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1. 私は博士論文(東大)を発展させた『平和教育の思想と実践』(同時代社、二〇〇七年)と「記憶の風化と歴史認識に関する心理歴史的研究−抵抗と転向の転倒−」(『社会教育学研究』第十二号、二〇〇七年四月)において、天皇制ファシズムと軍国主義に抵抗し、戦後は民主教育、平和教育を推進した宮原誠一や、軍国主義天皇主義の将校であったが戦後マルクス主義教育学者となり、やはり民主教育、平和教育を推進した五十嵐顕を中心に考察したが、その中で治安維持法の特高警察にも屈せず非転向を貫いたとされる宮本顕治を検討し、疑義を提起した。ただし、後者は端緒的な作業であり、ここではこの考察を全面的に展開する。 宮本を検討した「「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて−」は「記憶の風化と歴史認識に関する心理歴史的研究−抵抗と転向の転倒−」の構成の中でも、3の(3)として、小項目である。しかも3の表題は「家永三郎の柳田批判と戦争責任を捉える観点」で、宮本には言及していない。 これは構成としても、表題としても不適切であるが、この時点では、意図的に、そのようにした。以下、理由を述べる。 『平和教育の思想と実践』は、博士論文を発展させたものである。そして「記憶の風化と歴史認識に関する心理歴史的研究−抵抗と転向の転倒−」は、博士論文執筆過程における指導により削除した部分を集めたものである。博士論文の審査は5名でなされ、全員が合格と認めるようにするためには、危険性をできるだけ軽減させなければならないということが、暗黙の裡に示唆され、私もその通りと判断した。 合格した後、このような配慮は必要なくなったが、それでも、合格と認めた審査員が心外だと感じるようなことは仁義に反すると考え、削除部分の公表はしばらく控えるようにした。しかし、公表したいという思いは強かった。この背反の妥協として、部数が少なく、字数の制限のない『社会教育学研究』に掲載することにした。 それでもなお宮本顕治の部分には気を遣った。そのため、分かりにくい部分に挿入した。謂わば、家永や柳田を煙幕にして、宮本を目立たないようにしたのである。 その後、七年も経過し、このような気遣いも不要と判断し、また、一昨日のブログの日本共産党の部分への反響もあり、ここに説明した。 なお、以下のサイトはとても参考になる。このサイトには感謝する。 山田正行PDFリンク+(宮地作成・仮説の追実験結論)=第3部 http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/yamada3.htm 2. 宮本の疑惑は奥深く、しかも彼個人に止まらない。政治や権力の闇が、宮本を通して、その姿をわずかに現したと言える。宮本という人物だけなら、研究する気になどならない。 私から見れば、柔道少年が時流に乗ってマルクス・ボーイになり、権力に目を付けられ、脅され、操られ、買収される中で、無数の善良で真面目な党員や支持者を欺いて、ちっぽけな野心を満たしたスパイである(戦前は獄中スパイ)。 彼の謀略は、筋金入りのスパイ(最優秀の忍者の末裔)たる野坂参三の国外活動(コミンテルンや延安など)と呼応した国内活動と言える(二人に限らず、もっと大物がいたと私は睨む)。 そして、敗戦による体制的な危機により日本に共産主義が一気に拡大する中で、この二人は各々の役割を果たし、共産主義的暴力革命を議会主義的平和革命に変えた。 私は学生時代に平和革命路線を学び、実践に努めたが、その後、この路線の核心をなすマルクス主義がスターリニズムや毛沢東思想となり、大規模な虐殺や迫害を繰り返したこと知り、野坂や宮本たちスパイが日本共産党を牛耳り共産主義革命を阻んだことは、大局的には是とする。 それでもスパイは追及されねばならない。彼らにより、善良な人士がどれだけ義性になったことか?! 3. 「「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて−」を公表してからも、少しずつ情報を収集し、加筆している。それをブログに掲載したいと考えているが、戦争の歴史認識をめぐる研究もあり、なかなか余裕がない。しかし、これを契機に、逐次、公表し、批評を仰ぎたい。 |
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