『島耕作に知る「いい人」をやめる男の成功哲学』(講談社)

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 ともに売れっこ漫画家にして、おしどり夫婦──。それが『島耕作』シリーズでおなじみの弘兼憲史と、『東京ラブストーリー』で知られる柴門ふみ夫妻だ。漫画界の大物カップルとして知られる2人だが、結婚35年目にしてまさかの"熟年離婚危機"が囁かれている。しかも、世間でもよく聞く、妻からの最後の反撃というかたちで――。

 根拠になっているのは、「婦人公論」(中央公論新社)6月23日号に掲載された柴門ふみの『浮気よりも許せなかったのは家族の無関心』という衝撃的タイトルがついたインタビュー。

「私は夫の本性を見抜くことができないまま結婚し、やがて『こんなはずではなかった』という苛立ちを覚えるようになったのです」

 いきなりこんな告白からはじまるこの記事には、夫・弘兼への長年の鬱憤、そして仰天のエピソードがこれでもか、とばかりに明かされている。

 まずは新婚時代。子どもが欲しいと切望する柴門に対し、弘兼はそれをこう拒否したという。

「自分に似た人間が存在するなんて気持ち悪い」

 しかし、柴門はそれを受け流し、「子どもができれば変わるはず」と気軽に考えていた。そして25歳の時に長女を出産。でも、夫の生活は変わるどころか、家庭に存在さえない"不在夫"であり続けた。

「今もそうですが、夫が仕事を休むのはお正月の3日間だけ。残りの362日は休みなしで働き、家族と過ごす時間はほぼありません」

 幼い長女と長男と直接話をしたことはほとんどなく、ドライブもたったの1度。「それでいてゴルフには行くし、夜の銀座にも足しげく通って」いたという。

 息子とのキャッチボールなど、父親らしいことをしてほしいと柴門が言っても、弘兼は「俺は親に遊んでもらったことがないから」と一言。それどころか、夫婦でどこかに出かけるという話になったときに、弘兼は「子どもは置いてこいよ」と言い放ったという。

 当時は、弘兼だけでなく柴門も売れっこ漫画家として多忙を極めた時代だ。『東京ラブストーリー』『家族の食卓』(ともに小学館)などのヒット作を連発し、柴門のほうが売れっ子だった。それでも、家庭のことはすべて柴門まかせ。

 その後も弘兼の態度はまったく変わらなかった。家庭内でトラブルがあっても、逃げ回り、自分の両親の介護にも、息子の進路相談にも無関心。いくら団塊・昭和世代といっても、あまりに極端な弘兼の態度。鈍感というより、どこかおかしいのではないかと心配になるほどだ。

しかも、たび重なる浮気もあった。だが、あるとき証拠を突きつけると、弘兼は浮気を認め、こう言った。

「俺はモテるんだから仕方ない」

 育児もせず、家庭サービスもせず、自分の遊びと浮気だけはする。浮気が発覚しても開き直る。

 なぜ、これまで離婚しなかったのか、と不思議になるくらいだが、しかし、柴門が離婚を決意できなかったのは、弘兼の「何があっても離婚だけは絶対しない」という、これまた身勝手な態度によるものだったらしい。

「幾度浮気を繰り返そうと、それは家庭とは別のことと考えているらしい。夫が大事なのは、自分自身と仕事。それを投げ出してまで、何かにのめり込むことはしないのです」

 うーん。たしかに、弘兼は憲法改正、原発推進論者で、政治的にはかなりのタカ派だが、家族や女性に対してもここまで保守的だったとは......。『島耕作』シリーズや最近の『黄昏流星群』シリーズの登場人物に、フェミニストっぽい台詞を言わせたりしているのは、ただのポーズだったということか。

 そういえば、先頃も安倍政権が掲げた「女性の活用」に対し、弘兼は「SAPIO」(小学館)15年2月号で「育児に熱心な男は出世しない」「イクメン部下は仕事から外す」「子供の行事よりも仕事を優先させよ」などと持論を展開。炎上騒動を起こしている。

「男はバリバリと仕事をし、女をとっかえひっかえ」。弘兼の根底にあるのは、単なる67歳のオヤジのメンタリティ、その政治姿勢同様の"男権主義"だったということらしい。

 しかし、2人の子どもも独立したいま、妻・柴門はとうとう反撃に出た。メディアでここまで暴露したということは、2人はやはり、このまま離婚に突き進むのだろうか。

 だが、インタビューを読むと、柴門はどうも離婚を決意したわけではないらしい。柴門は時が経つにつれこう思うようになったと告白している。

「夫に悪気はない。だから私が何かに傷つき、苛立っているのかわからないのだ、と思いましたね」

さらに、弘兼はいい人だともち上げ、4年前から既に半別居状態で、それが良い距離感を生んだと現在の心境を振り返っている。

 いやはや。長年、"男根主義"に支配されたことで感覚が麻痺してしまったのか、あるいは諦めの境地なのか。ここまで暴露しても結婚生活を継続する。夫婦というのはつくづく不思議というほかない。
(本田コッペ)