ミスキャンパスの出場者が発表された。
もう夏である。
この2ヶ月にここに書いた文章を読み直すと、どの文章も内容が同じだ。
容姿コンプか学歴コンプか持病か東京の素晴らしさか京都のダメさでどの文も説明できる。
この大学で仕方なくだが大学生活を続けていくことは今日だいたい決まったし、2ヶ月はここに文章を書くのをやめる。
おそらく、僕はここに文章を書いても書かなくても鬱屈とし続けるだろう。すれ違う人間に腹を立てるだろう。
ミスキャンパスの出場者を見て一生あの美しさが手に入らないと思うこととか、近くにいるドブスが一切女扱いされていなくて僕自身もしようと思えないのを可哀想と思ったなんて書いても解決策なんて見えてこないし、実際ないのだ。
もし、僕やドブスの肉体とミスキャンパス女の肉体を交換できる方法があったとしても、やっぱりミスキャンパス女は既得権益である容姿を捨てたくないだろう。
もし、無理やり交換しようとすればミスキャンパス女は泣いて許しを請うだろう。許しを請うということはようは僕やブスの肉体は罰なのだ。
そんなことを書いても仕方がない。
父親にありとあらゆることを他人のせいにするなと言われたが、何でこんなキモイものを産んだんだといいたくなるものである。
しかし、言っても仕方ないのだ。
英語なら金出してやると言われるが、英会話やる前に僕のきったない肌を直してとか言ってもやはり直らないものは直らない。
仕方ないのだ。
何やっても自分自身への不満はでてくるし、改善策は限られている。
どんなに飽きても、辛くても明日も生き続けるだろう。
仕方ないのだ。
とにかく2カ月は書くのをやめよう。
書くのをやめる2カ月間が嫌なことばかりかもしれないが書いても誰もいいことがないのだ。