聞き手・福田直之
2015年6月22日05時46分
■金融政策 私の視点
――日本銀行は2%の物価上昇目標の達成見通し時期を2016年度前半に先送りしました。
「日銀が掲げる物価目標は、元々意味がないと思っている。だから、2年経って達成できなかったのは当然だし、達成時期を延期しても意味がない」
「日本の消費者物価上昇率は、ほとんど輸入物価上昇率で説明できるからだ。過去20年を見ても、為替レートと原油価格でほぼ決まってきた。外的な条件で決まってしまうものを目標にしても意味がない」
――日銀の企画局は大規模な金融緩和の効果を検証したところ、0・6%~1・0%程度物価を押し上げたと結論づけています。
「円安になったために物価が上がったのだ。国債を大量に買うことで国債の価格を上げ、国債の金利を下げた。それで日本の金利は米国の金利に比べて下がり、市場では魅力が減った円が売られ、相対的に魅力が出たドルが買われた」
「日銀は人々の物価上昇の予想を額面の金利から差し引いた実質金利を下げる効果があったと評価しているが、当然だ。問題は実体経済への影響だ。実質金利が下がっても投資は増えず、輸出数量は増えない。何よりも実質の消費支出が減った。輸入物価が上がり、消費者物価が上がったため、人々の実質的な所得が減ってしまったからだ」
――実質所得が減ったのは昨年4月に消費増税があったからではないですか。
「実質所得は消費増税の前から減っている。増税の影響だけではない。リーマン・ショックから12年度にかけての円高期の方が、実質所得の伸びも成長率も高い時期がある。円安になって逆に悪化したのだ」
――ただ、円安で輸出企業の利益が増えた影響もあり、株価は上がりました。
「円安が影響したのは株式などの資産価格だ。日本の平均株価は為替レートと連動する。円安のためにドル換算で見れば、国内総生産(GDP)を筆頭に、ほとんどの指標は超円高だった2011年より下がっている。しかし、日経平均株価だけはドル建てで見ても上がっている。日本の株価がバブルだと考えられる論拠の一つだ」
――日銀は今後、どう政策を進めるべきですか。
「うまくいかなくても、金融緩和をやめることはできないだろう。国債の購入をやめただけで、金利が暴騰してしまう恐れがある。そうなれば金融機関が持っている国債の価格は暴落し、民間金融機関以上に国債を持っている日銀自身も資産が毀損(きそん)し、国への納付金が減る。つまり、国民負担になってしまう」
「もう一つ重要なことは、政府の利払いが増えることだ。国が発行する新発債と借換債の利払いは、国債金利が上がれば増える。今一般会計の国債費の利払いは10兆円くらい。最近の10年国債の利回りは0・5%程度だから仮に2%くらいになったら4倍の40兆円くらいになる。しかも、市場金利が上がってから4、5年で既発債の金利はおおむね上昇後の金利に入れ替わってしまう。それはとうてい耐えられないだろう」
――日銀が目標とする前年比2%の物価上昇は起きないのでしょうか。
「悪い形で実現する恐れはある。それは本当の意味で世の中にお金がじゃぶじゃぶあふれた場合だ。日銀が金融機関から国債を買う時に支払った代金は、今のところ貨幣として世の中に流通していない。金融機関が日銀に持つ当座預金に積み上がっているだけだ。だが、銀行がそんな状態で我慢しているのはおかしい。銀行が当座預金の返却を求めれば、日本銀行券(お札)が増発され、世の中にお金がじゃぶじゃぶになって、急激な物価上昇が進む」
「日銀の大規模な金融緩和は結局、国債の利回りを非常に低く抑えて、政府が借金を増やしやすくしているだけだ。だから今、政府は財政を効率化しようというインセンティブがほとんど働いていない」
――日本経済に必要なのはどのような政策ですか。
「65歳以上の人口は40年ごろまで増えていく。一方、労働力人口は若年者の減少に伴い減る。その結果起きるのは、医療・介護部門の従事者が労働力人口に占める割合が増えることだ。50年ごろには最大25%まで上がる。そんな経済は、あり得ない。こうした動きがもたらすものは経済成長率の低下で、対策が急務だ。金融緩和とか、インフレ目標とか、そんなことをやっている暇はない。私は焦りを感じている」
――介護・福祉分野の従事者が増えるとなぜ成長率が下がるのでしょうか。
「介護は生産性が低い産業だからだ。基本的に人間が人間に対して行うサービスなので、例えばロボットを導入したからといって、生産性が顕著に高まる産業ではない」
「それを前提に考えると、解決策は生産性の高い新しいサービス業が現れ、全体の成長率を底上げするしかない。例えば、米英経済では製造業とサービス業の中間のような産業が生産性が高く、成長している。典型的なのは米アップルだ。アップルはiPhoneを作る製造業だが、付加価値の高い設計開発と販売に特化し、付加価値が低い製造はしていない。製造業とはいえ、サービス業のような企業だ」
――日本にはそうした会社はあまりありません。
「アップルをはじめとする米製造業が製造をやめたのは、製造を請け負ってくれる国が出てきたから。代表例が中国だ。1990年代以降、世界の製造業はいかに中国を利用するかが重要だった。だが、日本の製造業は自前にこだわった。その結果起きることは、長期的に日本国内で働いている工場の従業員の賃金が中国並みになるということだ」
――こうした企業が増えれば、生産性は上がると。
「米国並みにまで生産性を高められると思う。ただ、労働力人口が減ることによる成長率のマイナスを埋め合わせるほどの力はないだろう。そう考えると移民の受け入れしかない」
――移民を受け入れる上で、ハードルとなるのは受け入れ態勢の整備ですか。
「いや、日本人のものの考え方だ。周りに中国人やインド人がいていいと言えるかどうか。もし、いやならばシリコンバレーに行ってどういう世界なのか見てきた方がいい。移民についてはもう一つ重要な問題がある。日本人の多くは移民を受け入れていいとさえ言えば、日本に移民がやってくると思っている。20年前ならそうだったかもしれないが、今や来てくれるかどうか」
――人口が多い中国も一人っ子政策の結果、将来は移民をひきつけそうです。
「まだ幸いなことに1人あたりの国内総生産(GDP)は日本の方が高い。しかし、急速に差が縮まってくるだろう。ここで円安が進めば、差はさらに縮まる。外国人が日本に来て働くことが不利になるという面でも、円安は非常に大きな問題だ。円安になると外国人が観光に来ると言って喜ぶが、それは喜ぶべきことなのか。本当は、外国人が日本に来て働いてもらわないと困るのだ」
◇
のぐち・ゆきお 1940年生まれ。東大工卒。大蔵省(現財務省)に入り、米エール大Ph.D.(経済学)取得。一橋大教授、東大教授、早大院教授などを経て、2011年4月から早大ファイナンス総合研究所顧問。著書に『戦後経済史―私たちはどこで間違えたのか』。ホームページは「野口悠紀雄online」(http://www.noguchi.co.jp)(聞き手・福田直之)
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