昭和プロレス激闘史

柔道対レスリング、柔道対ボクシング、国際対抗試合(日本競技連盟)

  力道山、木村政彦に先がけて、昭和28年7月18日と19日に大阪府立体育会館で昼夜4興行を行ったのは山口利夫であった。この興行は「北九州水害義捐、東西重量級プロレスリング及び柔道対ボクシング試合」という名称で行われている。

  その直後の7月21日に木村が北海道で興行を始める。8月4日まで4興行が行われたが、これらは日本競技連盟主催の「柔道対レスリング、柔道対ボクシング、国際対抗試合」と呼ばれている。日程は下記の通り。


  日本競技連盟主催「柔道対レスリング、柔道対ボクシング、国際対抗試合」

    昭和28年7月21日(火曜日)、北海道札幌市/札幌市中島球場(18:00)
    昭和28年7月29日(水曜日)、北海道小樽市/小樽市営桜ヶ丘球場(18:00)
    昭和28年7月30日(木曜日)、北海道旭川市/旭川市営近文公園陸上競技場(18:00)
    昭和28年8月4日(火曜日)、北海道函館市/函館千代ヶ台球場(18:00)



(北海日日新聞、昭和28年7月30日付朝刊第4面、北海道立図書館所蔵)


  試合はすべてメインエベントが木村政彦対キング・サッファー、セミファイナルが市川登対キラー・マキシムであったようだ。サッファーは地中海沿岸ヘビー級王者、マキシムはウェルター級王者と紹介されている。どちらもトルコ人らしい。「レスリングルール」であると書かれているので、柔道対レスリングと書かれてはいるが、実際はプロレスの試合だったと思われる。

  前座は柔道対ボクシングの試合(柔拳マッチ)であり、ボクシング側はクレバー・マック(イタリア)、ワイルド・フランク(フランス)、ロイ・ジェームズ(アメリカ)、ストレート・ジャニー(トルコ)、柔道側は石井吉雄、飯田瑞穂、小山清、松岡秀雄、本郷浩、藤川雄一などである。ジェームズはその後、テレビタレントとして活躍することになる。

  試合の詳しい結果は別の機会に紹介する予定である。前座は当時頻繁に行われていたと思われる「柔拳」であり、純粋なプロレスの興行ではないが、プロレス興行の先駆的なものとして注目に値する。