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【社会】

原爆の惨状と復興写す 長崎市 米軍撮影の動画、写真入手

1946年5月撮影とされる、爆心地に近い長崎市の山王神社付近に並ぶ復興住宅のカラー映像

写真

 【ワシントン=共同】原爆投下から約九カ月後の長崎市で、米軍が撮影したとみられるカラー映像のフィルムが十七日までに、米国立公文書館で確認された。市が被爆七十年に向けた原爆資料の調査で入手した。にぎわう市場や木造の復興住宅が写っている。調査に参加した被爆者の深堀好敏さん(86)は「復興の息吹が伝わるカラーの動画は貴重」と話している。

 長崎市によると、映像は一九四六年五月の撮影とされ、計十分間程度。「長崎市場」の看板が掲げられた通りを行き交う人々、爆心地に近い山王神社付近に並ぶ復興住宅、倒壊した浦上天主堂で米兵と話す神父などが記録されている。

 調査ではほかにも、四五年九月十六日に米軍が撮影したとみられる爆心地付近の白黒写真を確認した。炭化した木の幹に、被爆者による書き置きの板のようなものがくくられており、避難先と思われる場所や「太田道子」という名前が読み取れる。

 四五年九月二十八日撮影とされる動画には、頭に包帯を巻いた少女が焦土に座っている様子が写っていた。市が二年前の調査で入手した白黒写真の少女と酷似し、撮影日も近い可能性があるため、同一人物かどうか調べる。同月二十三日撮影で、米進駐軍とみられる一行がトラックで移動する映像もあった。

 調査は現地時間で三〜十五日、メリーランド州にある「アーカイブスII」で実施した。米国での調査は今年で三回目。過去の調査では写真など計二千点以上を集めた。

 

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