■デビューまで
──江波光則さんはこれまでいじめやスクールカーストなど、学園の負の側面を主題とした作品を書いてこられました。デビュー作を拝読して、陰湿な暴力のはびこる教室を研ぎ澄まされた文体で描き出す作風の虜になり、一体この才能はどこに眠っていたのだと驚いたのを憶えています。まずデビューまでの経緯を伺ってよろしいでしょうか?
江波 もともと作家・脚本家として活躍中の虚淵玄さんと知り合いだったんです。僕が以前、運営していたブログをきっかけにお会いするようになり、ある時ガガガ文庫のラインナップがひとつ空いてしまったので、何か書きませんか? と声をかけていただきまして。
──それまで新人賞に投稿されたりは?
江波 高校生ぐらいの時から作家志望ではあったんですが、誰にも見せないままひとりで書きためていました。新人賞に送るにはあらすじを書く必要がありますよね。あれがニガテで、何度書き直しても自分の書いた話が面白そうに見えない。採用されないだろうなぁ……と躊躇してしまっていました。
↑江波氏私物
──デビュー作も、そうして書きためていた作品のうちの一作なのでしょうか?
江波 いえ、あれはいくつか企画を提出して選んでもらったものです。ライトノベルなので典型的なファンタジイとかも出したんですが、絶対に採用されないだろう、という『ストレンジボイス』が選ばれました。あの時のガガガ文庫はすごかった(笑)。
──読者からすると江波光則=学園小説というイメージが非常に強いのですが、ご本人は学校やいじめという題材にそこまで強い思い入れがあるわけではない?
江波 そうですね。自分自身は特にいじめることもいじめられることもなく「ああ、酷いことしてるなぁ」と横で見ているタイプでした。実は本が出るまでスクールカーストという言葉も知らなかったぐらいです。自分の体験をもとに何かを書くというより、シミュレーションしていく感じなんです。自分があの環境に置かれたら、というのが発想の元なので、だからこそどんどん酷くなる。実際にいじめを体験していたら逆にあそこまでは書けないでしょう。
■終末に備える人々
──『我もまたアルカディアにあり』は舞台をこれまでの学園から移し、「終末に備える」という目的で建造された、働かずとも衣食住が保証される奇妙なマンション「アルカディア」の歴史を、そこで暮らす虹彩異色症を持つ一族を追いながら描いていく年代記です。画家グエルチーノの作品に同名の絵画があり、作中にも登場しますが、やはりこの絵が発想のきっかけだったんでしょうか?
江波 直接のきっかけになったのは、『プレッパーズ~世界滅亡に備える人々~』というナショナルジオグラフィックチャンネルが撮った連続ドキュメンタリーで、本作の一行目「我々は世界の終末に備えています」というのも、この番組から引用したものです。
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