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世界記録に挑戦、人はどれくらい眠らずにいられるか

2015/6/16 6:00
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ナショナルジオグラフィック日本版

 一般の方に睡眠の重要性についてお話をすると、「最近、寝不足のため体調が悪いです。何か対処法はありますか?」という質問を良く受ける。だからしっかり眠りましょうというお話を先ほどしたのですが…。

 患者さんに睡眠障害のお話をすると、「眠らなくてもよければ苦労しないのですけどね」とぼやきが出る。ま、確かに…でも、それ無理ですから。

 そして医学生からは「睡眠の話も面白いのですが、あまり眠らずに済むコツみたいなのはありますか。試験前なんか徹夜でボーッとしちゃって」なんて質問される。君は医者になった時、患者さんにも同じことを言えるのか…。

 どうやら、人生にとって眠りは厄介者、無駄な時間と考えている人が少なくないらしい。確かに睡眠時間が人生の中で占める割合は大きい。それを安らぎの時間と感じるか、苦しいと感じるか、もったいないと感じるかは人によって異なるだろう。この連載の第2回「8時間は寝過ぎか…睡眠時間の個人差が起こるワケ」でも紹介したが、眠らずにすむ無眠人(スリープレス)を扱った近未来SF『ベガーズ・イン・スペイン』では、24時間丸々使える新人類は羨望の的、ついには憎悪の対象になってしまう。

 もちろん、睡眠研究者にとっても、なぜ生物は眠るのか、眠らないとどうなるのかという疑問は研究黎明(れいめい)期からの大命題であった。たとえば今から100年以上も前に、日本の睡眠研究の泰斗である石森國臣博士は長期間断眠した犬の脳脊髄液を別の犬の脳内に注入すると睡眠が誘発されることを発見した。残念ながら和文誌に掲載したため国際的には認知されなかったが、生物を眠りにいざなう何らかの化学的変化が脳内で生じていることを示唆した先駆的な成果であった。その後も、睡眠物質に関する研究分野で日本は世界をリードし、ウリジン、酸化型グルタチオンなどの睡眠誘発物質の発見、プロスタグランジンによる睡眠調節メカニズムの解明、ナルコレプシー(過眠症)の原因物質オレキシンの発見へとつながる。

■起き続けていたラットは不運にも…

 睡眠物質のプレッシャーに逆らって起き続けていたらどうなるのか。その疑問を明らかにするために、1980年代から90年代にかけて米国の睡眠研究者であるレヒトシャッフェンらは、特殊な装置でラットを長期間断眠する多数の動物実験を行った。結果は明白、不運なラットはすべて死んでしまったのである。ちなみに、このレヒトシャッフェンは睡眠ステージ(深度1~4、レム睡眠)の脳波判定法を開発したことでも有名だ。

 断眠開始直後は食事の摂取量が増えて活動量(エネルギー消費量)も増加し、見かけ上は元気に見えた。しかしこれは一時的で、断眠を続けると体重や活動性はしだいに減少していった。また免疫機能も徐々に低下し、微生物による感染が目立つようになり、2週間足らずですべて死んでしまったのである。死因は敗血症(全身の感染症)だったらしい。

 「らしい」と書いたのは、実は断眠による死の直接的な原因は確定していないためである。死亡したラットを解剖しても臓器などに死因となる大きなダメージは見つからなかったのだ。その代わり、断眠ラットでは免疫力低下のほかにも、体温低下や副腎皮質ホルモン(ストレスホルモン)が大量に分泌されるなど、さまざまな変化が生じていた。これら1つひとつが死につながるリスクであり、また免疫力を低下させる要因でもある。

 断眠の悪影響はかなり複雑で、たった1つのキーワードで説明することはできない。睡眠がはく奪されるだけではなく、精神的・身体的ストレスが複雑に絡み合って生体を傷害し、それがある臨界点を超えると死に至ると考えられている。たとえば先の断眠実験では、ラットが眠ろうとすると嫌いな水に落ちて覚醒させる仕掛けであった。ラットは水にぬれるのが大嫌いである。ラットの苦痛や恐怖は大変なものだったろう。残念ながら、これらの周辺要因を除外して、純粋に睡眠剥奪の影響を観察する実験方法は今のところ見つかっていない。

■人でも同じように深刻な事態が起こるのか

 人でも断眠を続けると同じように深刻な事態が起こるのであろうか。人を何週間も完全に断眠するような研究を行うことは倫理上も困難だが、軍隊など極度の睡眠不足が生じる特殊状況下では、やはり免疫細胞の活性低下や抗体の減少など免疫力が広範に低下すると報告されている。また、より短期間の断眠や睡眠不足でも何度も繰り返されることで悪影響が生じることも分かってきた。

 このような断眠がもたらす危険性がまだよく知られていなかった当時、連続覚醒時間の世界記録にチャレンジした猛者が何人かいた。現在であれば研究倫理委員会からクレームがついて、研究計画は承認されないかもしれない。

 睡眠科学の分野で最も有名な記録は、サンディエゴの高校生ランディ・ガードナーが樹立した264時間(11日間)である。寿命が約2年のラットと単純に比較できないが、これも大記録である。これより長い断眠記録もあるようだが、ランディ青年の挑戦には睡眠研究で有名なスタンフォード大学のウィリアム・デメント教授が立ち会っており、信ぴょう性が高いとされている。

 11日間にランディ青年の身に何が起こったのであろうか。最初の2日は眠気と倦怠(けんたい)感、4日目には自分が有名プロスポーツ選手であるという誇大妄想、6日目には幻覚、9日目には視力低下や被害妄想、最終日あたりには極度の記憶障害などが生じたが、身体面(首から下)には大きな問題が生じなかったという。

 11日間の断眠を達成した後、ランディ青年は一体どうなってしまったのか。その後も幻覚に悩まされたのか? 記憶障害の後遺症が残ったのか? はたまた不眠症に陥ったのか?…いえいえ、彼は断眠終了後にたった(?)15時間ほど爆睡した後に自然に覚醒し、精神面でもなんら後遺症を残さなかったのである。

(イラスト:三島由美子)

(イラスト:三島由美子)

■ラットと人の差はどこにある?

 今でこそ慢性的な睡眠不足は、代謝やメンタルヘルスに多大な悪影響をもたらすことが知られるようになったが、その当時は「思いのほか、大したことが起こらないな…」という変なガッカリ感があったようだ。デメント教授自身も、ランディ青年の回復具合を見て、睡眠は案外短くても大丈夫かもしれないと誤解してしまったと、後に反省を込めて述懐している。

 それにしてもラットと人間では同じ断眠でも身体に及ぼす影響に大きな違いが見られた。この差はナゼ生じたのだろうか。

 いくつかの可能性が考えられる。まず、ランディ青年の実験では外見から覚醒していることを確認したのみで、脳波は測定していなかった。そのため、実際にはごく短時間の睡眠(マイクロスリープ)や軽度の意識障害(せん妄)が生じていた可能性がある。

 せん妄状態になるとランディ青年が経験した幻覚や妄想もしばしば出現する。せん妄は生理的な睡眠とは異なるが、脳活動が低下して脳波上も浅い睡眠状態に近づき、睡眠不足を補う効果がある。逆に言えば、人間はいくら完全に断眠しようとしても、意図に反して意識レベルが下がってしまうなど安全弁が働くのかもしれない。

 しかし、それ以上に重要だったのは、不運なラットと異なりランディ青年は不安や恐怖といった深刻な精神的ストレスを受けなかった点が良かったのではないだろうか。ランディ青年を目覚めさせるため、サポーター役の友人たちが一緒に散歩をしたり、励ましの声かけをするなどしたという。このような愛情こもったメンテナンスにより、神経細胞障害や免疫機能低下の原因となるストレスホルモンの分泌はラットの場合とは違ってかなり抑えられていたと思われる。戦時下や虐待など過酷な環境下で睡眠がはく奪されたとしたら、ランディ青年のように心身ともに無事でいられたとは思われない。

 それにつけても、睡眠科学の発展のために恐怖と睡眠不足の中で命を失った動物たちに合掌。

    三島和夫氏

    三島和夫氏

三島和夫(みしま・かずお)
1963年、秋田県生まれ。医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所精神生理研究部部長。1987年、秋田大学医学部医学科卒業。同大精神科学講座講師、同助教授、2002年米国バージニア大学時間生物学研究センター研究員、米国スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授を経て、2006年6月より現職。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事、日本生物学的精神医学会評議員、JAXAの宇宙医学研究シナリオワーキンググループ委員なども務めている。これまで睡眠薬の臨床試験ガイドライン、同適正使用と休薬ガイドライン、睡眠障害の病態研究などに関する厚生労働省研究班の主任研究者を歴任。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、日経BP社)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。

(日経ナショナル ジオグラフィック社)

[Webナショジオ 2015年4月30日付の記事を基に再構成]

8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識

著者:川端 裕人, 三島 和夫
出版:日経BP社
価格:1,512円(税込み)

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