東洋経済のAKBに関する雑な記事について思う
東洋経済は,日本にいるときから鉄道記事の特集が雑なのに失望していたが,このAKBの記事もやはり雑と思う。
ももいろクローバーが突く、AKB成功の罠 AKB総選挙をグローバルエリートが分析
ムーギー・キム :プライベートエクイティ投資家 2013年06月12日
http://toyokeizai.net/articles/-/14291
AKBの自爆と、ももクロの戦略マーケティング グローバルエリートがももくろファンに転向?
ムーギー・キム :プライベートエクイティ投資家 2013年06月14日
http://toyokeizai.net/articles/-/14332
特に,後ろのこの記事がイマイチと思った。
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もはやAKBは、ハードコアオタクが押した渡辺麻友さんや、グローバルエリートが押した松井玲奈さんではなく、テレビのお茶の間でなんか面白いな、という理由で指原さんを推す“薄い顧客層”にAKBのセンターを決められるようになってしまい、長年のロイヤルカスタマーと“ひたむきに頑張る挑戦者”の戦略的ポジションを失いつつある。
またコアな顧客層にとって重要なのは彼らコアなオタク層が互いに心地よく同質的なオタクコミニュティだったが、新規の“薄いファン”がAKBの命運を左右するようになってしまい、ロイヤルカスタマーの居心地の良さとコミュニティ性および自尊心が傷つき、AKBの失望売りにつながっている。
AKBは最重要視すべきロイヤルカスタマーの声から離れることのリスクを、過小評価している。これは企業が成長するにつれコアな市場と商品コンセプトから離れ、結果的に没落していくことを連想させる。
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ロイヤルカスタマーを神聖視して,ロイヤルカスタマーがいなくなること=悪,と単純に捉えてしまっている感があると思う。
もちろん,ロイヤルカスタマーは新しい女の子を求め,そして新しいコンセプトを求めて,他のアイドルに流れていくであろう。
そうしたときに,ロイヤルカスタマーに支えられて成長したAKBは,ロイヤルカスタマーに頼らないビジネスモデルを模索すべきなのが当たり前で,いまはその時期なのだろうと思う。
たとえば,ワタシもそれほど知っているわけではないが,サッカーJリーグができたときは,猫も杓子もサッカーばかりだったように思うが,いまは落ち着いている。
鳴り物入りで入ってきたJリーグに対して,ロイヤルカスタマーもライトなファンもどっと入ったが,その後野球や相撲と同じく市場が維持できるほどの人気に落ち着いたのだと思う。(いや落ち着いてを通り越して落ち込んでいるかも知れないが。)
ワタシが前々から言っているように,アイドルというカテゴリの中で生き残りをかけるとすれば,それは後退戦であるから,確実に人気は下がるはずと思う。
しかし,アイドルというカテゴリから離れて,ヒトを育てる枠組みと思えば,むしろ普通のヒトにとって敷居の低いものとなると思うのである。
それはつまるところ,江戸時代あたりの村の中における大人と子供の関わりかもしれない。
当時は性についておおらかというか,いい加減というかであったために,子供の父親が誰か分からないこともままあったらしい。
もちろんいまそんなことでは困るのであるが,自分の子供以外にも,望むものには分け隔てなく接し,教えることができる,そのようなしくみはあったほうが良いと思うし,AKBもそのような方向へと変化し続けている途上にあると思う。
もちろん,そうなるためには,"AKB商法"とはどこかで決別せねばならない。
秋元康がどのように"AKB商法"と決別するつもりにしているのかに,AKBの今後がかかっているとも言えると思う。
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