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今、蘇る国鉄〜音の旅〜
鉄道の世界(制作裏話し) 「今、蘇る国鉄〜音の旅〜」がどのように作られたのか、コロムビア様に問い合わせてみました。聞いてはみるものです。担当プロデューサー様と録音技術者様がインタビューに応じてくださることになり、さっそく南麻布のスタジオへ。 企画スタート 明治43年(1910年)、(株)日本蓄音器商会として発足したコロムビアミュージックエンタテインメントは、今年(2010年)が創立100周年にあたります。「今、蘇る国鉄〜音の旅〜」は、当社の録音技術者が昭和40年代国鉄の駅や車内のアナウンスをライブ録音した音源を3枚組のCDにまとめ、100ページの写真・資料集をセットしたCDボックスです。100周年記念企画の1つとして商品化しました。今から40年以上前の国鉄を活き活きと再現するクリアな音質の駅と車内のアナウンスが、3枚合計で230分納められています。実はこれ、ほぼ未発表の幻の音源なんです。 皆さんはDISCOVER JAPANを覚えておいででしょうか。 昭和45年(1970年)にJRの前身、日本国有鉄道(国鉄)が企画したキャンペーンは、折からの大阪万博(日本万国博覧会)開催を背景に、今まで団体旅行しか経験のなかった大多数の国民に個人旅行の楽しさを喚起する内容でした。同時に国鉄提供のテレビ番組『遠くへ行きたい』が始まり、テーマ曲「いい日旅立ち」は山口百恵の人気と相まって大ヒットとなり、今に続く長寿番組となりました。 この一大ブームの最中に当時の日本コロムビア(現:コロムビアミュージックエンタテインメント)が制作したLPが“ 汽車ポッポ日本の旅”でした。東京キューバンボーイズの演奏と演奏の合間を、駅のホーム・アナウンスで繋ぐという構成から国鉄主要駅の収録を行いました。ですから、この録音は副次的に発生した仕事だったんですね。 資料庫から幻の音源を発見 “ 汽車ポッポ日本の旅”で使われたのは、収録した音のうち列車の通過音や発車音だけでした。苦労して集めたアナウンスはレコードに入ることなく長い眠りにつきます。当社ではLPレコードの頃から原盤(オリジナルの音源)を資料庫に保管しておりますが、私がこの音源の存在を知ったのは、今から20年ほど前になります。台帳で見つけた後、思わず故郷の駅を探していました。見つけた時は「あった〜!」と大きな声を出していたと思います。 以来、いつかこの貴重な音源を活かそうと、ずっと企画を温めてきました。昨年秋のことです。昭和時代の特急や夜行が次々に姿を消していく中、とうとうボンネット特急最後の路線である「能登」翌春引退のニュースが飛び込んできました。ブルートレイン「北陸」も同日に引退。色々な鉄道の楽しみ方がテレビでも紹介されるようになり、広く一般化した事も企画スタートの追い風になりました。 オリジナル音源には、アナウンスや列車の走行音だけでなく色々な音が収録されていました。弁当売りの声、アイスクリーム売り、田舎の駅の鳥の声、海岸沿いの駅では波の音などなど。目をつぶって聴くと、一瞬にして昭和のあの頃に戻ってしまうようなクリアな音質です。あえて列車走行シーンなどのイメージ映像は付けない、音だけで国鉄の旅を再現しようというアイディアが自然に生まれました。当時の録音技術者が社内に残っていたのも心強かったですね。 往時の国鉄の旅をより楽しんでいただこうと、100ページの写真・資料編も作りました。写真は大阪駅に停車中の特急「しおじ」解説ページです。こうした貴重な写真と当時の様子を解説した説明文を多数収めてあります。 収録当時の鉄道事情 続いて、この音を収録した録音技術者様に当時のことをお聞きしました。 当時、主要鉄道網は在来線の特急と急行が主で、新幹線は東海道(東京-大阪間)しか走っていませんでした。上越新幹線や東北新幹線など影もカタチもない時期です。乗り換えのない直通列車が好まれていたため、大阪-青森間18時間という急行すらありました。もちろん寝台列車じゃないですよ。先日廃止された急行「能登」のような夜行特急が日本全国を結んでいたんです。例えば、東京から出稼ぎに出た人が帰郷する「津軽」などは出世列車として一世を風靡していたものです。 下は昭和47年(1972年)当時の時刻表です。 東海道新幹線しかないでしょ?(クリックで拡大) 時刻表とにらめっこの旅 1回の取材はだいたい3日間くらいでしたか。指示は時刻表を渡されて、「○○線を録ってこい!」とだけ。担当路線のうち急行や特急の停車駅を調べ、アナウンスに車両名が入っていることが条件でした。ローカル線を乗り継ぎながら、いかに一筆書きで回れるかの短期勝負です。ちなみに私は鉄道マニアじゃありません。最初のうちは、時刻表の見方すらよく分からない。これでどうしろと(泣)。 本数の少ないローカル駅では、上手に乗り継ぎできないと駅で長時間待ちぼうけです。インターネットが普及する前でしたので、今のように"乗換え案内"で経路を調べることも叶わず、時刻表と首っぴきでいかに効率よく回るか、胃が痛くなるような思いをしました。 録音機材は"カセットデンスケ"と呼ばれていたテープ式録音機です。電池で駆動するので野外ロケには最適なんですが、なにせ本体重量5.2Kgもある。今のノートパソコンなら2台分もの重さですね。他にも録音テープや予備の乾電池、集音マイク、着替えなどの旅支度一式。こんな重いものを抱えて取材に行ってたんです。若かったんでしょうね。 取材の苦労 駅で録音といっても、主要駅にはホームが複数あります。Aホームでアナウンスを収録したら、駆け足でBホームへ。スピーカ−によっては音が歪んでいるものもあります。慌てて別のスピーカーへ走るうちにアナウンス終了、私を置いて列車は出発。次の特急が来るまでベンチで呆然としていました。列車の窓から身を乗り出して録音するテクニックも自然に身につきましたっけ。 収録はアシスタントなしの一人旅です。遠隔地には機材が入った重たいトランクをかついで夜行寝台で行ったものです。乗車するとまず大きなトランクを寝床に入れ、身体を折り曲げるようにして隙間で寝る。停車時間1分なんて時は、トランクを雪のホームに投げ降ろすことだってありました。全国各地の赤帽さんにはお世話になりましたね。さすがはプロ!あの重たいトランクをホームまで軽々と運んでくれるんです。 機材のトラブルにも泣かされました。 雨の中で録ったら、テープが湿気で伸びてフニャフニャに。音質が良いとされたクロムテープやメタルテープは特に湿気に弱い欠点を持っていました。予備機を待つ余裕はなかったので、そのまま収録を強行!帰社してから編集スタジオでテンションをいっぱいに張って再生しました。 冬のプラットホーム。ホームの音を拾って大急ぎで列車に飛び乗ると、テープが高速で回転している。寒いホームから暖かい車内に温度が急変したのが悪かったのか、内部結露で故障してしまいました。キュルキュル回るデンスケを見て途方に暮れたことを昨日のように思い出します。もう列車は発車してしまったし、これからどうしよう…。いざとなったら人間、開き直るようです。だったら全部4倍速で録音しちゃえ!後はなるようになる。これも帰社後、4倍速で再生すると何とか使えるレベルでほっとしました。 おっとりしていた昭和時代 急行や特急が停まる主要駅のアナウンスを録るのが当初の狙いだったんです。列車を乗り継いで各地に散ったスタッフは合計10名ほどでしたか…。そのうちお祭り騒ぎのようになり、徹底的に全国の駅を録ろうじゃないかという事になりました。現場スタッフだけでなく、なぜか上司まで地方に飛んで行っちゃったんです。 おもしろいなと思ったら、鉄道以外の音も収録していました。駅の弁当売り、アイスクリーム売り。これが地方によって全部違うんです。連絡船の接続があったら汽笛も録り、ついでに波の音も。田舎の駅では野鳥のさえずりさえ録っていました。勢いあまって佐渡に行ったスタッフもいます。鉄道ないのにね(笑)。 録音へのこだわり 収録にあたっては、臨場感をいかに捉えるか苦労しました。例えば列車の出発。出発アナウンスを告げるスピーカーから、だんだん列車へとマイクを向けていきます。こうすると、アナウンスの声に走行音が自然にかぶっていきますよね。 札幌駅では時計台の音を拾いながら、駅アナウンスが聴こえるようにしました。録音技術者にとって、音は「拾う」ものなんです。その時その場にいなければどうにもならない。記録だけでなく、その時の情景が浮んでくるようにと心がけていました。 こうした録音技術者としての心構えは神様に教わりました。私が入社した頃のコロムビアには"録音の神様"といわれる上司がいたんですよ。仕事が終わって帰りに一杯。その席で話していただいたことは、私にとってその後の仕事の規範となりました。「今、蘇る国鉄〜音の旅〜」は、当時の私たちが精魂込めて日本各地で拾ってきた音たちです。収録された音の中には、神様が録ったものも入っているはずです。 ----------------------------------------------------------------------------------------------- お話しをお聞きしてて思わず笑っちゃったのが、プロデューサーさんと技術者さんの掛け合いでした。編集スタジオと同じフロアに技術者さんのデスクがあります。編集作業中、どうにも寸足らずの録音を発見。スタジオから飛び出したプロデューサーさん、「何であそこでテープ止めちゃったのよ!」とクレームを付けにくる。「いや、今さら40年前のことを怒られても」と技術者さん。 編集終了後にサンプルを社内で聴いてもらったら、「ウチの駅が入っていない!」という声があったそう。いえ、まだ音源には残りがあるそうです。なにせ日本全国の主要駅が全部収録してあるんですから。 北海道出身の当社営業マンに聴かせてみました。札幌駅のアナウンスに大喜び、「確かにサップォォォロって聞こえる」、「あれ、面白いね」とのこと。故郷の駅アナウンスを久しぶりに聴けて興味深そうでした。 追記:2011年2月21日 「コロムビアミュージックエンタテインメント」様は、は2010年10月1日に「日本コロムビア株式会社」様に社名変更されました。 ----------------------------------------------------------------------------------------------- 取材協力:コロムビアミュージックエンタテインメント →鉄道の世界(前編)に戻る →鉄道の世界(後編)に戻る by u-t-r | 2010-05-11 16:59 | つぶやき
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