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中日春秋(朝刊コラム)

中日春秋

 終戦から三年後の、湿った夏の夜、丸木俊(とし)さんは裸で鏡の前に立っていた。「この腹の中には生まれ出る魂がある、母といっしょに絶えていった生命がある」

▼そう念じつつ立ち続ける妻をモデルに、夫の位里(いり)さんが描いていく。夫の絵に妻が筆を重ね、また夫が筆を執り、そしてまた妻が…。重い沈黙が支配するアトリエに、被爆直後の広島で夫妻が見た人々の姿がよみがえっていく。「原爆の図」は、そうして生まれた

▼一九五〇年代に日本各地で展覧会が開かれた時、「絵の中から、わたしの孫が出てきそうな気がします」と口にしたお年寄りがいたそうだ。その人は、娘と孫を原爆で失っていた

▼また別の会場では「絵には手を触れないで」という注意書きにもかかわらず、子どもを連れた女性が絵に手を伸ばし触っていた。絵の中の赤ん坊をなでながら、子どもに「このややこが死んだんやで」と言い聞かせていたのだ

▼その光景を見た時の思いを、俊さんは自叙伝『女絵かきの誕生』に書き残している。「どうかさわってください。なでて、なでて、ぼろぼろになってもかまいません。これが絵かきとして光栄でなくてなんでありましょう」

▼「原爆の図」が先週末から、米首都ワシントンで初めて展示されている。原爆投下から七十年。一人でも多くの人が、その心の手で、絵の中の生命に触れてくれれば、と思う。

 

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