井上達夫さん(東大教授・法哲学者)が「護憲」「改憲」両派それぞれの「自己欺瞞」の説への異議申し立てとしての「9条削除」論を提唱しています(朝日新聞 2013年10月26日)。井上さんの指摘する「憲法をめぐっては、護憲、改憲両派が互いを批判する声ばかりが耳に残り、『型通りの話』を超えた思考はなかなか深まらない。なぜか。自分の都合の良いところだけ憲法を『つまみ食い』する両派はともに、自己欺瞞にとらわれている」という問題提起はそのとおりだと私も思いますが、その問題提起がどうして「9条削除」論につながりうるのか?
井上さんのこの考え方は、井上さんが立憲主義を「立憲主義の基本は公正な民主的政治競争の条件と基本的人権、特に被差別少数者の人権の保障で」あり、「安全保障問題は、政治という闘技場の中で争われるべきことで、闘技場の外枠である憲法で規定すべきでは」ないと規定するところから生じる独自のコンセプションだと思いますが、「安全保障問題」を果たして「立憲主義」の「枠外」の課題として「20世紀(前半)解釈」的に解釈することは正しいことか? 「安全保障問題」も「平和的生存権」という立派な「人権保障の課題」といいうるのではなかったのか? それが先の大戦後に国際的にも提言、定立(日本国憲法)されてきた21世紀的課題というべきものではない(なかった)のか、という疑問は残りますが、「9条削除」論の前提となる井上さんの問題認識、問題提起そのものは私にもよくわかります。これもよく考えてみたい問題提起です。いま、「これも」と書きましたが、このエントリは「2つの問題提起 ――秘密保護法制定反対官邸前集会問題と大江健三郎らチシキジンの憲法改悪反対賛同呼びかけへの異議」の続きとして書いているものです。以下、井上達夫さん(法哲学者)の「護憲」「改憲」両派の「自己欺瞞」の説への異議申し立てとしての「9条削除」論。
憲法をめぐっては、護憲、改憲両派が互いを批判する声ばかりが耳に残り、「型通りの話」を超えた思考はなかなか深まらない。なぜか。自分の都合の良いところだけ憲法を「つまみ食い」する両派はともに、自己欺瞞(ぎまん)にとらわれているからだと、法哲学者の井上達夫さんは言う。さあまずは9条を削除して、自己欺瞞を乗り越えよ――。
――安倍政権は「集団的自衛権は行使できない」という従来の憲法解釈の変更を目指しています。
「集団的自衛権行使を容認すれば、日本は米国の軍事戦略に際限なく巻き込まれます。『集団的自衛権は憲法上NO』はそれに対する拒否権カードです。安倍政権が日本の外交力を強化したいなら、なぜこの『貴重』な対米交渉カードを自ら手放そうとするのか。理解不能です。日本は米国にとって必要不可欠かつ代替不能な戦略的拠点を提供しており、さらにこんな愚かな『貢献』をする必要はない。『米国は日本にそんなにひどい要求はしてこないはずだ』と考えているのなら、タカ派の平和ボケと言わざるを得ません」
「ただ一方で、『解釈改憲だ。許されない』とする護憲派の安倍政権批判にも、私は違和感を覚えます」
――どういうことですか。
「『自衛隊は9条2項が禁じる戦力ではない』という歴代自民党政権の詭弁(きべん)を追認した内閣法制局の見解も、明白な解釈改憲です。しかし護憲派の大勢はそれを黙認ないし是認している。集団的自衛権行使容認は政治的に筋が悪いですが、解釈改憲という点では同じです。自分たちに都合のいい解釈改憲ならOKというのは欺瞞です。こんな護憲派の姿勢は、憲法の規範的権威を毀損(きそん)し、『うそ臭い念仏』化させることに一役買ってしまったと思います」
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――護憲派は憲法を守ってこなかったということですか。
「護憲派は他人頼みなのです。『専守防衛で集団的自衛権はNO』を日本の公式見解として守ってきたのは、自民党と内閣法制局ですよ。護憲派はこの自民党と法制局の『自己規制』に頼りながら、それを自分たちの手柄のように言ってきた。安倍政権はいま、護憲派のこの甘えを突いてきています。集団的自衛権行使容認が目的の内閣法制局長官人事は大いに問題がある。しかし護憲派はそれに憤慨する前にまず、自分たちの欺瞞と甘えを反省すべきです」
「だからといって、改憲派には護憲派の欺瞞を難じる資格はない。『押し付け憲法』を改正して日本の国家的主体性を回復するのだと息巻く改憲派は、占領の主役だった米国に軍事基地を忠実に提供し続けている。さらに、集団的自衛権容認に向けた9条の解釈改憲で対米従属構造を一層強化しようと。これは究極の自己欺瞞です」
――ただ、自民党は集団的自衛権行使を可能にすると訴えて選挙に勝ち、民意を得たとの声もあります。
「集団的自衛権行使に道を開きたいのなら、憲法9条を改正すべきです。政治とは、政治的アクターがそれぞれの政策構想の実現をめざして闘うゲームで、憲法はそのゲームのルールです。だからこそ、プレーヤーが自分に都合のいいようにルールを変更できないよう、憲法改正には高いハードルが課される。これは立憲主義の要諦(ようてい)です。安倍政権は、96条改正でこのハードルを下げようとしたがうまくいかないので、改正手続きをバイパスする解釈改憲をしようとしている。これは立憲主義の否定であり、許されません」
「ゲームの勝者が好きなようにゲームのルールを変えられるというのは、単なる『勝者の正義』の押し付けです。勝者には、その勝者の正義を超える『正統性』の調達が要請されるのです。なぜか。敗者が『勝者の決定は間違っているが、次の挑戦機会に覆せるまでは尊重する』と言えるようなフェアなゲームのルールが保持されない限り、この政治社会は成り立たないからです」
「かつて中曽根政権は、靖国神社参拝問題に関する私的諮問機関のメンバーに違憲論の憲法学者、芦部信喜を加え、閣僚の公式参拝を容認する内容の報告書には違憲の主張があったことが付記された。中曽根政権にはまだ、批判者の意見も聞いたという体裁をとらないと正統性の調達ができないという意識がありました。しかし、安倍政権の諮問機関や法制局長官の人選には、このような最低限の正統性調達への配慮も感じられない。このような勝者の正義の押し付けは、政権の正統性も少しずつ掘り崩し、墓穴を掘る結果になるのではないでしょうか」
――しかしそういう状況に対する歯止めが見当たりません。
「理由のひとつに、日本の立法システムの基盤変動があります。立法過程において法制局や法制審議会などの専門家集団は強いチェック機能を有していましたが、これが弱まっています。選挙で勝った政治家が決めることに専門家は口出しせず援護だけしろ、というポピュリスト的な政治が人気を得ているからです」
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――右も左も欺瞞だらけだと。じゃあ、どうしたらいいでしょうか。
「9条は固守するでも改正するでもなく、端的に削除すべきです」
――条文まるごと、ですか。
「そうです。9条は、自衛隊の肥大化や、日本が米国の軍事行動に巻き込まれることを抑制してきた。しかしそれは事態の進行を遅らせる程度の抑止力でしかなく、既成事実はどんどん広がっています。イラク戦争への自衛隊派遣が好例です。人道復興支援などとごまかしていますが、イラクの抗戦勢力にすれば日本は完全な交戦当事国です」
「護憲派は9条だけは守っていると良心を満足させ、既成事実の拡大を止められない責任を深刻に自覚せずに済ませてきた。その積み重ねが、集団的自衛権の行使容認という新しい局面に対して、大規模な対抗運動を組織できない現状を生んでいる。法制局がダメだから、今度は公明党頼みですかと。護憲派は憲法を『凍結』させて9条の条文を守れればいいという甘えから脱却し、9条の思想を現実の政策に反映させるべく、民主政治の闘技場に自らの足で立ち、不断に闘うべきです」
「改憲派もそうです。押し付け憲法が日本をダメにした、9条が日本の国際的立場を弱くしたなどと、何でも憲法のせいにして自分たちの政治的主体性の欠如を隠蔽(いんぺい)してきた。責任転嫁できる9条がなくなったとき、米国に振り回されない主体的な安全保障体制を構築できるのか、国民にちゃんと答えてみなさいと」
――それは一種の精神論ですね。
「いえ、心構えではなく立憲主義の枠組みの問題です。立憲主義の基本は公正な民主的政治競争の条件と基本的人権、特に被差別少数者の人権の保障です。安全保障問題は、政治という闘技場の中で争われるべきことで、闘技場の外枠である憲法で規定すべきではありません」
「加えて、国際情勢の変化に応じて見直す必要のある安全保障戦略を憲法に取り込むと、憲法自体が時々の政治力学の変動に翻弄(ほんろう)され、解釈改憲へのインセンティブを生み、立憲主義は形骸化してしまいます」
――「あるべき論」としては理解できなくありませんが、ご指摘のようにこの国の政治が欺瞞で成り立ってきたのならば、そんな峻厳(しゅんげん)な「べき」を担えるとは思えません。
「少なくとも当分はそうでしょうね。まわりが欺瞞に浸っているときに、欺瞞の根を断てと主張する私のような者は狂人扱いされます」
「それにしても立憲主義の基本があまりに理解されていない。これは改憲派の方がひどい。96条先行改正のもくろみしかり、『土下座外交反対』を叫んで、政教分離違反という根本問題を無視する靖国公式参拝論しかりです。自民党憲法草案では基本的人権の不可侵性を宣明する97条が全文削除されている。特定秘密保護法案も、失政や悪政を隠せるように、知る権利や表現の自由を制約する口実を政府に与えています」
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――なぜ日本では、立憲主義が浸透していないのでしょうか。
「55年体制下で、軽武装と経済成長による利益分配政治への広範な国民的コンセンサスがあり、深刻な政治的対立も政権交代もなかったため、政治闘争を公正化するルールとしての憲法の重要性をあまり意識せずに済んできた。しかし政治的対立が先鋭化し、安倍政権が勝者の正義で政治を動かそうとしているいま、立憲主義の意義を国民も考え始めたのではないでしょうか」
――考え始めたということは、護憲派の「憲法凍結」もひとつの知恵だったのではないですか。
「憲法凍結論には、国民に憲法を変えさせると危ないという愚民観が漂います。しかし私たちは、そういう愚民観をもつエリートも含めて一様に、近視眼的利益や独善のわなに陥りやすい愚かな存在です。だからこそ、自分や他者の手痛い失敗から学び成長していくしかない。その試行錯誤の回路を凍結してしまっては、成長することができません」
「国民が自己の失敗から学び成長できることを信じられないのであれば、民主主義は成り立ちません。民主主義は冒険です。私たちは挑み続けていくしかないのです」(聞き手・高橋純子)
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いのうえたつお 54年生まれ。千葉大学助教授などを経て95年から東京大学法学部教授。主な著書に「世界正義論」「法という企て」「共生の作法」など。
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