[専門家が語る]コンプライアンスを学ぶ本当の意義とは?
コンプライアンスの理解を深める「ビジネスコンプライアンス検定」。3つの問題を通じて、現在自分がどの程度コンプライアンスの意義を正しく理解しているか、確認してみよう。
2015年06月12日 公開
戦後日本の技術力を世界に知らしめたソニー。井深大氏とともに同社を創業した盛田昭夫氏は、世界で最も尊敬される日本人の一人だ。なぜ、ソニーは世界に衝撃を与えるイノベーションを起こせたのか? そのヒントが、彼の残した言葉からうかがえる。盛田氏がいた頃のソニーを知り、『プレイステーション』の生みの親として知られる久夛良木健氏にお話をうかがった。
私がソニーに入社したときには、井深大さんが技術部隊を、盛田昭夫さんが営業部隊を率いる体制ができていました。エンジニアの私が日常的に接する機会があったのは井深さんでしたが、当時、東京・御殿山にあった本社に開発部も展開していたので、盛田さんの言葉も直接聞ける機会がありました。
井深さんや盛田さんが姿を見せるときは、いつも私たちと同じ濃紺の作業着姿。ソニーは誰でも「さん」づけで呼びあうカルチャーでしたから、まだ新人の私も、声をかけるときは「盛田さん」です。おそらく、他の同じ規模の会社では想像できないほど、創業者と社員の距離が近かったと思います。
本社の建屋には小さな講堂があり、そこで、よく井深さんと盛田さんが、社員を前にいろいろな話をしてくれました。「ソニーはいつでも先駆者である」「みなさんでどんどん新しいことや楽しいことにチャレンジしよう」といったメッセージを繰り返し語っていたのを覚えています。
「人がやらないことをやりなさい」「好奇心を失ってはいけない」とも常におっしゃっていました。「これぞソニースピリットだ」と思えるような言葉が次々と飛び出してくる。きっと、お二人の創業者としての思いを、私たちに伝えていたのでしょう。
後年、プレイステーションを開発し、ソニー・コンピュータエンタテインメントを創業したときも、「新たなるソニースピリットを自らも体現したい」という強い思いがありました。従来の常識や既成概念に囚われず斬新な技術の開発に果敢にチャレンジしましたし、販売網も独自の流通チャンネルをメンバー一丸となって世界規模で開拓しました。
また、「プレイステーションに全てが集まる」をキーワードに、ゲームソフトだけではなくハードの開発においても、ソニー内だけではなく世界中のベストプラクティスを結集しました。
ソニーはエンジニアリングで世の中のライフスタイルを変える会社だと私は思っています。従来のやり方を踏襲していたり、社内だ社外だと区別したりしていては、世界を変えることなんてできなかったでしょう。
プレイステーションに関して、盛田さんから発せられた印象深い言葉を、今でも覚えています。
試作機も完成し、ソニー・コンピュータエンタテインメントの立ち上げも決まって、いよいよこれからというとき、ソニーの大先輩たちが「プレイステーションを盛田さんに見せに行こう」と言い出したのです。当時、盛田さんは経団連の会長職に就く準備のため、ソニーの経営から距離を置かれ、赤坂アークヒルズに事務所を構えていました。そこへソニー・コンピュータエンタテインメントの創業メンバーでうかがうことになりました。
プレイステーションを見るなり盛田さんが言ったのは「これだよ! 僕はこういうのがほしかったんだ」というひと言。ものすごく嬉しそうに破顔されたのを覚えています。あとはひたすら「どう操作するの?」「なるほど、こうやればいいんだ!」と遊ぶのに夢中でした。
実は、ソニー内部でもプレイステーションの開発には否定的な見方がありました。「ソニーが玩具を作る必要はない」と考える人が少なからずいたのです。だから私たちも、盛田さんに会うまでは、内心、不安もあったのですが、「これだよ!」のひと言がそれを吹き飛ばしてくれた。本当に嬉しかったし、大きな自信になりました。
それが1993年10月22日のことです。翌月、盛田さんは突然、病に倒れました。あの言葉を聞けたのは、本当に奇跡的なタイミングだったのです。
ソニーは昔、コンピュータの分野にチャレンジしたものの、うまくいかずに撤退したことがあったそうです。だからなのか、盛田さんにはコンピュータへの憧れがあったらしい。これは、あとになって知ったことですが。
中谷巌氏の『日本企業 復活の条件』(東洋経済新報社)という書籍で、盛田さんがこう述べているのを読んだことがあります。
「私は任天堂という会社はビジネスの分野で新しい境地を開いた点では大変なイノベーターだと思います。ですから、我々のやっている音楽や映画についてのソフトウエアも、(中略)ただハードウエアの上に乗っけるというようなことから、もう一歩前進していく必要があると考えています」
こうした思いがあったからこそ、それを実現したプレイステーションが目の前に現われたとき、「これだよ!」のひと言が出てきたのではないでしょうか。
ただ、ウォークマンを例外として、盛田さんが我々に「こういうものを作れ」と言ったことは一度もありませんでした。エンジニアたちが、それぞれ自分の興味のあるテーマに取り組む。そして、それをオープンにして、誰にでも教え合う。そうした中でイノベーションが起こっていく。つまり、「オープンイノベーション」が起こる場が、私のいたソニーという会社でした。
井深さんや盛田さんはエンジニアをリスペクトし、それをことあるごとに言葉にしていました。私たちはそれに鼓舞され、エンジニアであることを誇りにしてきました。盛田さんはこんなことを話されています。
「製造業やハイテク企業を、ビジネスだけでなくテクノロジーも熟知した人材が率いていかなくてはならない」(名誉大英帝国勲章受章時のスピーチ)
こうした言葉は、今の日本でイノベーションを目指すエンジニアたちにとっても、きっと励みになるはずです。最近、ソニーに招かれて、井深さんや盛田さんがいた頃の話をする機会がありました。みなさん、非常に熱心に聞いてくれましたね。今の人たちにも、何か感じるところがあったのでしょう。より多くの人たちにソニースピリットを持ってもらい、世の中を変えていってほしいと思っています。
「ソニーというのは生意気な人の個性を殺さない会社」
「人類には輝かしい未来がある」
「他人と同じ考え、同じ行動をしてはいけない」
「人は誰でも種々様々な能力を持っている」
「いいと思ったことは実行する勇気が必要」
「好奇心のない人間に用はない」
盛田昭夫(1921〜99)
愛知県生まれ。第2次世界大戦中に出会った井深大氏とともに、46年、東京通信工業(現・ソニー)を設立。日本初のテープレコーダ、日本初のトランジスタラジオ、世界最小のポケッタブルトランジスタラジオなどを次々と発売。60年、米国法人を設立し、社長に就任。71年、ソニー社長に就任。76年、同会長。
<取材・構成:塚田有香 写真撮影:江藤大作>