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月が導く異世界道中 作者:あずみ 圭

番外編

31/187

extra31 亜空の貨幣はかくして生まれた

お気に入り28000件突破記念、extra31になります。
「……つくづく興味深い仕組み」

 亜空、深澄真の邸宅。
 近頃劇的な身分の変化を経験した魔族の少女サリが、与えられた自室で唸っていた。
 彼女は魔王と直接の血縁があり、だがそれとは一切関係なく魔族の中で才能を示し魔王の後継者の一人となった娘であり。
 同時に王位を目前とする立場から一瞬でヒューマンの奴隷に転落した娘でもある。

 今彼女がいる部屋は十二畳ほど、以前の私室よりも遥かに狭い。
 亜空、というよりも真の家に限ってだが個人の部屋はあまり広くない傾向がある。
 日本にいた感覚が邪魔をするのか、彼は今の二十畳の部屋さえ広すぎると思っている節もある。
 真の立場や財力をこの世界の基準で考えた場合、自室は用途に応じてふた桁を超え、ゆっくりと過ごす為の最もプライベートな部屋の広さでも六十畳程度からが普通だ。
 しかし彼が亜空で自室と呼べる場所は一つだけ、真の密かな夢の一つだった天井まで届く建付けの書棚が彼の自慢だが、一番主張しているのは徐々に大きなものに交換されていくベッド、という有様だった。
 部屋全体も美術品や豪奢な調度品があるでもなく、ただただシンプル。
 真の性格からは妥当だが、立場には見合わない質素な部屋だった。
 いかに突然環境が変わったか、よくわかる部屋でもあるが。

 ある意味で真よりもジェットコースターのような人生を過ごしているサリだが、実のところ彼女はあまり悲観していなかった。
 適応力が高いのか、単に潔いか諦めが早いだけか。
 ともかくサリは、そんなつまらない(と彼女は考えている)自身の身の上よりも、目の前の机に並べられた四種類の貨幣に興味を向けていた。

「これが一文いちもんで、これは一朱いっしゅ、これが一分いちぶで……最後が一両いちりょう。基本的に四で繰り上がっていくが、文は例外的に二百五十で一朱になる、と……本当にややこしい。単位にローレルの機密文字を使うのも意味不明だし計算が異様に面倒。更に驚くべきは殆どの住民がこれを使いこなしているという事実。つまりこの街で暮らす者は誰もがこの程度の計算は日常でこなせることになる。それは同時に知識レベルの底辺がそこであることを示唆するわけで……駄目、頭が痛い」

 サリが唸っているのは亜空で使われているお金についてだった。
 魔族とヒューマンは以前は違う貨幣を使っていたが、現在は主に同じものを使用している。
 魔族の方がヒューマンの貨幣に合わせた結果であり、その理由も決して平和的なものではなかったが。
 そしてサリは魔族の昔の貨幣も、ヒューマンの貨幣も、そのシステムを学び理解していた。
 しかし彼女がライドウこと深澄真によって連れてこられた街では、どちらでもない複雑怪奇な貨幣が用いられていた。
 星の配置すら全く違う、どこにあるともしれぬ異界なのだからいっそ当然とも言えなくもない。
 だがこうしてしっかりと使い方を知り貨幣の価値や物価を知った今でも、クズノハ商会の実態にはただただ驚くばかりというのが彼女の本音だった。

「一文銭から一分までのお金は普段の生活で使用するお金。一両は特別な単位だから除外できるとして、そう考えると一分が千文というのは一応わかりやすい。ただその間がどうして四進法になっている? 大きさも徐々に大きくなる感じではないし……もっとも、一番不思議なのは使っているとそれにも慣れるということかも」

 慣れる、という言葉でふと表情が緩み笑顔になるサリ。
 最初は知人など誰もいない土地だったが、彼女はこの亜空で社会と関わり、知人や友人もでき始めていた。
 それらを思い出しての笑顔だった。

 サリが困惑するのも無理はない。
 亜空の貨幣は、真が、ではなく巴が真に土下座する勢いで何度も懇願して取り入れた江戸時代のそれだ。
 異世界で馴染みがないのは当然だし、荒野の住人が大半を占める亜空でも恐ろしく異質なものといえる。

 第一、亜空は物々交換でほぼ全ての用が足りる場所。
 外で金を使う者も今後出てくるから練習になる、という巴の根拠は、それならヒューマンが使っているお金をそのままこっちでも使えばいいじゃないかという真の珍しく真っ当な反論に叩き潰され、当初導入は絶望的だった。
 それでも一両を頂点とする江戸時代貨幣制度が今亜空にあるのは、ひとえに巴の執念の賜物だった。
 結局、身内に甘い真は亜空と外で貨幣が違う事にメリットなんてないとわかっていながら巴に押し切られたのだから。
 実際には独自の貨幣を持つことには意味がある。
 外国が作る貨幣に依存するというのは経済的に問題を生む事も多い。
 魔族が対外的にはヒューマンと同じ貨幣を用いながら、一部で自前の通貨も持ち続けているのはその問題を懸念してのことだ。
 しかし真が思い至らなかったその諸問題は、この場合はあまり意味が無い。
 亜空は外に何も依存せず、通貨の行き来さえあくまで真たちが亜空に持ち込んだ場合だけの一方的なもの。
 少なくとも共通貨幣を使うデメリットはなかった。
 むしろ、真が言った通り既存のシステムがある分、少ない手間で導入でき、メリットの方が大きい。

 元々一文から一両、それに当時関西圏で使用されていた銀の単位と時代ごとの大体の為替が頭に入っていた真からすれば自分はあまり困らないというのも彼女の助けになった。
 真の江戸好きが役に立つ、珍しい場面だった。
 ちなみに持ち運びも楽だから現代で主に使用されている紙幣にすればいいじゃない、という真の次なる正論は、味気ない、という素晴らしい理由で全く受け入れられなかったりした。
 そんな経緯があり、まさに正論が負ける、無理が通れば道理が引っ込む、を地でいく誕生秘話を持つ亜空貨幣だった。

「一両が四千文だけど、ここのお金が本当に不思議なのはこの両だ。なにせ両は物を買うのに使うお金じゃない」

 当然江戸時代では一両、二両というのは普通のお金の単位だ。
 多少の手間がかかることもあるが買い物に使用できた。
 が、この亜空では違う。
 貨幣の一番上の単位である両は、物品の買い物などには使用されない。
 両でできることは、特典交換、というのが一番近かった。
 両を集めるとそれを使って真以下従者、つまり亜空の中枢に位置する存在に頼みごとができるのだった。
 一両なら真の記憶から編纂された亜空の動植物などについてまとめられた一番程度の低い書庫に一日立ち入れる、五両なら適性や種族内で割り振られた職ではなく自分が望む職を一定期間経験でき、その成果次第では職を変更できるなど、職や立場によって制限されることをある程度曲げる事も可能になっている。
 もちろん一般に公開されていない知識を得てもそれを広めることは制限されたし、活用にも別に許可が必要なこともある。
 自分が好きな職でも成果をちゃんと残せなかった場合には元の仕事に戻されたから、金次第で全てを曲げられるということではなかった。

 ちなみに十両であれば従者の誰かと模擬戦と訓練をしてもらえ、百両だと真に模擬戦をしてもらうことができる。
 通常亜空ランキングと呼ばれる亜空内の戦闘ランキングで上位、もしくは最上位にならないと望めないことがお金を積めば一応可能になるのだ。
 もっともこれまでに真に挑んだものはいない。
 従者との模擬戦と訓練については種族でお金を貯める事で実現した前例がある。

「蓄財する意欲の是非をこれまで私がいた社会の常識で単純に問うのは愚かな事だけど、なんというか現実離れしている」

 サリも仕事を与えられ報酬を得ている。
 まだ微々たる量だが貯金にあたるものもある。
 貯金の意味や、決めた使い道があるわけでもないのに七日ごとにもらえる給金を使い切らずに残しているのはサリの性分が大きい。
 何かはわからない何かに備えるという思考をサリは持っていた。
 無料で衣食住が賄えてしまう現状、それに彼女は真に隷従する身である。
 彼が求めればそのお金も差し出さなければいけないのだから、貯金は無意味ともいえる。
 それでも、サリは毎週貯金額を増やしていた。
 やはり、性分なのだろう。
 とりあえず二両貯まったなら、巴や澪が楽しんでいる映像記録というものを何か閲覧させてもらおうか、と軽く使い道を考え始めている程度だ。

「これは私見、と。あとはまとまった一文銭は紐でまとめておくと楽だってことと、両替が出来る場所について……」

 彼女は貨幣を見つめながら真っ白なノートに形状をスケッチし、更に説明や考察を記していく。
 一文銭以外の貨幣は先日サリが、真に勉強したいからとお願いして貸し出してもらったものだった。
 いとも容易く了承して使ってなさそうな財布からお金を出した真の様子はサリを困惑させたが、かといって望んだ結果に自らけちをつけることもしない。
 大人しく礼を言って貸してもらったのだった。 

「……これでよし」

 なぜサリがこんなことをしているか。
 これは予習であり資料作成だった。
 真から海に移住した種族ローレライのサポートを命じられて以来、何かと他の海の種族、そして海辺に建設が予定されている第二の都市についての話し合いにも加わるようになっていたサリ。
 その中で既に使われていた亜空独自の貨幣について海の種族達に理解させることはおおいに必要であると彼女は感じ、ただ慣れ使うだけだった貨幣について再度勉強しているところだった。
 一日の仕事を終え、食事のあと部屋に戻れば翌日の朝までは自由に行動できる。
 夜、明かりを使う事を咎められることもなく、喉が乾けば水もお茶も自室にある。
 実に恵まれた、恵まれすぎている奴隷生活だ。
 ふとそんなことを考えたサリは口元に笑みを作った。
 しかしその表情はすぐに彼女が何かを考え込む時にする、やや遠い目つきを伴うものに変わった。

「そういえばこれ、一文銭ですら精緻な細工が施されている上に正体不明の合金製。錆びないし壊れないし複製も全く受け付けない。複製については陶器って器もそうだけど……一枚作るのにいくらかかっているのか」

 海の種族は性質上、どうしても扱う道具その他の海水や潮風への耐性を考慮しなければいけない。
 元々は貨幣全てに錆びの心配はないということを伝えなければと彼女が思い出し、そこから派生した疑問だった。
 一番価値の低い銭貨ですら、どう考えても価値以上の手間をかけて作られていることにサリは首を傾げる。
 明らかに作成コストが合っていない。
 裏に隠されているであろう真や巴らの真意を読み解こうと静かに推理していくサリ。
 もちろん、真意などない。
 あるとすれば巴の趣味への拘りのみである。
 いつか彼女が正解に辿り着いた際の脱力が容易にわかる答えだった。

 ふと、思考の海に沈んでいたサリが何かに気付いたように顔を上げ、そのまま部屋の入口を見た。
 彼女は近づいてくる気配を感じていた。
 隠す様子もなく二人、明らかに彼女の部屋を目指しているとサリには読み取れた。
 敵意も全くなかったため、サリは静かにノートを閉じ、身だしなみを確認すると自らドアを開けて二人の客を待ち、迎え入れた。

「巴様に、コモエ様。驚きました。私に何か御用でしょうか?」

「うむ。お前が海の者どもの為に貨幣について学んでいると識に聞いてな」

「こんばんは、サリ」

 巴と、その特殊な使い魔だと説明されているコモエが訪問してきたことに驚くサリ。
 二人とも普段サリと関わる事など滅多にない。
 用件が貨幣についてだと聞いて若干身を硬くしたサリ。
 咎められることではないと認識してやっていた事だったが、何かまずい事があったかと自分の行動をすぐに思い返す。
 しかし思い当たることはなかった。
 彼女はできる限り許可を得て動いていたし、やっていることを隠しもしていない。
 だからサリはひとまず巴の口が開くのを待つことにして沈黙を保った。

「……実に感心じゃ。その調子で頼むぞ、と言いに参った。コモエは何故か一緒に来るというでな、好きにさせただけじゃ」

「ありがとうございます。数日中には未だこちらの都市を訪れたことのない者を含め、貨幣について勉強を始めてもらうつもりです」

「優秀じゃな。若も儂らも中々付きっきりでは奴らの面倒を見てやれん。頼らせてもらうぞ」

「全力でお応えします」

 サリの言葉に巴は何度か満足そうに頷く。
 その言葉を聞いて用事が済んだということなのか、巴は踵を返した。
 深く頭を下げて見送るサリ。
 しかし、巴は少し先で振り返った。

「ああ。言い忘れておった。海の街じゃがな、銀を採用することにした」

「? 銀?」

 巴が何を言っているのかわからずサリが思わず聞き返した。
 銀と言われていくつか思い当たることはあったが、その中に巴が意図する正解はないとわかってそうしたのだ。

「銀といっても便宜上の呼び方で実際は銀ではないが……。簡単に言えば貨幣を更に分ける。海ではかんもんめ、そして一文銭という貨幣でやらせてみることにした。若からも、もう好きにやってくれ、とちゃんと許可をもらったのでな。識が言うには担当はお前らしいからのう。先に伝えておくぞ」

「……え?」

 正確には真が巴に与えたのは、いわゆる許可とは少し違う。
 諦めからの免状である。
 しかし、ちゃんと、ではないが一応は許可なので間違いでもない。
 そもそもこの恐ろしい巴の発言の元凶は、真が巴に江戸と大阪の主要な貨幣が違っていたなどという事を、両が一般人が日常生活で使う貨幣として必ずしも一般的でなく使用には両替を必要とする場面も多かったという情報に交えて話したりしたからであり、サリの頭に空白を作り出した元凶もまた真であるとも言える。

「若と決めた両との両替率を含め、資料を明日中に部屋に届けさせる。励め」

 江戸時代当時の東西の為替は流動的で、亜空にそのまま取り入れるのは難しい。
 真の説明でそれを察した巴が、真に固定で両替するならどの程度が良いかを暗に尋ね、彼はその相談に答えた。
 サリにとっては本当に不幸なことだが、こと日本史のごく一部についてだけ、真はとても賢く記憶量も豊富である。
 今度こそ、巴は去っていった。
 頭が真っ白なサリを残して。

「……え?」

 既にその声に反応して欲しい巴の姿がなくなったころ、サリは再び、え、と口にしていた。
 同情に値する光景だった。

「なんか、変えるんだって。若様は巴様が好きなようにすればいいんだって仰ってたよ。あ、サリって何歳なの?」

「そうなんだ、少しお姉ちゃんだったんだ。でね、サリ。明後日私ツィーゲに行くの。お土産何がいい? ここでは私の方がお姉ちゃんだから買ってきてあげる! あ、識様に聞いたんだけどサリはこの間すくりゅ~の付いた速い船に乗ったんだよね。どうだった? ねえ……それでね……」

「いつかサリがおもてに出られるようになったら、ツィーゲに行こう。私の親友がそこにいるの。きっとサリとも仲良くなれる!」

 サリに興味津々なコモエが、満面の笑顔で次々に話題を彼女に振っていく。
 しかしサリの方は、巴から突然ぶつけられた恐ろしい発言に戦慄し、半分もその話が頭に入っていかない。
 何と受け答えしたのかもよく覚えていなかったりした。
 だがそれでもコモエの印象は良かったのか、以後急速に仲良くなっていくサリとコモエなのだが、その出会いについての話題になるとサリはいつも「貫と匁の時に……」と悲痛な顔で語ることになるのだった。
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