ビルマ戦線手紙:三重の遺族「戦争、子らに伝えたい」
毎日新聞 2015年06月20日 15時00分(最終更新 06月20日 15時20分)
「父宛ての手紙が海を渡って帰ってくるなんて」。英ケント州で見つかった第二次世界大戦中の100通を超える手紙の受け取り主、元日本兵の東定信さんは、4年前に他界している。遺族は「ビルマ戦線の過酷な戦火の中で、家族や知人からの便りを心のよりどころにしていたのでは。内容をよく読ませてもらって、子どもたちに戦争のことを伝えていきたい」と、イギリスから手紙が戻るのを心待ちにしている。【永野航太】
三重県尾鷲市で洋品店を営む長女、中崎ちほみさん(66)によると、定信さんは現在の同市早田町生まれ。戦前は地元漁協で書記を務めるなど地域の世話役として人望を集めていた。戦後は地元に戻って真珠加工を学び、戦友の人脈を生かして関東地方を中心に真珠の販売業を始め、1965年ごろ家族で東京に移住した。
定信さんはビルマ戦線などで戦死した仲間の冥福を祈るために般若心経を写し続けていたという。また戦友会の集まりには毎回、子どもたちを連れて欠かさず参加し、集会の様子をビデオカメラで記録した。「父から直接、戦地の話を詳しく聞いたことはなかったが、戦死した仲間たちへの思いが常にあったようだ」とちほみさんは話す。
ビルマ戦線から父ウィリアムさんが持ち帰った手紙を保存しているスタンリー・グローバーさん(66)は、子供のころから、父がはがきを所有していることを知っていた。だが、父から戦争について聞くことはなく、父は入手経緯を語らないまま亡くなった。「亡くなった日本兵の所持品から、父が拾ったと思っていた」と話す。
東さんの遺族らも、手紙がウィリアムさんに渡った経緯を知らない。ちほみさんは「父はきっと、戦地でもらった手紙を大切に保管し、肌身離さず持ち歩いていたと思う」と、手紙を手放さざるを得なくなった当時の厳しい戦地の状況に思いをはせる。ちほみさんの息子の茂樹さん(41)は「手紙が見つかったことをきっかけに、祖父や戦争について考えさせられた」と話していた。