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【私説・論説室から】

暗闇の喝采

 戦後沖縄の政治家、瀬長亀次郎氏が残した資料を集めた那覇市内の「不屈館」を訪ねた時のこと。資料館まで乗ったタクシーの運転手さんが「父は亀次郎さんのファンでした」とあるエピソードを語ってくれた。

 米軍施政下で沖縄の解放を求めた瀬長氏は一九四五年に「うるま新報」(現琉球新報)を発刊、四七年に沖縄人民党創設に参加する。五〇年代に立法院議員から那覇市長を務め、親しみやすい演説は大人気。小学生の運転手さんもお父さんに連れられて演説を聴いたそうだ。だが、軍用地接収で「島ぐるみ闘争」に燃えた時代。米軍の労働者は演説会場にいたことを職場に知られると解雇もある。「だから市長公邸であった演説では瀬長さんだけ照らして聴衆の側は真っ暗。瀬長さんが『これでいいのか!』と訴えると、暗闇から『あらんど(違う)!』って呼応した。大歓声や指笛がすごかった」

 沖縄戦で数え切れない命を失った。民衆の側に立ち続けた瀬長氏に希望を見いだし、演説に喝采を送った人々の姿が目に浮かぶ。

 闘争を続ける沖縄の心は今、やりきれない。「憲法の下に帰る」を合言葉に日本復帰して四十余年。名護市辺野古の新基地建設に県民は反対の意思を示したが、日本政府は顧みない。海でボーリング調査を強行し、抗議する市民に監視カメラを向ける。暗闇で喝采があがった時代よりも激しい。 (佐藤直子)

 

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