半世紀前に西日本一帯で起きた「カネミ油症」は、国内最大の食品公害事件とされる。

 その原因企業であるカネミ倉庫(北九州市)に損害賠償を求めた認定患者の訴えが今月、最高裁に退けられた。

 被害者は今後、原因企業に賠償を求める道を絶たれてしまった。法律の壁の冷酷さを思わずにはいられない。

 事件が発生したのは、1968年。カネミ倉庫が製造した米ぬか油を使った人々を、深刻な健康被害が襲った。

 吹き出物や色素沈着などの皮膚症状をはじめ、がんや死産も相次いだ。高齢化が進む現在も倦怠(けんたい)感や頭痛、関節痛など症状悪化を訴える人は多い。「病気のデパート」といわれる多様な全身症状が患者を苦しめる。

 原因は製造過程でのPCB混入だとされたが、後にPCBを加熱してできる猛毒のダイオキシン類が主因と判明。2004年には認定基準にダイオキシン類の血中濃度が加えられた。

 民法は損害賠償の請求権について、不法行為から20年まで、とする「除斥期間」を定めている。カネミ油症について最高裁は、その起点を「遅くとも米ぬか油を食べた69年末」とした一、二審の判断を支持した。

 原告の多くは、認定基準が見直された04年以降の認定患者。それが89年には請求権がなくなっていた、という判断だ。原告が反発するのも当然だろう。

 当初、1万4320人が保健所に届けた食中毒事件だった。だが認定された患者は、昨年度末までに死者も含め2276人のみ。差別を恐れて申請しなかった人もいるが、認定基準が狭すぎるとの批判が根強い。

 救済金も十分ではない。認定患者にはカネミ倉庫が一時金23万円と医療費の自己負担分を支払う。12年施行の被害者救済法で、毎年認定患者に行う健康調査の協力者に国が19万円、カネミ倉庫が新たに年5万円の一時金を支払うようにはなった。

 だが、たとえば1人210万円などを支給する水俣病救済策と比べても、あまりに低額だ。

 救済法は、一定条件で認定患者の同居家族も認定するよう間口を広げた。だが、重病者も多い未認定患者や2、3世の被害者など、制度の網から漏れた人々の救済には手つかずだ。

 政府は今年の秋口、救済法施行から3年後の見直しを行う。司法による救済ができなかった分、政治への期待が高まる。

 もともと議員立法でつくられた法律である。これから始まる作業の中で、国会も救済の質を高める責任を果たすべきだ。