日韓正常化50年:在韓被爆者へ「罪滅ぼし」 広島の医師
毎日新聞 2015年06月22日 12時22分(最終更新 06月22日 12時24分)
韓国在住の被爆者の渡日治療を親子2代で40年以上続ける医師が広島にいる。「罪滅ぼし」と1972年に自費で始めた河村虎太郎さん(87年に73歳で死去)と、その遺志を継いだ次男の内科医、譲さん(71)=広島市中区。日韓国交正常化から22日で50年。譲さんは「日本での治療を希望する韓国の被爆者がいる限り、活動を続ける」と話す。【石川裕士】
虎太郎さんは韓国で生まれ、旧京城帝大医学部を卒業。戦後帰国し、原爆ドーム近くに内科医院を開いた。68年に広島であったシンポジウムで戦後帰国した在韓被爆者の窮状を知り、医師団の一員として渡韓。そこで初めて、貧血など原爆の後遺症に苦しみ、貧しさから治療さえ受けられない姿を見た。
在韓被爆者への補償について、日本政府は65年の日韓基本条約で「解決済み」との立場だった。そのため虎太郎さんは、72年から自費で被爆者を日本に招き、治療に当たった。「自分は韓国生まれの『侵略者』。韓国人の苦しみを知らなかった罪滅ぼしの気持ちからだ」。虎太郎さんは譲さんの妻純子さん(68)にこう話した。
その後の日韓政府交渉を受け、在韓被爆者の渡日治療が81年に実現した。しかし、入院は2カ月間に限られていた。「再度日本で治療を受けたい」との声に応えるため、虎太郎さんは84年に「渡日治療広島委員会」を結成。86年の渡日治療終了以降も、市民からの寄付を基に、民間レベルでの治療を続けた。
患者の悩みをじっくり聞く虎太郎さんの治療手法に、訪れた被爆者は「先生が自分の言葉を受け止めてくれるだけで病気が治る」と喜んだという。
虎太郎さんが亡くなって以降は、譲さんが遺志を引き継ぎ、同委員会の会長を務める。譲さんは「在韓被爆者は、日本が過去に何をしたかを知る歴史の生き証人」と語る。
同委員会は今年4月までに延べ569人の在韓被爆者を受け入れてきたが、高齢化に伴い、現在は年間6人ほどに減少。当時乳幼児だった人や、胎内被爆者も多く、被爆状況の聞き取りは難しくなっているという。
◇在外被爆者の7割韓国在住
広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会が1979年編集した「広島・長崎の原爆災害」(岩波書店)によると、朝鮮半島出身の被爆者は、広島で約3万人、長崎で約1万人と推計されるが、国は調査などを行っていない。厚生労働省によると、海外在住で被爆者健康手帳を持つ「在外被爆者」は昨年3月時点で約4440人で、うち約7割の約3050人が韓国在住。北朝鮮で暮らす被爆者の数は不明。