「原発の町を追われて ―避難民・双葉町の記録―」上映会&トークin亀戸に参加してきました。
秋葉原に行って,さまざまな資料をネットカフェで印刷した後に,
7/6(土)に「原発の町を追われて ―避難民・双葉町の記録―」上映会&トークin亀戸
http://san-ya.at.webry.info/201306/article_4.html
に行きました。
確かここの住所も印刷したはずにしていたのですが,亀戸に着いてみたら印刷してなかった!
そこで歩き回って,青少年センターとか図書館とか行ったのですが違っていて,図書館の人に聞いて,図書館にパソコンがあったのでそこで検索して詳細な場所が分かったのでした。
肝心なところが抜けているのはいまも変わりません。
ネットカフェでも,一度必要な資料をすべてプリンタに送ったのですが,すべてカラー設定で,1枚50円かかったので,これが50枚以上だとけっこうシビレルので,再度すべてプリンタに送り直しました。
このために30分くらい余計に時間が取られました。
背に腹は変えられんけど,200円くらい損した。
まあ,50円が50枚で2,500円のところが500円で済んだので,再度やり直した価値はあったのですが。
さて,上映会では福島原発事故でさいたまスーパーアリーナ→埼玉県加須市旧騎西高校に避難した,双葉町の人々を追ったドキュメンタリー映画でした。
原発自体の描写はあるかと思ったらありませんでした。
双葉町の人々の思いがいろいろ羅列されていました。
羅列されているのはいいのですが,監督の観点が描かれていないように思って,質疑応答で,
避難民が損害賠償を請求しようと声を上げている描写があったが,2年間で避難当時1400人→現在100人となった旧騎西高校の避難民,しかも老人ばかりとなった避難民が,今後どのように損害賠償を請求しようとしているのか?
と聞いたのですが,監督さんもそこは分からないような旨をお聞きしました。
実際,田舎の人々が一致団結するのが難しいのは分かるのです。
後で聞いたところによると,一時金で月1人当たり10万円(何ヶ月かは分からないが)もらえていたりして,5人家族だと50万円ももらえていたりして,それで満足している人も大勢いて,その上で損害を請求するのはおかしいのではないか?という雰囲気もあるようです。
しかし,ほかの人々も言っていたのですが,復興とは,震災以前の生活に戻れることなのです。
たとえ築200年の旧家で評価額がほとんどなかったとしても,その生活を取り戻すには莫大な費用がかかるため,そこまで考えて行かねばならないと思いました。
トークの中で,実際に原発の除染活動に従事した方のお話もあったのですが,東京電力は下請け,孫請け,さらにその下・・・に対して非常に高圧的な態度に出ているようです。
東京電力が一方で作業員に高圧的な態度に出て,一方で原発被害のある方々に真摯な態度を見せず,東京電力が一心に悪者であるように思ってしまい,質疑の中でも東京電力を糾弾する声が多かったのですが,原発を推進する費用や枠組みは政府/官僚が決めており,東京電力ではなくむしろ日本政府の原発行政に対してもっと声を上げていかねば,なかなか有効な手は打てないと思いました。
しかし,活動家の人々に対してそのように啓蒙するのはこれまた難しそうです。
明日,原発関連の集会が新大久保であるらしいので,AKBの握手会に行ってとがちゃんに吠えてから,こちらに参加しようと思います。
また,山谷労働者福祉会館に送ったメールは一応読まれていたそうです。
ただ,このメール担当の方が,穏やかそうに見えて結構クセモノの予感・・・
とりあえず,会館は基本的に日曜くらいしか開いてないそうです。
平日も夜間は開いていますが,忙しくしているので応対はしづらいとのこと。
日曜日に炊き出しをしているそうですが,明日はAKBの握手会なので無理なので,来週日曜に行ってお話を聞いてもらう約束を取り付けました。
ワタシも着実に行動しているでしょ?
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