「このはし(橋)を渡ってはいけない。そう書いてあるのに、なぜ渡ってきたのか」

 「いえいえ、はし(端)は渡っていません。真ん中を通ってきたのです」

 こんな「一休さん」の説話を想起させるほど、きのうの党首討論の議論はまったくかみ合っていなかった。

 衆院憲法審査会で参考人として招かれた憲法学者3人が、安全保障関連法案を「憲法違反」と断じたあと、首相が初めて立つ、国会論戦の舞台である。当然、憲法をめぐり活発な議論が戦わされると期待した人も多かったはずだが、議論は低調で、首相と民主党の岡田代表が互いに「私の質問に答えていない」と言い合う始末だ。

 首相は、何のために討論の場に立っているのか理解していない様子だった。時間が限られていることを承知の上で、延々と持論を展開したり、岡田氏が「暴力を肯定した」とレッテルを貼ったりと、民主党批判に時間を費やした。法案への国民の理解を深めたいと本当に思っている人が取る態度ではない。

 「重要影響事態にどういうことが加われば存立危機事態になるのか」。岡田氏の質問に対し、首相は法案の定義をなぞるばかりで、あえて付け加えたのは「どういうことでなければ武力行使をしないのか、そんなことをいちいちすべて述べている海外のリーダーはほとんどいない」という言葉だった。

 岡田氏は「だからやはり憲法違反だ。(法案は)時の内閣に、武力行使するしない、憲法違反になるならないの判断を丸投げしているのと一緒。こんな国はどこにもない」と指摘。それでも首相は集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更について「昨年5月15日の私の記者会見以来、約300人の議員の質問に答えている。この正当性、合法性には完全に確信を持っている」と言い切った。

 何人の質問に答えようが正当性とは無関係だ。「憲法違反」の疑念は払拭(ふっしょく)されていない。

 討論を通じて改めてはっきりしたのは、首相は異論に耳を傾けようとしないし、異論をもつ人を説得する意思も持ち合わせていないということだ。

 維新の党の松野代表は「審議をすればするほど、内閣の説明が十分でないという人が増えていく。答弁されればされるほどよくわからなくなっていく」と指摘した。その通りである。

 こんな審議をどんなに重ねても、日本という国のありようを大転換させる重大法案の成立を許す免罪符にはならない。