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【社会】

「力が正義」は思い込み 「原爆の図」展示

13日、米ワシントンで公開された故丸木位里、俊夫妻が描いた「原爆の図」の作品の一つ「とうろう流し」=斉場保伸撮影

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 【ワシントン=斉場保伸】一九四五年八月の広島・長崎への原爆投下から七十年に合わせた「原爆展」が十三日、米首都ワシントンのアメリカン大学美術館で始まった。原爆の惨状を描いた故丸木位里(いり)、俊(とし)夫妻の「原爆の図」が米首都で初めて展示された。開始式では被爆者が被爆体験を語り、核兵器廃絶に向けた思いを伝えた。

 米国での原爆展は二十年ぶり。原爆の図は全十五部作。会場には被爆直後の広島の惨状を描いた作品「火」、広島で被爆死した米兵捕虜を描いた「米兵捕虜の死」、長崎の造船所で犠牲になった朝鮮人徴用工を描いた「からす」など六作品を展示した。

 米国内では広島・長崎への原爆投下について「戦争終結を早めた」と正当化する考え方が根強い。被爆五十年の一九九五年にはワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館で被爆資料を展示する予定だったが、米退役軍人らの反発を受けて中止に追い込まれた経緯がある。原爆展は、この年に核問題研究所を設立したアメリカン大に場所を移して開かれた。

 同研究所所長で、米側で今回の展覧会の開催に尽力したアメリカン大のピーター・カズニック教授(歴史学)は「二十年前の原爆展は全米を巻き込む大変な議論になった。『力が正義』という米国の思い込みを揺るがす必要がある。原爆は使うべきではなかったことをアピールしたい」と述べた。

 原爆の図を見て回ったメリーランド州のキャシー・ダニエルさん(59)は「苦しむ人たちの中に子どもが描かれていたのが衝撃。戦争を終わらせるために他の選択肢もあったのに、なぜ投下だったのか」と話した。

 ワシントンに住むナンシー・リブソンさんは「絵を通じて原爆の脅威を知らせるのは良い方法だ。ここは米国政治の中心地。ここの政治で決めたことが世界にどういう影響を及ぼすのか、ということが分かる意義が大きい」と話した。

 展示は八月十六日まで行われ、その後ボストンやニューヨークで十二月まで巡回展示される。

山本定男さん

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◆「苦しみの死、伝える」被爆者ら訴え

 「原爆の図」展示が始まったワシントンのアメリカン大学美術館では十三日、中学二年だった十四歳の時に広島の爆心地から約二・五キロの練兵場で被爆した山本定男さん(83)と、十六歳の時に長崎の爆心地から三・五キロで被爆した深堀好敏さん(86)の二人が体験を語った。実体験に裏打ちされた核兵器廃絶の訴えに来場者の間には共感が広がった。

 山本さんは練兵場での草刈り作業で朝集合したときに米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」が飛来。その直後に爆発音と巨大な火の玉を見た。爆心地から六百メートルにある自分の中学校に残っていた一年生が多数犠牲になったという。

 山本さんは今回の訪米でスミソニアン博物館に現在展示されている広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」と対面。「『原子爆弾を搭載し、広島に投下した』と説明が書かれていた。でも地上はどうなったのか、それを知ることはできない。ならば私は地上で起こったこと、みんなが苦しんで死んだことを何としても伝えていく」と強調し、「核なき世界」に向けて動くよう来場者に協力を呼び掛けた。

深堀好敏さん

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 長崎で被爆した深堀さんは「核兵器は人間と共存できない。核廃絶が究極の願いだが、私が生きている間には多分難しい。長崎を最後の被爆地にしなければ」と訴えると、会場の参加者からは、かみしめるような「ザッツ・ライト(そのとおりだ)」と共感する声も出て大きな拍手が起きた。(ワシントン・斉場保伸、写真も)

 <原爆の図> 水墨画家の丸木位里さんと油彩画家の妻、俊さんが1950年から82年に共同制作した15部作。一作品は8枚のパネルからなる障壁画で、高さ180センチ、横幅は完全に伸ばすと720センチに。題材は広島の被爆だけでなく、東京の主婦たちの始めた核実験反対署名運動の様子を描いた「署名」など幅広い。埼玉県東松山市の丸木美術館で14部まで所蔵、15部「長崎」は長崎原爆資料館所蔵。 (アメリカ総局)

 

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