当方女。
定まらないというより、相手のキャラクターに合わせて自分のキャラクターを変えてしまっているような気がする。
自分より高くかわいらしい声で話す女性には、声低めでガサツそうなキャラクター。
逆に落ち着いた雰囲気の人(男女問わず)と話すときには、こちらの声を高めにして、多少抜けているところがある風に喋る。
周りが自分より軒並み駄目そうなとき(めったにないが)は、できる限り自信があるような素振りをする。
男性と話すときは声のトーンが2段階ぐらい上がる。なんだかんだで愛嬌は大切だ。
あと、関西弁を喋る人には訛りを徐々に寄せていっている。出身地がそっち側なのでそうなる。他の方言は無理。
相手に応じてふるまい方を変えている、というよりは、“変わってしまって”いる。制御ができない。
おそらく、こうふるまえば相手からの好感を得やすいであろうと自分で判断したキャラクターになっているのだろうと思う。
困るのがガサツキャラで対応している相手と声のトーンを上げて喋るタイプの相手が同時に話し相手として存在するようなときだ。
自分の中でつじつまが合わなくなると、今まで自動的に表出していたキャラクターが機能しなくなる。こうなると手動で両方のキャラクターを調整し、なんとか軟着陸させなければならなくなる。超苦しい。
この場所ではこのキャラクター、と決めていれば、上記の謎の矛盾に苦しめられることがないと思うのだけれど。
私の場合、例えば人間関係の限定された職場のブース内でも冒頭の5種のキャラクターを使い分けようとしてしまう。正確には5種と言わず、相手ひとりひとりに合わせて微調整しがちだ。
もちろんこれを全開でやってしまうと非常に痛い人物になってしまうのはわかっていて、できる限り暴走を抑えて無難にふるまおうと心がけている。でも、そのとき自分が演じたいキャラクターはにじみ出てしまっていると思う。
パートナーから相手によってキャラクター全然違うよね、と指摘されて、やっぱり他人からもわかるのねと気落ちし同時に恥じた。
相手によってキャラクターを演じ分けるような賢しいことをしているのを看破されたのが恥ずかしい。でも自動的にやっちゃうものだしなあ。誰に対しても常に同じトーンでいられる人をうらやましく思う。