・今日は第三の使徒が襲来する日らしい
今、知ったよ。 僕が第3新東京市に行って、最初の使徒に出会って、ミサトさんの車に乗って、ひっくり返って、口の中がシャリシャリして、久しぶりに父さんに会って、血だらけの綾波に会って、エヴァに初めて乗ったのって。 「明日」だったんだ。。 #2015年6月22日 #エヴァ
— 緒方恵美@7/25&8/9Live! (@Megumi_Ogata) 2015, 6月 20
実の所、書籍などで「2015年6月22日」という設定が明かされた事はないようだ。新劇場版に至っては「西暦2015年」という設定はなくなっている。
だがエヴァは「セカンドインパクトの影響のせいで四季が失われて一年中真夏」という設定がある(だから貞本先生の漫画版エヴァにおいては「冬」が戻ってくる結末を迎えている)
そろそろ初夏を迎える中でこの日がTV版「新世紀エヴァンゲリオン」第一話であるとするのは雰囲気的には正しいと思う。
何よりも西暦2015年。ここまで引きずるコンテンツになるとは当時のスタッフもファンも思っていなかったであろう。衝撃的な事である
完成度の高いレビューなどしたいわけではない。別に評論モドキをしたいわけでもない。むしろエヴァはそういったものへの絶望を僕に教えてくれたアニメーションであったのだから。
実の所、僕の中でエヴァという物語はある程度決着を付けている。
皮肉にも「EoE」以上に「ヱヴァQ」というのは納得が出来てしまえるものだった。貞本先生の漫画版もそれなりの落としどころで完結した。
あの謎をボカし続け、グダグダし続ける碇シンジの物語と僕がいかにして付き合ってきたのか。自分語りである。
・謎本、フィルムブック
僕はエヴァをリアルタイムで見た記憶がない。母は深夜再放送で見たと主張している。むしろリアルタイムで見た記憶に残っているのは「機動戦艦ナデシコ」の方だった(ちなみにユリカが好き)。
当時はエヴァを自分に都合よく解釈するための「謎本」がやたら売られていた。評論である。それに散々踊らされた記憶もある。それがただの願望だと気付くまでそれなりの年月は必要だった。
また当時読んでいた「ファミ通ブロス」でシト新生の宣伝があったような記憶がある。後は各漫画にあったエヴァパロディであろう。
記憶に残っているのは恐らくフィルムブックだ。今でも古本屋に置かれているかもしれない。
アニメのフィルムを切り取って漫画風にしたもの。
多分エヴァというストーリーに触れたのは、これが初だ。
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このフィルムブック。トラウマである。
具体的にあの巨大綾波だ。人類補完計画が終わり、抜け殻となったリリス(巨大綾波)だけが来る。ただの抜け殻。
貼りついたような笑顔、ぎょろ目。そして残された二人の少年と少女。
僕がエヴァについて知った時点で既に一旦終わっていた。
あの抜け殻となった巨大綾波の抜け殻とシンジ・アスカだけが残されているあの赤い浜辺で終わった。
現実へ帰れと言った。
だが赤い浜辺は恐らく多くの人々の心象風景として。
それっぽくカッコつければ呪いとして残った。
この時点でいえば碇シンジというのはヒーローならざる者。
戦う事を放棄したいわば「ヘタレ」として糾弾されていた。
僕もその風潮に呑みこまれていた時代があった。
その認識は変わり始めてくる。
・終わりなき夏ヘノ扉、ファンフィクション
僕は作り手のストーリーが気に入らなければ同人や二次創作で逃避していいと思っている。本当に気持ちよく終われた作品にはそういった感情を抱かない。
「こうなってしまえば良かったのに」という事を喚起させられるようなものでなければifへ逃避してもいいのだと僕は思っているし、これからもそんな火種を抱えながら生きていくのだろう。
多分その原点の一つがエヴァのファンフィクション。二次創作だ。
具体的に名差しで出すと本田透氏の「夏ヘノ扉」
EoEのやり直し。LAS(ラブラブ・アスカ・シンジ)的な憎悪と愛の決着。
それが一つの在り様でもあったのだ。シンジはアスカを見殺しにしたし、ゲンドウとシンジは似た者同士である。
ゲンドウ=庵野監督=シンジとした上で「ナディア」「トップをねらえ」をメタらせた台詞を吐かせ、その上でシンジがみずからと決着をつける。
ヘイトというほどではなかったかもしれない。少なくともアスカとゲンドウのやり取りがあのアニメに殆どなかった(ぶっちゃけ使い捨て要員だと思ってた感ある)
こうしたメタ的なパロディにしろ、少なくとも一つのエヴァの終局の形としては成立する。そしてもう一つ。「大戦」だ。
・クロスオーバー、救い、エゴ、大戦
スパロボである。
このゲームのエヴァ。
すぐATフィールド抜かれた 「F(完結編)」に比べるとやたら強くなっている。
ENはケーブルで回復出来る。初号機はゼルエル喰えばS2機関内臓出来る。
シンジがダイターン3(ダイターン1・ダイターン2はない)の波嵐万丈などの仲間達に支えて戦士として完成したり、マジンカイザーや真ゲッターがアスカ助けに来てくれるところ等もある。
初号機の「マゴロク・E・ソード」や弐号機「ATフィールド投げ」も十分強かった。トウジも仲間にして使ってやればやっぱり強かった。
トウジ&参号機はシンジにとって身近で大切な人が失われていく悲劇の幕開けにして最後までシンジと共闘する機会はなかったが、スパロボやエヴァ2、あるいはパチスロ等では結構共闘したりする頼りになる奴である(パチスロは別に回してはいない)そういうIFも大好きだった。
今は破においてアスカが3号機に乗った上でトウジは生死不明(サクラちゃんは兄ちゃん死んだとは言ってないんでいいんちょと上手くやってると信じてるが……)でも2号機カラーで赤く塗られた3号機も見たかった。アスカも死亡フラグ前にそんな事言ってたし。
まぁこのゲームで一番使いやすいのは(今は亡き)ヒュッケバインMk-III・ガンナーなのだがそれは置いておく。
「アニメスタイル」のエヴァ評を見ながらこのあたりで気づいた事がある。
それはアクションモノ、怪獣退治モノとしてのエヴァだ。
碇シンジは後ろ向きで消極的な側面もあるし、戦士としての成長を否定されるからこそのエヴァである。
しかしバトルシーンは面白いのである。そこはアニメーションとしての面白みであろう。具体的にアスカ来てからトウジが再起不能になるあたりまで。
だが当初は孤独な戦いを押し付けられていったシンジが、ミサトさんとぶつかりあった上で少しだけ距離が縮まり、トウジ・ケンスケとも折り合いをつけ、「ヤシマ作戦」にて綾波レイと共闘。
それ以降、アスカ・ラングレーが来日してこの辺になると安定期になる。
そこからぶっ壊れるのがエヴァだとしても、そのあたりのかけがえのなかったであろう日々も碇シンジにとっては大切なのだろう。
碇シンジはぼくじゃない。
でもあいつだって頑張ってるんだ。
そして帰ってきた。赤い海の向こうから。
~「君は一人(じゃない)」
新世紀エヴァンゲリオンはヱヴァンゲリヲンになって帰ってきた。
2007年9月1日、僕はスガイディノスの劇場に再誕したヱヴァ序という物語を見に行った。新劇場版はどのシリーズ全部初回に見に行った記憶がある。
当時気になったのは四つ。
「赤い海」「西暦ではなくなっている」「ヤシマ作戦でシンジの戦いを見守る人々が映る」「かつてラミエルと呼ばれていた使徒」だ。
あの赤い海から始まる所から、あのリリスの抜け殻が覗いて来ているフィルムのもしかしたら延長線……かもしれない。そうかな?そうかも。
そして『時は西暦2015年』のくだりもなくなっている。
セカイ系だのなんだの言われても外部の人々も出て来ている。
ガトリング砲はすぐ使い捨てられた。しょうがないね。
ただ第五使徒ラミエルと呼ばれていた使徒……「第六の使徒」であろう。
いやだってさ! あいつ初期設定もあったかTV版だとなんか機械的なドリル出してきたじゃん。
CGでとんでもなくパワーアップしてるじゃん!ネルフの人達も手を貸してくれたし! 後でゲンドウに裏切られた事を聞いてヴィレ作って造反するとか流石に予想出来なかったし!
映像の進化で押しきる。そうした作り直しがヱヴァ序には感じられた。
そしてこの頃、PSP版「エヴァ2」をやってやっぱりマゴロクEソードは最高だという事を再確認していた。でも新劇シンジは格闘寄り射撃パイロットだよね。使徒ビームとか使ってたりするしファンネルとか使いだしてるし。うん、ファンネルとかね。
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↑PS2版に比べて個別ストーリーとか増えてるのでおすすめ。釣りエンドもあるぞ!
・「破」はアニメーションとして名作映画!
そういうアクション重視の見方してたから「破」はすごく面白かった。
「Q」でツケを支払われた事には納得自体はしている。たった一人を救うために世界を滅茶苦茶にされれば他の人達が溜まったものではない。
庵野監督が昔語ってた「交通道路のルール」のようなものだろう。歩道が空いているからと言って突っ込ませれば虐殺にしかならない。
シンジが綾波だけでも救うためにした事は「道路が渋滞していたから歩道を突っ込んで行った事」であり、ヴィレの連中がシンジに怪訝なのもその行為に対する正しき怒りなのだとは思う。
でも「破」面白かったじゃーん!
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要するにアニメーションとしての活劇として面白かったかという事である。
確かにエヴァは崩壊してやたら評論とかされて90年代後半の時代性もあった。
でもあの辺の陰鬱ならリアルとか、キャラ3話で沈めたらリアルとか辞めようぜ!
巴マミさんはメンタルが常人だけど完調なら強いし他の4人の師匠なんだから如月だって改二として強くなって時雨あたりと一緒に戦艦ル級倒していいんだよ。
ドラゴンボールの悟空も機動戦艦ナデシコのアキトも、その90年代後半の世紀末的なリアリティの犠牲になったと思っている。
そういう意味ではドラゴンボールが最近やたら気楽な作品として復活したり、スパロボBXのナデシコがTV版オンリーっぽいのも気になる。
だってアキトさん、黒化したら帰って来るの終盤だしな。ブラックサレナは執念感じるけど、あれは北辰に復讐完了した後に最後に涙流しながらピンクエステバリスに戻るからこそだと思ってる。
言峰の娘のカレンは綾波なんだーって言ってたFateは、ちょうど似たように再アニメ化してなんか衛宮士郎が英雄王にちょっと認められてたりする。
コンテンツが復活してなんかちょっとすっとぼけたりする。それでいい。それでいいのだよ。リアリティなんかクソクラエよ。
話がエヴァから逸れたけれども、Qは結果的に90年代との時代性の違いを見せてくれた。そうしてすっぱりと終われた。燃え尽きれたとも言う。
話を破に戻そう。あれはアスカ来てからゼルエル殺すまでの話である。
TV版だってアスカ来てから3号機事件起こるまでは戦いはありながらもシンジもあの頃が一番友達や仲間、大人達に囲まれて穏やかだったろう。
壊れていくにしろ、その手段が道路で歩道突っ込むような、吸血鬼に脅された上院議員のような真似だったとしても。
「破」のなんか進化してる使徒と、こちらのシンジ・アスカ・綾波とネルフの連中の戦いはアクション映画であった。
だって使徒ビームを撃つんだぜ!? それも目から!
なんか赤くなってパワーアップしてヤバいし、実際ヤバイ。
Qだとこれのせいかフルボッコでホモしか居場所がない。
でもこの「神か悪魔か」っぷりがエヴァンゲリオン初号機だろうし、そんなものを与えられてしまったのが碇シンジなのだ。
その危険性で落とされたとしても、この暴走状態は演出としてすごく大好き。
なんかイナズマキックで釘差したり、面倒くさいアスカがシンジ・綾波と連携したり、エレベーター見る限りTV版よりアスカと綾波が友情みたいなの出来ててぽかぽかしたり、トウジが外れたり、なんかサクラちゃん既に出てたりするのとか、なんか文化が途切れててワンダースワンとか歌が昭和歌謡だったり、水族館で青い海でシンジが「変な匂いですね」とか言っちゃったり。
あの時期だってエヴァだったんだって事で破はほんと大好き。
・「Q」という一種の卒業
かといってQの展開が悪いというわけではない。
最後の試練として必要だし、ここで押しつぶされるかどうかが肝心なのだ。
希望はちょっとだけあるかもしれない。
カヲルはTV版に比べればQだとあいつ自身は最後までシンジを裏切らなかったし、トラウマを残したとはいえ彼自身も利用される側という意味ではシンジの仲間だったと思う。ホモだし、ホモ連弾は何度見ても笑う。
完全に鬱状態に陥りつつも、アスカがシンジ引っ張ってやってアヤナミレイの同行を許しての「あの三人」の後ろ姿で締めるのはちょっと切なくなった。
あとマリっぺなんだかんだでアスカと仲良さそうだったりするのも。
やたら謎っぽい事見せてるけれども、そんなものはエヴァフォロワー含めて何もない。
ただヱヴァンゲリヲンという新劇場版は碇シンジの物語なのだからそれでいい。
今まで見たかった「その先」は酷かった。
ただそこでも生きて行かなければならないし、戦うしかないのだ。
もう初号機もあの時の綾波も居ないのかもしれないけれども。
ミサトさんとかみんな年を食っちゃって、シンジやアスカ達だけそのままだけども。
シンジとアスカの痴話喧嘩にしてもEoEほどではない。EoEは多分ガチだ。
Qはまだ敵対しながらも痴話喧嘩で済んでる。お互い殺す気までなかったと思うし。
EoEはガチだ。あの八つ当たりでの首絞め愛がシンジとアスカだ。その時に比べりゃまだマシだろ。
結局ヱヴァをどうこうするのは庵野監督の心理次第。
その時が来れば碇シンジがどうしているのか見守りたい。
まぁ別にゴジラ作ってくれてもそれはそれでいいと思う。いいもの見せてくれそうだし。
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お貞版も終わっちゃったしね。
これもループした世界でシンジがちょっと前向きになって終わる。何処となく二次創作で見たような光景。
でもエヴァってほんとはそうした願望のように平穏に終わろうと思えば終われた。
終わらなかったからこそこうしてグダグダ続いている所も否めないのだが。
だから今のエヴァは一時期に比べれば過去の作品として自分なりに昇華出来ている。EoEよりも燃え尽きた感は強い一作だった。何も終わってないのに。
もしかすると次の新劇場版でもエヴァは終わらなそうだと確信しているからかもしれない。下手すると序から10年後の2017年公開とか普通に有り得る。
それでもエヴァは十分名作アニメと断言出来る。それにぼくじゃない碇シンジの物語がどこで帰結するのか。
そこに希望があるのか。そんなものを見届けたいとは思っている。
歩けシンジ、歩け。