読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

真顔日記

31歳女性の家に住んでいる男の日記です

B'zの稲葉と同居しても、自分は歌がうまいと思えるか?

 三十一歳女性の家に住みはじめるまで、私は一人のネコ好きを自認していた。なんせ実家でもネコを飼っていたし、犬と猫なら迷わずネコを選ぶほどのネコ好きである。

 しかし、三十一歳女性と同居するようになり、この女の圧倒的なまでのネコ好きぶり、というかネコ狂いと言ってもいいような日常を目にした瞬間、気軽に自分はネコが好きだとか言えなくなった。

「好き」というのも相対的なものである。たとえば、あるアーティストのヒット曲をちらっと聞いて「好き」と言うのも、インディーズ時代から何十年と追っかけて「好き」と言うのも、言葉にするならば「好き」なわけである。

 このズレから、いわゆる「古参ファンとにわかファン」みたいな揉め事も起こるんだろうが、その意味で言えば、私と三十一歳女性は、同じネコ好きでもレベルがぜんぜん違う。

 そして、圧倒的な存在と同居したとき、人は自分の半端さを思い知らされるのだ。私はこの数年、もう気軽にネコ好きを自称できなくなっており、もちろん好きは好きなんだが、頭のなかでは常に「まあ中途半端だけど」と思っている。

 例え話をしよう。

 一人の男が「俺、そこそこ歌うまいよな」と思っている。カラオケでも高得点を出すし、高音もけっこう出るし、つか俺のファルセットやばくね?なんて友人に言っている。

 これが、気軽にネコが好きだと言えていたころの自分である。

 そんな男が、B'zの稲葉と同居することになる。私の現状はそれに近い。それでも以前と同じように「俺、けっこう歌うまくね?」と言ってられるか、ということである。

 以下、私は実際の稲葉浩志がどんな人なのか知らないので、「日常のあらゆる局面で圧倒的な歌唱力をおしげもなく披露する人」という前提で書きますが、まず帰宅すると、家で待っていた稲葉は「おかえり」を「ウォ・カ・エ・リッ!」と言いますね。ちょっとポーズも取る。

 それだけで、「一般人にしてはそこそこ歌うまい」という半端な自負心などこっぱみじんに打ち砕かれ、私は耳まで真っ赤になる。プロの実力を鼓膜のふるえで感じるわけです。

 稲葉は肉じゃがができていることを私に伝えるんですが、その際の発音も「ニ・ク・ジャ・ガッ!」であり、右手に持っていたおたまを高く掲げながら、ちょっとポーズも取る。おたまに付いていた汁が飛び、床に落ちる。

 これで私は張り合う気持ちもなくなり、自分がいかに安易に、友人だけの狭い世界で、「歌のうまい自分」などという自意識を醸成していたかを思い知らされる。

 そして私は落ち込みはじめる。しかし稲葉というのは優しい人だから(たぶん)、そんな私に気づいて、夕飯のときに声をかけてくれる。

「まずは歌が好きだっていう気持ちが大事なんだ。うまいへたの前にね。君は歌うのが好きなんだろう? それならいいじゃないか」

 そういう趣旨のことを言ってくる。しかし、このなぐさめも、それ自体が歌になってますからね。「歌うの好きなんだろ?」という問いかけは、「歌うのォ~、好きなんだろォ~ウ」と見事に切なく歌い上げられているし、どう考えても私は、歌に対する思いですら稲葉に負けている。

 さて、稲葉との共同生活が二週間を過ぎたころ、私は友人からカラオケに誘われる。前述したように、この友人たちのあいだでは、自分は歌がうまい男として通っている。周囲も気軽に褒めてくるわけです。「おまえは歌うめえからな~」みたいに。

 だから今回も褒めてくる。しかし以前のように簡単に浮かれることができない。家にいる稲葉のことが頭をちらついている。いまごろ稲葉は皿でも洗いながら鼻唄を歌ってるんだろう、その鼻唄は鼻唄であるはずなのに家の前を通りかかった人が思わず聞き惚れてしまうような見事なものになってるんだろう。そんな稲葉を知りながら、「おまえ歌うめえからな~」という友人の誉め言葉を素直に飲み込めるか。

 さらに、そんな時に限って、友人たちが入れる曲がB'zであり、私は乗せられて、勢いのままに「ウルトラ・ソウッ!」などと叫んでしまい、「出ましたシャウト!得意のシャウト!」と友人たちからチヤホヤされ、場を盛り下げたくないからその言葉を受け入れたふりをしつつ、心の中では泣いている。

 そして、友人の中には物事を客観的に見ることができず無自覚に身内びいきをするような存在が一人くらい混ざっているものだから、「本物の稲葉よりうまいんじゃね!?」という軽薄な言葉まで言われてしまう。それで私は顔が真っ赤になり、それ以上その場にいることに耐えられなくなって、カラオケルームを飛び出してしまう。「どこ行くんだよ!」「朝まで歌おうぜ!」という言葉を背中に聞きながら。

 深夜一時、私がカラオケから戻ると、稲葉はソファで眠っている。私は稲葉に毛布をかけてやり、ラップをかけられていた肉じゃがを食べ、その繊細な味つけに「稲葉って料理もうまいんだな…」と思い、その瞬間、悲しさのあまり涙が出てくる。

 私は手のひらに顔をうずめ、声を殺して一人で泣く。

「ソウッ」

 ソファから稲葉の寝言が聞こえる。稲葉はすやすやと眠っているが、きっと夢の中でも歌っているんだろう。その寝言は完璧な腹式呼吸のもとで発声されている。つい先ほど自分がカラオケで発した「ソウッ」は、寝言の稲葉にすら負けている。私は涙に濡れた目を稲葉に向けながら、「これが本物なんだ……これが本物だったんだ……」と何度もつぶやく。

 みたいなことですね。

 例え話がずいぶん長くなっちゃって、何のことだか分からなくなってきましたが、要するに私の言いたいことは二点だけで、第一に、本物のネコ狂いと同居すると、気軽に自分はネコが好きだとか言えなくなるということ。そして第二に、稲葉浩志は絶対にこんな人じゃないということですね。だって、こんな人だったら、歌うまいとか以前に頭おかしいもん。絶対こんな人じゃないと思います。