「宮本武蔵 (人物叢書)」大倉 隆二 著

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メジャーからマイナーまで歴史上の人物の手堅い評伝シリーズで知られる吉川弘文館人物叢書、2015年2月の新刊が宮本武蔵だったので早速読んでみた。

現在、一般的に知られている宮本武蔵像は江戸時代に作られた真偽不明の武蔵の伝記類をベースにし、歌舞伎等の大衆演劇や小説、映画、ドラマ、マンガなど様々な創作によって形作られていて、ほぼ虚構といっていい。一方で、では史実の宮本武蔵がどのようなものかというと、これまた残された史料が数少なく非常に曖昧でよくわからない。実際、生年月日も出身地も生い立ちもなにもかも、諸説あってよくわからないのである。本書は、そのよくわからない宮本武蔵像に、虚構を出来る限り排して史料から迫ったもので、とても興味深く、面白かった。

宮本武蔵 (人物叢書)
宮本武蔵 (人物叢書)
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大倉 隆二
吉川弘文館
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宮本武蔵は天正十年(1582)か天正十二年(1584)に美作か播磨で兵法者新免無二斎の実子または養子として育ち、無二斎に武術を学んで十三歳から二十八、九歳ごろまで各地を回って武者修行をして、大坂の陣に徳川方の武将水野勝成の配下として参加、故郷に近い明石の小笠原家と近づき、寛永九年(1632)、養子の伊織が主君小笠原忠真とともに小倉移封となったのにあわせて小倉に行き小笠原家の客分となり島原の乱にも出陣、寛永十七年(1640)、熊本に向かい細川氏に厚遇されて二天一流を開き、書画を多く残し、五輪書(未完)を著して正保二年(1645)、病没した。史実として確実にわかっていることってこんなものなのである。

武者修行中に吉岡一門などと死闘を演じたかもしれないが、していないかもしれない。巌流島で後に佐々木小次郎とされる剣士と決闘したかもしれないが、していないかもしれない。

現代の宮本武蔵イメージのベースになっているのが江戸時代に書かれた二天一流後継者たちによるいくつかの宮本武蔵の評伝『武蔵伝』である。本書によれば、「兵法太祖武州玄信公伝来」(1727)、「二天記」(1776)、「兵法先師伝記」(1782)、「武公伝」(十八世紀後半)の四つで、いずれも二天一流後継者の立場から武蔵を神格化する傾向があって虚構性が強い。吉川英治の「宮本武蔵」は「二天記」をベースにして創作されているが、「二天記」はこの中でも特に大衆演劇や文学などの話がとり入れられていて資料価値が低いとされている。

巌流島の決闘伝説

面白いのは巌流島の決闘をめぐる武蔵伝と武蔵伝の基礎にある養子宮本伊織によるとされる武蔵の功績を刻んだ「小倉碑文」(1654)も含めた記述の比較で、どんどん話が膨れ上がっていく様子が見て取れる。

「小倉碑文」では兵術の達人「岩流」に武蔵が決闘を申し込み舟島で両者同時に会し、武蔵が木刀で撲殺、舟島を岩流島と呼ぶようになったと、シンプルな記述だ。

「兵法太祖武州玄信公伝来」では武蔵十九歳のとき、巌流という流派の津田小次郎という仕込剣を使う剣士が父無二斎に勝負を申し込むが断られ、代わりに武蔵と舟島で決闘することになり。武蔵が先に来て小次郎が遅れて到着し対峙。しかし、噂をききつけた多数の見物客に気を取られて力だせず武蔵に良いように打ち負かされて下着丸出しで息絶えたと、非常に面白おかしくなる。

「二天記」では武蔵二十九歳のとき、岩流こと佐々木小次郎という三尺余りの長剣を使う有名な剣士がいることを知った武蔵が細川氏の重臣長岡興長に頼んで細川忠興のゆるしを得て小次郎と決闘することになるが、武蔵は決闘の日になっても一向に舟島に渡らず、昼過ぎにようやく櫂を削って作った木刀を手に小次郎と対峙、遅れたことを問い詰める小次郎を受け流し、両者刀を振り下ろすが小次郎の刀は武蔵の眉間をかすり武蔵野木刀は一撃で小次郎の眉間を割って打ち倒した、と現代でもお馴染みのストーリーで、敵が剣の達人佐々木小次郎となって非常に好敵手化しドラマティックになる。

また細川家重臣沼田氏の家記「沼田家記」(1672)では、お互い一対一でという約束を破って密かに武蔵の弟子が数人島に渡っており、武蔵が小次郎を倒した後、虫の息の小次郎を武蔵の弟子が袋叩きにして殺したとされる。

これらは真実かどうかというのは史料がなさすぎて、また、いずれも信憑性に欠けていて判断ができないもののようだ。むしろ、虚構がどんどん膨れ上がっていく様子が面白い。

「小倉碑文」と二天一流後継者寺尾孫之丞

前述の「小倉碑文」について、執筆者を巡る考察が面白い。「小倉碑文」は承応三年(1654)、宮本武蔵の養子で小倉小笠原家家老の宮本伊織が豊前国小倉藩手向山(現在の福岡県北九州市小倉北区赤坂4丁目)山頂に建立したとされる武蔵の顕彰碑文で、武蔵の生涯が描かれ、江戸時代の様々な武蔵伝に影響を与えたという。

通説では伊織が建立したことになっているが、伊織だとすると自身を「孝子」と呼んでそれを「嗚呼偉哉」と自画自賛し、養父を「兵法天下無双」と絶賛するなど、さすがに一藩の家老という立場に相応しくない図々しい文面が続くこともあって、著者は、碑文の執筆者を二天一流後継者で未完の「五輪書」草稿を託された寺尾孫之丞ではないかとしている。

寺尾孫之丞という人物、実は本書を読むまで全く知らなかったのだが、武蔵の一番弟子で二天一流の後継者であり、武蔵から託された草稿の五輪書を整理し、武蔵の考えを自分なりにまとめて空の巻を付け加えて五輪書を完成させた人物である。ただ、武蔵同様彼も謎の多い人物でその経歴は詳しくわからないらしいが、本書で描かれる武蔵死後の二天一流と細川家を巡る動きが非常に興味深かった。

武蔵の死後すぐの正保二年(1645)、武蔵を厚遇していた細川忠興が病没、続いて慶安二年(1649)、熊本藩主細川光尚が三十一歳で急逝と細川家は存続の危機に立たされ、後を継いだ綱利はまだ六歳で藩の体制も大きくゆらぎ、藩祖以来厚遇されてきた芸術家や武芸者たちも多くが細川家を後にしたらしい。二天一流の後継者であった寺尾孫之丞とその弟子たちも同様で、熊本を去り寺尾は小倉に、その弟子柴任三左衛門美矩は福岡へと向かい、熊本の二天一流は絶えることになった。寺尾は急速に衰退する二天一流復興を目指して小倉藩家老であった武蔵の養子伊織に働きかけ、碑文を作成したという流れである。ゆえに、二天一流の素晴らしさ、その開祖武蔵がいかに卓越していたかを大きくアピールする必要があり、五輪書を元に脚色を加えて碑文を作成したと考えられている。

「孫之丞にとって『小倉碑文』の建立は、窮余の一策ではなかったか。つまり、武蔵から二天一流の将来を託されたものの、細川家は危機的な状況に立ち至り、孫之丞は牢人のままであったため、熊本での二天一流の存続・発展の道は閉ざされたかにみえたのである。起死回生の一手は、武蔵ゆかりの地小倉で伊織の支援を得て、流祖武蔵を『天下無双の兵法者』として広く喧伝し、一方で高弟柴任三左衛門美矩を肥後国外に送り出し、他国に二天一流の正統を伝えることによって、その存続・発展を期したのではないか。孫之丞は『天仰実相円満兵法逝去不絶』を「遺像」せよという武蔵の遺言を、実直に実行したのではないかと想像している。」(P110)

『天仰実相円満兵法逝去不絶』は武蔵の絶筆で、これを遺像つまり碑文として残せという遺言があったことが小倉碑文に記されているという。

このあたり、著者の説が正しいとするなら、非常に熱い、しびれる展開である。宮本武蔵の後継者として二天一流の存続のために奔走する二代目が起死回生の策として組み立てた虚構が、時を経て巨大な物語へ成長し人口に膾炙していくという、非常にロマンに満ちた話だ。実に抗えない魅力を感じる。ただ、それなら後継者なんだし孫之丞名義で碑文を執筆すればいいんじゃないか、伊織に協力を仰ぐのはともかく、伊織が碑を建立した風を装うまでしなければならなかったのか、など疑問も沸く。このあたり明確に著者は書いていない。内容について「伊織の意向も反映しているとは思われるが、晩年の武蔵に付き随ってきた孫之丞の意志が貫徹されているようにみえる」(P104)としつつ、「ただ、実際に誰がその撰文にあたり、筆を執ったかは不明」(P104)という。

ほか、史実の宮本武蔵について様々な分析がなされていて、手堅くもダイナミックな良い評伝だと思いました。あと武蔵の書画については禅宗だけじゃなく朱子学の影響も考慮すべきという話や沢庵和尚の影響は近年否定的に捉えられているという話など興味深い指摘が多数あった。

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