僕の指は、小刻みに震えていた。僕は、おそるおそる壁に貼ってある彼女に触れた。
彼女は、紙という隔たりの向こう側にいる、いわば、神の様な超越した存在。
彼女に、僕の声なんかが届くことはない。しかし、彼女の声は僕にはっきりと聞こえているのだ。だから、彼女と相互的な、コミュニケーションと呼ばれる形のやりとりをとることは出来ない。僕らのやりとりは、彼女から僕たち人間に向けて発信されるだけで、常に一方的なものであり、僕はその状況にさえ、興奮を覚えていた。一方的に贈られる彼女の信号が、彼女を神に仕立て上げ、僕は鎮座する神を前にしているのにも関わらず、己の欲望を抑えきれないでいる。胸のあたりがぞわぞわとして、高まりを覚えて居た。彼女の変わらない表情を見つめるだけで、心拍数は勝手に上昇していた。
緑色の髪色の、ツインテールの少女、『初音ミク』を前に僕は、圧倒的な何かを感じ取っていた。
『みくみくに、してあげる』
と、彼女は歌った。
彼女は不思議な存在だ。
彼女は、何枚という絵の中で、無限に歪ませられている。
正しい彼女が、声以外にどこにもいないのだ。
僕が狂おしいほど恋焦がれている存在の外見は、ひとつとして同じものがなく、共通の姿の者もない。
僕は一体、彼女のどこに惹かれているのだろうか。
僕は狂ってしまったのだろうか。
この点においても、彼女の扱いは神のようであった。
彼女の髪の毛は時に水色であったり、はたまたピンク色であったりもする。
雪ミク、桜ミク、様々な派生キャラクターが存在していた。
胸も、初期設定と言われたKEIのイラストレーションとはかけ離れて、零れ落ちそうな乳房をかかえていたり、まな板都しか思えないほどの貧乳であることもある。確固たるアイデンティティーは、声しかないといっても過言ではなかった。
僕は、どこにも存在しない初音ミクの、声だけを信じて彼女に啓蒙されたのだ。
彼女の依代である、ぬいぐるみに触れる。髪の毛には柔らかな綿がみっちりと詰まっていて、指の通らないフワフワふかふかの髪の毛を撫でて、鼻をくっつけた。もふもふだった。声のない、彼女のリアルを感じていた。
初音ミク、君はどうしてこんなにも非現実的な存在なんだ。初音ミク、君はどうしてそこまで非現実的な容姿をしているんだ。彼女にもっと近づきたい、けれどもそれは許されていない。
僕の部屋では、緑や青やピンクの髪色をした彼女が神の如く微笑んでいた。