デザインの見た目やセンス軽視に対する気持ち悪さ

WDF Vol.18に登壇したときの写真
先日セミナーでセンスについてお話ししたのでこの記事を書いてみました

最近、「デザインは見た目じゃない」とか「センスは必要ない」とかいう声が特にWebデザインやUIデザインな人たちからチラホラと聞こえてくるような感じがします。

この業界でやってきた人間として、あまりにも価値観を「こうあるべき」とか「こうあってはならない」と二極化する考え方が正直気持ち悪く感じます。

センスは資産です

そもそも人それぞれ違う環境で生まれ育ち、違うものを学んだり関心を抱いた感覚(センス)とともに成長した結果が今だと思います。
例えば私は鹿児島の片田舎のクリーニング屋で生まれ育ち両親は常に家で働いていたので、幼少のころは子供ながら、四六時中親がいるのが正直うっとおしく思っていました。
ところが、晩御飯時も両親が共働きで家にいない友人もいたり、両親が離婚して片親で過ごした友人もいます。
彼らの気持ちになってみよう、というのは口でいうのは簡単かもしれませんが、おそらくその境遇を体験しなかった人であれば理解することすら困難でしょう。
ひとそれぞれ境遇が違うと感じることも様々です。
センスとは「物事の微妙な感じをさとる心の動き。微妙な感覚。」と言われています。
繊細でその人の生きてきた体験が性格にまで影響するセンスというのは、第三者にはなかなか経験できないものだと思います。

これらの他人のセンスは、アイデアワークに重宝させてもらうことがあります。
「あ、この人はこんな風に感じるんだ」と自分にはない気づきを与えられることがあります。
センスというのは新しいサービスをブレストする際に、自分の数十年間では気づかないことを他人のセンスが気づかせてくれます。
ユーザーの価値を検証する行為は自分一人ではなかなかできない理由として、一人の経験だけでは価値感が偏り、検証しにくいことが挙げられます。
よって数人のチームでアイデアワークを行うことがありますが、それにより人のセンスに学びを得られるチャンスがあるはずです。
もっと人のセンスがいかに貴重で繊細なものかを学ばせてもらうくらいの気持ちが必要なのでは?と感じています。

見た目は大切ではないか

デザインは見た目のかっこよさじゃない、とかグラフィックツールを使うだけが能じゃないとか、最近よく言うひとがいるように思えます。
そしてそれは私自身もわからなくはないです。
でもその言葉を鵜呑みにした人のなかで、文字の詰め方がおかしかったり余白に一貫性がなくてもいいんですね?と考える人がいないとも限りません。それは違うと思います。
エンジニア、デザイナー、色々な職業がユーザーにサービスを届ける仕事という意味では共通していると考えられますが、デザイナーの仕事は常にユーザーの感情に触れやすい位置で仕事をしていると思っています。
感情を大切にしていきたいと考えています。

こんなことを言われ続けている背景として

欲しい情報がすぐに得られ、世の中便利であるがゆえ、よりユーザーの価値はサービスに対してシビアになりつつあると考えます。
結局見た目がかっこよくても、奇抜なセンスがビジュアルとして目立ったとしても、それ以前のデザイン工程としてユーザーへの価値がないものをビジュアルやセンスなどで塗り固めてよく見せようという行為に価値がない、といういままでの業界の積み重ねが「見た目やセンス軽視」につながっているのでは?と感じています。

しかし、デザインにおいて軽視するべきことや「こうあるべき」という考え方よりも、もっと柔らかくその都度問題を見つづけるというデザイン思考を持っておく。
それでいいのではないかと思っています。
見た目もセンスも大切にして。
あまり頑なに「こうあるべき」とか「こうあってはならない」という価値観にそんなに固執せず、やってみようというチャレンジこそが価値あることではないかと私は考えます。

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