ここから本文です

米国で半年間ホームレス…園子温監督が振り返る“極貧時代”

日刊ゲンダイ 6月22日(月)9時26分配信

 2008年の映画「愛のむきだし」が第59回ベルリン国際映画祭、11年の「冷たい熱帯魚」が第67回ベネチア国際映画祭でそれぞれ受賞と、国際的に高い評価を得ている園子温監督。今年は6月27日公開「ラブ&ピース」など4本の映画が公開され、精力的に活動を続けているが、かつてはホームレスの経験もあった──。

「ラブ&ピース」の台本を書いてたのが25年ぐらい前。まだ20代後半で、その頃のボクはまさに「ラブ&ピース」の主人公の鈴木良一そのまま。明日のことも分からず、いつ実現するか知れない台本をコツコツ書いて、いつかこの映画で世の中をアッといわせてやるぞって、大志を抱いていました。

 まさか映画になるまで25年もかかるなんて。そう、その時のボクに言ったら、ショック死しそうで、とても言えないですね(笑い)。

 大学時代、映画サークルに入って8ミリ映画を撮り始め、20代後半になってもずっとアルバイトしながら、自主映画を撮っていたんです。アルバイトはソバ屋の出前以外は何でもやった。夜警、新聞配達、肉体労働……。

 だから、食うには困らなかったけど、いいところに住みたい気持ちはサラサラなくて、荻窪とか高円寺とか中央線沿線の風呂・トイレなし、木造2階建ての古い、月1万5000〜2万円のアパートに住んでました。

 でも、その頃はまだ幸せ。38歳の時、どうせなら16ミリの映画用のカメラを買えば、好きなようにいくらでも映画が作れると思って、貯金をはたいて150万円で中古のカメラを買ったんです。ある晩、そのカメラのバッテリーをコンセントに差し込み、充電しながら眠ったら、目が覚めたら天井に真っ黒な雲が立ち込めてて……。バッテリーから出火していた。部屋は全焼。“映画の神様がいるなら、自分にはついてないんだ”と最悪な気分でした。

 このままじゃいかんと、文化庁新進芸術家在外研修員として、アメリカに行ったんです。文化庁から出るおカネを恋人に託し、定期的に送ってもらおうとしたけど、彼女と仲が悪くなって、途中から途絶えちゃった。それで、そのままサンフランシスコでホームレス生活に。その時が一番、貧乏でしたね。

 幸い、サンフランシスコは天気が安定してて暑くも寒くもない。ユースホステルのラウンジに紛れ込んで、日本人をつかまえて「面白い話をしてやるから、ちょっと食わせろ」って言って食わせてもらって。危険? 路上にはヤク中の人もいたけど、仲良くしてたから。オレの方こそ危険な部類でしたよ。

 当時はITバブルの頃。ある晩、チャイナタウンの路上で寝ていたら、IT長者らしき白人が酔っぱらって「やるぜ」って、ボクにドサッとカネを投げてよこした。お腹の上に載った紙幣を見たら、全部100ドル紙幣! 紙幣の束の厚みが半端じゃなくて。でも、プライドがあるから「こんなのいらねぇよ!」って言ったら、そいつが「だよね」って言って全部持って帰っちゃった。「しまったな」って、すげぇ後悔しました(笑い)。

 B級ならぬ、Z級映画のレンタルビデオショップのおじさんと仲良くなったら、たまに店内のソファで寝泊まりさせてくれた。Z級映画もタダで見せてくれて。「スチュワーデス対半魚人」とか「チアガール対吸血鬼」みたいな、日本では絶対見られない珍品ばっかり。

 でも、そういう映画を見ながら、子供の頃、何にドキドキしていたか思い出した。映画って、もともと見せ物小屋的な精神で作られてる物。だから気取っててもしょうがねえなって。それで書きだしたのが、メジャーデビューすることになる「自殺サークル」(02年公開、第7回ファンタジア国際映画祭受賞作)でした。

 この台本がスンナリ製作会社の企画会議を通って、帰国費用を出してもらい、ホームレス生活は半年で終わりました。おカネの問題はまだ続きますけど、とりあえず、映画が撮れないという地獄は終わりましたね。

▽1961年12月、愛知県豊川市生まれ。インディーズで頭角を現し、多くの作品が海外で高く評価されている。路上パフォーマンス集団“東京ガガガ”も主宰。6月27日公開の「ラブ&ピース」は特撮恋愛ファンタジー。出演は長谷川博己、麻生久美子、西田敏行ら。

最終更新:6月22日(月)9時26分

日刊ゲンダイ