最近どうにも違和感があることの一つに、アニメとかにおける「正しい感想」の存在がある。
たとえばナントカという作品があって、このシーンのこの表現はこうで、この監督はこういうバックグラウンドがあるからこういう演出をして故にこのシーンはこう受け取るのが正解なんだ、みたいな評論のことであり、今のネットにはそうしたものが溢れかえっている。最近テレビで放映した中だと「おおかみこどもの雨と雪」なんかは放映直後からTwitterにもそういうRTが溢れかえっていたような気がする。
で、それらの意見の多くには納得させられるものがあるし、流し見をしていたらきっと気が付けなかったであろう部分に気付かせてくれるという意味では非常に素晴らしい物がある。
ただ、そういうものが飽和的に襲いかかってくる現状は、逆に「よくわかってなかったけど面白かった」的な感想を排除するような傾向があると感じているのだ。
感想を述べるにしてもいかに深く読み込んだかとか、より周辺の理論武装をしているものが「よい感想」であり、正解に近い感想であり、単に楽しかったとか面白かったとかの感想は軽んじられているように思える。また、「正解と思われる方向性」から外れた軸での論評はハナから無視されるような空気さえも感じる。そんな中今日もインターネットではより深く、より正しそうな正解の感想を求めて激論が交わされている。
こういう世の中だと、 下手なことを言ってしまったらオタクから集中砲火を受けてしまいそうで、迂闊に「正しくなさそうな感想」を表明するのも憚られるものだ。そんなものは杞憂と言われればそれはそうなのかもしれないが。
ただ、たとえば知ってる人だけニヤリとするような演出とかってのはコアなファン向けのサービスであって、それを知らない人であっても楽しめるように話が成立していた上でのスパイスのようなものでなくてはいけないと思う。
そういうのをハナから知らなきゃダメとか、気付けない方がおかしいし感想を言う価値がないみたいなのって、なんか違うんじゃないかと思うのだ。
たとえばゲームとかであれば、攻略自由で完全にやり込み要素の隠しボスを攻略せず、普通にエンディングを見ただけのお前にこのゲームを語る資格はない……みたいな事言われたらたぶん不快になると思うけど、アニメの感想においては似たような空気は既に醸成されているよなーと感じる。
正しい感想に辿り着けなかった者の泣き言ではあるが。