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【芸能・社会】

初の母娘共演アルバム 秋吉敏子 Monday満ちる

2015年6月17日 紙面から

「JazzConversations」のジャケットで親子ツーショットを見せた秋吉敏子とMonday満ちる

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 日本が世界に誇るジャズピアノのレジェンド秋吉敏子(85)と娘のシンガー・ソングライター、Monday満ちる(51)が、7月1日に初めて母娘共演アルバムを出す。「Jazz Conversations」のタイトル通り、カバー曲やマンディの書き下ろしによる、ジャズを通した母娘のコミュニケーションが実現した10曲。7月の来日公演で生演奏を披露する。

 きっかけは2、3年前、マネジャーからの提案だった。が、母を尊敬して止まないマンディは、「気を遣って“やってあげるよ”って言われたら嫌だなぁ、ビジネスライクに聞いてみて」と応じた。が、意外に返事はあっさり。「いいわよ。もしやるならオリジナルを作って」という注文付きだった。

 実は、13歳の時、敏子のアルバム「Minamata」の中で、アカペラを歌ったのが初共演。その後、フルートでバンドに参加したり、2006年には敏子の曲を歌った「Hope 希望」がシングル発売された。今回は真正面から向き合うフルアルバム。「とってもうれしかった」とマンディ。今年1月、ニューヨークのスタジオでレコーディングした。要した時間はわずか2日。驚くべき集中力で10曲を仕上げた。

 「私はジャズシンガーじゃないし、ママにはママのランゲージ(言葉)があって、私と合わないんじゃないかって不安があったけど、そんなことはなかった」という。父親のサックス奏者、チャーリー・マリアーノも立ち会い、「とても幸せでした」。

 書き下ろしの「ドリーミング」には、「無駄なコードばっかり」と言いながらも、「これが一番きれいな曲」と言ってくれた。「録ってるうちに大丈夫かなという不安があったんですけど、後で聴いてみると素晴らしかった。ママはアレンジャーですね。もちろんプレイヤーなんだけど、カウンターメロディーを入れたり、曲に色がついたり味がついていく。ほんとに感激でした」と振り返った。

 昨年秋には日本で12カ所をいっしょにツアーで回った。敏子から持ち掛けた。それは、レコーディングに向けたウオーミングアップだったのかもしれない。無事に成功させてニューヨークに戻って食事をした時、初めてミュージシャンの仲間としてハグしてくれた。「いっしょに戦争して終わったね」という言い方に、プロ根性を見た気がしたという。

 ともにニューヨーク在住。車で1時間ほどの距離に住み、週に1度は顔を合わせる。マンディの息子が昨年からサックスを始めた。「今度は三世代共演ですね」との問い掛けに、「しかないでしょう」と弾んだ声が返ってきた。

 あらためて母の存在について、こう話した。「女として素晴らしい、ミュージシャンとして素晴らしい、人間として素晴らしい。戦争や差別を経験して、男ばっかりの中、チャレンジ続きの人生の中で、一本の道をしっかり自分の二本の足で歩いてきたことが、カッコよくてしょうがない」。今度の日本ツアーは、格別なステージになりそうだ。

 ●秋吉敏子(あきよし・としこ) 1929年12月12日満州生まれ。小学1年の時、「トルコ行進曲」に魅せられピアノを習い始める。戦後、別府の駐留軍キャンプで演奏を開始。48年上京。56年単身渡米、日本人として初めてバークリー音楽院で奨学生として学ぶ。63年チャーリー・マリアーノとの間に娘(マンディ満ちる)をもうける。65年離婚。69年フルート、テナーサックス奏者のルー・タバキンと再婚。ソロ、カルテット、ビッグバンドなどさまざまな形態で活動。多くのジャズ・ジャイアンツと共演した。97年紫綬褒章受章、99年ジャズの殿堂入り、04年旭日小綬章。

 ●Monday満ちる(マンディみちる) 1963年8月19日東京生まれ。8歳でモダンダンス、11歳でフルートを始める。87年、映画「光る女」で女優デビュー。その後、秋吉満ちるの名で活動。91年アルバム「mangetsu」発売を機に、芸名をMonday満ちるに。シンガー・ソングライターのほかDJ、音楽プロデューサーとしても活動している。夫は、ジャズ・トランペッターのアレックス・シピアギン。

 ◆来日ツアー 7月22日東京・ブルーノート、23日名古屋・ブルーノート(秋吉敏子ソロ)、25日軽井沢ジャズフェスティバル、26日福岡・柳川御花

 

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