加したりしたいです」と話していました。