「日常の中のドラマチックをどれだけもっているか。喜怒哀楽の範疇を超えて揺さぶられる瞬間があるか。そんな体験をしながらも、未練で生きるのではなく、前にずんずん進むパワーを持っている。それが女の子の楽しさであり、強さなのかも知れません。」(コピーライター/尾形真理子)
「運命を狂わすほどの恋を、女は忘れられる。」。LUMINEが展開する今秋ポスターの印象的なコピーが、多くの女性の共感を呼んでいるという(そして、多くの男性から「怖い」という声が挙がっているという)。
なぜ「運命を狂わすほどの恋を、女は忘れられる。」のか。
20代男性のひとつの意見に過ぎないが、僕はこう考えている。きっと多くの女性にとって、自分の運命を狂わすのは他人ではなく自分自身なのではないか、と。
20代男性のひとつの意見に過ぎないが、僕はこう考えている。きっと多くの女性にとって、自分の運命を狂わすのは他人ではなく自分自身なのではないか、と。
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「日常の中のドラマチックをどれだけもっているか。喜怒哀楽の範疇を超えて揺さぶられる瞬間があるか」コピーを手掛けた尾形真理子さんのこの言葉は、想像力を持って日々を生きることの豊かさを的確に表現していると思う。
「運命を狂わすほど」とは、特定の物理的事象を指すのではなく、人間の主観的な心理状態だ。どんな状況でも、本人が「運命を狂わされた」と感じれば「運命を狂わされた」ことになる。映画『アメリ』で描かれたように、一見平凡で退屈な日々でも想像力を働かせれば、世界は限りなくドラマティックになる。目の前で同じことが起きていても、その意味は見る人の視点によって変わる。
つまり、視点を変えることで世界を彩る想像力があれば、自分の運命は自分で狂わすことができる。
自分の運命を自ら狂わすのは、怖いことだ。敢えてリスクを犯して、まだ見ぬ世界に飛び込むのだから。生半可な気持ちでなく、新たな世界と真剣に向き合うエネルギーが要る。
この「自分の運命を自ら狂わす」エネルギー、そしてその源泉となる想像力を、日本社会においては伝統的に男性より女性の方が有しているのではないか、と僕は感じる。
それはおそらく、日本社会において女性は“マイノリティ ”であり、そして日本社会は“マイノリティ”が生きにくい社会であるからだ。
この「自分の運命を自ら狂わす」エネルギー、そしてその源泉となる想像力を、日本社会においては伝統的に男性より女性の方が有しているのではないか、と僕は感じる。
それはおそらく、日本社会において女性は“マイノリティ ”であり、そして日本社会は“マイノリティ”が生きにくい社会であるからだ。
日本は、伝統的に男性中心の社会だ。それは、女性の社会進出が進んでいる近年も大きく変わらない。日本における女性の社会進出は、あくまで男女間における就業機会の平等化に過ぎず、これまで男性が築き上げてきた世界の入り口が女性にも開放されただけの話だからだ。
“マイノリティ”が生きにくい社会で“マイノリティ”の人々は、“マジョリティ”の人々と同じ価値観を有していては生きにくい。だから、価値観の転換をすべく、リスクをとって想像力を働かせる。それが「自分の運命を自ら狂わす」エネルギーとなるのではないだろうか。
“マイノリティ”が生きにくい社会で“マイノリティ”の人々は、“マジョリティ”の人々と同じ価値観を有していては生きにくい。だから、価値観の転換をすべく、リスクをとって想像力を働かせる。それが「自分の運命を自ら狂わす」エネルギーとなるのではないだろうか。
運命を狂わすほどのリスクをとって真剣に向き合ったことなら後悔のしようがない。だから、運命を狂わすほどの恋も忘れられる。次なる世界を見れる。未来を見れる。そういうことなのではないかと思う。
逆にいうと「運命を狂わさないほどの恋を、女は忘れられない」のかもしれない。運命を狂わさない程度にしかエネルギーを注がなかったことには、女性でも男性でも「もっと頑張れたかも…」という未練が生まれるからだ。
男性が未練たらしい(とよく言われる)のは、「自分の運命を自ら狂わす」エネルギーを有する人が少ないからではないか。男性中心の社会で男性は、社会の“マジョリティ”に属していれば自ら運命を狂わさずとも、自分の運命を他人任せにしていても、それなりに豊かに生きていける。敷かれたレールに乗れば良いから、想像力も要らない。
もっとも今は、若い世代の男性も“マイノリティ”になりつつあると感じる。これまで成り立ってきた伝統的な日本社会が崩壊し、未来が見えない時代になってきているからだ。“マジョリティ”のレールの行き先は不透明になり、そもそもレール自体の存在が怪しくなっている。
今を生きる若者は、男女関係なく想像力を持って新しい価値観を模索していかなければいけない状況になってきている。だから、男性がより女性的になってきていること、いわゆる草食男子化は時代の流れとして当然だ。男性も少しずつ、運命を狂わすほどの恋を忘れられる強さを持ち始めているのだと思う。
今を生きる若者は、男女関係なく想像力を持って新しい価値観を模索していかなければいけない状況になってきている。だから、男性がより女性的になってきていること、いわゆる草食男子化は時代の流れとして当然だ。男性も少しずつ、運命を狂わすほどの恋を忘れられる強さを持ち始めているのだと思う。
「運命を狂わすほどの恋を、女は忘れられる。」。
このコピーは、ファッションビルの広告という枠を超えて、日本社会における“マイノリティ”である女性の生き様を鮮やかに、そして力強く描写している。女性が生きにくい社会を生きる女性への、強く優しいエール。さらには、女性化が進行している若い男性へのエール。だからこそ、多くの人々の心に響いたのではないだろうか。
halvish
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