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月が導く異世界道中 作者:あずみ 圭

三章 ケリュネオン参戦編

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色々ロックオン

 階下から戻ってきた彩律が護衛から離れ、貴賓室に戻った。
 柔らかな黒い絨毯が敷かれた広々とした室内では、各国からの来賓がグループに別れて歓談に興じたり、奥にあるバルコニーからホールの催しを眺めたりしていた。ローレル連邦から訪れた来賓で彩律は最も地位が高い。場を中座する前に座していた席へ戻る彼女の所に何人ものヒューマンが話をしようと集まってきた。それらに手馴れた様子で対応する中、不意に彼女は何かに気づいた様にある方向に顔を向ける。
 彩律の目が細まる。感じた視線の先にいた人物が意外な存在だったからに他ならない。

(グリトニア帝国第二皇女リリ=フロント=グリトニア。帝国にいる勇者をバックアップする存在。勇者の登場以後、憑き物が落ちた様に権力闘争から身を引いて彼に尽くしている。ただ、そこに至る前の彼女の言動その他を見ている身としては気に食わない転身だ。身辺への警戒はむしろ勇者が現れる以前よりも厳しくなっていて、近況を探るのさえ一苦労。病的な警戒具合と言えるわ。今のところ彼女と私の接点は殆ど何も無い筈なのだけど。かの地の勇者に無理な干渉はしていないし、する予定も現在は無い……)

 一通りの対応を済ませて周囲に詫びを終えた彩律は、バルコニー近くにいるリリの元へ近づいていく。リリはもう彩律に視線を向けてはいない。階下の様子を眺めていた。

(来たわね、ローレル。巫女に智樹の力が効かなかったからしばらく放置するつもりでいたのに、余計な仕事を増やしてくれるわ。まさかクズノハ商会と接触するなんてね。冗談じゃないわよ。巴とか言うあの女からの警告、たかが一商会の従業員とは言え冗談とは思えなかった。向こうで侵攻準備をしている智樹もあの女に執心しているし、クズノハ商会は全く放置ともいかない。あの醜い男が店主のライドウとか言うのらしいけど、巴の主とも同一人物の可能性がある。本当なら私も向こうで智樹達と行動している時期なのに、こんな近場で商売をされていたら嫌でも気になるというものよ。大人しくツィーゲにいれば良いのに。この上秘密主義のローレルとも関わりがあるっていうの? もう、本当に邪魔。邪魔、邪魔邪魔邪魔邪魔!)

 一方のリリは目を向けた意図を察した彩律の接近を知る。階下を見ているのは彩律への牽制ではない。ホールに戻ってきていたライドウの様子を観察していたのだった。
 リリにとってクズノハ商会、そして店主であるライドウはこの学園都市を訪れた目的の一つだ。リミア王都近くの星湖で出会った異装の女剣士巴。その存在は帝国の勇者にして皇女の最高の駒である智樹の心に日々強く存在するようになっていた。彼にしてみれば初めて邪険にあしらわれ、さらにはどんな武具でも扱える筈の彼に抜けない剣を持つ女。リリは巴からの忠告を重く受け止め、クズノハへの調査は必要最低限に抑え、いかなる妨害もしていない。智樹の巴への懸想を上手く宥めコントロールして行動に出ないようにしていたのも彼女だ。巴の存在は今のリリには悩みの種で、辺境にいる筈の厄介な案件が学園都市にまで進出してきているのはどうしても気になった。

「リリ様。ホールの様子をご覧になられてどうです? 目に留まるような方でもおられました?」

「これはカハラ様」

「様などと。呼び捨てで構いませぬのに。前線にて魔族と戦ってくださっている帝国の姫君なのですから」

「私はもう継承権も捨てた身、それもこのような時期に祭りを見に来ているような道楽者に過ぎません」

「勇者殿を支えておられるだけで十分な献身です。私は、いいえ我々ローレルは貴女の……」

「……本題に入りましょう、カハラ様。ローレル連邦の重鎮である貴女がわざわざ階下に降りてお会いになった男性に、私、興味がありますの」

 リリの言葉が彩律の世辞を途中で断った。下半分を羽毛扇で隠した彼女の目は穏やかに笑っている。だが、不愉快を感じたからこその発言である事は察する事ができた。

「男性……、ああ、あれは私の個人的なものです。部下からこの街で良く効く薬と変わった果物を扱う店の事を聞かされまして。非常に特徴的な店主だから一目で分かると冗談交じりに教えてもらったのですが、先ほど見て驚きました。本当に一目で、しかも遠目にもわかるのですから。つい立場もわきまえずお話を聞きに行ってしまいました。彼には悪いことをしたかもしれません」

「ふふふ、確かに。ここからでもすぐわかりますわね、彼、ライドウ殿」

 リリの目がライドウを捉える。そして、リリがライドウを見定めた事に今度は彩律が興味を示す。

「……リリ様も、ライドウ殿の事をご存知なのですか」

「ええ、私の方も“噂”程度ですけれど。従業員は殆どが亜人だとか、学園で臨時講師もなさっているとか。色々と、面白い方のようです。私も是非お話が出来たらと思っていますの」

「……そう、お話を。彼は臨時講師もしているのですか。それに亜人とも親しく……」

(?? あまり詳しくない? ブラフかしら)

 亜人との関係や、臨時講師の肩書きに初耳といった表情を浮かべた彩律の様子にリリは考える。

(クズノハ商会はツィーゲとロッツガルド以外に今のところ根を張った形跡は無い。この女の役職を考えても国外に出るのは相当稀な筈。となると、ローレルとクズノハ商会の接点はさほどに濃くない? 不確定要素の中でもクズノハは敵対要素が現状でそこまで強くはない。もう一つの不確定要素である魔人を先に調べるべきなのかもしれない。かなりの戦闘能力を有する上に女神と関係を持つ魔人。しかもヒューマンだろうと魔族だろうとお構いなしに殺している。アレに比べればクズノハはまだ中立よりの存在ではあるわね……。舵取りが出来る適当な国を表に出して色々探らせるだけに留めましょうか。帝国が前に出ると巴が出てきた時にまずい事になるかもしれない)

「噂ほどに良く効くお薬なら、お土産にどうかとも思っておりますわ」

「あら、それは良いお考え。よろしければ私にリリ様の分もご用意させて頂けませんか?」

「そんな、そこまでして頂くのは」

「リリ様ほど公務もありませんから。それに行列に皇女を並ばせるなんてとても出来ませんもの」

「……わかりました。ご好意に甘えさせて頂きます」

(私がライドウと接触するのは嫌、か。ここは譲歩しましょう。彼女にはまだ聞きたい事もある)

「任せて下さい、数日の内にお届けしますから」

「お待ちしていますわ。お話は変わるのですけど、そのご好意にもう一度甘えさせてくださる? 実はどうしてもカハラ様にお聞きしたい事がありまして」

「私にでございますか? 立場上、他国の方にお答え出来ない事も多いですがそれでもよろしければ」

(何を聞く気? 相当数の諜報員を入り込ませている癖に)

「勿論ですわ。貴国では独自性の強い技術を発展させていらっしゃいます。実は我が国でも最近火薬への関心が高まっております。つきましては是非ローレルでの火薬の取り扱いや利用法についてお聞かせ願えないかと」

「火薬、でございますか。貴国があのような物に関心を持たれているとは初耳です。そういうお話でしたら私の知る限りでお教えしますわ」

(火薬。意外ね。危険な利用法もあるにはあるけれど、あれは魔術には遠く及ばないのよね。無駄に危険ばかり付き纏う印象だけど、どうして……。当たり障りの無い事だけ教えておくとしましょうか。もう貴女の耳には入っているような、ね。担当の者に少し警戒を深めるよう言いつけておく必要があるかもしれないわ)

「はい。よしなに」

(帝国の火薬への関心、知れば当然警戒するわよね。警戒は時に情報の位置を露見させる。ウチの諜報員を舐めない事ね。智樹の眼にヤラレて死力を尽くすウチのたちを……)

 既に知っている火薬の利用法や価値についての講釈を聞きながら、リリと彩律のにこやかな化かしあいは続いた。 





◇◆◇◆◇◆◇◆





「レンブラント、ここにおったか」

「これはこれは将軍ではありませんか。お見えになると知っていればこちらからご挨拶に伺いましたものを。はて、ロッツガルドに来られるのはリュジニ家の方だと記憶しておりましたが?」

「うむ、俺は来る予定など無かったんだが。ステラ砦の作戦に従軍する事になってな。通り道で丁度ここが学園祭の時期だったから行軍の息抜きを含めて少し寄り道だ。で、お前を見かけたのだ。今日は執事はおらんのか?」

「はい、妻を連れて来てしまいましたので店の事を任せております」

「護衛は無しか。ツィーゲのドンがそんな事ではいかんな」

「いえいえ、代わりに頼れる者を連れてきておりますよ。以前にご報告したクズノハ商会の新米商人、彼に供をさせております」

 ツィーゲの首領であると言われた事には否定せず、レンブラントは将軍の接触の意図を察した。

「……ふ、その件でお前に苦言を言おうと思っていたのだがな。そうか、上手く飼い慣らしておるか。何でも本拠をここにして我が国とは関係は無い、そんな舐めた態度を取る奴だと聞いていたからな」

 クズノハ商会の手綱を握っているか。その事を抜き打ちで見に来たのだろうと考えたレンブラントの推察は正しかったようだ。
 ならばとツィーゲで君臨する自己のイメージを否定しないことで己の自信を彼に想像させ、ついでライドウを同行させている事を話して彼との力関係をも誤解させる。
 その思惑の成功はアイオンの将軍からの返答でわかるものだった。

「所詮は若造でございますよ。現に、今も我が商会に間借りしてクズノハ商会はツィーゲにもありますしご安心下さい。そうだ、将軍はお酒がお好きでしたな。あちらに美味い酒を出す女がおりました。さ、少しだけ私にお付き合い下さいませ。ささ」

「お、おっと。レンブラント、そう急かすな。済まぬな夫人。少々ご主人を借りる」

「ええ、この次は是非、私と一曲お付き合い下さいませね。お待ちしておりますわ」

 夫に腕を引かれて人ごみの中に消えていく中年の男性を見送るレンブラント夫人、リサ。満面の笑みで振り返りもしないアイオンの将軍らしき男の消えゆく背を見ていた。
 その夫人の口から小さく息が漏れた。周囲には悟られない小さなため息。もう彼女の視線の先には他の客の姿しか確認できず、夫も声を掛けてきた男もどこに消えたかわからない。

(上手く飼い慣らす、ですか。どちらがそうされているのかもわからずに馬鹿な方。私の事など気づかなかったような素振りまで見せて。その舐め回すような嫌らしい目が娘に向かぬように連れて行かれた事にさえ微塵も気づけないのでしょうね)

 リサは何一つ夫と言葉を交わさずとも、先ほどの会話と夫の行動を理解していた。アイオンの実力者でありながらその実態は世襲の権力にあぐらをかく愚か者。その上そこら中で女に目を付けては妻にしている。

(表情を隠し感情を悟らせないのには自信がある私でもあの時は流石に間抜け顔を晒したものね。息子が求婚したシフを見て、自分も求婚して妻にしようとするんだもの。呆れたわ。父と息子で女を取り合うなんて気持ちの悪い)

 過去の記憶を蘇らせるリサ。娘のシフとユーノには健康であった頃、結構な数の結婚話があった。学園の生徒になってからはその数もさらに増えた。先ほど声を掛けてきた男の息子からの求婚もその一つだった。忘れたい記憶の上位でもある。

「あれ、ママだけ? パパは?」

「ユーノ、お母様とか母上とか、口の聞き方には気をつけなさい。あまり出来ないようだと、家でも徹底させますよ?」

「う! 気をつけますお母様」

「よろしい」

「お母様、今の方、確かアイオンの……」

「そうよ、シフ。貴女に親子で求婚した方。何でもステラへの行軍途中に立ち寄られたそうよ。あの人が遠ざけたから今は大丈夫だけど気をつけなさいね」

「……はい。ところで、ライドウ先生は」

「一度ローレルの……多分あれは巫女様関係の偉い方だと思うけど、その方に連れて行かれたけど今は戻られているわね。折角気合を入れて着飾ったのに残念ね、ライドウ様はあまりこういう場所はお得意ではないみたい」

「うーん。確かに、先生に礼法や舞踊を教わっているわけじゃないもんねえ」

 ユーノの苦笑いの混じった言葉。普段活発な彼女も、こうしてドレスを纏い髪を上げてうなじを出すとその雰囲気が一変する。軽い物言いがむしろ違和感を与えるほどに。

「ふふふ、見てはもらったでしょうから、後で感想をお聞きしなさい。ああいう殿方には、それも攻め手になりますよ。それよりもシフ、それにユーノも」

「何ですか?」

「何?」

「貴女達、学園で結構派手に遊んでいたみたいね? レンブラントの名前、ここではあまり評判が良くないわよ?」

「!? し、調べました?」

「それは勿論。成績だけでは生活の様子まではわかりませんから? 戻ってからは大人しくしているみたいだけど、前は相当だったようね」

「ううっ」

 凛として、艶やかに。人の目を集めていた二人が背を丸めて小さくなる。

「……ライドウ様にお教えしてしまおうかしら?」

『やめて!』

 シフとユーノの声が見事に一致した。悲壮な顔も一致している。

「なら。その悪評、卒業までに逆転させなさいな。いい、逆転ですからね? 悪評を逆転させる、これは相当に大変な事ですよ、人は評価するよりも貶める方が好きなのですから。将来にも絶対に役に立つから死ぬ気で頑張りなさい。ほら、わかったら早く戻る!」

『は、はい!!』

 シフとユーノが母の言葉に背を押されて華やかな場所に戻っていく。二人には同じ想いがある。一つは勿論、ライドウに過去の振る舞いを知られる事への恥ずかしさ。そして一つはそれを知ったライドウが性根を叩き直そうと凄い事をしてきそうだと言う恐怖。何故か二人の頭に、彼に見捨てられるだとか軽蔑されると言った考えは浮かばなかった。それよりも何かされそうだと恐れるのは彼への信頼か、それとも講義で何かが麻痺したのか。
 リサはふと壁に張り付いているライドウを見る。何か考えているようで、何も考えてないような。掴みどころの無い恩人の姿を見て、夫人は思わず口を綻ばせた。





◇◆◇◆◇◆◇◆





「今日はありがとう、ライドウ殿。おかげで娘の晴れ姿を堪能できたよ」

 笑顔でライドウに礼を述べるレンブラント。
 帰り道。まだ夜は宵の口。祭りの夜は始まったばかりの時間と言える。今頃参加した学生達はそれぞれの点数を聞き一喜一憂している事だろう。こうして帰り道ににこにこしていられるのは招かれた客の特権だろう。彼の娘に関して言うなら母親から新たな課題まで与えられてしまい笑顔では帰れまい。

[こちらこそ沢山の方と知り合う事が出来ました。ありがとうございます]

「娘はどうでした? ライドウ様の目を楽しませる事が出来ていましたか?」

 夫人が娘の姿についての評価をライドウに尋ねた。

[とてもお綺麗でした。普段私が講義で接している彼女たちとは全く違って、楽しむと言うよりも驚いてしまいましたね]

「ははは! 驚く程の美しさとは、ライドウ殿は実にわかっている!」

親バカを自認するだけあって言葉の意図を上乗せして娘を褒めるレンブラント。

「あなた……。あの子達もライドウ様もご覧になるからと真剣に選んでおりましたから。母親としても安心しましたわ」

[勿体無いお言葉です、夫人]

「時にライドウ殿、君には会わせなかったが、実はあの場にアイオン王国の将軍がいてな」

 口元から笑みを消したレンブラントが浮かれた色を消した声で前方を歩くライドウに話しかける。

[アイオンの将軍様が]

「ああ、ステラへの行軍途中らしい。君の事を聞いてきたので、上手く飼い慣らしていると伝えておいたよ。君は人気者だな、ローレル連邦にも興味を持たれているみたいじゃないか」

[ありがとうございます。見ておいででしたか。あの時は商会で扱う薬の評判を聞いて、ローレルにも出店しないかと聞かれました。今はこことツィーゲの二つで手が一杯ですとお断りしましたが]

「大したものだ、もう次の店舗の話が出るだけでもね。だがこういう時は足元にも気をつけなさい、意外な場所に落とし穴がある事もある」

[お気遣いありがとうございます]

「あなた、ライドウ様には巴様や澪様、それに識様と言う方もついておられますから」

「おっと。つい、いらぬ事を言った。口うるさくしてすまない、ライドウ殿」

[いえ。そのお気持ちは本当に嬉しいです]

「……ライドウ殿、私はね。最近のツィーゲの発展を毎日目の当たりにしている。ただ君への感謝の気持ちからだけではなく、言わせてもらうよ。私は今後、例え君が何を敵にしても、君の側につくよ。恩人としても商人としても、それが私の結論だ。だから、困ったことがあれば遠慮無く言ってくれて良い。力になろう」

 レンブラントが言葉を言い終わると、彼の先を歩いていたライドウがその足を止める。
 理由は二つ。一つは過ぎた言葉を掛けてくれた彼への言い様の無い感謝。そしてもう一つは、彼が振り向かず見つめるその視線の先にあった。学生服を纏った数人の生徒。明らかな敵意を向けている。それは明確にライドウに向けられていた。
 レンブラント夫妻もその異常に気づいて足を止めた。

「おい、ライドウ」

[学生から呼び捨てにされる覚えは無い。私は確かにライドウだが、私が臨時講師と知った上でか]

「当然だ。俺のことを忘れたとは言わせねえぞ。お前に殺されかけた俺を」

 ライドウが首を傾げる。全く見覚えの無い学生だったからだ。
 殺されかけた、と言うのなら講義の参加者かと彼は考えた。だが現在続いている生徒にも、かつて受講しに来た学生で怪我をした者まで思い出してみても怒気を感じさせ立ちはだかる彼はいなかった。

[済まない。私は君を知らないのだが]

「っ!? ふざけるな!」

[ふざけていない。全く覚えが無い。が、何かしたと言うなら謝ろう。申し訳なかった。見ての通り、今は客人を迎えている。文句は明日にでも改めて店で聞こう。それでは]

「お前はっ! 本当に俺を覚えていないってのかよ!」

[講義に来た生徒か? 君はいなかったと思うんだが]

「講義になんぞ行く訳ねえだろうが!! っ、そうか講義、講義だよ! お前の講義、今七人しか残ってないんだろう? それに誰も受講願いを出してこねえ筈だ。俺が圧力をかけてるから当たり前だけどなあ!」

 ライドウは困った。
 目の前の彼が口の端から泡を浮かべて力説している事にまるで覚えがなかったからだ。殺しかける程痛めつけたのなら記憶に残らない訳は無い。だが、確かに彼について何も覚えている事がない。むしろ、今が初対面ではないかと思ってさえいる。
 それに講義について言うのなら、今も大量の受講願いは来ている。受理していないだけだ。この先、今いる七人がある程度力をつけたら彼らに先輩として指導を手伝わせて何人か追加しても良いかとは考えているものの、当面能力的にも手間的にも新しく学生を増やす気がない。その上での七人と言う数字だ。ますます、彼の主張を意味不明に感じていた。

[話は明日聞いてやると言っている。一つ教えておくが彼らは賓客の一人だ、学生が手を上げればどうなるか。わかるな?]

 レンブラントに目配せをしてライドウは彼の脇を通り過ぎる。釘を刺したのが効いたのか、夫妻に手をあげたりする様子は無かった。

「……俺はお前を許さねえ! 絶対に俺に手を出した事を後悔させてやるからな! 明日組み合わせが決まる大会で、まずはお前の講義を受けている連中を潰してやる。どんな手を使ってもだ! お前が無能だと、あっという間に広まるんだ!」

[そうか、好きにしろ]

 尚も後ろで喚く男にライドウは背を向けたまま文字で応じる。尚罵声は続くも、それ以上ライドウが彼の言葉に反応する事は無かった。

「ら、ライドウ殿。今の学生、娘に危害を加えると話した気がするのだが?」

[ええ、そのようですね。ご安心下さい、むしろあの子達には良い修行になります。そして万に一つも危惧されているような事にはなりませんよ]

 夫妻を安心させて宿まで案内したライドウ。
 一体彼が何者だったのかを帰路考えるもどうしても浮かんでこない。学園都市に来てからの事に間違いは無い筈なので、商会に戻ったライドウはすぐに識を呼んでこの話を聞かせた。
 少しの間記憶を辿って押し黙る識。

「若、もしかしたらアレではありませんか?」

「何か思い当たるのか? 僕は全くダメだよ」

「ええ、こちらに来て間もなくの事ですが。ゴテツのルリアに絡んでいた学生に仕置きをした事があったかと」

「おお、そう言えば絡まれたあの子を気紛れで助けたっけ。でも殺されかけたとか言っていたぞ? あれはちょっと脅かしただけだった気がする」

「あの高さから落ちれば下は石畳でしたので、死ぬ可能性はそれなりにあります。何より連中は誰も浮くことも出来ませんでした」

「……だったね。あれか、あれで殺されかけた、かあ」

 ライドウは肩を落として大きく息を吐き出す。その程度で死にかけるとか何て大げさなと脱力していたからだった。彼がこの世界で経験してきた事に比べれば全く問題にならない事だったからだ。

「一応、その生徒の事は明日にでも調べておきましょう。ジンと同行する約束がありますから」

「そっか。大会の抽選だったっけ。僕もルトと覗くよ。その時にジン達に少し時間を作らせてくれる? 彼について嫌がらせを受けるかもしれないから忠告しておかないとね」

「忠告、でございますか」

「そ、忠告。その程度の障害はそろそろ独力で流してくれないと頼りにも出来ないからね。事務室から生徒を増やせないか何度か言われている。必ずしも従う必要はないんだろうけど板挟みになって弱っていく職員さんが少し不憫だ。あの七人がそれなりに育てば教育係に使えるし手間もかからない」

 ライドウの言葉に識が静かに頷く。

(さて、それじゃあ巴と澪、それに余計だけどルトも待っている店に行くか。今日何をしていたのか報告を聞いておかないとね。しこたま飲むつもりなんだろうし、明日はルトと一緒だ。まだまだ気合入れていこう!)

 長い一日だ。ライドウは苦笑しながら商会を出た。



 ここまでで投稿するつもりで大分予定が狂いました、あずです。
 騙しだまし仕事にも復帰し外の雪にも腰じゃなく運転的な理由で怒りを覚えられることに感謝しております。活動報告、感想にてご心配頂き誠にありがとうございました。順調に回復しております。

 それでは、ご意見ご感想お待ちしております。
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