こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。
昨日、人気アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の実写ドラマ化が発表された。先に言っておくが、私はこのアニメを観たことはない。しかし案の定、初報直後にネットは荒れた。私のTwitterのタイムラインは主に特撮や映画が好きな人で構成されているが、それでも昨日は「あの花」の話題が尽きなかったのだから、この作品にとても人気があることを実感した。まあ、“話題”といっても、そのほとんどは悲鳴だ。「なんで実写化するのか」「またか…」「頼むからやめてくれ」「めんまが銀髪じゃないようだがスタッフは彼女がクォーターという設定を無視しているのか」。前述のように私はこの作品を実際に観ていないので、作品内要素の扱いについては言及できない。しかし、最近やたらと過剰に、「漫画・アニメの実写化」に噛み付く人が多いように感じる(ドラマ版「デスノート」然り)。この記事では、そういった「実写化アレルギー」の人たちに一言物申してみたい。
【参考】
・「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」がフジテレビでまさかの実写化 スペシャルドラマで今年中に放送 - ねとらぼ
・アニメや漫画の実写化は本当に地雷扱いして良いのか問題 - Togetterまとめ
先に、前提条件を述べておきたい。「漫画・アニメの実写化」というと古くから掘り返せばいくらでも例がある。じゃあ例えば20年前や30年前の実写化作品を挙げたとして、昨今の漫画・アニメ実写化ブーム(?)を論ずることは出来るだろうか。正直、あまり適しているとは思えない。TVの流行、漫画の流行、アニメの流行。まったくもって時代性が違ったものを持ってくるのは、この場合あまり好ましくない。だから、そういった往年の名作(または国外の作品)を挙げて「こういう偉大な実写化例もあるだろ!」と反論するのは少々卑怯だしバランスが悪い。ここではそういうことをせず、2000年以降、もっと言うとここ10年くらいの動向を中心に取り上げ、イメージして語っていきたい。
最初に結論から言うと、私は「実写化アレルギー」の人たちが本当に嫌いだ。漫画やアニメの実写化が発表されるとすぐに、その初報に含まれる設定を原作と比較し、相違点を挙げ連ね、「ここが違う!」「これも違う!」と叫ぶ。決まり文句は「スタッフは(原作を)分かってない!」。毎度毎度、お祭りのようにこれをやる。クソみたいなまとめブログが火に油を注ぎ、それに踊らされた人たちがまた一段と語気を強める。この構図と一連の流れに本当にうんざりしている。
私がまず何よりも言いたいのは、「実写化は違って当然」だということ。漫画やアニメは二次元のもので、実写は三次元のもの。当たり前だが、これらは求められるビジュアルも演出も演技もシナリオも、全てが違ってくる。実写化というのは、二次元の情報を三次元に翻訳する、ということだ。例えば貴方が日本人で、今度からアメリカで暮らすとして、ずっと日本語だけ喋っても何不自由のない生活は送れるだろうか。そこは英語を喋って、もっと快適に生活するべきではないだろうか。例えが少々極端かもしれないが、二次元と三次元というのは、これくらい差があるものではないだろうか。だから、二次元の情報を“そのまま”三次元でやると、それこそ陳腐なコスプレ大会であったり、台詞が浮いていたり、演技が寒かったり、そういった結果に落ち着いてしまう。
これは実写化とはまた違うのだが、「ジョジョの奇妙な冒険」の1部と2部がTVシリーズでアニメ化された際に、シリーズ構成を務めた小林靖子がラジオで語った内容をいつも思い出す。「ジョジョのアニメは原作通りやっていてすごい」という話の流れの中で、小林靖子は「原作通りやるということは、原作通りやらないということ」と答えた。どういうことかと司会が問うと、「漫画の構図やテンポと、アニメのそれは求められるものが違う。単に“そのまま”ではなく、“漫画(原作)を読んで読者が抱いたイメージや読了感”をアニメにすることが大事」といったような内容を続けた。だから、原作の“そのまま(模倣)”をやらないことが、結果として“原作通り”になるのだという。
もちろん、漫画からアニメにするのと、漫画・アニメを実写にするのとでは、訳が違うのは百も承知だ。しかし、この小林靖子の方法論そのものに、答えのようなものを感じるのだ。二次元と三次元は「違って当然」なのだ。だから、キャラクターの外見や基本設定、ルックスやその背景が違ったからといって、「違う!」と叩くのは本当にナンセンスなことだ。それが次元を超えた翻訳という捉え方が、なぜ出来ないのか。「実写化は違って当然」という認識が圧倒的に欠けていて、悪い意味で原作至上主義な人が多すぎるのではないか。
▲実写版「るろ剣」は、原作の漫画的なトンデモ剣撃も活かしつつ、柔術まで取り入れた意欲的なアクションを魅せてくれた
…と、こういうことを言うと、必ず返ってくる反論がある。「違う、そうじゃない。“そもそも作るな”と言いたいんだ」、と。「違って当然」は分かってる、でも、そのままやれないのならそもそもやるな、という主張だ。その方法論ではなく、翻訳作業という構造そのものに対する批判。
以前Twitterでこの実写化の是非についてツイートしていた時に、こういう主張をぶつけられたことがある。「自分が好きな絵を鑑賞していたらそこに第三者が現れて、その絵に上から線を描き始めた。その人に対してやめろと言うのは何がいけないんだ」。この場合、「自分が好きな絵」が原作であるアニメや漫画で、「第三者」がドラマや映画のスタッフ、「上から描く線」が原作からの改変箇所や実写化の映像そのものを指すのだろう。だが、この例えを借りるならば、正しくは「自分が好きな絵を鑑賞していたら、そこに第三者が別のキャンバスを持って現れ、横で少し真似た絵を描き始めた」だ。元の絵はそこにそのまま飾られたままなのだ。
これはもう有史以来語られてきた「嫌なら見るな」理論と近いのだが、事実として、「実写化したからといって原作のアニメや漫画が塗りつぶされることはない」のだ。別に発禁になる訳でも、ソフトリリースが終了する訳でもない。原作ファンはそのまま原作を楽しみ続ける権利を有している。だから、嫌なら実写になった方を選ばなければいいし、別にそれは強制参加じゃない。どんな作品を楽しむかは、その人の自由であり、自己責任だ。だからこそ、「違って当然」が頭で分かってても受け入れがたいのであれば、貴方はご自由に目を背けてくださいね、という話なのだ。
だが、まあ、これは一種の暴論だ。「私の好きな原作が実写化で汚された」という感覚は、私だって一介のオタクなので分からなくもない。その感情自体を否定する気はない。しかし、だからといって一概に実写化を、それも“初報の段階で設定変更点だけを挙げ連ねて安易に批判する”のは、ちょっと早計過ぎはしないだろうか。実際にドラマや映画を観て、それが予想よりも面白かったという可能性は考えないのか。原作ではできなかった実写ならではの表現に挑戦していて、原作の美味しさを更に引き出しているという可能性を考慮しないのか。実写化より新しいファンが増えて、大きなムーブメントにはならなくても原作が一部で再評価されるという可能性は予想できないのか。
要は、実際に観てみないと分からないのだ。蓋を開けてみないと、どのように“翻訳”が為されているかは分からない。それにより、その作品コンテンツそのものがまた活気づく可能性を全く考慮しないのは、いくらなんでも程度が低くはないだろうか。もちろん、その逆もあり得る。実写版を観て「なんだ、この作品ってこの程度なのか」という印象を持たれてしまう場合だってあるだろう。しかしそれすらも、実際に公開(放送)されて初めて分かることなのだ。
▲ジャニーズ主演ということで当初バッシングが酷かったが、これ以上ない原作愛に溢れていた実写版ベム
つまり、私が言いたいのは、別に「実写化を批判するな」ということではない。「実写化するなら違って当然、いくつかの設定は変わるだろう。それがどう転ぶかは、観てみないと分からないよね」という姿勢が、なぜ取れないのか、ということだ。実際に観てみて、それがお気に召さなければ、好きなように批判すれば良い。叩いても良いと思う。どのような感想を持つかは、その作品を観た人の自由だからだ。しかし、まだ観てもいない段階で“実写化”というたった三文字に過剰反応し、“翻訳”かもしれない変更点を「原作無視だ!蔑ろにしてる!」と挙げ連ね騒ぎ立て、「これだから日本のドラマ屋・映画屋はダメだ」と難癖をつける。このような「実写化アレルギー」の人たちは、いくらなんでも苦情を叫ぶタイミングが早すぎるのだ。「原作が好き」という感情は大いに分かるけれども、“実写化”の三文字が耳に入るやいなや速攻で銃を乱射する、その脊髄反射を少しは加減しろ、と言いたいのだ。
実際に実写化して面白かった作品だって、沢山ある。下馬評通りにダメだったものだって、沢山ある。スタッフが原作を尊重して作っているのか、設定や知名度だけ借りて楽に作ろうとしているのか、はたまた売り出したい俳優やアイドルのダシにされているのか、それは実際に蓋を開けてみないと分からないのだ。悪い意味での原作至上主義に捉われ、なおかつ気が短すぎる「実写化アレルギー」の人たちに、私は心底うんざりしているのだ。
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安易に(見える)連発される実写化の数々もそうならそれに毎度同じ反応するオタクもいい加減懲りないなーと。
私は『GANTS』後編を観たとき「もう実写化に過度に期待するのはやめよう」と決めました。実写化する時点で原作厨はお客じゃなくなってると考えた方がいい。家族連れやカップルや俳優のファンのものだと思う方が自然だし腹も立たない。アニメなり漫画を楽しんだ層の何倍も大きい市場に売ってくわけですし。
最近はなんでもかんでも「俺を満足させなければクソ」というクレーマー野郎が蔓延ってますね。実写化に限らず、俺基準を満たしてないから駄作というとんでもない発言が正当化される。
まあそんな輩じゃなくとも、いい加減「実写化なんてそんなもん」と心穏やかに過ごせないものですかねえ。意外に良ければ儲けもの、ですよ。何より、いちいちそんなに振り回されててカッコ悪い。
『あの花』ドラマは今のところ楽しみにしてます。