ブラックバードは夜の死の中で歌ってる。壊れた翼で飛ぶことを学ぶのだ。君の人生の中で。君はただ立ち上がるための今を待っていたのだ。
そんな歌をギターを弾きながら歌えるようになれれば良いのになと、久々にギターを触ったりする。
明日は久々の自転車に乗れる晴れの休み。
富士山を眺める太宰の天下茶屋に行こうかと思ったが、ずっと行きたくて行けてない富岡製糸場の方に行こうかなと思っている。
まあ、起きてから考える。
小説の構想が珍しく繋がっていっている。
この調子なら秋までには一本なかなか面白いのが完成するように思う。
ふと、とある女の子に泣きつきたいような気持ちになったりした。
その子は昔、僕に人生の大事なことをいくつか教えてくれた。
男の子にはそういう女の人がいる。
別に賢いから教えられるわけじゃない。
何を教えてもらうと言葉にはできない。
男の子が男に変わっていく。
好き嫌いの問題じゃなくて、そういう女の人がどんな男の中にも一人いる。
女の子に泣きつきたいと思ったのは本当に久しぶりだった。
女の子にはもう家庭がある。
ずっと離れた土地で僕の知らない男の人と家庭を持っている。
ブラックバードが夜の死の中で歌ってる。
折れた翼で飛ぶことを学ぶんだ。
ブラックバードは立ち上がるときを待っていたんだから。
男の子は誰にも泣かずに進むことにする。
久々に思い出したその子はいつまでも綺麗なままだから。
まあ、そんなこんな。
2015年06月22日
2015年06月21日
no-title
二日断酒したらすこぶる体調が良くなったので三日目の断酒にかかったら、あっさりウォッカに絡め取られた。
しかし、程良い。
二連休と一日、ないしは二日飲んで、また二連休。
これぞ楽しくお酒と切磋琢磨の関係を築ける飲み方じゃないかと思っている。
今日は1日中。マグリットに受けた深い感銘が抜けない日だった。
マグリットは僕がいつかしてみたいことをすでに完成させていた画家だった。
僕のしたいことをすでにある程度完成させている芸術家は安部公房くらいだった。
あとの好きな作家は好きだけれど、僕がしたいというのとはまた少し違うことをしていた。
安部公房の箱男という作品が僕のやりたいことに最も近かった。
しかし、それ以上にマグリットは圧倒的に完璧だった。
夜、蛍を眺めに出掛けた。
家から自転車で1時間くらいのところに、蛍がいる。
蛍はあまり空には飛ばなかった。二、三匹がぽつぽつ草の中で光って、時々、気が向いた奴が少し空を飛んで僕にサービスしてくれた。
もっとたくさんな蛍が見たくて、僕は自転車をこいだ。
ばあちゃんの家では小さい頃は網を一振りすればたくさんの蛍が入った。
僕は弟とばあちゃんの三人で蛍を何回か捕りに行った。
しかし、いつからか蛍は捕れなくなってしまった。
蛍はいなくなったのか。
いや、単に、僕は少し成長して蛍のいる時期にばあちゃんちに帰れなくなってしまったからなんだろう、そんな風に20歳ぐらいのとき思った。
でも、もしかすると蛍は本当にいなくなってしまったのかもしれない。
僕は友人に最高の星を見せてやりたいと考えている。
ばあちゃんちから見る星はとんでもなく美しい。
北アルプスの山小屋で見たよりも、まだずっと美しかった覚えがある。
人間は美しい思い出を補正するくせがある。
でも、補正を差し引いても、やはり一番美しかった星はじいちゃんの葬式の日の夜、煙草を吸うのと、携帯電話の電波を拾いに集落の外の少し小高いところで見た星なのだ。
アルゼンチンの星も綺麗だったけれど、鳥取の山奥の星は、ひどく暗闇が深く、星の光がとにかく近く強かった。
アルゼンチンでは、フエゴ島で急な雨の中止むを得ず道端でした野宿からみた、大西洋の月と、それを反射する海の水面がもっとも美しい夜だった。
蛍は、どんなに探してもたくさんは飛ばなかった。
蛍を求めて、少し細い道に入ったりもした。急な坂も少し登った。峠もひとつ越えた。夜が満面にたたえられたような山際の村の良い道ばかりだった。
女の子のことを書こうかなと考えた。
とにかくコメディにでもなれば良いし、悲劇になったって良い。
日高屋の女の子にメールアドレスを渡すところから始めても良かろう。
童貞の28歳のとある男(彼の名誉のために名前や情報は出さないけれど)のことも書いても良いと思った。
ひとえに彼が童貞なのは、彼に勇気がないからだった。彼は美人を好きになる。彼はそういうの自体が自分の弱点だと言った。でも、実際には勇気のないだけの話だった。綺麗な女には振られてしまう、馬鹿を見る、だから告白もできない。
あなたが好きになったものに対して、どうしてあなたから好きと言わず、あなたは好きと言われるのを期待して世界を絶望しているのだろう。
僕は好きになったものには容赦ない。
相手がいくらか不快に思おうが、気が狂ったように愛を叫び続ける。
小説に対するように、書けなくとも書こうとし続ける。
女の人は真心が好きだ。真心みたいなものじゃなくて、本当の真心。自分を心から求めてくれ、守ってくれる人を女の人はいつも求めている。
されど、真心を伝えても上手くいかないこともある。
それは単に、天の時にあらず、だ。三国志風に言えばね。
でも、本当にタイミングって大事だ。日高屋の女の子にはメールアドレスすら渡すことは難しい。
しかし、ふとするすると上手く行ってしまう人もいる。
天の時次第だ。
阿智神社に行って以来、非常に調子が良い。
神様に重ねて御礼を申し上げる。
ま、そんなこんな。
しかし、程良い。
二連休と一日、ないしは二日飲んで、また二連休。
これぞ楽しくお酒と切磋琢磨の関係を築ける飲み方じゃないかと思っている。
今日は1日中。マグリットに受けた深い感銘が抜けない日だった。
マグリットは僕がいつかしてみたいことをすでに完成させていた画家だった。
僕のしたいことをすでにある程度完成させている芸術家は安部公房くらいだった。
あとの好きな作家は好きだけれど、僕がしたいというのとはまた少し違うことをしていた。
安部公房の箱男という作品が僕のやりたいことに最も近かった。
しかし、それ以上にマグリットは圧倒的に完璧だった。
夜、蛍を眺めに出掛けた。
家から自転車で1時間くらいのところに、蛍がいる。
蛍はあまり空には飛ばなかった。二、三匹がぽつぽつ草の中で光って、時々、気が向いた奴が少し空を飛んで僕にサービスしてくれた。
もっとたくさんな蛍が見たくて、僕は自転車をこいだ。
ばあちゃんの家では小さい頃は網を一振りすればたくさんの蛍が入った。
僕は弟とばあちゃんの三人で蛍を何回か捕りに行った。
しかし、いつからか蛍は捕れなくなってしまった。
蛍はいなくなったのか。
いや、単に、僕は少し成長して蛍のいる時期にばあちゃんちに帰れなくなってしまったからなんだろう、そんな風に20歳ぐらいのとき思った。
でも、もしかすると蛍は本当にいなくなってしまったのかもしれない。
僕は友人に最高の星を見せてやりたいと考えている。
ばあちゃんちから見る星はとんでもなく美しい。
北アルプスの山小屋で見たよりも、まだずっと美しかった覚えがある。
人間は美しい思い出を補正するくせがある。
でも、補正を差し引いても、やはり一番美しかった星はじいちゃんの葬式の日の夜、煙草を吸うのと、携帯電話の電波を拾いに集落の外の少し小高いところで見た星なのだ。
アルゼンチンの星も綺麗だったけれど、鳥取の山奥の星は、ひどく暗闇が深く、星の光がとにかく近く強かった。
アルゼンチンでは、フエゴ島で急な雨の中止むを得ず道端でした野宿からみた、大西洋の月と、それを反射する海の水面がもっとも美しい夜だった。
蛍は、どんなに探してもたくさんは飛ばなかった。
蛍を求めて、少し細い道に入ったりもした。急な坂も少し登った。峠もひとつ越えた。夜が満面にたたえられたような山際の村の良い道ばかりだった。
女の子のことを書こうかなと考えた。
とにかくコメディにでもなれば良いし、悲劇になったって良い。
日高屋の女の子にメールアドレスを渡すところから始めても良かろう。
童貞の28歳のとある男(彼の名誉のために名前や情報は出さないけれど)のことも書いても良いと思った。
ひとえに彼が童貞なのは、彼に勇気がないからだった。彼は美人を好きになる。彼はそういうの自体が自分の弱点だと言った。でも、実際には勇気のないだけの話だった。綺麗な女には振られてしまう、馬鹿を見る、だから告白もできない。
あなたが好きになったものに対して、どうしてあなたから好きと言わず、あなたは好きと言われるのを期待して世界を絶望しているのだろう。
僕は好きになったものには容赦ない。
相手がいくらか不快に思おうが、気が狂ったように愛を叫び続ける。
小説に対するように、書けなくとも書こうとし続ける。
女の人は真心が好きだ。真心みたいなものじゃなくて、本当の真心。自分を心から求めてくれ、守ってくれる人を女の人はいつも求めている。
されど、真心を伝えても上手くいかないこともある。
それは単に、天の時にあらず、だ。三国志風に言えばね。
でも、本当にタイミングって大事だ。日高屋の女の子にはメールアドレスすら渡すことは難しい。
しかし、ふとするすると上手く行ってしまう人もいる。
天の時次第だ。
阿智神社に行って以来、非常に調子が良い。
神様に重ねて御礼を申し上げる。
ま、そんなこんな。
2015年06月20日
ナンパのこと。
なかなか難しい。
ペンを握っても小説とはなかなか。
しかし、今こそ踏ん張りどころじゃないかなと思う。
「学生の頃はよく書いたなァ」
にはなりたくない。
しかし、現実としてはなりつつある。
ちなみに、書いているのかと聞かれると、なんやかんや短いのやら、ネタなんかは書いてはいる。
長いのはさっぱり駄目だ。
長いのが書けないといけない。
年に数本書いて何かの賞に出せないといけない。
当選するしないは時の運としても、書いているか書いていないかは当人の実力だ。
別段、焦ることはないが、焦らねばならない。
30手前、人生の残された時間は短いことはない。ただ、生きていく方向性というのはぼちぼち固まってしまう。
ところで、今日は久々に真剣に女の子のことも考えた。
マグリットも素晴らしかったのだが、それを眺めているお客さんの中に素晴らしい女の子がいた。
非常にかわいらしい素敵な女の子だ。
背は低い。
黒の服、スカート。小さいリュックサック。目が素敵だ。
見た目だけなら、単に可愛い子だなで終わるのだが。
絵の眺め方が素敵だったのだ。
真面目にじっくり、楽しそうに眺める。
絵を眺めるってのも、いろいろな方法がある。
単に近付いたり、後ろに下がってみたり。
焦点をずらしてみたり。
横から眺めてみたり。
写真と違って、本物の絵は絵の具なんかの質感も見える。でこぼこしてる。触るともちろん叱られるが、出来るなら触りたい。
或いは歴史を勉強して行くのも良かろう。
マグリットならシュルレアリスムのブルトンの溶ける魚やシュルレアリスム宣言なんか読んでいたら、また思うところもある。
別にいろいろな眺め方が出来れば良いってわけでもない。
ただ、人間の目って多くを語る。口以上に目で人間は語る生き物だと思う。
素敵な眺め方を綺麗な女の子がしていると、これは実に良い。
もちろん、元々は絵の方を見に行っているのだが、偶然、見るペースが同じくらいだと一緒にまわるような具合になる。お互い意識してかせずか、真面目に絵を楽しむ人の邪魔をしてはいけないなと譲り合うような形になることも何度かあった。
正直、マグリットはとても好きな作家なので、可愛い女の子がいるのは心が乱れていまいちな気もしたけれど、それでも、自分が良いなと思う絵を、一緒に楽しそうに誰かが見ていると妙な共有感みたいなものがあって、やはり嬉しくもある。
文や絵に触れると数時間ウツみたいに塞ぎ込んでしまうというな、頭の中が洪水になって、わしゃしゃーとなるので、幸せいっぱいウキウキらんらんとはならなかったけれど。
名曲喫茶ライオンではもんもんとシュルレアリスム画のコラージュ、デペイズマンの手法を小説に転用する方法なんかを延々考えていたりなどしたのだが。
後になればなるほど、
「すごく良い絵でしたね」
なんて自然に話し掛けてみても良かったんじゃないかなと思った。
いきなり丸メガネのハゲのボーリングシャツ着た老け顔の男にそんなこと言われたら気持ち悪い気もするが。
しかし、実際、どうなんだろう。
ナンパって好きじゃない。
される側は正直不快なこともあろうと思う。
ましてや一人で美術館に行く時間って結構大事な時間だ。
休日の中でも、かなり上位に立つ、ゆったりした一人の良い時間のはずだ。
そう考えると、やはり紳士として、そのようなことはしてはいけないのだ。
紳士はハンカチをさりげなく落とすくらいが良いのだ。
紳士はハンカチを絶えず持ち歩かねばならない。
ボーリングシャツ着た紳士なんて紳士じゃない気もするが。
でも、そんなのはモテないダサい男の理論でもある。
そりゃ、街中で二人組にナンパされれば不快だろう。
しかし、美術館で一人に声を掛けられるって、割と嬉しいもんじゃないかなという気はする。
年頃の男がさりげなく、自然に、
「あの絵、素晴らしかったですねぇ」
と言われれば、最初は驚くにせよ、
「ああ、そうですね」
と、返すだろう。
或いはそのままスタスタ歩き去るかもしれないが、それならそれで仕方ないじゃないか。
「マグリットやシュルレアリスムが好きなんですか?」
「いえ、そんな特別に好きというわけでもないんですけど、美術館に来るのは好きで。電車で広告を見たから来てみたんです」
「そうなんですね。熱心に見ていたから、詳しいのかと思いましたよ。それこそ美大か何か学生さんかな、って」
「そんなことないですよ。お詳しいんですか?」
「いえ、別に詳しいことはないんですけど。シュルレアリスムの作品は見ていていろいろ想像力も掻き立てられるし好きではありますね」
とかなんとか少し話してて、
「すみませんでした、急に話し掛けちゃって。あの良かったらお時間あれば珈琲でも如何ですか? 僕、美術館出た後って、感動を人に話したくなっちゃうんですよ。それに、あなたの絵の鑑賞の仕方、とっても素敵だなと思いまして」
なんて具合で。
そりゃ、ちょっと強引過ぎるだろ。
とかなんとか考えてみたりする。
いや、単に想像して遊んでるわけじゃないのだ。
結局のところ、人生って誰と出会うかだ。
もしも、そういう絵の好きな可愛らしい女性とお友達になれたら、美術館に行く機会も増える。
美術館に行く機会が増えるのはとても良いことだ。
毎回、行く前にちょっと予習なんかもしたりして。
それはとっても良いことだ。
また、その女の子にとっても良いことだ。
趣味が会う友人が出来るって、素晴らしく良いことだ。
友人なら男で良かろうと言うかもしれない。
でも、男が男にいきなり声を掛けるって、とんでもなく変なことだ。
それに、女の前では男ってカッコつける。男の前でもいくらかカッコつけるにしたって、背伸びまではなかなかしない。
女だって男の前では綺麗に振舞おうとする。
異性の興味を引こうとして、何かの勉強をしたり、身なりを整えるってとても良いことだ。
背伸びするってとても良いことだ。
背伸びし合える関係ってのはとても素晴らしいと思う。
惚れていれば背伸びする。
尻をかいて屁をこくようになれば、それはそれで良い関係だけど。背伸びし合う関係の素敵さっていうのは、若さや、向上心なんかにつながるんだろうと思う。
背伸びしなくなる。
大人になると、「ああ、まあ、人間ってこんなもんだな」くらいのところが見える。
肩肘張らない楽な関係。
結局、仕事で疲れるから、休日はダラダラ過ごせるような、言うなれば一緒に部屋でゴロゴロしながらテレビを眺めるような。
告白だってしなくなる。
何回か食事かお酒かしたら、よほど嫌じゃない限りは、ホテルに行って、まあ、あとはそれなりに。
僕らも、もういろんな女性とお付き合いしたり、デートしたり、話したりしてきて。高校生の頃みたいには女の子に幻想を抱けなくなった。同じように女の子も男に過度な幻想は抱かなくなっていく。
男よりも女の子の方がそういうのは強い。幻想じゃなくて、希望を要求するようになっていく。
ほとんどの女性が子どもが欲しいのだ。
子どもを育てるには幻想だけでは難しい。
極論だけれど、大人の女性が男性に求めるのは、自分と子どもを守れるかどうかだろう。人間力だろう。それは経済力の場合もあるし、きちんとした立ち居振る舞いや、筋肉なんかもあるかもしれない、或いは楽しさを与えてくれる頭の良さや、優しさ、そして心意気。
絶対に子どもなんか持たないっていう女性はまた違うと思うが。
そういう点では自分は大人の女性にきちんとアタックできたことがない。
それをお金のせいや、平日定休のせいにしてはいけない。
極端な話、堂々としているかどうかだ。
仮に大地震が起きて東京が瓦礫の山になったら、元々野宿が出来る男はすごくモテると思う。そいつは自信があるからだ。
実際には野宿なんて誰だって出来る。そりゃ、いくらか慣れは必要だが。
そんなのは自転車を売るってことにだって言える。
自転車って、高いし、実用品ではない。
これを売るには、商品知識や実際に走れるなんかも必要ではあるが。
恐らくだが、レクサスのディーラーで販売してるやつなら、自転車素人でも3日で出来ると思う。
自転車を売るっていうのは、商品知識を謳うことではない。
まず、欲しいと思っている人に認知してもらうための工夫が必要だ。
ブログなり店頭の看板なり。
外に向かって露出していく。
次に欲しいと思って来た人を他店に逃さないようにしっかりとした対応をすることだ。
店に入っている時点でいくらか興味はあるわけだが、特に近々買おうと思っている人をしっかりこぼさないようにするということ。
だから、まずそういう雰囲気を察知するレーダーが大事だ。そして、さりげなく声を掛けることだ。いくら持ってますか?じゃ駄目だ。気になれば試乗車もあるので、乗ってみますか?だ。乗らない人もいるにせよ、欲しいなと思っている人間にきちんと声を掛けること。
そして、ゴリ押しはいけない。
ゴリ押すと、客っていうのは、「買ってやるぞ」という気持ちになる。そうなると、他店を天秤に乗せ始める。店員がヘコヘコするほどに、
「さあ、どっちが余によりお得に売ってくれるかのぅ?」
ということになってしまう。
特に東京はそれは多い。
もちろん、へこへこして上手くいくこともある。
「ここで買わせてもらいたいな」と思ってもらわないといけない。
「ここで買ってやろうかな」で、最終的に買ってくれれば良いが、それはギャンブルになってしまう。
じゃあ、どうやったらここで買いたいなと思ってもらえるのか。
結局、態度がきちんとしてるかとか、金儲け以上に自分に対して誠実に自転車を教えてくれるなとか。そういうところ、信頼面になるんだろう。
極端な話、信頼さえ得れば技術はなくても、とりあえず売れることは売れる。
もちろん、自転車の場合、修理はできないといけないから、売れるだけではいけないのだが。
女の子ってのも詰まる所そういうところだ。
人の心が見えて、それに応じて、相手に安心や喜びを提供できる人間。
それにはいくらかの背伸びも必要だ。
人間は人間に刺激され、だれか人間のために成長をするものなのだろう。
ナンパじゃないけれど。
これからは気になった女の子には挨拶の一言で良いから出来るだけ声を掛けてみようかなと真剣に考えたりした。
そんなこんか。
ペンを握っても小説とはなかなか。
しかし、今こそ踏ん張りどころじゃないかなと思う。
「学生の頃はよく書いたなァ」
にはなりたくない。
しかし、現実としてはなりつつある。
ちなみに、書いているのかと聞かれると、なんやかんや短いのやら、ネタなんかは書いてはいる。
長いのはさっぱり駄目だ。
長いのが書けないといけない。
年に数本書いて何かの賞に出せないといけない。
当選するしないは時の運としても、書いているか書いていないかは当人の実力だ。
別段、焦ることはないが、焦らねばならない。
30手前、人生の残された時間は短いことはない。ただ、生きていく方向性というのはぼちぼち固まってしまう。
ところで、今日は久々に真剣に女の子のことも考えた。
マグリットも素晴らしかったのだが、それを眺めているお客さんの中に素晴らしい女の子がいた。
非常にかわいらしい素敵な女の子だ。
背は低い。
黒の服、スカート。小さいリュックサック。目が素敵だ。
見た目だけなら、単に可愛い子だなで終わるのだが。
絵の眺め方が素敵だったのだ。
真面目にじっくり、楽しそうに眺める。
絵を眺めるってのも、いろいろな方法がある。
単に近付いたり、後ろに下がってみたり。
焦点をずらしてみたり。
横から眺めてみたり。
写真と違って、本物の絵は絵の具なんかの質感も見える。でこぼこしてる。触るともちろん叱られるが、出来るなら触りたい。
或いは歴史を勉強して行くのも良かろう。
マグリットならシュルレアリスムのブルトンの溶ける魚やシュルレアリスム宣言なんか読んでいたら、また思うところもある。
別にいろいろな眺め方が出来れば良いってわけでもない。
ただ、人間の目って多くを語る。口以上に目で人間は語る生き物だと思う。
素敵な眺め方を綺麗な女の子がしていると、これは実に良い。
もちろん、元々は絵の方を見に行っているのだが、偶然、見るペースが同じくらいだと一緒にまわるような具合になる。お互い意識してかせずか、真面目に絵を楽しむ人の邪魔をしてはいけないなと譲り合うような形になることも何度かあった。
正直、マグリットはとても好きな作家なので、可愛い女の子がいるのは心が乱れていまいちな気もしたけれど、それでも、自分が良いなと思う絵を、一緒に楽しそうに誰かが見ていると妙な共有感みたいなものがあって、やはり嬉しくもある。
文や絵に触れると数時間ウツみたいに塞ぎ込んでしまうというな、頭の中が洪水になって、わしゃしゃーとなるので、幸せいっぱいウキウキらんらんとはならなかったけれど。
名曲喫茶ライオンではもんもんとシュルレアリスム画のコラージュ、デペイズマンの手法を小説に転用する方法なんかを延々考えていたりなどしたのだが。
後になればなるほど、
「すごく良い絵でしたね」
なんて自然に話し掛けてみても良かったんじゃないかなと思った。
いきなり丸メガネのハゲのボーリングシャツ着た老け顔の男にそんなこと言われたら気持ち悪い気もするが。
しかし、実際、どうなんだろう。
ナンパって好きじゃない。
される側は正直不快なこともあろうと思う。
ましてや一人で美術館に行く時間って結構大事な時間だ。
休日の中でも、かなり上位に立つ、ゆったりした一人の良い時間のはずだ。
そう考えると、やはり紳士として、そのようなことはしてはいけないのだ。
紳士はハンカチをさりげなく落とすくらいが良いのだ。
紳士はハンカチを絶えず持ち歩かねばならない。
ボーリングシャツ着た紳士なんて紳士じゃない気もするが。
でも、そんなのはモテないダサい男の理論でもある。
そりゃ、街中で二人組にナンパされれば不快だろう。
しかし、美術館で一人に声を掛けられるって、割と嬉しいもんじゃないかなという気はする。
年頃の男がさりげなく、自然に、
「あの絵、素晴らしかったですねぇ」
と言われれば、最初は驚くにせよ、
「ああ、そうですね」
と、返すだろう。
或いはそのままスタスタ歩き去るかもしれないが、それならそれで仕方ないじゃないか。
「マグリットやシュルレアリスムが好きなんですか?」
「いえ、そんな特別に好きというわけでもないんですけど、美術館に来るのは好きで。電車で広告を見たから来てみたんです」
「そうなんですね。熱心に見ていたから、詳しいのかと思いましたよ。それこそ美大か何か学生さんかな、って」
「そんなことないですよ。お詳しいんですか?」
「いえ、別に詳しいことはないんですけど。シュルレアリスムの作品は見ていていろいろ想像力も掻き立てられるし好きではありますね」
とかなんとか少し話してて、
「すみませんでした、急に話し掛けちゃって。あの良かったらお時間あれば珈琲でも如何ですか? 僕、美術館出た後って、感動を人に話したくなっちゃうんですよ。それに、あなたの絵の鑑賞の仕方、とっても素敵だなと思いまして」
なんて具合で。
そりゃ、ちょっと強引過ぎるだろ。
とかなんとか考えてみたりする。
いや、単に想像して遊んでるわけじゃないのだ。
結局のところ、人生って誰と出会うかだ。
もしも、そういう絵の好きな可愛らしい女性とお友達になれたら、美術館に行く機会も増える。
美術館に行く機会が増えるのはとても良いことだ。
毎回、行く前にちょっと予習なんかもしたりして。
それはとっても良いことだ。
また、その女の子にとっても良いことだ。
趣味が会う友人が出来るって、素晴らしく良いことだ。
友人なら男で良かろうと言うかもしれない。
でも、男が男にいきなり声を掛けるって、とんでもなく変なことだ。
それに、女の前では男ってカッコつける。男の前でもいくらかカッコつけるにしたって、背伸びまではなかなかしない。
女だって男の前では綺麗に振舞おうとする。
異性の興味を引こうとして、何かの勉強をしたり、身なりを整えるってとても良いことだ。
背伸びするってとても良いことだ。
背伸びし合える関係ってのはとても素晴らしいと思う。
惚れていれば背伸びする。
尻をかいて屁をこくようになれば、それはそれで良い関係だけど。背伸びし合う関係の素敵さっていうのは、若さや、向上心なんかにつながるんだろうと思う。
背伸びしなくなる。
大人になると、「ああ、まあ、人間ってこんなもんだな」くらいのところが見える。
肩肘張らない楽な関係。
結局、仕事で疲れるから、休日はダラダラ過ごせるような、言うなれば一緒に部屋でゴロゴロしながらテレビを眺めるような。
告白だってしなくなる。
何回か食事かお酒かしたら、よほど嫌じゃない限りは、ホテルに行って、まあ、あとはそれなりに。
僕らも、もういろんな女性とお付き合いしたり、デートしたり、話したりしてきて。高校生の頃みたいには女の子に幻想を抱けなくなった。同じように女の子も男に過度な幻想は抱かなくなっていく。
男よりも女の子の方がそういうのは強い。幻想じゃなくて、希望を要求するようになっていく。
ほとんどの女性が子どもが欲しいのだ。
子どもを育てるには幻想だけでは難しい。
極論だけれど、大人の女性が男性に求めるのは、自分と子どもを守れるかどうかだろう。人間力だろう。それは経済力の場合もあるし、きちんとした立ち居振る舞いや、筋肉なんかもあるかもしれない、或いは楽しさを与えてくれる頭の良さや、優しさ、そして心意気。
絶対に子どもなんか持たないっていう女性はまた違うと思うが。
そういう点では自分は大人の女性にきちんとアタックできたことがない。
それをお金のせいや、平日定休のせいにしてはいけない。
極端な話、堂々としているかどうかだ。
仮に大地震が起きて東京が瓦礫の山になったら、元々野宿が出来る男はすごくモテると思う。そいつは自信があるからだ。
実際には野宿なんて誰だって出来る。そりゃ、いくらか慣れは必要だが。
そんなのは自転車を売るってことにだって言える。
自転車って、高いし、実用品ではない。
これを売るには、商品知識や実際に走れるなんかも必要ではあるが。
恐らくだが、レクサスのディーラーで販売してるやつなら、自転車素人でも3日で出来ると思う。
自転車を売るっていうのは、商品知識を謳うことではない。
まず、欲しいと思っている人に認知してもらうための工夫が必要だ。
ブログなり店頭の看板なり。
外に向かって露出していく。
次に欲しいと思って来た人を他店に逃さないようにしっかりとした対応をすることだ。
店に入っている時点でいくらか興味はあるわけだが、特に近々買おうと思っている人をしっかりこぼさないようにするということ。
だから、まずそういう雰囲気を察知するレーダーが大事だ。そして、さりげなく声を掛けることだ。いくら持ってますか?じゃ駄目だ。気になれば試乗車もあるので、乗ってみますか?だ。乗らない人もいるにせよ、欲しいなと思っている人間にきちんと声を掛けること。
そして、ゴリ押しはいけない。
ゴリ押すと、客っていうのは、「買ってやるぞ」という気持ちになる。そうなると、他店を天秤に乗せ始める。店員がヘコヘコするほどに、
「さあ、どっちが余によりお得に売ってくれるかのぅ?」
ということになってしまう。
特に東京はそれは多い。
もちろん、へこへこして上手くいくこともある。
「ここで買わせてもらいたいな」と思ってもらわないといけない。
「ここで買ってやろうかな」で、最終的に買ってくれれば良いが、それはギャンブルになってしまう。
じゃあ、どうやったらここで買いたいなと思ってもらえるのか。
結局、態度がきちんとしてるかとか、金儲け以上に自分に対して誠実に自転車を教えてくれるなとか。そういうところ、信頼面になるんだろう。
極端な話、信頼さえ得れば技術はなくても、とりあえず売れることは売れる。
もちろん、自転車の場合、修理はできないといけないから、売れるだけではいけないのだが。
女の子ってのも詰まる所そういうところだ。
人の心が見えて、それに応じて、相手に安心や喜びを提供できる人間。
それにはいくらかの背伸びも必要だ。
人間は人間に刺激され、だれか人間のために成長をするものなのだろう。
ナンパじゃないけれど。
これからは気になった女の子には挨拶の一言で良いから出来るだけ声を掛けてみようかなと真剣に考えたりした。
そんなこんか。
2015年06月19日
マグリット。
渋谷のライオンは戦前からある由緒正しき名曲喫茶。
一階席、二階席とあり、吹き抜けに巨大なスピーカーが構えている。座席はスピーカーに向いている。調度品がレトロなカーテンのないおっぱいパブのような具合だ。例えが悪いが、新幹線の座席のような具合と言うと、何だか味気ない。それよりは地下のおっぱいパブっていう形容の方が、なるほど、という感じがする。
昼前に起きて、六本木の新美術館に向かった。
マグリット展。
近年行った美術館の展覧会の中で一番面白かった。
そして、悲しかった。
マグリットの絵は絵の中に額があるものがある。
風景を書くにしても、家の中から、窓枠の向こうの外の風景を描く。窓枠という額。あるいは、風景の中に絵がある。額の中の絵はそのまま後ろの風景とつながっている。あるいは建物を外から描くとその窓の中に世界がある。
境界線なのだ。
境界線を挟んで二つの世界が共存する。
直方体の中の空間、長方形の窓の向こうの世界。
年を取ると、段々と額はなくなっていく。
額を無くしても二つの異空間が共存するような絵。
有名な青空の柄の鳥の絵。鳥の輪郭は境界線でありながら、鳥であり、青空である。
青空だけの絵のタイトルはなぜか「呪い」。
それらの絵は素晴らしい。
しかし、どうしようもない悲しさみたいなものが僕にはなぜだか湧いてきてしまった。
方形の空間内から覗く四角い窓の向こうの世界。外なのだ。外の世界はあくまで外で、僕のいる空間とは違う。
そこには行けない。
境界線がなくなっても、異世界なのだ。
人間の孤独、他者はあくまで他者のようなものを凝縮して絵にしているような。
芸術のことなんて詳しいことは知らないけれど、そんな気分になってしまった。
とても悲しかったけれど、美術館でしか感じられない澄んだ綺麗な悲しみだからとても良かった。
雨の中を青山墓地を歩いてから、電車に乗って渋谷のライオンに着いた。
体はアルコールは求めない。
自分の体ながら不思議だと思った。
もしかすると、こういう気分がずっと続けば、自分はお酒は一滴も受け付けない体になるのかもしれないと思ったりする。
自分の中で全ての宇宙が閉じているような、何かが完結しているような気持ちがする。
久々に何か長いものが書けそうな気がする。
気のせいか。
どうだろう。
ペンを握れば分かることだろう。
そんなこんな。
一階席、二階席とあり、吹き抜けに巨大なスピーカーが構えている。座席はスピーカーに向いている。調度品がレトロなカーテンのないおっぱいパブのような具合だ。例えが悪いが、新幹線の座席のような具合と言うと、何だか味気ない。それよりは地下のおっぱいパブっていう形容の方が、なるほど、という感じがする。
昼前に起きて、六本木の新美術館に向かった。
マグリット展。
近年行った美術館の展覧会の中で一番面白かった。
そして、悲しかった。
マグリットの絵は絵の中に額があるものがある。
風景を書くにしても、家の中から、窓枠の向こうの外の風景を描く。窓枠という額。あるいは、風景の中に絵がある。額の中の絵はそのまま後ろの風景とつながっている。あるいは建物を外から描くとその窓の中に世界がある。
境界線なのだ。
境界線を挟んで二つの世界が共存する。
直方体の中の空間、長方形の窓の向こうの世界。
年を取ると、段々と額はなくなっていく。
額を無くしても二つの異空間が共存するような絵。
有名な青空の柄の鳥の絵。鳥の輪郭は境界線でありながら、鳥であり、青空である。
青空だけの絵のタイトルはなぜか「呪い」。
それらの絵は素晴らしい。
しかし、どうしようもない悲しさみたいなものが僕にはなぜだか湧いてきてしまった。
方形の空間内から覗く四角い窓の向こうの世界。外なのだ。外の世界はあくまで外で、僕のいる空間とは違う。
そこには行けない。
境界線がなくなっても、異世界なのだ。
人間の孤独、他者はあくまで他者のようなものを凝縮して絵にしているような。
芸術のことなんて詳しいことは知らないけれど、そんな気分になってしまった。
とても悲しかったけれど、美術館でしか感じられない澄んだ綺麗な悲しみだからとても良かった。
雨の中を青山墓地を歩いてから、電車に乗って渋谷のライオンに着いた。
体はアルコールは求めない。
自分の体ながら不思議だと思った。
もしかすると、こういう気分がずっと続けば、自分はお酒は一滴も受け付けない体になるのかもしれないと思ったりする。
自分の中で全ての宇宙が閉じているような、何かが完結しているような気持ちがする。
久々に何か長いものが書けそうな気がする。
気のせいか。
どうだろう。
ペンを握れば分かることだろう。
そんなこんな。
脱アル中へ向けて。
三国志も残り少々となった。
もう関羽も曹操も死んでしまった。
曹操大好きなので悲しい。
三国志って漫画で読むと割と途中からマンネリしてくるが、吉川英治の小説は実に文が上手くて、実に飽きることなく先に進む。
長い話の場合、最後まで読ませるための文の上手い下手って、とにかく段落だ。
段落があると休憩しやすい。
また、段落が長過ぎず短過ぎずだったら、あと1章だけ進めようかな、と日々読み進めやすい。
短過ぎるとこれはこれで良くない。
吉川英治の三国志は元が戦時中の新聞連載小説なので、実に程よい長さだ。
あとは、今のテレビドラマなんかと同じで次回が気になるように段落が分かれている。
久々に、完全にアルコールから回避できた夜。
アルコールはユートピアである。
多分、マリファナ云々いろんな麻薬が世の中にあるが、アルコールほど頭がユートピアになるものは無かろうと思う。
楽しくなるのとはまた違う。
アルコールはユートピアなのだ。
でも、久々にアルコールから逃れた今夜、僕は久々に反省している。
別にアル中になって手が震えるようになったって、一年後に急死することになったって、それは別に大きな問題ではない。
アルコールが悪いのではない。
仕事をしているか、アルコールを飲んでいるか。
それでは、あなたの人生には仕事とアルコールのための時間しかないじゃないか。
あなたの人生にはあなたのための時間があるべきだ。
言うなれば、あなたがあなたを高めるために、あなたを深く静かに見つめる時間が必要だ。
全く。
そんなことを感じた。
よく考えれば、去年くらいまではお酒を飲まない日なんて普通にあった。
休日は散歩に出掛けて、ジャズ喫茶に入ってもビールじゃなくてコーヒーを飲む。
アルコールのない生活には静かな時間があった。
アルコールってのは、なかなかに素晴らしいものだ。
素晴らしいがゆえに、片手間で出来るものではないのだ。
アルコールを注げば、その夜はもうアルコールのための夜となってしまう。
しかし、アルコールも大事だ。
ウォッカはとても美味しい。
ジャックダニエルも素敵だ。
アルコールにはユートピアがある。
ユートピアを求めるのはとても正しい心情だ。
一つ反省をせねばならない。
自分のために深く生活を反省せねばならない。
そんなこんな。
もう関羽も曹操も死んでしまった。
曹操大好きなので悲しい。
三国志って漫画で読むと割と途中からマンネリしてくるが、吉川英治の小説は実に文が上手くて、実に飽きることなく先に進む。
長い話の場合、最後まで読ませるための文の上手い下手って、とにかく段落だ。
段落があると休憩しやすい。
また、段落が長過ぎず短過ぎずだったら、あと1章だけ進めようかな、と日々読み進めやすい。
短過ぎるとこれはこれで良くない。
吉川英治の三国志は元が戦時中の新聞連載小説なので、実に程よい長さだ。
あとは、今のテレビドラマなんかと同じで次回が気になるように段落が分かれている。
久々に、完全にアルコールから回避できた夜。
アルコールはユートピアである。
多分、マリファナ云々いろんな麻薬が世の中にあるが、アルコールほど頭がユートピアになるものは無かろうと思う。
楽しくなるのとはまた違う。
アルコールはユートピアなのだ。
でも、久々にアルコールから逃れた今夜、僕は久々に反省している。
別にアル中になって手が震えるようになったって、一年後に急死することになったって、それは別に大きな問題ではない。
アルコールが悪いのではない。
仕事をしているか、アルコールを飲んでいるか。
それでは、あなたの人生には仕事とアルコールのための時間しかないじゃないか。
あなたの人生にはあなたのための時間があるべきだ。
言うなれば、あなたがあなたを高めるために、あなたを深く静かに見つめる時間が必要だ。
全く。
そんなことを感じた。
よく考えれば、去年くらいまではお酒を飲まない日なんて普通にあった。
休日は散歩に出掛けて、ジャズ喫茶に入ってもビールじゃなくてコーヒーを飲む。
アルコールのない生活には静かな時間があった。
アルコールってのは、なかなかに素晴らしいものだ。
素晴らしいがゆえに、片手間で出来るものではないのだ。
アルコールを注げば、その夜はもうアルコールのための夜となってしまう。
しかし、アルコールも大事だ。
ウォッカはとても美味しい。
ジャックダニエルも素敵だ。
アルコールにはユートピアがある。
ユートピアを求めるのはとても正しい心情だ。
一つ反省をせねばならない。
自分のために深く生活を反省せねばならない。
そんなこんな。
それもロマンだ。
約一カ月ぶりに完全にノンアルコールの夜。
明日は二週間ぶりのお休みなのだ。友人の結婚式で三連休を取ってしまったので、二週間連勤になってしまっていた。
でも、久々の休みも雨で残念。
新美術館にマグリット観に行こう。
全くためにならないお金の話でも。
アイフル株で暇つぶし程度にコツコツやる。
別にどこの銘柄でも良いのだが。
一つの銘柄のチャートを眺めていると、その銘柄のチャートに関してだけは素人ながら何となくの大きい流れが見えてくる。
まあ、これより安くはならないだろう、とか。これより高くはならないだろう、みたいな。
もちろん、実際にはそんなギリギリで売り買いはしない。
ある程度のところでやる。
その辺が何となく見えてくる。
コツコツなのでほぼ間違いなく勝てる時以外は買わない。
トレーダーってのは、誰しもチャートを見て買っている。もちろん、チャート以外を見る人もいる。でも、チャートを見ない人はいない。
チャートは予測しやすい動きをするときと、予測不能な動きと、どっちでもない動きがある。
予測しやすい時に、まあ、かたく取れるだろうっていうところだけ買っておく。
そうしていると負けることは滅多にない。三から六ヶ月に1回ほど三千円ほど勝てる。
四万円の投資で三千円ほどなので、貯金の利息としては悪くない。
上手くすると年間1万円勝てる。
まあ、ぶっちゃけ、三千円なんて一夜開けないうちに飲み潰すことになるので、どちらでも良いのだが。
まあ、ただで貰えるなら貰うに限る。どちらでも良いが。
でも、去年は訳の分からない銘柄で8000円損している。
高値掴みというやつを喰らった。
まあ、そんなに簡単にお金は稼げないということだ。
勝つのはどうでも良いが、負けると何だか損した気はする。
実際にはどちらでも良いのだから、損もクソもないのだが。
株って怖いのかと言えば、どうなんだろう。
簡単に言うと丁半博打のようなものだ。
上がるか下がるか。
究極を言えば、この二択を当てられれば良い。
会社四季報とかあれこれデータはあるけれど。
そんなものを調べるのはもっと大きい金額を動かす時だろう。
三千円のために、せっせと調べごとをしていてもどうにもならない。
そもそも、五万円程度で買える株なんてほとんどない。
チャートの波を見て、まあ、だいたいのところを掴めば良い。
もちろん、チャート通りに行かないこともある。
株って割としょっちゅう、突然にドカーンと上がったり、下がったりってある。
基本的にはドカーンには当たらないようにするのがポイントだ。
ドカーンする前は割とヘンテコなチャートになる。
分かりやすいのはある程度綺麗に波を描いている時だ。
基本的には人気投票なので、人気に対してある程度安くなればみんな買うし、逆は売る。
波を上手く打っている時は、分かりやすい。
分かりやすければみんな得するかと言えば、そういうわけでもない。
謎の売り買いというのはある。
極論すれば、人生で余裕のある金は株に入れとくと良い。
余裕のお金だから、目減りしても、まあさほど悲しむこともない。
逆にある日ドーンと増えることもある。
その時はいったん換金してしまえば良い。
何円より上になれば、下になれば。
最近のスマホは設定しとけばアラームが鳴ってくれるし、ネット証券会社はオートで売り買いもしてくれる。
働かずして手に入れるお金に何の意味があるかと言えば、やはりそんなに意味もない。
それでも、ふと気付いたら三百万円くらいになっているかもしれない。まあ、普通に考えればそんなことは有り得ない気がする。
でも、さらに少し冷静になればあり得る気もする。
人間、賭け事に使うお金というのは意外と大きいのだ。
酒、博打、女。
この3つは結構良い金額を掛ける。
酒はユートピアなのだ。
ある意味ディストピアかもしれないけれど。
少なくとも飲んでいる間だけは幸せなのだ。酒が切れると少々悲しい現実なんかがあることもあるが。
酒って高い。一杯五百円。牛丼くらいの値段する。牛丼一杯食べれば、その気になれば一日やっていける。
五百円って安くない。
それでも、みんな酒は飲む。
ユートピアなのだ。
博打は、人間の営みで唯一、働かずして何かを得られるものだ。
正確に言えば狩りだ、戦いだ、略奪だ。
自分でコツコツ育てるより、他人から奪う方が効率は良い。
だから、人間ってなんやかんや博打ってする。
女は昨夜も書いたけれど。
まあ、なんやかんや結構なお金かける。
明日はぷらぷら新美術館にマグリットでも観に行こうか、ジャズ喫茶で久々にビールでもたしなもうか、そんなことを考えているんだけど、そんなら知り合いの女の子でも呼んでみるか。
呼び出したからにはビールの一、二杯くらいはご馳走してあげることになるんだろう。
それでも、男って女を呼んでみる。
女と話せば、楽しくない時もあるけれど、何か面白い。
話に火花みたいなものが散る。
誰でも良いということもないのだが。
僕なんかは女の人に関しては倹約家だ。
女の人を呼んで飲むと言っても三カ月に一度くらいのものだ。
女の人とどこぞに行くとなると、さすがにあまりに貧乏しいところにも入りづらい。
酒だけあれば良いのに、何となくツマミなんて頼んでみたりしてしまう。
恋人がいる人となると、これはいよいよ深刻な問題で。
ラブホテルに一回入ると、ちょっと素敵なジャズのCD一枚くらいのお金は掛かる。
僕が恋人を作らない一つの理由はそんなケチくさい理由なんかもある。
残念なまでに、恋人に予算を裂けないほど浪費癖がひどい。何に使うかは分からないが、一日に五百円玉一枚くらいは煙と灰にしてぷかぷか吸っている。だいたいにそれに似たような具合でお金を使ってしまっている。
女に金を借りるなんて男もいるらしいが。
実に羨ましい。実際に金は借りないにせよ、自分もそのくらいの図々しさを持ちたいと思う。
そんな具合で、酒、博打、女には金は掛かるものなのだ。
そう、株は博打であるから、なんやかんやでお金を入れることになる可能性というのは否めない。
そうなると案外コツコツと結構なお金を株式口座の中に貯められる可能性ってのもあるわけだ。
まあ、そんなに甘くは無かろうが。
しかし、月に1パーセント稼ぐのは不可能ではない。仮に三百万円持って東南アジアみたいな物価の安いところに住めば、結構な年月を働かずして暮らすことも不可能ではない。
まあ、そんなことしてどうなるんだ、って話ではあるが。
でも、十年間世界の各地を歩いて心に移りゆくことを文に起こして、時々カメラに撮って。
それが三百万円で出来ると言われれば、これはなかなかロマンがある。
男はロマンに生きるものだ。
そうと決まれば酒も女もやめにしよう。
三百万円を株で細々長生きさせて放浪の旅に出掛けようじゃないか。
そう言いつつ、明日は昼からジャズ屋でビールだか、マグリットを眺めてビールだか、女は来るんだかどうだか知らないが声くらいは掛けるんだろう。或いは誰ぞ友人に。
まあ、それもロマンだ。
小さい東京で小さな価値観を小さな幸福のために生きる。
男ってそんなもんだ。
キャノンの安い一眼レフでも買おうかな。
まあ、そんなこんな。
明日は二週間ぶりのお休みなのだ。友人の結婚式で三連休を取ってしまったので、二週間連勤になってしまっていた。
でも、久々の休みも雨で残念。
新美術館にマグリット観に行こう。
全くためにならないお金の話でも。
アイフル株で暇つぶし程度にコツコツやる。
別にどこの銘柄でも良いのだが。
一つの銘柄のチャートを眺めていると、その銘柄のチャートに関してだけは素人ながら何となくの大きい流れが見えてくる。
まあ、これより安くはならないだろう、とか。これより高くはならないだろう、みたいな。
もちろん、実際にはそんなギリギリで売り買いはしない。
ある程度のところでやる。
その辺が何となく見えてくる。
コツコツなのでほぼ間違いなく勝てる時以外は買わない。
トレーダーってのは、誰しもチャートを見て買っている。もちろん、チャート以外を見る人もいる。でも、チャートを見ない人はいない。
チャートは予測しやすい動きをするときと、予測不能な動きと、どっちでもない動きがある。
予測しやすい時に、まあ、かたく取れるだろうっていうところだけ買っておく。
そうしていると負けることは滅多にない。三から六ヶ月に1回ほど三千円ほど勝てる。
四万円の投資で三千円ほどなので、貯金の利息としては悪くない。
上手くすると年間1万円勝てる。
まあ、ぶっちゃけ、三千円なんて一夜開けないうちに飲み潰すことになるので、どちらでも良いのだが。
まあ、ただで貰えるなら貰うに限る。どちらでも良いが。
でも、去年は訳の分からない銘柄で8000円損している。
高値掴みというやつを喰らった。
まあ、そんなに簡単にお金は稼げないということだ。
勝つのはどうでも良いが、負けると何だか損した気はする。
実際にはどちらでも良いのだから、損もクソもないのだが。
株って怖いのかと言えば、どうなんだろう。
簡単に言うと丁半博打のようなものだ。
上がるか下がるか。
究極を言えば、この二択を当てられれば良い。
会社四季報とかあれこれデータはあるけれど。
そんなものを調べるのはもっと大きい金額を動かす時だろう。
三千円のために、せっせと調べごとをしていてもどうにもならない。
そもそも、五万円程度で買える株なんてほとんどない。
チャートの波を見て、まあ、だいたいのところを掴めば良い。
もちろん、チャート通りに行かないこともある。
株って割としょっちゅう、突然にドカーンと上がったり、下がったりってある。
基本的にはドカーンには当たらないようにするのがポイントだ。
ドカーンする前は割とヘンテコなチャートになる。
分かりやすいのはある程度綺麗に波を描いている時だ。
基本的には人気投票なので、人気に対してある程度安くなればみんな買うし、逆は売る。
波を上手く打っている時は、分かりやすい。
分かりやすければみんな得するかと言えば、そういうわけでもない。
謎の売り買いというのはある。
極論すれば、人生で余裕のある金は株に入れとくと良い。
余裕のお金だから、目減りしても、まあさほど悲しむこともない。
逆にある日ドーンと増えることもある。
その時はいったん換金してしまえば良い。
何円より上になれば、下になれば。
最近のスマホは設定しとけばアラームが鳴ってくれるし、ネット証券会社はオートで売り買いもしてくれる。
働かずして手に入れるお金に何の意味があるかと言えば、やはりそんなに意味もない。
それでも、ふと気付いたら三百万円くらいになっているかもしれない。まあ、普通に考えればそんなことは有り得ない気がする。
でも、さらに少し冷静になればあり得る気もする。
人間、賭け事に使うお金というのは意外と大きいのだ。
酒、博打、女。
この3つは結構良い金額を掛ける。
酒はユートピアなのだ。
ある意味ディストピアかもしれないけれど。
少なくとも飲んでいる間だけは幸せなのだ。酒が切れると少々悲しい現実なんかがあることもあるが。
酒って高い。一杯五百円。牛丼くらいの値段する。牛丼一杯食べれば、その気になれば一日やっていける。
五百円って安くない。
それでも、みんな酒は飲む。
ユートピアなのだ。
博打は、人間の営みで唯一、働かずして何かを得られるものだ。
正確に言えば狩りだ、戦いだ、略奪だ。
自分でコツコツ育てるより、他人から奪う方が効率は良い。
だから、人間ってなんやかんや博打ってする。
女は昨夜も書いたけれど。
まあ、なんやかんや結構なお金かける。
明日はぷらぷら新美術館にマグリットでも観に行こうか、ジャズ喫茶で久々にビールでもたしなもうか、そんなことを考えているんだけど、そんなら知り合いの女の子でも呼んでみるか。
呼び出したからにはビールの一、二杯くらいはご馳走してあげることになるんだろう。
それでも、男って女を呼んでみる。
女と話せば、楽しくない時もあるけれど、何か面白い。
話に火花みたいなものが散る。
誰でも良いということもないのだが。
僕なんかは女の人に関しては倹約家だ。
女の人を呼んで飲むと言っても三カ月に一度くらいのものだ。
女の人とどこぞに行くとなると、さすがにあまりに貧乏しいところにも入りづらい。
酒だけあれば良いのに、何となくツマミなんて頼んでみたりしてしまう。
恋人がいる人となると、これはいよいよ深刻な問題で。
ラブホテルに一回入ると、ちょっと素敵なジャズのCD一枚くらいのお金は掛かる。
僕が恋人を作らない一つの理由はそんなケチくさい理由なんかもある。
残念なまでに、恋人に予算を裂けないほど浪費癖がひどい。何に使うかは分からないが、一日に五百円玉一枚くらいは煙と灰にしてぷかぷか吸っている。だいたいにそれに似たような具合でお金を使ってしまっている。
女に金を借りるなんて男もいるらしいが。
実に羨ましい。実際に金は借りないにせよ、自分もそのくらいの図々しさを持ちたいと思う。
そんな具合で、酒、博打、女には金は掛かるものなのだ。
そう、株は博打であるから、なんやかんやでお金を入れることになる可能性というのは否めない。
そうなると案外コツコツと結構なお金を株式口座の中に貯められる可能性ってのもあるわけだ。
まあ、そんなに甘くは無かろうが。
しかし、月に1パーセント稼ぐのは不可能ではない。仮に三百万円持って東南アジアみたいな物価の安いところに住めば、結構な年月を働かずして暮らすことも不可能ではない。
まあ、そんなことしてどうなるんだ、って話ではあるが。
でも、十年間世界の各地を歩いて心に移りゆくことを文に起こして、時々カメラに撮って。
それが三百万円で出来ると言われれば、これはなかなかロマンがある。
男はロマンに生きるものだ。
そうと決まれば酒も女もやめにしよう。
三百万円を株で細々長生きさせて放浪の旅に出掛けようじゃないか。
そう言いつつ、明日は昼からジャズ屋でビールだか、マグリットを眺めてビールだか、女は来るんだかどうだか知らないが声くらいは掛けるんだろう。或いは誰ぞ友人に。
まあ、それもロマンだ。
小さい東京で小さな価値観を小さな幸福のために生きる。
男ってそんなもんだ。
キャノンの安い一眼レフでも買おうかな。
まあ、そんなこんな。
2015年06月18日
no-title
自転車のライトが盗まれてしまったのやら、どこかにやってしまったのやら。
自転車がなくならなかったので良かったが。
友人と結婚云々の話をしたりなどする。
恋人に籍を入れようと言われるのだそうだが、まだ、もうしばらく独り身で遊びたい、と。
自分には結婚云々というのはよく分からない。
心が寂しい人間だからか、異性は色欲の類、愛と呼べど何と称えど。
どうも異性というのを、自分の人生の中でどう扱えば良いのだか分からない。
まあ、女の人って素敵だとは思う。
好きな女性がいれば、男は何歳になっても少年の心で何とかカッコつけようと努力できる。
日々に緊張感を持って何事かに当たれる。
疲れれば、愛をもって回復も出来よう。
そういうのって素敵だ。
でも、そこまでで話は折れてしまう。
自分はそこより先に異性の素晴らしさみたいなものを進められない。
まあ、そこまで素晴らしければ良いではないか、なんて気もするのだが。
何というか、女の人が出来れば、それでゴールなわけだ。
自分を認めてくれる人間がいれば、人生は楽しい。愉快だ。苦しいところも進める。
そういうのが逆に苦手なのかもしれない。
結婚して、子供を産んだら人間の役割完了っていうのだろうか。
酒池肉林のような甘いところでは、自分は駄目になってしまう人間じゃないかなと思っている。
まあ、全くまとまってはいないけれど。
要するに、どうも異性は苦手なのだ。
結婚の話などを聞くと、ふむ、自分には出来ないだろうな、しかし、みんな素晴らしいなと思う。
眠い。
そんなこんな。
自転車がなくならなかったので良かったが。
友人と結婚云々の話をしたりなどする。
恋人に籍を入れようと言われるのだそうだが、まだ、もうしばらく独り身で遊びたい、と。
自分には結婚云々というのはよく分からない。
心が寂しい人間だからか、異性は色欲の類、愛と呼べど何と称えど。
どうも異性というのを、自分の人生の中でどう扱えば良いのだか分からない。
まあ、女の人って素敵だとは思う。
好きな女性がいれば、男は何歳になっても少年の心で何とかカッコつけようと努力できる。
日々に緊張感を持って何事かに当たれる。
疲れれば、愛をもって回復も出来よう。
そういうのって素敵だ。
でも、そこまでで話は折れてしまう。
自分はそこより先に異性の素晴らしさみたいなものを進められない。
まあ、そこまで素晴らしければ良いではないか、なんて気もするのだが。
何というか、女の人が出来れば、それでゴールなわけだ。
自分を認めてくれる人間がいれば、人生は楽しい。愉快だ。苦しいところも進める。
そういうのが逆に苦手なのかもしれない。
結婚して、子供を産んだら人間の役割完了っていうのだろうか。
酒池肉林のような甘いところでは、自分は駄目になってしまう人間じゃないかなと思っている。
まあ、全くまとまってはいないけれど。
要するに、どうも異性は苦手なのだ。
結婚の話などを聞くと、ふむ、自分には出来ないだろうな、しかし、みんな素晴らしいなと思う。
眠い。
そんなこんな。
2015年06月17日
井上ひさし「一週間」
現代の日本語において、最も素晴らしい名文を残しているのは井上ひさし先生なんだろうと痛感させられる。
井上ひさし先生のすごいところは、裏の裏のそのまた裏から表をくぐって、隣の家のおっかさんの友達の好きな饅頭屋の主人にこそ愛されるべき。
そんな文書をあえてやるところだ。
それでも、井上ひさし先生はまだもうしばらく最高の文豪の言葉をもらえないだろうと思う。
間違いなくあの人がこの50年の中で、文の最も最高な型を示したのは、疑う余地ないほどに、文を完成させているのにも関わらず。
南米文学なんかとつながる。
ガルシア・マルケスやパルガス・リョサが世界的に評価されたのは、前の草がなかったというのが大きいと思う。
確かに彼らは悪い雑草生い茂るヨーロッパに若くして行ったけれど、やはり心は南米であり、南米を世界に示したかった。
仮に南米に志賀直哉のような作家が彼らの前にいたら、井上ひさしのような扱いを受けたんじゃないかと思う。
文に限らず。
創作物っていうのは、フェアに扱われない。
それが正しい姿だ。
カフカなんかは例外だ。
いや、典型か。
生きている頃に誰かカフカに、たった百万円ぽっちの金を、彼の文に対して贈ったか?
贈らなかった。
でも、それはとてもフェアなことでもあるのだ。
結局、ライトが付いてしまえば小説家って終わりだ。
村上春樹先生、あなたの文はノーベル賞になるべきです、世界があなたを認めています。
そうなってしまえば、あとは、もう書けなくなって然るべきだ。
だって、世界の凡人が理解出来てしまうところに、生きてる間に追いつかれしまってのだから。
そういう点では大江健三郎って或る意味正しい。
追い付いてしまったから、もう尖った逆流みたいなことはしない。
原発の話を思うようにするだけで、偉さの傘、文豪の傘は、どうしたって取れないにせよ、新しい新人の文と戦ったりしない。
村上春樹も、村上龍もおとなげない。
早いところ書くのなんて辞めちまった方が良い。
或いは太宰みたいに、名誉のためじゃなく頑固に自分の人生のためだけの文を書いた方が良い。
出版社なんて、酒のための金を貸してくれて、俺の文を印刷してくれる手間をやってくれる連中に過ぎない。
まあ、太宰先生はそんな傲慢なことは一切考えなかっただろうけど。
反対すれば良いってわけじゃないけれど。
波に乗るのは絶対にタブーだろう。
偶然として結果波に乗っていたはアリにせよ。
それでも、偶然的に大真面目に生きて、マジョリティに迎合せずとも、一人の人の心に残る文を残せた。
井上ひさし先生が圧倒的に凄いのは。
そういった矛盾したところを全てクリアしていること。
規格が違う。
一文読んだだけで、
「ああ、始まった、ひさし先生、またやっちまってる」
そういう色がある。
谷崎潤一郎先生の文と良く似ている。
匂いはまったく一ミリも似てないけれど。
元の角度がよく似ている。
今夜のおすすめの一冊は井上ひさし「一週間」。
これが先生の遺作となった。
先生が本当にすごいのは、デビュー作以上のものを作り続けてきたってことだと思う。
どれが最も素晴らしいかは判断できないが。
だって、誰だって自分の人生を変えたものにはついついすがってしまうだろ。
デビュー作って、ついすがってしまって、俺はこうだからね、って言っちゃうさ。
過去の自分に敬意を表しながら、いつでも過去の自分を殺してやろうと戦いを挑める人間が最も素晴らしいと僕は考えている。
まあ、そんなそんな。
井上ひさし先生のすごいところは、裏の裏のそのまた裏から表をくぐって、隣の家のおっかさんの友達の好きな饅頭屋の主人にこそ愛されるべき。
そんな文書をあえてやるところだ。
それでも、井上ひさし先生はまだもうしばらく最高の文豪の言葉をもらえないだろうと思う。
間違いなくあの人がこの50年の中で、文の最も最高な型を示したのは、疑う余地ないほどに、文を完成させているのにも関わらず。
南米文学なんかとつながる。
ガルシア・マルケスやパルガス・リョサが世界的に評価されたのは、前の草がなかったというのが大きいと思う。
確かに彼らは悪い雑草生い茂るヨーロッパに若くして行ったけれど、やはり心は南米であり、南米を世界に示したかった。
仮に南米に志賀直哉のような作家が彼らの前にいたら、井上ひさしのような扱いを受けたんじゃないかと思う。
文に限らず。
創作物っていうのは、フェアに扱われない。
それが正しい姿だ。
カフカなんかは例外だ。
いや、典型か。
生きている頃に誰かカフカに、たった百万円ぽっちの金を、彼の文に対して贈ったか?
贈らなかった。
でも、それはとてもフェアなことでもあるのだ。
結局、ライトが付いてしまえば小説家って終わりだ。
村上春樹先生、あなたの文はノーベル賞になるべきです、世界があなたを認めています。
そうなってしまえば、あとは、もう書けなくなって然るべきだ。
だって、世界の凡人が理解出来てしまうところに、生きてる間に追いつかれしまってのだから。
そういう点では大江健三郎って或る意味正しい。
追い付いてしまったから、もう尖った逆流みたいなことはしない。
原発の話を思うようにするだけで、偉さの傘、文豪の傘は、どうしたって取れないにせよ、新しい新人の文と戦ったりしない。
村上春樹も、村上龍もおとなげない。
早いところ書くのなんて辞めちまった方が良い。
或いは太宰みたいに、名誉のためじゃなく頑固に自分の人生のためだけの文を書いた方が良い。
出版社なんて、酒のための金を貸してくれて、俺の文を印刷してくれる手間をやってくれる連中に過ぎない。
まあ、太宰先生はそんな傲慢なことは一切考えなかっただろうけど。
反対すれば良いってわけじゃないけれど。
波に乗るのは絶対にタブーだろう。
偶然として結果波に乗っていたはアリにせよ。
それでも、偶然的に大真面目に生きて、マジョリティに迎合せずとも、一人の人の心に残る文を残せた。
井上ひさし先生が圧倒的に凄いのは。
そういった矛盾したところを全てクリアしていること。
規格が違う。
一文読んだだけで、
「ああ、始まった、ひさし先生、またやっちまってる」
そういう色がある。
谷崎潤一郎先生の文と良く似ている。
匂いはまったく一ミリも似てないけれど。
元の角度がよく似ている。
今夜のおすすめの一冊は井上ひさし「一週間」。
これが先生の遺作となった。
先生が本当にすごいのは、デビュー作以上のものを作り続けてきたってことだと思う。
どれが最も素晴らしいかは判断できないが。
だって、誰だって自分の人生を変えたものにはついついすがってしまうだろ。
デビュー作って、ついすがってしまって、俺はこうだからね、って言っちゃうさ。
過去の自分に敬意を表しながら、いつでも過去の自分を殺してやろうと戦いを挑める人間が最も素晴らしいと僕は考えている。
まあ、そんなそんな。
2015年06月16日
no-title
何も書けなくてたまらない日々だ。
一億円と千連休を望む。
そして、そんなものを手にした自分を眺めると人間が生きるということ、幸福だということ、そういったものがひどく虚しいように思われて来る。
僕はいつも何か理想を掲げて生きてきた。
その理想に向けて何かをしている自分ってのは好きだった。
理想が全て崩れ落ちたら、人間はどう生きれば良いのだろう。
全てに絶望した時、多分、人間って何かを作るのかもしれないと思う。
一億円よりも、千連休よりも。
深く望んでいるものを。
ここらで一つ、人生に楔を打たねばなるまい。
そう思う。
僕の全てを代わりに語ってくれる何かを書き残さねば。
そうは思うがどうにもかけない。
度が付くビッチの女の医者がいて、僕はそいつのことがとても好きだ。
度が付いてビッチで、馬鹿だ。甘ったれている。
医者をしているくらいだから、僕よりも頭は良い。
正義感も強い。
そいつは実に素晴らしい人間なのだ。
そいつを中核において人間を睨むような小説を狙っているのだがさっぱり、どう書けば良いのやら。
会って何か話でも聞いてみても良いのかもしれないが、話す前にこちらもいくらか練り上げねばならない。
人生とは外部からの刺激だ。
小説だってそうだ。
人生は小説ではないけれど、小説こそ人生ってのは間違いない真理の一つかもしれない。
まあ、そんなこんな。
一億円と千連休を望む。
そして、そんなものを手にした自分を眺めると人間が生きるということ、幸福だということ、そういったものがひどく虚しいように思われて来る。
僕はいつも何か理想を掲げて生きてきた。
その理想に向けて何かをしている自分ってのは好きだった。
理想が全て崩れ落ちたら、人間はどう生きれば良いのだろう。
全てに絶望した時、多分、人間って何かを作るのかもしれないと思う。
一億円よりも、千連休よりも。
深く望んでいるものを。
ここらで一つ、人生に楔を打たねばなるまい。
そう思う。
僕の全てを代わりに語ってくれる何かを書き残さねば。
そうは思うがどうにもかけない。
度が付くビッチの女の医者がいて、僕はそいつのことがとても好きだ。
度が付いてビッチで、馬鹿だ。甘ったれている。
医者をしているくらいだから、僕よりも頭は良い。
正義感も強い。
そいつは実に素晴らしい人間なのだ。
そいつを中核において人間を睨むような小説を狙っているのだがさっぱり、どう書けば良いのやら。
会って何か話でも聞いてみても良いのかもしれないが、話す前にこちらもいくらか練り上げねばならない。
人生とは外部からの刺激だ。
小説だってそうだ。
人生は小説ではないけれど、小説こそ人生ってのは間違いない真理の一つかもしれない。
まあ、そんなこんな。
2015年06月15日
no-title
目から火花が散るようなアルコールの世界。
週に一度くらいが程よい。
良薬にせよ、毒薬にせよ、どちらか飲めば良いわけでもない。
一番良いのはどちらも飲まない世界かもしれない。
結婚式から帰って禁酒なんてものをしてみた。家からは出ないようにして、三国志片手に。
ただし、酒は飲む。
酒を飲むなら、禁酒とは言わないじゃないか。
それは間違っている。
禁酒とは心に立てれば、即ち禁酒なのだ。
その人が禁酒と言いつつ、日々いくらかのアルコールを飲むにしたって。
それはホームレスの始まりと似ている。
何をしたらホームレスかではない。
その人がホームレスだと一瞬でも感じ取ればホームレスである。
その理論で行けば、今の世の中には驚くほど多くの孤独なホームレスがいる。
円の重さについて話をしてみても良いかもしれない。
よく数十年前のこと、戦後の頃はいくらだった、今で言えばいくらほどというフレーズは存在する。
それは、もちろん、ドルの金本位制の崩壊なんかもあろう。
しかし、仮にドルが崩壊しなくとも、物資の量は増減する。
それに伴って貨幣の重みは変わる。
平たく言えば携帯電話。
毎月の固定費がかかる。
月に五千円払うって馬鹿にならない。年間でいえば五万円ちょっと。6年ローンなら30万円。現実には利子が付く。大きい金額だ。
世界全体が裕福になりつつあるというのもある。
もちろん、科学技術の進歩もあるから、貧乏人も底上げでいくらか豊かになる。
しかし、物資の量は科学技術ほどには変わらない。
四人家族だと携帯4台で二万円になる。
金持ちな国だ。
それが事実である。
でも、月に2万円でこの日本で何が出来るのだろう。
はたまた、どこの国で何が出来るだろう。
旅慣れたバックパッカーは言う、月に2万なら寝食困らないと。
まあ、実際、2万円わる30日は650円くらいになり、まあ、とりあえず生きてはいける。
その反対に保険や家賃やアレヤコレヤで月に五万は消えるという人もある。
啓発本では、ランニングコストの減らし方など説く。
結局、物価との比較で生活費は決まる。
みんなとりあえず生きていけるようには国家は動く。
もちろん、ある程度の犠牲も作りながら。
アフリカにだって家賃いくらのマンションはあり、そこで同程度の贅沢も貧乏もする人はいる。
そうなると貨幣の重さって何だって話になる。
金持ちと言われる日本なんて国に住んで働いても、貧乏と言われるアフリカの国で働いても、そんなに変わりはないのか、比率は違えど。
仮に比率の高い低いをもって貧乏か金持ちを占うなら、貧乏人とは死んだほうが良い存在となる。
アリのコロニーを見てみるとして。
1割の働き者、1割の怠け者。
それぞれを集める実験として。
では、我々はどのコロニーに属するかは不明にせよ、選択不可能にせよ。
どの割合に入るかの話なんだろうか。
どこかの割合に入れば、上がいてひがみ、下がいて悲しむ。
そんなものなのだろうか。
或いは、ドカーンと戦争が起きてみんなが損を食う中でいくらか統一されるものなのか。
その場合にはどの程度の頻度で戦争は起きるべきなのだろうか。
政治家が国民の平安を祈って活動しているか、そんなものを判断する方法はあるのだろうか。
いくらかの疑問、論点は。
結局はアルコールの火花に散る。
青春とはなんだろうか。
恋とは。
そんな馬鹿げたこともまた小説になる。
まあ、分からない。
分からないので、ジグソーパズルをひとつひとつ眺めることも出来る。
ま、そんなこんな。
週に一度くらいが程よい。
良薬にせよ、毒薬にせよ、どちらか飲めば良いわけでもない。
一番良いのはどちらも飲まない世界かもしれない。
結婚式から帰って禁酒なんてものをしてみた。家からは出ないようにして、三国志片手に。
ただし、酒は飲む。
酒を飲むなら、禁酒とは言わないじゃないか。
それは間違っている。
禁酒とは心に立てれば、即ち禁酒なのだ。
その人が禁酒と言いつつ、日々いくらかのアルコールを飲むにしたって。
それはホームレスの始まりと似ている。
何をしたらホームレスかではない。
その人がホームレスだと一瞬でも感じ取ればホームレスである。
その理論で行けば、今の世の中には驚くほど多くの孤独なホームレスがいる。
円の重さについて話をしてみても良いかもしれない。
よく数十年前のこと、戦後の頃はいくらだった、今で言えばいくらほどというフレーズは存在する。
それは、もちろん、ドルの金本位制の崩壊なんかもあろう。
しかし、仮にドルが崩壊しなくとも、物資の量は増減する。
それに伴って貨幣の重みは変わる。
平たく言えば携帯電話。
毎月の固定費がかかる。
月に五千円払うって馬鹿にならない。年間でいえば五万円ちょっと。6年ローンなら30万円。現実には利子が付く。大きい金額だ。
世界全体が裕福になりつつあるというのもある。
もちろん、科学技術の進歩もあるから、貧乏人も底上げでいくらか豊かになる。
しかし、物資の量は科学技術ほどには変わらない。
四人家族だと携帯4台で二万円になる。
金持ちな国だ。
それが事実である。
でも、月に2万円でこの日本で何が出来るのだろう。
はたまた、どこの国で何が出来るだろう。
旅慣れたバックパッカーは言う、月に2万なら寝食困らないと。
まあ、実際、2万円わる30日は650円くらいになり、まあ、とりあえず生きてはいける。
その反対に保険や家賃やアレヤコレヤで月に五万は消えるという人もある。
啓発本では、ランニングコストの減らし方など説く。
結局、物価との比較で生活費は決まる。
みんなとりあえず生きていけるようには国家は動く。
もちろん、ある程度の犠牲も作りながら。
アフリカにだって家賃いくらのマンションはあり、そこで同程度の贅沢も貧乏もする人はいる。
そうなると貨幣の重さって何だって話になる。
金持ちと言われる日本なんて国に住んで働いても、貧乏と言われるアフリカの国で働いても、そんなに変わりはないのか、比率は違えど。
仮に比率の高い低いをもって貧乏か金持ちを占うなら、貧乏人とは死んだほうが良い存在となる。
アリのコロニーを見てみるとして。
1割の働き者、1割の怠け者。
それぞれを集める実験として。
では、我々はどのコロニーに属するかは不明にせよ、選択不可能にせよ。
どの割合に入るかの話なんだろうか。
どこかの割合に入れば、上がいてひがみ、下がいて悲しむ。
そんなものなのだろうか。
或いは、ドカーンと戦争が起きてみんなが損を食う中でいくらか統一されるものなのか。
その場合にはどの程度の頻度で戦争は起きるべきなのだろうか。
政治家が国民の平安を祈って活動しているか、そんなものを判断する方法はあるのだろうか。
いくらかの疑問、論点は。
結局はアルコールの火花に散る。
青春とはなんだろうか。
恋とは。
そんな馬鹿げたこともまた小説になる。
まあ、分からない。
分からないので、ジグソーパズルをひとつひとつ眺めることも出来る。
ま、そんなこんな。