古代の豪族。
賀茂県主の賀茂氏と、三輪氏系の賀茂氏がいる。
カモ氏の表記は、賀茂氏、鴨氏、加茂氏、,加毛氏等、たくさんあり、
「カモ」と名の付く郷は、日本各地に20以上存在している。
なお、「カモ」とは「カミ(神)」と同義とする見方もある。
賀茂県主の賀茂氏は、
山背国(山城国)愛宕郡、葛野郡を本拠とする。
神武天皇が紀伊山地を行軍した際に、先導を務めた
八咫烏を祖としている。
成務天皇の御世に鴨県主(賀茂県主)に任じられたと言われる。
また、葛野主殿県主と呼ばれて、主殿寮の殿部、主水司の水部の負名氏として、
朝廷に奉仕していたと見られている。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)と
賀茂御祖神社(下鴨神社)を祭祀する。
このうち、賀茂別雷神社の祭神の別雷神は、賀茂御祖神社の祭神の玉依日売命と、
山背国乙訓郡の乙訓坐火雷神社(
角宮神社)の祭神である
火雷神(向日神社に合祀)との間に生まれた神であり、
山背国鎮守に古くから深く関わる神として知られる。
三輪氏系の賀茂氏は、
大和国葛上郡を本拠とする。
大国主神の末裔を称する大田田根神の孫の大賀茂都美を祖としている。
この大賀茂都美が、賀茂社(鴨都波八重事代主命神社)を祭祀し、
賀茂氏を名乗ったことに始まる。
三輪氏系賀茂氏は、「
君」姓を称していたが、
天武天皇13(684)年の『
八色の姓』で「
朝臣」姓となった。
後に、陰陽道家として有名になる賀茂氏は、この大和系の賀茂氏の系統である。
なお、『風土記』の「山城国 逸文」には、
『
大倭の葛木山の峯に宿りまし、彼より漸に遷りて、山代の國の岡田に至りたまひ、
山代河の随に下りまして、葛野河と賀茂河との會ふ所に至りまし』
(『日本古典文學大系2 風土記』 秋本吉郎 校注 岩波書店)
『
彼の川より上りまして、久我の國の北の山基に定まりましき』
(『日本古典文學大系2 風土記』 秋本吉郎 校注 岩波書店)
との記述があることから、三輪氏系の賀茂氏が賀茂県主の賀茂氏へと発展したものとして、
両者を同族とする説もある。
ただし、『風土記』は、『壬申の乱』において
大友皇子(
弘文天皇)を破った天武天皇の朝廷で編纂事業が進められ、
天武天皇皇統の奈良朝に完成したものと言う事実に留意する必要がある。
即ち、『壬申の乱』で、天武天皇側に立ち活躍したのが、
三輪氏系の賀茂氏出身の
鴨蝦夷であったことからわかるように、
天武天皇朝と三輪氏系の賀茂氏は密接な関係にあり、一連の編纂事業において、
三輪氏系の賀茂氏を優位に描くことも可能だったのである。
また、これら賀茂県主の賀茂氏、三輪氏系の賀茂氏以外にも、
開化天皇の皇子である彦坐命を祖とする賀茂氏もいる。
他に、国造系、景行天皇末裔系、丹波氏系、清和源氏系等にも、
賀茂氏を称する一族は存在している。
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