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被爆者手帳のことその後

7月 25th, 2014 · 1 Comment

すみません、ベラルーシ行きもせまっており、日本留守中に原爆投下記念日がやってくるので、やはりここで紹介させていただきます。
「おわび」のブログのあと、おかご丁寧に返信いただきました。
 私のブログに紹介させていただくことで、おかさんの運動も攻撃対象となることも想定されるのですが、急ぎ紹介させていただきます。

原爆投下から69年。
 そして、広島の平和記念館から被曝されたかたの写真がことごとく消されてしまったことをみなさんご存知でしょうか?
 そして、ガザの空襲で被害を受けた子どもたちの写真をFBやツイッターにあげないでほしい、閲覧注意にしてほしいという書き込みを見て、日本人らしいと、思いました。

 願わくば、そのような苦しみを自分のそばから排除しないでほしい。
苦しんでいる子どもたちの写真のそばに、心だけでもいいからよりそって、一緒に泣いてあげてほしい。そして伝えてあげてほしい。
 スピリチュアルな人たちの言う「引き寄せの法則」なるもので、そうしたネガティブチックなものに近寄りたくないという感性に対して私は真っ向から否定するものです。
 私に言わせたら、鳥かごの中の小鳥が、お腹のすいた猫になぶられているネズミを見ないようにしているだけです。いずれあなたもそうなるでしょう?
 いたぶられているネズミをみたから不幸を引き寄せたのか?
 違うでしょう?自分に何もできないと、悟るべきところ。
 無力な自分を悟ることへの『怠慢』です。
 だから、「怠慢に寄る引き寄せの法則」が日本に今起こってきていて、憲法抹殺劇が起こっているのに気づけない。憲法が抹殺されたということは、「人権」という法ではなく、「権力」という暴力によって支配されることば決まったということです。
 戦争に引きずり込まれたら最後、私たちの「意見」どころか命さえも、どこの誰だか縁のない首相とか警察とか軍隊とかなんだか名乗る人がやってきて、自由にさせてもらうと宣言される。

 逃げるにはどうしたらいい?じっと蛮行をみつめて、もう、かごから出て行くしかないのです。
 このままでいったら第三次世界大戦がいつ起こってもおかしくない。
 そして、それに間に合わせるように、急ぎに急いで、集団的自衛権を閣議決定したかのようです。
 
私が以前に失礼でした‥とおわびしたブログに対してご丁寧に返信をいただきました。
 おかさんが大人だったのです。

私のブログも、あらためて紹介してくださったこと、感謝しています。ありがとうございます。

昨年の9月に泉田知事がこの発言をした後、この被爆者手帳についての誤った情報がネットを中心に爆発的に駆け巡り続けて、有名無名かかわらず皆さんが次々に信じてしまう様子を見て、私は暗い気持ちになりました。

たとえば「はだしのゲン」を撤去させようとする動きなどには皆さんが「けしからん」と言って大反対してくださるのに、この被爆者手帳の間違った情報には変だと疑うこともなく大勢の人がとびつき、簡単に引っかかってしまう。

私から言えば、これも国が原爆被害を小さくみせかけるために続けてきた長年の洗脳の成果であり後遺症です。発言した泉田知事をはじめ非常に沢山の人が、厚労省官僚の常套トリックに騙されオウンゴールしてしまった。

「はだしのゲン」を読ませまいとする体制側の隠蔽問題と本質的には何ら変わりません。その手口が異なっているだけです。普段、「はだしのゲン」を読んで何となく理解した気になっていても、ひねりを加えられた応用問題になると皆、簡単に騙されてしまう。しかも「1mSv」という擬似の釣り餌つきですから尚のこと。聞いた時点で、「この話、何かおかしいぞ」と感じられないのは、原爆被爆の実際について頭の知識が本当には血肉となっていない証拠です。これは戦争についても同じことが言えると思います。特殊で異常な人生体験を、その体験がない人たちに伝えて理解を得るというのは本当に難しいことで、そのことも国は逆手にとり被爆者の実態を隠蔽し続けてきました。

野呂さんも御存知の通り、原爆症認定訴訟は今も全国各地で続いています。そこで御高齢と重病の身体をおして闘っている被爆者の方々は、いま原発事故被害を押さえつけようとしている政府にとって非常に目障りな存在です。逆に言うと向こう側にとっての脅威なのです。原爆症認定訴訟は「原爆の内部被曝被害を告発する訴訟」と言い換えても良いものだからです。

原発事故の被ばく被害がますます顕在化していくにつれ、先を歩いてきた原爆被爆者の闘いが未来を示唆するものとして、より重要になると思います。この方達がまだ生きているうちに、その闘いを勢いあるものにしていくことは原発事故被害者救済の観点においても大切であると考えています。この人たちにつまらない逆風を吹かせてしまえば、結局それは私たちにとっても先で損となって跳ね返ってきます。

野呂さんが「閾値」のお話も少しされていましたが近年の訴訟では、放射線起因性の心疾患に閾値はないという司法判決が何度も出されています。しかし昨年末に行われた原爆症認定基準改定時には、長瀧重信氏が閾値の国際基準資料を厚労省・医療分科会に提出し、新しい原爆症認定基準にも非ガン疾患の閾値設定が再び暗黙に反映されてしまいました。これにより原爆症の被爆者は、また同じように切り捨てられています。

司法判決では、もう閾値論を根拠にして認定行政を行う論理は否定されています。それでも相変わらず国の横暴が何の批判もされずにスイスイとまかり通ってしまうのは何故なのか。残念ながら、それは国民が原爆被爆者のこれまでの闘いや原爆実相について知らなさ過ぎることも要因のひとつです。被爆者に対する政府の行いを国民が監視できてないのです。こういった、原発事故に直接通じる大事な話でさえ国民は関心がなく、それが被爆者が置かれてきた現実です。原爆被爆者が集団訴訟で勝ち取ってきた、せっかくの財産がありながらも周りがうまく生かせていません。

政府や御用学者集団の詭弁に対抗するためには、いい加減な情報は通用しません。裁判の証拠としても十分耐え得るくらいの高い質を要求されます。結局、事実に基づく正確な情報しか、土壇場で私達を助けてくれる力にはなりません。過去に一連の集団訴訟で国に対して被爆者が連勝を重ねることができた理由は、被害事実を辛抱強くコツコツ集め、それらを丁寧に裁判にぶつけていったからです。国が権力を使ってガッチリ固めてくる様々な虚偽に対抗し、それらを論破しうる武器は事実のみが放ち続ける強い力です。原発事故でも、それは同じだと思います。

突然ブログにお邪魔して自分のお願いや主張をいきなり野呂さんにぶつけてしまい、私の方こそ唐突過ぎたと反省しています。私もきつい言葉を吐いていますから、おあいこです。どうか気になさらないで下さい。意見の違いなどあるのは当然で、それでも見ている方向自体は野呂さんと変わらないと思っています。
(私の方は、このメールも公開して頂いても構いません。野呂さんの御判断にお任せします)

ありがとうございました。

                      おか のりお


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おか様

ありがとうございました。私はこちらのブログのいち読者に過ぎませんが今回の野呂さんとのやりとりを拝読させて頂き、自分なりに色々と考えるきっかけとなりました。

私は関東のホットスポットに住んでいますが去年、ご縁があり、神戸の病院(原爆症認定指定医療機関)で子どもの甲状腺の検査を受けることができました。
その病院ではソーシャルワーカー・ドクター共に長い時間を割いて説明をしてくれ、私の話も聞いてくれた事、その診療がシステム化されている事にとても強い印象を持ちました。
 また今でもこうして原爆症の方達用の医療機関が、普通にあること、正直おどろきました。
 関東に住んでいると、こうした現状は全く伝わってこないという事がわかりました。
「色々あるんだろうけど、もう60年以上前の話。広島の原爆症の人達って今はどうなっているの?」という感覚でしょうか。
 そして国が原爆症の認定をなかなかしない、という話も聞いてきました。
おかさまの書かれている事はとても理解しやすかったです。
国がこんな風だなんて、絶望したくなりますが、希望を捨てずに「コツコツと辛抱強く」いきたいと思います。
ありがとうございました。