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【日韓国交正常化50年】
朴正煕と産経新聞-日韓関係の変化象徴
朴正煕元大統領は生前、日本のメディアのインタビューを3回だけ受けている。最初は1975年の毎日新聞であと2回が76年と77年の産経新聞だ。77年のインタビューはフジテレビで放送され、これが日本のテレビとの最初のインタビューになった。
朴元大統領は日本のメディアに対し不満が強かった。日本の大方のメディアが朴正煕政権をクーデターで政権を奪った独裁政権と否定的にとらえ、その近代化政策や経済発展よりも野党や知識人に対する弾圧の方に関心を示したからだ。
当時の日本のメディアは北朝鮮については独裁体制には触れず、社会主義建設が進むいわば“理想の国”のような報道が多かった。「暗い韓国VS明るい北朝鮮」というのが、朝日新聞を筆頭にした日本メディアの潮流だった。
そのなかで産経新聞だけがほぼ唯一、朴元大統領の近代化政策や経済建設を高く評価し、かつ北朝鮮には厳しい論調で終始した。朴元大統領は76年のインタビューでは「産経新聞が公正な態度で偏見のない報道を貫き、日本国民の正しい認識を深めるのに尽くされていることに対し感謝したい」と述べている。
70年代の韓国は73年に情報機関が東京で引き起こした金大中拉致事件で国際的な非難を浴び政治的、外交的には窮地にあった。日本では韓国非難の世論が広がった。それでも韓国に“理解”を示し続けた産経新聞は「良心的メディア」として高く評価され、逆に朴正煕非難・金大中支援の朝日新聞は「反韓メディア」だと評判が悪かった。