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木造「国内最古」か いわき・金光寺の供養塔

 いわき市鹿島町の金光寺にある「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」と呼ばれる供養塔が、木造としては国内に現存する中でも極めて古い時代の塔とみられることが分かった。奈良県の元興寺文化財研究所は9月にも詳細調査に乗り出す。制作時期は約700年前の鎌倉時代とみられる。仏教考古学が専門の同研究所の狭川真一研究部長(56)は「国内最古の可能性が高く、日本人の供養の歴史を研究する上で貴重な史料」とみている。

■鎌倉時代に制作 貴重な史料、詳細調査へ 専門家分析
 金光寺の宝篋印塔は二基あり、いずれも木造で高さは約90センチ。今年5月に市指定文化財に指定された。
 指定の際に調査に携わった狭川部長によると、塔の上部にある「宝輪」と呼ばれる円形の輪は通常だと九輪だが、金光寺の塔は六輪で、古い塔ほど宝輪の数が定まっていないため、造営年代が古いという。さらに、「文保」(1317~18年、鎌倉時代)という文字が判読できることから、14世紀前半の作品とみられる。狭川部長は「国内最古の可能性が高い。国指定重要文化財になる価値は十分にある」とみている。
 宝篋印塔は石造が一般的で、金銅製もある。高さ15センチほどの木造の宝篋印塔は室町時代ごろになると出てくるが、金光寺の宝篋印塔のように約90センチと大きく、供養を目的とした墓塔の意味を持つ宝篋印塔は室町時代にはないという。
 狭川部長は、現存していない理由として「墓碑や追善塔の意味合いで作られたため、屋外に置かれて風雨で朽ちてしまった可能性や、石造が一般化したため、当時から木造がほとんどなかった可能性が考えられる」としている。
 金光寺の塔からは「尼」や「逆修善根」という文字も判読できる。夫に先立たれた妻が夫の追善供養をするとともに、生きている間に自分の死後に対して冥福を祈る逆修供養も行ったため、二基あると考えられるという。
 塔の下部の一部分が腐っており、狭川部長は「当初は屋外に置かれていたが、何らかの理由で屋内に持ち込まれ、現在に至ったのではないか」と推察。塔の模様が極めて丁寧な仕事で仕上げられていることなどから、地域にとって重要な夫婦の墓塔であった可能性もあるとみている。
 元興寺文化財研究所による詳細調査では、塔を奈良県に運び、作られた年代を確定するとともに、材料となった木の種類の特定などを進める。
 金光寺の箱崎亮弘(りょうこう)住職(68)によると、40年ぐらい前から関東地方の研究者らが寺に視察に訪れており、重要な塔という認識はあったという。「通常は屋外で朽ちてしまうが、亡くなった人への供養の気持ちが強く、誰かが屋内に入れたのではないか。供養への気持ちは不変という約700年前からのメッセージを感じる」と話している。

※宝篋印塔(ほうきょういんとう) 宝篋印陀羅尼(だらに)と呼ばれる経を納める塔。中国から伝わり、鎌倉時代ごろから日本で作られ始めたとみられる。鎌倉時代中期からは、墓碑、死者の冥福を祈る追善塔という意味合いが強くなったという。石造の塔が一般的。

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いわき市の金光寺にある宝篋印塔。木造としては、国内に現存する中でも極めて古い時代の塔とみられる
いわき市の金光寺にある宝篋印塔。木造としては、国内に現存する中でも極めて古い時代の塔とみられる

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