コラム:ロヒンギャ「孤立無援」のなぜ
ロヒンギャは暴力に直面し、医療や教育や雇用へのアクセスといった基本的権利が阻害されている。ミャンマー当局がロヒンギャを自国民として認めていないことで、彼らは「アパルトヘイト的な状況」に置かれている。
しかし、それは今に始まったことではない。国際的非営利組織(NPO)「人権のための医師団」の2013年の報告書によれば、1991年5月から1992年3月までの間に、合計26万人以上のロヒンギャが国外に脱出。その背景には「土地収奪や強制労働、レイプや拷問、即決処刑を含むビルマ軍による人権侵害」があったという。
<なぜ今関心が高まっているのか>
四半世紀前から続く問題だが、ここ数年で彼らの置かれた状況は明らかに深刻化している。
ミャンマーは2010年の総選挙を経て軍政から民政へと移行したが、それがイスラム教徒に対する迫害の深刻化にもつながった。ロイターの報道によると、政府は、イスラム排斥を掲げる仏教徒の組織「969運動」の台頭を暗に認めている。2012年以降、仏教徒との深刻な宗教対立によって約14万人のロヒンギャが同国北西部から逃れた。
<ロヒンギャへの憎悪の根源は何か>
現代のさまざまな対立と同様、ミャンマーの現在の混乱は、その根源を植民地時代にたどることができる。
1826年に英国は、現在ミャンマー北西部となっている地域、ならびに現在ロヒンギャの多くが住んでいる地域を植民地に併合した。当時の植民地政府の移民法が緩かったことで、これらの地域にイスラム系ベンガル人が大量に流入。英国は新たな植民地の管理者として南インドのチェティア(金融業者)を置いたことが、仏教徒であるビルマの農民の強制立ち退きにつながった。英エコノミスト誌が指摘するように、それが遺産として長く残っている。 続く...