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【社会】

沖縄の米軍基地国民全体で負担すべき課題 戦後70年「慰霊の日」

沖縄全戦没者追悼式で、献花を終え席に戻る安倍首相(右)と、会場正面を見つめる沖縄県の翁長知事(左)=23日午後、沖縄県糸満市の平和祈念公園で(平野皓士朗撮影)

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 太平洋戦争末期、多くの住民が巻き添えになった国内最大の地上戦が展開された沖縄県は二十三日、戦後七十年の節目となる「慰霊の日」を迎えた。最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で県主催の沖縄全戦没者追悼式が行われ、平和の誓いを新たにした。 

 追悼式には安倍晋三首相や衆参両院議長らのほか、昨年に続いてケネディ駐日米大使ら約五千四百人が出席。犠牲者の冥福を祈り、正午の時報に合わせて一分間黙とうした。

 式典では、昨年十二月に就任した翁長雄志(おながたけし)知事が初めて平和宣言を行い、「一人ひとりが積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要だ。恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて全力で取り組む」と誓った。

 また、政府が進める米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)移設について、「反対の民意は示されており、(名護市)辺野古(へのこ)に新基地を建設することは困難だ」と強調。その上で「固定観念に縛られず移設作業の中止を決断し、政策を見直すことを強く求める」と訴えると、来場者から拍手が上がった。

 安倍首相は「この七十年間、戦争を憎みひたすらに平和の道を歩んできた私たちの道のりに誇りを持ち、世界平和の確立に向け、不断の努力を行っていかなくてはならない」とあいさつ。普天間問題には直接触れず、「沖縄の人々には米軍基地の集中など、安全保障上の大きな負担を担っていただいている。今後も引き続き基地負担軽減に全力を尽くす」と語った。

 県立与勝(よかつ)高校三年の知念捷(まさる)さん(17)は自作の詩「みるく世(ゆ)がやゆら(今は平和でしょうか)」を朗読。戦争で夫を失い、認知症となった大伯母と戦争記憶の風化を重ねながら、平和を引き継ぐ大切さを訴えた。

 七十年前の六月二十三日は、沖縄戦の組織的戦闘が終結したとされる日で、沖縄県では休日となっている。国籍にかかわらず、すべての戦没者の名を刻んでいる平和祈念公園内の「平和の礎(いしじ)」には、今年新たに八十七人が追加され、日米合わせて計二十四万一千三百三十六人が並んでいる。

◆本土守る「捨て石」なお

 沖縄県の翁長知事が二十三日の沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で、犠牲者を悼むとともに、同県名護市辺野古の新基地建設の中止を強く求めた。政府が日本を守るためとして、さらなる米軍基地負担を強いるやり方に、本土を守るための「捨て石」とされた七十年前の沖縄戦に共通する理不尽さを感じているためだ。

 本土決戦までの時間稼ぎで勝ち目のない戦いを続けた沖縄戦では、県民の四人に一人が命を落とした。沖縄を占領した米軍は「銃剣とブルドーザー」で、住民の土地を強制接収して基地を建設。沖縄戦や強制接収を原点として、基地負担に苦しめられてきたのに、米軍普天間飛行場(宜野湾市)を返してほしければ、新基地建設のために辺野古を差し出せという考えは「到底県民には許容できない」と訴えた。

 それに対し、安倍晋三首相は同じ追悼式で「沖縄の人々には、米軍基地の集中など、長きにわたり、安全保障上の大きな負担を担っていただいている」と表明。例年通り、沖縄の基地負担軽減に意欲は示したが、新たな負担となる辺野古への新基地建設には一切、触れなかった。

 翁長氏は、国土面積の0・6%にすぎない沖縄県に在日米軍専用施設の73・8%が集中する現状について「沖縄の米軍基地問題は、わが国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題だ」と呼び掛けた。安倍政権が新基地反対の沖縄の民意に耳を傾けない今、本土の国民に投げかけられた切実な訴えは重い。 (後藤孝好)

◆沖縄知事の平和宣言(全文)

 七十年目の六月二十三日を迎えました。

 私たちの郷土沖縄では、かつて、史上稀に見る熾烈な地上戦が行われました。二十万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。

 それは、私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。

 戦後、私たちは、この思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んでまいりました。

 しかしながら、国土面積の0.6%にすぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73.8%が集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発に様々な影響を与え続けています。米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合はわずか0.7%しか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。

 沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。

 特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難であります。

 そもそも、私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、「その危険性除去のため辺野古に移設する」、「嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは、到底県民には許容できるものではありません。

 国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築くことはできないのであります。

 政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古ヘ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。

 一方、私たちを取り巻く世界情勢は、地域紛争やテロ、差別や貧困がもととなり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙されるなど悲劇が今なお繰り返されています。

 このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かす様々な問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。

 戦後七十年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人達の「万国津梁」(※編注)の精神を胸に刻み、これからも私たちは、アジア・太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。

 未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子ども達の笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。

 慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。

※「万国津梁」…世界との架け橋を意味する

 <沖縄戦> 米軍が太平洋戦争末期の1945年3月26日に慶良間諸島、4月1日に沖縄本島に上陸して始まった日本最大の地上戦。沖縄県民の4人に1人、日米双方で20万人以上が死亡した。日本軍による住民への「集団自決」強要やスパイ容疑での虐殺も発生。日本軍の組織的戦闘は6月23日、第32軍の牛島満司令官の自決で終結したとされるが、その後も戦闘は続き、9月7日に降伏調印した。沖縄は72年5月の本土復帰まで米統治下に置かれ、現在も続く基地問題の原点になった。

 

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