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【戦争の記憶】
見送った特攻機は還らず…国守る覚悟、当たり前だった 元学徒兵・弓場達二さん(92)
戦後は大手鉄鋼会社に入社、役員などを務め、日本の経済発展に尽力した。現在、第19期生の同窓会「19(いくー)会」の世話役を務める。
今年4月、香川大のキャンパスに、戦死した同大の出陣学徒を追悼する「戦没学友慰霊之碑」が建立された。碑は、雨が降ると水路を伝って雨水が循環するようになっており、“命の巡り”を水に例えたモニュメントだ。
「戦争をやめることはできなかったのか。いまではそう思う。ただ、あのころは国を守るために出征するのは当たり前だった」
平和の中で迎えた戦後70年。朝夕、戦友の冥福を祈る日々は続く。
(高橋義春)
◇
学徒出陣 戦況の悪化に伴い、不足する兵力を補充するため、昭和18年10月、将来の日本を支えるエリート人材として在学中の徴兵が猶予されていた学生・生徒(学徒)のうち、文科系を中心に猶予措置を停止し、陸海軍に入隊・出征させた。戦地に赴き、多くの戦死者が出た。
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