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日比友好の礎を築いた日本のODA

6月2日から5日まで、フィリピンのベニグノ・アキノ3世大統領が国賓として来日、3日には参議院本会議で演説した。アキノ大統領が日本の国会で演説するのは今回で3回目だ。大統領は「新たな地理的境界や権限を書き換える試みがなされ、海洋や地域の繁栄が損なわれる脅威にさらされている」と中国(大統領は「日比両国が対応に困難を感じているある国」と表現)の南シナ海での埋め立てを比判したほか、安倍政権の積極的平和主義や安保法制の整備について「強い尊敬の念をもって注目している」と語り、これまでよりも一歩踏み込んだ地域安全保障観を披露した。

スプラトリー(南沙)諸島の領有権を巡って中国との対立が深刻化しているフィリピンが、尖閣諸島問題を抱える日本と共闘する姿勢を示したのは予想通りで、驚く内容の演説ではない。今回の来日は、日比というアジアの2つの国の戦略的友好関係を国際社会にアピールする政治ショーだったのだろう。

日本でアジア・太平洋の安全保障を論じる時、しばしば引用されるは日米豪という先進国間の安保協力だ。だが、アメリカの国務省関係者らと話をしていると、彼らは日米豪に必ず比韓を加える。民主国家であり、親米的なフィリピンをアメリカはアジア・太平洋地域の重要なパートナーと位置づけているのだ。アキノ大統領の訪日によって日比安保協力が深化したことで、アメリカは日米豪比の安保協力体制が強固になったと安堵しているのではなかろうか。

それはともかく、私が今回のアキノ大統領演説で一番印象深かったのは、演説後半に「日本はフィリピンにとって最大の政府開発援助(ODA)供与国であり、わが国に対し、過去の傷を癒す義務を果たす以上のことを成し遂げてくれた」と述べたことだ。来日した外国首脳が日本のODAに謝意を表することはたびたびあるが、国会の場でODAが過去にフィリピンで犯した過ちを補って余りある成果を挙げた、と明言されたことは喜びを超えて驚きだ。戦後の日本が開発協力に注いだ努力が、やっと正しく評価されたという思いもする。

日本は60年前にODAを開始して以来、一貫してフィリピンを重点対象国と位置付けてきた。フィリピンはつねに日本の二国間援助の上位受取国であり、フィリピンにとって日本は米豪を凌ぐ最大の二国間援助供与国だった。日本のこれまでの対比ODAの累計は約3兆円に達し、なかにはスービック港湾開発計画、中部ルソン高速道路建設計画など数多の大型のプロジェクトも含まれている。大型経済インフラだけでなく、青年海外協力隊など草の根協力も積極的に実施されており、これまでに派遣された協力隊員の累計は1500人を超える。日本の対比ODAを高く評価するアキノ大統領の国会演説を聞くと、3兆円という巨額の公的資金も、協力隊員の涙と汗も、無駄でなかった気がする。

内政、外交問題などに波乱がないと、報道件数が減るのはマスコミの宿命でもあるが、近年、日本のマスコミがフィリピンの政治、経済問題を取り上げる頻度は決して高くない。マスコミが報じないこともあってか、国民のフィリピンに対する関心は低く、観光以外にフィリピンに興味を示す人の数は減っている。しかし、日比関係をよく考えてみると、両国は一衣帯水ともいえる深い絆で結ばれていることを実感する。

歴史を遡れば、16世紀末からの朱印船貿易で、多くの日本人がフィリピン(ルソン)に渡り、17世紀にはマニラ付近に人口3000人を超える日本人街が出現した。明治維新後、地理学者で政治家でもあった志賀重昂らが日本の移民、貿易拡大策として南を目指す「南進論」を謳ったが、その中でもフィリピンは主要な目的地だった。特に1896年に独立運動が始まったことで、フィリピンに対する関心はいっそう高まった。日本の使命ともされた「南進論」には、農家の2男、3男対策だけでなく、領土拡張といった危険な思想も内蔵されていたようだが、日本人にとってフィリピンはいつも頭の中にある身近な国であったことは間違いない。

アジアの2つの系列として中国から南下してインドシナ半島に達する「陸のアジア」と、日本から南下してフィリピン、マレーシア、インドネシアに繋がる「海のアジア」を挙げる学者がいる。日本は「陸のアジア」の国々とも友好関係を維持・強化する必要があるが、海の仲間である日比は、莫逆(ばくげき)の友としてアジア共栄の核になって貰いたい。

6月3日夜、天皇、皇后両陛下が主催して皇居・宮殿で開かれたアキノ大統領歓迎晩餐会に1966年に青年海外協力隊の第1次隊員としてフィリピンに赴き、農協の再組織化などに尽力した新保昭治さん(78)が元隊員代表として招かれていた。たまたま手元に着任10か月後に新保さんが書いた48年前の報告書がある。この中で新保さんは「隊員の作った農産物、竹製品がバギオ市場に出回る今日この頃となった。フィリピンに到着した頃は大海に一人放り出されたような心細い気持であった。それから比べれば、心に余裕もあり雲泥の差である。暗中模索の中に、一筋の道を見出すべく自ら体を投じ、現地人と共に歩むのが隊員の使命であろうか」などと記している。

こういう方々が身を挺して今日の日比友好の基礎を築かれたのだとつくづく思う。

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