斉藤太郎
2015年6月22日07時36分
愛知県が県営名古屋空港(豊山町)に新設する航空産業の展示施設に、零戦が姿を見せそうだ。戦前から地元で飛行機を造り、「ものづくり県」を支え続ける企業にちなむものだが、豊山町は戦争の記憶も抱える。戦後70年を生きた町の人々は、零戦展示の動きを様々な思いで見つめる。
豊山町長の鈴木幸育(ゆきやす)さん(72)は抵抗感を隠さない。「若い子にそういうものを見せて、興味を持たせたくない。いたずらに使われたドローン(小型無人飛行機)と一緒です。僕は戦争反対ですから」
約6平方キロに約1万5千人が住む町の3分の1を、県営名古屋空港の敷地が占める。西隣の三菱重工業の小牧南工場では、町民を含む約2500人が航空機の組み立てなどに従事。東隣には空港滑走路を共用する航空自衛隊小牧基地(同県小牧市)がある。
まさに飛行機の街。だが、鈴木さんは零戦と聞くと、飛行場ができたころの町の苦難を思わざるを得ない。
1942年、田園風景のこの地に軍人が現れ、「お国で要る」と農地接収を通告。名古屋を空襲から守るためとして、陸軍小牧飛行場の予定地に選定されていた。農家は立ち退き、住民は2年後の完成へ工事に駆り出されたという。「みなさん難儀されたんだ」と、鈴木さんは語気を強めた。
名古屋の工場で零戦を造った三菱重工は、戦後に小牧南工場を建設。国産初の旅客機YS11、自衛隊の戦闘機F1、F15、F2を造ってきた。飛行場は米軍から返還後に名古屋空港に改称され、62年にYS11が初試験飛行で飛び立った。
「豊山は畑だらけで陸の孤島だった。空港と工場のおかげで、今の建物だらけの街がある」。58年から小牧南工場で働く伊藤敏彦さん(73)は自負を込める。
空港需要は2005年の中部空港(同県常滑市)開港で減ったが、新たな航空機事業が町に到来。三菱重工と子会社が開発する国産初のジェット旅客機MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)だ。今後は小牧南工場で米軍最新鋭戦闘機F35の整備も予定する。
工場の史料室には零戦が展示され、周りに軽量化を図った部品が並ぶ。飛行機づくりを引退した伊藤さんの今の仕事場だ。「非力なエンジンで空中戦を挑むための技術的な苦心を伝えたい」と、訪れる人に構造をていねいに話す。歴史的功罪は「それぞれが感じてもらえばいい」と語らない。
柴田満枝さん(81)は戦中、飛行場の建設に駆り出された。「毎日毎日滑走路の石拾い。勉強させてもらったことなんてなかった」。爆撃の恐ろしさは忘れられない。耳をつんざく焼夷弾の音。隣の集落で吹き飛んだ遺体が柿の木にひっかかったと聞いた。
零戦で思い浮かぶのは特攻隊だ。「人間の命は一つしかない。それを無駄にするのは嫌だよね」。40代の後半から、戦争体験者による文集づくりに携わる。戦争の悲惨さを若い世代に伝えたいという思いを込めて。
それに役立つならと、零戦の展示には理解を示す。「苦労した人たちがいて、零戦もあって、もったいないほど便利な今がある。それを一番、私は言いたいんです」(斉藤太郎)
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