2015年06月21日

三浦 諸磯神明社小桜神社 〜巡礼の旅(221)〜

諸磯(もろいそ)神明社小桜神社にて光の柱を降ろして白龍が解放され、城ヶ島海南神社にて光を降ろして光の柱が立ち、城ヶ島・安房崎にて光を降ろして、房総半島と三浦半島が光でつながった、三浦半島巡礼の旅

4月21日(火)、私たちは海南神社を後にして、諸磯神明社小桜神社に向かいました。諸磯神明社小桜神社は、神奈川県三浦市三崎町諸磯にある神社で、祭神は、天照大神、大日孁貴命(おおひるめのむちのみこと)、日本武尊、大山咋命(おおやまくいのかみ)といいます。約10分、車で走って現地に到着しました。

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諸磯神明社小桜神社は海の側に鎮座する神社でした。諸磯神明社小桜神社は、通称小桜神社と呼ばれ、16世紀の武将で相州三浦新井城主、三浦道寸の嫡男荒次郎義光に嫁いだ小桜姫の伝説が伝えられています。1512年、小田原の北条早雲は関東を支配下に置くため三浦一族の岡崎城、住吉城を次々と攻略して行きました。

荒次郎と小桜姫の新井城が最後の砦となりました。戦いは長期戦となり新井城に籠城すること3年、ついに武運尽きた三浦一族は、三浦道寸と荒次郎の親子をはじめ多くの兵士が討死し、1518年、滅亡したといいます。車を降りて、鳥居をくぐって参道を歩いて社殿のある境内に着きました。

社殿の左手には、稲荷社と小桜姫を祀る若宮社がありました。社殿の右手にも、石祠の境内社がありました。社殿の前で、この地を開きに来た旨を宣言して、背後の山を意図して境内全体に光の柱を降ろしました。「白龍が解放された」と伴侶が伝えて来ました。諸磯神明社小桜神社の解除を終えて、城ヶ島海南神社に向かいました。

15分程、車で移動して現地に到着しました。城ヶ島海南神社は、神奈川県三浦市三崎町城ヶ島にある神社で、祭神は藤原資盈(すけみち)、源頼朝、楫(かじ)三郎とされます。城ヶ島海南神社は、三崎の海南神社を分霊したものだといいます。社殿の前で解除の宣言をして、全体に光を降ろしました。「光の柱が立った」と伴侶が教えてくれました。

城ヶ島海南神社を後にして、城ケ島の安房崎の洲の御前社に向かいました。車で数分移動し、車を降りて安房崎方向に歩いて行きました。時間の制約があったので、海辺から遠隔で光を降ろすことにしました。洲の御前社を含めた城ヶ島と三浦半島全体を意図して光を降ろしました。「房総半島と三浦半島が光でつながった」と伴侶が伝えて来ました。

東京湾を封じる闇のゲートが光のゲートに変わったのです。地球は光と闇を交互に繰り返して来ました。房総半島と三浦半島は、闇の広げて光を封印する闇の役目をしていました。しかし、今、光を広げる光の役目に反転する時に来ています。東京の地が開かれて光が広がり、日本が輝いて行くことを願いながら家路につきました。

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posted by 地球の子 at 22:20| 神奈川県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする