2015年06月15日

喪失感というもの。


捧げてきた人は、喪失感も大きい。
失望感が大きい。
自分を犠牲にして、長い間ずっと捧げてきた人は。
でも、捧げたのは自分なのだ。
自分の選択だったはずだ。


人のためになるかどうかは、人がそれを受け入れるかどうか次第だ。
何十年尽くしても、感謝のない人はいる。
ていうか、残念だがその人はそれを望んではいないし、それをしてもらおうなどと思ってはいないということだ。
人は、「自分がしてもらうと嬉しいこと」を、一生懸命人にするものだ。
だが、それを受け取る人にその関心がないと、感謝なく利用され、奪われることになる。
つまり、注いだ分だけ失望する。
その思いが強ければ強いだけ、期間が長ければ長いだけ、注いだ量が、自分の犠牲が大きければ大きいだけ。


感謝してくれる人に愛を注がなければ、喪失感を味わい、失望し、怒りと憎しみ・悔しさに襲われる。
シンクロしていない人に尽くしても報われないのだ。
だが、そもそも何かの見返りを求めて、愛を注ぐわけではないはずだ。
自分のことは、自分一人で愛し、満たすことができるからだ。
人に自分を満たしてもらおうと思っているとしたら、それは永遠に手に入らない。
何故なら、自分の出している「波動の反映」を、私たちは受け取ることになるからだ。
だから、自分に何か欠けているものがあると思っていたら、それを痛感させられる出来事ばかり引き出すことになる。
自分で「自己肯定」しない限り、自分のことを肯定し愛してくれる人には出会えない。


過去のことは忘れよう。
人は変わらない。
人が変わることを「許すエネルギー」が必要だ。
そのためには、人がそのままでいることを許すことだ。
「抵抗のエネルギー」や「期待のエネルギー」を作らないことだ。
そのためには、無条件の愛でいるしかない。
だがそれは、人が変わるための「戦略」としてするわけではない。
あくまで、無条件だ。


無条件の愛とは、「感情移入しない」、「客観的でいる」ということだ。
自分の「境界線を明確にする」ということだ。
自分を犠牲にしてまで、人に捧げることはしないということだ。
心地よくなければ、その人とは明確に距離を置くということだ。
自分の良心に逆らって、人の考えや人のしてることを肯定することはできない。
自分の中の「品格や美」という意識を満たす考えや行動もあるからだ。
自分を否定してしまうような行動は、絶対にしてはならない。
「人のあり方は、自分とは全く無関係」で、「人のあり方に、影響を受ける必要は全くない」と認識し、繰り返しアファメーションすることだ。


そして、ホッとして、気持ちの良くなる思考(考え)を見つけることだ。
明るくて、気分のよくなること、楽しいことを考えることだ。
暗くネガティブな気持ちでいる間は、求めるものには近づけない。
流れ(望みの叶う場所)に逆らい、抵抗しているからだ。
現状に関心を向けず、そのように心がけていれば、少しずつ抵抗を放棄することができる。
必ず、実際の状況が、その新たな自分の波動の変化を反映し始めるだろう。



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2015年06月14日

修行。


何かを決断するときがくる。
自分の内面と外側の状況が、次第に整ってくるからだ。
自分の望みは必ず実現される。
なぜなら、自分が自分の人生(現実)を創っているからだ。

自分の心地よい「もの・こと・人」。
自分の好きな「もの・こと・人」。
自分に必要な「もの・こと・人」。
自分の選択する「もの・こと・人」。


様々な体験をしたら、自分の心地よいもの、悪いものが分かる。
好きなもの、嫌いなものが分かる。
自分に必要なもの、必要でないものが分かる。
体験したからこそ分かる。
体験しなければ分からない。

その上で、今度は何を選択するか、もう何を選択しないかを決める。
それでいい。


人生は体験だ。
体験の連続であり、体験の選択・拡大だ。
初めは、ネガティブな体験をするかもしれない。
人は遠慮がちだから。(笑)
いや、ネガティブな体験をしないと、何がポジティブなのかも分からないからだ。
最初に天国を体験をしたら、そこから出ようとは思わないだろう。
そうすると、地獄の体験はできなくなる。(笑)

また、自分には選択の自由があるように思えないことも多い。
望んでも手に入らないようにも見える。
それを望んではいけないようにも見える。
色々な人々や、社会の様々なネガティブな観念を浴びるからだ。
地球上には、まだまだネガティブなエネルギーが沢山ある。


私は、自分のために生きることは許されないと思ってきた。
いや、そうしたくないと思ってきた。
自分のエゴを克服するのが人生だと思っていたからだ。
そう決めていたからだ。
そういう人生を歩みたかったのだ。

でも、それでよかった。
私は、精一杯それをやり切った。
そうやって50年以上生きた。
自分のエゴと格闘をした。
一人孤独に修行をした。
魂が納得するまで。
そして、たどり着いたのが、「人生は、人のために生きるのではない」ということだった。


人は変えられない。
世界は変わらない。
それが、私の結論だ。
私は自分を変えて、人を変え、世界を変える。
私は、自分を、自分の世界を、望むものに変える方法(秘密)を知った。

でもこれは、誰も知らない、私の血のにじむような50年以上の格闘があったからこそだ。
それは、誰にも真似できない世界だ。
私だからできた。
そして私は、自分の人生を、自分の思い通りに歩む方法(秘密)を知った。


だが、それは人には教えない。
ずっと人に語りたかったが、誰もそれを求めなかったからだ。
誰も私の言うことを聞かなかったからだ。
ただサラだけが、何故だかいつも聞いてくれる。(笑)

今私は、ただ自分のためだけに生きている。
サラとともに生きている。
自分の体験から、それでいいと思っている。
50年以上体験をしたから、私はもうこれでいいのだ。
これ以上修行をするつもりは、全くない。



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2015年06月13日

思考と行動。


「いつになったら願いが叶うのか」
「いつになったら問題が解決するのか」
そう質問することは、はたして目的地へ向かうことだろうか?

川下(目的地・願いの叶う場所・自分の願いが自分を待っている場所)ではなく、川上(願いとは反対の場所)へ向かってしまう質問がある。
ていうか、質問・疑問・疑い・不信は、全て川上へ向かうのだ。
では、川下へ向かうためにはどうすればいいか。



エイブラハムは、「考えないだけで、オールを手放すことになり、川下に向かう」と言っている。
何故なら、私たちは望むものを知った時点で、既に「願望のロケット」を打ち上げているからだと。
願いは、流れをつくって私たちより先に川下に行き、そこで私たちを待っているのだと。

つまり、今それを考える(悩む)必要があるだろうか?
今考えたら悩みが消え、問題が解決するだろうか?
と言うと、答えはいつだって NO ! だ。
悩みや問題について考えようとすることは、「抵抗だ」とエイブラハムは言っている。



私たちは、自分が川下に運ばれることを許すだけでいい。
いや、許さないといけない。
つまり、「心配はいらない」と疑わず信頼することだ。
疑いは、自分の願いが叶うことに抵抗することだ。
オールを握って流れに逆らい、川上に登ろうとすることだ。
問題に前もって対処(対策)しようとすることは、実はそのネガティブなトラブルを引き寄せる準備をしている。
極端には、その実現を待っている、望んでいるということだ。

意識するもの、エネルギーを注ぐものは実現する。
私たちが、「創造主」・「創造者」だからだ。
思考には、現実を創る力があるのだ。
嫌だ、嫌いだ、NO と言っても、意識したものを全て私たちは引き寄せ、創り出す。
望まないものを「引き離す」ためには、望まないことには一切エネルギーを注がない、意識しないことが必要だ。
つまり、完璧に忘れるということだ。



不足や欠落は、意識に浮かべないことだ。
意識すべきは、思い出すべきは、願望自体であり、望みが叶った状態・気分だ。
不安や恐れには意識を注がず、夢と希望に注ぐことだ。
あなたにそれができますか?
真面目な人には、なかなか難しいのです。
私のように、社会でずっと危機管理という行動に生きてきた人間には。(笑)

今の社会は、ある意味まだ「危機管理」の世界だ。
政治も行政も、警察や自衛隊、そして企業も含めて、社会の全てが危機管理の思考で動いている。
不測の事態(心配ごと)の対処・対策にエネルギーを注いでいる。
ネガティブな出来事を、可能な限り予測し見通しながら、社会の安全を維持・発展させ、会社の業績を維持・向上させようとしている。
だがそれは、始まりの思考(前提)がネガティブであり、ネガティブな可能性の世界、つまり不安と恐れを見つめているということだ。
厳しくは、まだそれを望んでいる、手放していないということだ。



行動中心の生き方をしている人は、「あり方」(思考)が人生を創造している(いく)というスピリチュアルな世界観(人生観)とは真逆にいる。
身体を疲れさせるのが好きな人は、行動中心に、危機管理という心配・対処・対策でいくといい。
そうすると、頭も結構使える。
気配りも大変で、行動には体力も使い、神経はヘトヘトになる。
心配ごと(ネガティブな想像)は無限で切りがない。(笑)
でも、したい人はしたらいい。
それに飽きるまで、疲れ切るまで。

でも、ネガティブな問題に対して準備をしていると、それを引き出すことになる。
つまり、その行動は、そのトラブルを引き寄せることを、あえてしているということだ。
それが、思考が現実を創造する仕組みだ。
思考(波動・周波数・エネルギー)は、同質のエネルギー(もの・こと・人)を引き寄せる。
共鳴し合う。
行動の前には、必ずまず思考を整えることが必要なのだ。



問題(悩み)は考えない。
あなたに、それができますか?
今日一日、心配ごとをせずに楽しいことだけをして、楽しいことだけを考えていられますか?
安心していられますか?
今日一日、私と一緒に頑張りましょう。

心配しない思考は、更に心配しない思考を連れてくる。
ポジティブな思考は、更にポジティブな思考を運んできて、ネガティブな思考を自分に近づけなくする。
そして、私たちはいつのまにか、悩まない、深刻にならない、大らかなポジティブ・マインドの中で暮らすことになる。
そして、それが、ネガティブな波動・エネルギー・現実を、自分から引き離すことになる。
つまり、他の世界(次元)に、私たちが移行する(自分の世界を変える)ということだ。



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2015年06月12日

自己アイデンティティと豊かさ。


今日は、「自分のアイデンティティ」(自分というもの、自分が自分である証、自分の存在意義)、そして「豊かさ」というものを考えてみたい。


人生は、生活の様々なニーズを、バランスよく満たすことが大切だと思う。
身体、精神、社会、家族、金銭、知性、等など。
でも、もしかしたら、多くの仕事(企業)は金銭と社会というニーズは満たしてはくれるが、他のニーズは満たしてくれないかもしれない。

そして、社会が押し付けてくる価値観、企業が追いかけている方向(利潤)だけが、人生ではない。
社会の価値観は変わっていくし、他人の価値観も自分とはそれぞれに違うものだ。
仕事場以外で達成できる成功が、たくさんある。
つまり、人生は決して職場(仕事)だけが全てではない。
勤め人には、定年という最後もある。



「あなたは誰か?」と聞かれたら、あなたは何と答えますか?
自分のアイデンティティを、自分の「エッセンス」で語れなければならないと私は思う。
自分というもののエッセンスを知っていて、それを誇りを持って人に語れなければ、その人には自分という存在はない。
自己肯定していないし、自分を見つけていない。
まだ、たどり着いていない世界があるということだ。
真剣ではない、正直ではない、無責任だと言ったら、少し言いすぎだろうか。

自分のアイデンティティを、会社(勤め先)の看板で保っている人も多い。
だが、その人たちから会社(仕事)を取り除くと、自分を何ら表現できないケースもある。
その人たちは、他に表現できる自分というものを持ってはいないのだ。
だが、そのくせ、決して自分の仕事に誇りを持っているわけではなかったりもする。
逆に、自分の仕事や職場、自分の立場・状況を嫌っている人だっている。
確かに、企業や社会の仕事上のモラル、そして勤労の美徳には、マイナス面も多い。
だから、仕事(会社)人間は、人生のバランス(先に挙げた事柄など)を欠くことが多い。



日本人はすぐに、「職業は何ですか?」と聞く。
失業してる人や、専業主婦、身体的・精神的事情等により働けない人達、仕事や職場に悩みを抱えている人達(人に知られたくない人達)等には、酷な質問だ。
ニュースを見ていても、当事者には年齢と職業が表示される。
その人に職業がなければ、「無職」だ。
だが、人生は職業だけではない。
ここのところ、よく「自称〇〇〇」という表現を見かけるようになったが、それは楽しいし、素敵だと思う。

私は、長い信仰人生を生きてきたし、信仰を捨てることもした。
転職も経験したし、失業も経験した。
倒産も経験したし、リストラも経験した。
離婚も、自営の開業も、閉店も経験した。
だから、私のアイデンティティ(肩書き)は、「多難な人生を歩んだ男」だし(笑)、自称で言わせてもらうならば、今は「自称 夢想家」(瞑想・妄想家)あたりでいこうかと思っている。(笑)
「自称 詩人」なんていうのもいい。
また、「自称 完璧主婦」でもいい。
なぜなら、私は、炊事・掃除・洗濯など、家事が大好きだからだ。(笑)



私たちは、たとえ現状が好ましくなくても、なんとか現状に適応しようとする。
職場だけでなく、人間関係や、家族関係など、全てにおいてそうだ。
全てを我慢して、なんとか許容し続けようとする。
だが、いつも自分の本音に正直に生きることが大切だ。
楽しめないことばかりやって人生を過ごすのは、人生がそんなもんだと勝手に決める(諦める)のは、望まないことばかり人生に引き出すのは、紛れもなく自分の責任だ。
「自分の思考が自分の人生をリアルに創造している」ことを、よくよく考えるべきだ。

さて、では成功とは、豊かさとは一体何だろう?
バシャールは、豊かさを、「やりたいことを、やりたいときに、やれる能力」と定義している。
( the ability to do what you need to do , when you need to do it )



私は、成功や豊かさとは、自分自身の思考(波動・周波数・エネルギー)のことであり、それにより自分が整えている(整える)状況のこと、つまり自分の「望むものを実現する力」(引き出し、引き寄せ、引き離す能力)のことだと思っている。
豊かさとは、決してお金だけではない。
まして、私の生きたい人生(したいこと)は、昨日書いた通り、「ジャコウネズミの人生」だ。
だから、それにお金はほとんどかからない。(笑)

私には、今本当に素敵な状況が完璧に整っている。
ハンモックはないけれど。
波の音は、いつもは聞こえないけれど。(笑)
だが、今の私は本当に完璧に豊かで幸せだ。
今の状況を整えた自分は、本当に力があり、成功していると言える。
今の私の状況の全てが、今の私自身であり、私の実現した、望むものを引き寄せた、望まないものを引き離した結果だ。
本当にありがたいことだ。



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2015年06月11日

ハンモックとジャコウネズミ。


「音楽家は音楽を奏でずにはいられない。画家は絵を描かずにはいられない。詩人は詩を書かずにはいられない。それぞれが安らかに自分自身でいようとするならば」
アブラハム・マズロー (アメリカの心理学者。1908〜1970)

そんな言葉があるが、私も確かにそう思う。
私には私の道があり、その道にいないと安らかではいられない。
社会や他人の価値観に生きようとは思わない。
「内なる自分」とそれてしまっては、幸せではいられないからだ。



ハンモックに揺られながら、寝そべって毎日読書をし、考え事や瞑想をする。
それが、私の昔からの「理想の人生」のイメージだったのかもしれない。
私が子供の頃見ていたテレビアニメの「ムーミン」に出てきた「ジャコウネズミさん」のような感じです。
(知っていますか?)
いつも、しわがれ声で、「無駄じゃ、無駄じゃ」と言っていましたね。(笑)

たっぷりとゆとりある静かな時間と空間の中で、毎日をゆったりとくつろぐ。
大きな木陰で、爽やかな風を感じながら。
海の波の音や、好きな音楽(洋楽のフォーク・ロックやジャズ等)を聴きながら。
それが、私の理想です。



でも、現実はだいぶそれとは違いましたね。(笑)
ずっと、忙しくしていました。
多分、そんな理想には、抵抗していたんでしょうね。
受け入れていなかったのでしょう。
自分自身を。

でも、自分に生きないと、人生はうまくいかないのです。
だから、今はそんな感じでやっていますよ。
今は、自分にとって意味のないことは、決してしません。
もう、ほとんどの体験をしてしまって、自分にとっての「意味のあること・ないこと」を全てきちんと知っているので、今は本当に自分の「望むものだけ」を実現するようにしています。



「ムーミン」は、トーベ・ヤンソン (女性。フィンランドの画家・小説家・ファンタジー作家・児童文学作家。1914〜2001)の作品です。
日本においては、1969年から数回アニメ化が行われていますね。 

1. 「ムーミン」 (1969年版)
2. 「ムーミン」 (1972年版)
3. 「楽しいムーミン一家」 (1990年版)
4. 「楽しいムーミン一家 冒険日記」 (1991年版)
5. 「楽しいムーミン一家 ムーミン谷の彗星」 (1992年 劇場版)等。

他にもありますが、私が子供の頃観ていたのは、多分 2. のものだったのかな?
ちなみに、私の観ていた当時は、ムーミンのガールフレンド(スノークの妹)の名前は、フローレンではなくノンノンでしたよ。



【 ジャコウネズミ 】 ( Wikipedia より抜粋 )

原作、アニメーション「ムーミン」、「楽しいムーミン一家 ムーミン谷の彗星」 (劇場版)に登場。
正しくは、マスクラット。 自称哲学博士で、哲学書を好む。
「ムーミン」では、「無駄じゃ無駄じゃ、まったく無駄じゃよ」などと言い、必要な物のことなどでヘムレンさんと言い合ったりしていた。
いつも読んでいる本は、「すべてがむだである事について」。
後に、飛行おに(鬼)の手によって、「すべてが役に立つことについて」に変えられてしまった。
ムーミンパパが川に橋を架ける時にジャコウネズミの家を壊したので、一時ムーミン一家と同居していた。
「ムーミン」では茶色い毛並で白衣を着ており、原作、「楽しいムーミン一家」では抹茶色の毛並で裸である。



「楽しいムーミン一家  ムーミン谷の彗星」 (劇場版パペット・アニメーション 広告サイト)
http://moomin-suisei.com/
(中ほどのキャラクター紹介に、ジャコウネズミさんが出ていますね。でも、これは劇場版なので、私がテレビで観ていたのとはちょっと違うけれど)



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2015年06月10日

不思議な翼。


「人生には、速度を上げるよりも大事なことがある」
マハトマ・ガンジー (インドの精神的指導者、無抵抗主義者。1869〜1948)

「彼は田舎で死にものぐるいで働き、町に住めるようになった。そこで今度は町で死にものぐるいで働き、田舎に住めるようになった」
ドン・マルキー (アメリカの作家。1878〜1937)


そんな言葉たちもあるが、私は本当に人生を変えた。
昔、何かの占いの本に、「あなたは誰も想像もしなかったようなことを突然して、人をあっと驚かせるようなところがある」と書いてあったのを記憶しているが、そんなことを一番驚いているのは私自身だ。
人生には様々な節目があり、その都度自分の身のまわりが大きく変化するものだ。
私の人生にも、確かに大きな幾つかの節目があった。



だが、私の人生の最大の節目(変化)は、自営の道に進んだことだった。
そのことで、私はある意味「不思議な世界」を生きることになった。
生きなくてはならなくなった。
何も保障のない無防備な世界を生きるためには、新たな力を身につけるしかない。
それは、まさしくスピリチュアルな世界を生きる「不思議な力」であり、新たな世界を歩む「新たな翼」だった。

でも、私はその「不思議な・新たな翼」をどんどん手に入れ、体験していった。
今も私は、毎日本当にスピリチュアルな、本当に不思議な翼を増やし続けている。
だが、人生には、求めると新たに生えてくる、「本当に不思議な翼」が無限にあるのだ。
そして私は、昔からその不思議な力で生きてみたかったのだと思う。



理性的な、理屈の世界(普通の人生)になど、全く興味はなかった。
そんな世界を生きることほど辛く、苦痛なものはない。
決まったコースなんて生きれない。
ルートの決まった人生、ゴールの決まった人生ほど、つまらないものはない。
自由に遊べるゲームでなければ、今はもう楽しめない。

毎日、見えない世界を生きたいのだ。
毎日、不思議な力で、不思議な世界を飛びたいのだ。
私はずっと、その自分の感じる、自分が導かれる道に向かって歩いていたのだと思う。
自分でも全く気付かなかったのだけれど。
でも、今ならそう言える。



実際に自分が空を飛べるとは思ってはいなかったのだが、私はずっと「空を飛びたい」と思っていた。
飛べるようになるために、私はずっと準備を進めていた。
幼虫がサナギとなり、そして羽を出して空を飛ぶように、私も不思議な、想像もつかなかったような羽を持って、翼を持って今空を飛んでいる。
まだまだ経験不足でうまくは飛べないところもあるけれど、これからもどんどん上達して、更に空を上手に飛べるようになるはずだ。

それは、疑いのないことだ。
なぜなら、それが私の「変わらぬ昔からの願い」だから。
今私は、本当に不思議な翼で生きる人生を経験している。
いや、私の願いは、昔からずっと叶っていたのだ。
私は、ずっと空を飛んでいたのだと思う。
本当に、ありがたいことだ。


May all your dreams come true !
(あなたの抱く全ての夢が現実のものとなりますように)



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2015年06月09日

テレパシー関係。


人とのコミュニケーションは、テレパシーだ。
だが、テレパシー関係とは、決して何かを読み取る関係ではない。
エネルギー(波動・周波数)が同じなため、黙っていても分かり合える、シンクロして同じことを考えているということだ。
昔は、努力すれば、どんな人とも分かり合えると信じていた。
だから、いつも精一杯努力した。
だが、エネルギーの違う人とは分かり合えない。
全ての関心と、考え方・受け取り方が全く違う。


エネルギーの違う人と、分かり合おうとすることは全く無駄だ。
自分のことを分かってくれていないことは、直感で分かる。
「ああ、分かってくれてないんだな」、「ああ、全然見えてないんだな」、「ああ、全く関心がないんだな」とすぐに分かる。
残念ながらその人は、私とは同じ「エネルギー帯」にはいない。
その人は、いつも自分の関心のある世界を語り、私はその人の話に合わせる。
だがその人は、それに気づかない。
そして、その人は、私の関心のある世界には全く関心がない。
だから、私が何かを話したところで、全くすれ違う。


人を変えることはできない。
その人の波動・周波数は、その人だけが変えられるからだ。
他人がそれを変えようとしたところで、抵抗されるだけだ。
「余計なお世話です」と。
そして、こちらもその人に抵抗すると、ネガティブな感情を抱き、波動を下げ、更に望まない引き寄せをすることになる。


私は自分のことを愛している。
だから私は、私のことを愛せない人とは、一緒にはいられない。
その人は、私とは違うものを見つめているのだ。
私は、「自分を愛している人」が好きだ。
「自分を愛していない人」とは、私は一緒にはいられない。


だが、誰も変わる必要はない。
自分で選択してるならそれでいい。
自分のことは、自分にしか分からないからだ。
どちらが正しいということではない。
ただ、「違う」ということだ。
ただ、「違う」…。
でも、それは、とても大切なことだ。
それも、自分の引き出す世界だから。


だから、遠慮していては駄目だ。
自分の「望むもの」について、「引き出す世界」・「引き寄せる世界」について。
調和のある、シンクロした、完璧に分かり合える関係、つまり「テレパシー関係」だけが大切だ。
それを、明確に望むべきだ。
その都度、更に、明確に。
そして、永遠に。



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2015年06月08日

「ネイティブアメリカン長老の言葉」


もう何度もUPしては消しているのだが、改めてUPする。

開業して2年が経とうとした頃、私のブログを見たサラが私のお店に登場した。
もう、5年以上前のことだ。
その頃私は、必死で毎日一人夜中まで「何か」と戦っていた。
(営業時間は 23:00 迄だった)

彼女が私の店に通い私と交流を深める中、彼女は、先に紹介した「ゲシュタルトの祈り」と、しばらくしてこの詩も私に教えてくれた。
「ゲシュタルトの祈り」もそうだが、この詩によっても、私は彼女が本当に繊細で美しく、尚且つ優しく優秀な方なのだということを理解した。
彼女は人の人格を、人の境界線を、きちんと尊重できる、本当に立派で素敵な人だ。

サラには、今でも本当に感謝している。
ありがとう。



【 招待 】 オライア・マウンテン・ドリーマー(ネイティブアメリカンの長老)の詩。


あなたが生活のために何をしているかは、どうでもいいことです。
私は、あなたが何に憧れ、どんな夢に挑戦するのかを知りたいと思います。
あなたが何歳かということも関係のないことです。
あなたが、愛や夢や冒険のために、どれだけ自分を賭けることができるかを知りたいのです。
あなたがどの星座の生まれかということもどうでもいいことです。


あなたが本当に深い悲しみを知っているか、人生の裏切りにさらされたことがあるか、それによって傷つくのが怖いばかりに心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。
あなたが自分のものであれ、人のものであれ、痛みを無視したり、簡単に片づけたりせずに、それを自分のものとして受け止めているかどうかを知りたいのです。
また、喜びの時は、それが私のものであれ、あなたのものであれ、心から喜び、夢中になって踊り、恍惚感に全身をゆだねることができるかどうかを知りたいのです。
気をつけろとか、現実的になれとか、たいしたことはないなどとは言わずに。


私は、あなたの話すことが本当かどうかには関心がありません。
私は、あなたが自分自身に正直であるためには、他人を失望させることでさえ、あえてできるかどうかを知りたいのです。
たとえ裏切りだと責められても、自分自身の魂を裏切るよりは、その非難に耐える方を選ぶことができるかどうかを。
たとえ不実だと言われても、そんな時にあなたがどうするかによって、あなたという人が信頼に値するかどうかを知りたいのです。


私は、あなたが本当の美がわかるかを知りたいのです。
それが見た目に美しく見えない時でも、毎日そこから本当に美しいものを人生に汲み上げることができるかどうかを。
私は、あなたがたとえ失敗しても、それを受け止めてともに生きることができるかどうか、それでも湖の縁に立ち、銀色に輝く満月に向かって YES と叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。


あなたがどこに住んでいるか、どれだけお金があるかはどうでもいいことです。
それよりも、あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、どんなに疲れ果てていても、また朝が来れば起き上がり、子どもたちを食べさせるためにしなければならないことをするかどうかを知りたいのです。
あなたが誰を知っているか、あなたがどうしてここへ来たかは関係ありません。
私とともに決して怯まずに炎の只中に立つことができるかどうかが知りたいのです。


あなたがどこで、何を、誰と勉強したかはどうでもいいことです。
私が知りたいのは、皆が見捨ててたった一人になった時、あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。
私はあなたが自分自身としっかり向き合い、その何もない時間の中にいる自分を、心から愛しているのかどうかを知りたいと思っているのです。



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「ゲシュタルトの祈り」


もう何度もUPしては消しているのだが、改めてUPする。

サラが私と出会い、しばらくして彼女が私に教えてくれたある詩がある。
それが、「ゲシュタルトの祈り」だった。
そして、彼女はいつもその言葉の通りに彼女の道を歩んでいるし、勿論私も、その言葉の通りに私の道を歩んでいる。
とても深い、そして、本当に素敵な言葉だと思う。



【 GESTALT GEBET 】
ゲシュタルトの祈り

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

ICH BIN ich und DU BIST du -
私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das sch?n,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

Frederick Perls
フレデリック・パールズ


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フレデリック・S・パールズ(1893〜1970)
ドイツの精神医学者であり、ゲシュタルト療法の創始者。

最後の一文については、「出会えなくても、それは(残念だが)仕方のないことだ」という訳が一般的なようだ。
でも、ゲシュタルト療法に詳しいある方が、下記のような解説をしてくれている。


私たちはより良い状態である事を願い、そうなろうとする事(ポジティブだとか前向きだとか)を、良い事だと考えるように訓練されています。
でも、パールズによれば、それは「自虐」であり、「ポジティブ教の信者」ということになるようです。

「出会える事に価値があり、出会えない事は価値がない」、というフィルター。
「出会えない事それもまたよし」という言葉には、すべてをあるがままに受け止めるゲシュタルトの精神が集約されているようです。
「出会えない事に出会っている」とも言い換える事が出来るからです。

だからこそ、「出会えないことも、出会えることと同じように素晴らしいこと」という最後の言葉は、とても素敵な、とても意味のある言葉なのです。
そしてこの言葉は、全ての人との関係や全ての状況についても、全く等しく言えることです。


ありがとう。



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2015年06月07日

回想。(サラを語る)


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サラが店を手伝い始めてまもなくの、正月の写真です。
(あれからもう、どれ位経ってしまったんだろう。もう思い出せないくらいになりました)

昨日の流れから、サラのことをもう少し書く。
ちょっと長くなると思う。



人のことは、同じ波動(周波数)にいなければ、正しく見えないものだ。
正しくは分からない。
同じく、自分のことも、同じ波動にいる人でなければ、正しく見てもらえない。
正しく分かってもらえない。
私は、自分の「良さ」を知っている。(知っていた)
決して、優秀な、特別優良な自分ではないけれど。

私は、自分の愛すべきところ、素敵なところ、誰にも負けない私だけの良さ・魅力を、きちんと知っていた。
でも、それを正しく理解してくれる人、正しく受けとめてくれる人、言葉で正しく表現し誉めてくれる人には、残念ながら一度も出会うことはなかった。
つまり、誰も私の見てほしい、私の誉めてほしい素敵なところは、見てくれなかった。
いや、多分誰も分からなかった、気付かなかったのだろうと思う。
人生を見つめる視点が、みな私とは違っていた。
人生で出会った人たちは、みな私とは波動が、周波数が違ったのだ。
だから、私はずっと、「人生はつまらないものだ」、「寂しいものだ」、「孤独なものだ」と思っていた。



だが、何故だかサラには、私のことがよく見えたようだ。
お店のことも、「こんな素敵なお店は、どこにもありませんよ」と繰り返しいつも誉めてくれていた。
サラは、次第に私のお店や、日夜一人孤独に頑張っている私のこと(姿)を、彼女が感じているままに語ってくれるようになった。
彼女は、私以上の見方で、私と私のお店のことを感じ、理解し、肯定してくれていた。

私は、人生で初めて自分を、自分のお店を、客観的な言葉で納得できるように人から伝えてもらった。
とても嬉しかった。
私は、「自分の愛の全て」を表現するために店を開いていた。
私には、勤め人では表現することができなかった、どうしても実現したい自分の「愛や夢やこだわり」があった。
だから、私は誰の力も借りず、理解者や協力者もなく、ただ一人でその自分の思いを噛みしめながら、その思いを実現するために店を開いた。



私は、サラの言葉に、心から満足した。
彼女が、私のことを初めて正しく理解し、言葉で初めて正確に表現してくれたからだ。
彼女には、自分の感じる直感の世界を、「言葉で正確に語れる才能」があった。(ある)
それは、私が求めていた世界だった。
私の必要としていたものだった。

私は、外側からの、客観的な、冷静な批評・肯定を求めていた。
それも、私の納得いくような正確な言葉で。
でも、私はそれが手に入るとは思ってはいなかった。
そんな人がこの世にいるとは思ってなかった。
既に諦めていたとも言える。
自分の真実は知っていたのだけれど。
店を始めてから、既に2年が経過していた。
だが、誰も私と、ピントが合ってはいなかった。



私は、自分にとても厳しい人間なので(いつも真剣なので)、お世辞やおべっかは必要ない。
私は、既に自分の求める「精神的なレベル」に達したからこそ、店を始めていたのだ。
自分のことは、自分が一番よく分かっている。
だから、トンチンカンなコメントも困る。

私の持っている世界を、私の何の説明もなく、一人で理解する能力、そしてそれを正確に言葉で語れる能力のある人を私が求めていたことは、今だから語れる。
手に入ったから、語れることだ。
私は、私と同じ感性、人生に対する真面目さ、自分のことを正確に捉える真剣さ、そして、自分の愛や夢・思いを人生で実現することの困難さを心から知っている人、つまり人生の挫折をたっぷりと味わったことのある人、お子ちゃまではない真の大人(本当の人間、人生の本当の苦労のわかる人等の意味)、そんな私の精神レベル、人生でしてきたことのレベルと全く同じ人以外、私は求めてはいなかった。
生意気だけど、私の真実だから仕方がない。



だが、そんな私の全ては、私の思いは、彼女には全て伝わったらしい。
私がひと言も何かを説明しなくても。
私のしていることが、私の夢が・愛が・思いが、私の過去が。
サラには、私のお店の、私の全てが見えたのだと思う。

そしてサラは、やがて私の店を手伝うことになった。
彼女が、私のしてることに連なることを希望したからだ。
私の愛と夢と人生と、サラの愛と夢と人生が重なっていた。
彼女と私は、色々な面で人生がとても似ていた。
シンクロしていたのだ。
生い立ちや人生の経過、信仰的(信条的)なことがらも含めて、人生に対する思いの全てが。



私は、サラを、「正常な人」・「正しい人」だと思った。
だが、私はずっと、人生には「正常な人がいない」と思っていた。
ていうか、私はずっと、「自分の感覚(感じ方)は何かがおかしいのかもしれない」、「自分は狂っているのかもしれない」、「間違っているのかもしれない」、「異常なのかもしれない」と思っていた。
だって、話の通じる人がこの世にはいなかったのだから。

だから、私は、サラによって救われた。
そうでないと、私は本当に一生浮かばれなかった。
サラのお陰で、私は初めて外側から自分のことを肯定してもらい、自分の人生を、自分の実像を統合することができた。
自分の世界を正しく理解してくれる人に出会えることは、本当に幸せだ。
自分を、自分の人生を、心から肯定することができるからだ。



正しく肯定されるということは、味方がいるということは、孤独ではないということだ。
正しく理解されないと、味方がいないと、たとえ強がりを言ったところで、結局は孤独で一人ぼっちだ。
そして、私もサラの良さ、サラの繊細さ、サラの感受性の豊かさ、サラの愛が・夢が・思いが、サラのかけがえのない魅力がよく分かる。

サラの見つめている世界は、私の見つめている世界と同じだった。
ていうか、彼女が私を信頼し、とにかく私に合わせよう、私を信じよう、私の全ての力になろうと決めたからかもしれないが。
私の力になることが、私を救うことが、「自分を救うことになる」、と彼女は直感したのだと私は思う。
やはり、彼女にとっても、私が彼女の「分身」であり、「彼女自身」だったのだろうと思う。



自分の「分身」を現実に引き出すということは、本当に幸せだ。
一人で悟りを開くよりも、どんな地位や名誉や満足を得るよりも価値があり、意味がある。
シンクロした自分の分身(自分自身)を、自分の人生に出現させると、人生には孤独がなくなる。
何故なら、自分の感性・感覚・思いなど、自分の全てが肯定できるからだ。
その体験、その感触、その波動は、私にとっては本当に人生で初めてのことだった。
本当にありがたいことだ。

この地球で、この宇宙で、孤独で迷子になっていた私が、サラによって救われた。
心からの「無条件の愛」(味方)は、本当に有り難いものだ。
今も変わらずに、サラには感謝しています。
本当にありがとう。



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2015年06月06日

ソウルメイト。


いつもブログを読んで下さり、ありがとうございます。
昨日書いたように、私は私の波動による「私の世界」に生きています。
その世界に住み、その世界を経験しています。
私が経験している世界は、私が引き出している世界であり、つまり私そのものです。


だから、あなたが私とつながっているのなら、あなたは「私の世界」にいる方です。
私は、四六時中自分のスピリチュアルな世界ばかりを見つめている変な奴です。
だから、あなたが私とつながっているのなら、あなたも相当スピリチュアルな変態なのだと思います。(笑)
あなたもきっと、私と同じスピード(タイミング)で、ご自身の波動を上げ、成長されてきたのでしょう。


私は、とても人間好きな奴です。
つまり、人間好きではない人には、あまり興味がありません。
縁が続かないのです。
語ることがないからです。
私は、何はともあれ、何がなくとも、「愛の人」(愛ある実践者)が好きです。


そして、そんな私には、サラというかけがえのないソウルメイト(魂の友人)がいます。
彼女との縁(つながり)は、本当に不思議です。
私は、彼女のことを、「私の分身」だと見ています。
彼女と様々な「愛の世界」を語ることは、本当に幸せです。
いつかあなたとも、どこかで美味しいビールでも飲みながら、たくさんの美しい「愛の世界」を語れればと思います。
いつもありがとう。


今日は、ブレイク・タイムです。
私の好きな、そしてサラも大好きな、エルヴィスの歌をお聞き下さい。
エルヴィスの歌(人間賛歌)は、格別です。
特に、円熟した晩年の歌声と勇姿は、本当に素敵です。
(享年は42才)


「MY WAY」 by Elvis Presley
https://www.youtube.com/watch?v=PP8HO9TGkbw


尚、サラのブログは、 http://blogsara.seesaa.net/ です。
ブログトップ画面の右側・「リンク集」にあります。

では。



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2015年06月05日

完璧に自由な人生。


今日はちょっと酷なことを書く。
だが、仕方がない。
私は正直者だから。

だが、私は何か判断をしているわけではない。
全ては、等しく価値があるのだ。
だが、私には私の心地よい選択がある。



さて、私がお金を求めると、どうなる?
私は、やがて望むだけのお金を引き寄せる。
あなたがお金を求めると、どうなる?
あなたは、やがて望むだけのお金を引き寄せる。
世界中の人が、みんなお金を求めたらどうなる?
世界中の人は、やがてみんな望むだけのお金を引き寄せる。

だが、ここで疑問がわく。
私が望むだけのお金を引き寄せたら、当然誰かの分が減るだろうと。
誰かが望むだけ引き寄せたら、みんながそれぞれに望むだけ引き寄せたら、当然お金が不足して、当たらなくなる人が出るだろうと。
だが、答えは、「ブー」だ。



何故なら、決してみな同じ世界に生きているわけではないからだ。
(どういうこと?)
私は、「私独自の」、「私の引き出す」、「私だけの世界」に生きている。
実は、私の経験する世界と、あなたの経験する世界は全く違う。
私は、「私の波動の世界」(次元)に生きていて、その世界を経験している。
あなたは、「あなたの波動の世界」(次元)に生きていて、その世界を経験している。
全ての人がみな、それぞれに「自分の波動の世界」(次元)に生き、「それぞれの世界」を経験している。
全く同じ世界に生き、同じ世界を経験している人は、実は誰もいないのだ。

だから、みんなが同じものを求めても、各自はそれぞれに自分の体験する世界を引き出すのであって、何かが欠乏して足りなくなるということはあり得ない。
満足を引き出す人は、必ず満足を引き出すのだ。
だが、逆に言うと、欠乏を引き出す人は、どんな世界にあろうと、とにかく欠乏を引き出す。
それぞれが、各々ただ「自分の引き出す世界」(次元)に生きている。



人が、それぞれ別々に生まれてきて、それぞれ別々に死んでいくということも、そういうことだ。
みんなが、それぞれの世界(独自の世界・次元)に生きているという証拠だ。
(私はまだ死んだことはないから、正確には死のことは分からないのだが)
みんなが同じ世界に生きているわけではない。
それぞれが、それぞれの世界(地球・宇宙)に生きている。
だから、人の引き出す(抱えている)世界を心配する必要はない。
心配しても仕方がない。

不幸に生きる人は、不幸を選択する人は、誰が助けようとしても無駄だ。
人の「魂の選択」を、外側から強引に変えることなどできない。
「私のことは、ほっといて下さい」と、抵抗されるだけだ。
世界中に存在している「飢餓や貧困、戦争等」の本質も、実はそういうことだ。
人生に痛みや困難が必要だと思っている人は、どうしたってその世界(状況)を引き出す。
自分にはそれが必要だと信じているからだ。
自己否定しているからだ。



例えは悪いが、部屋を散らかす人は、無理やり片付けさせても、仮に手伝って片付けてあげたところで、すぐにまた散らかす。
同じように、人生に繰り返し痛みや困難を引き起こす人は、それを自分で引き起こしている。
つまり、何らかの意味があるということだ。
その人にとっては、そのネガティブなプロセスに必要性があるということだ。

それは、選んでいるということだ。
その選択以外しないということだ。
避けられないと信じているのかもしれない。
他の選択(ポジティブなプロセス)ができるとは思っていないかもしれない。
自分には、選択するパワーがない(無力だ)と思っているかもしれない。
酷な言い方をすれば、それが好きだということだ。
好きなのだから仕方がない。

それ以外のあり方には、頑なに抵抗しているのかもしれない。
神や自分の運命・宿命というものをでっち上げて、それに反抗することだってある。
一生何かに恨みを抱え、復讐心で生きる人だっているのだ。
それもその人の選択だ。
誰にもそれは止められない。
止めれるはずもない。
その人たちは、それに飽きるまで、目を覚ますまで、それを経験しなくていいと気づくまで、それにとことん疲れ果てて嫌になるまで、そこを抜け出たいと本気で願うようになるまで、それを経験しなければならないのだろうし、経験するだろう。



みんなが同じ感覚で、同じ感性で、同じ思考や波動や周波数で生きていると思ったら大間違いだ。
みな、それぞれの世界、別々の次元に生きていることを知るべきだ。
だから、何か(例えば、整理整頓された部屋)が好きな人もいれば、嫌いな人もいる。
「波動」の好みも、それぞれだ。
逆に言えば、それが「選択の自由」がみんなに等しく与えられている証拠だ。

私たちは、いずれにしても完璧に自由だ。
私たちは、どんな時でも「全ての選択の自由」を、それぞれいつも100%持っている。
自分以外に自分を止めるものは何もない。
止められている演技をする人は多いけれど。
誰かの、何かのせいにしたがる人は多いけれど。
目覚めようとしない人は多いけれど。



だが、みなそれぞれに、自分の持っているエネルギーを自由に使いながら(注ぎながら、与えながら、放ちながら)その見返りとして受け取るものをいいも悪いもきちんと受け取りながら、各自の人生を自由に生きている。
つまり、「必ず自分の面倒は自分でみることになる」という自己責任を前提として、そういう約束(合意)を持って、みな平等に完璧な自由を持っているのだ。
だから、各自それぞれに、「あっぱれな人生、万歳!」、「完璧に自由な人生、万歳!」と言うべきだ。



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2015年06月04日

自分の意識(エネルギー)という世界。


お金の話が心地よくないのなら、あなたはお金を嫌っていて、抵抗している。
そして、嫌うもの・抵抗するものは手に入らず、そしてそれに苦しめられる。
エネルギーの関係からそうなる。
自然体でいれないということは、そこにネガティブな観念(信念)があるということだ。
ネガティブな体験や記憶があるのかもしれない。
だが、ネガティブな観念(信念)は、ネガティブなエネルギーを発し、ネガティブな体験を繰り返し引き寄せる。

しかし、お金はネガティブでもポジティブでもない。
お金は中立であり、良くも悪くもない。
お金は、ただ便利で、素敵で、ありがたいものだ。
お金がなくては、困ることばかりになり、今の社会は成り立たない。
お金をどう感じるか、どう体験するかは、ただ私たちの「引き寄せる・引き出す世界」の問題だ。
(「引き寄せ」のことは、今日は詳しくは触れない)



肯定して喜べば、お金に感謝ができるようになる。
でも、否定して嫌うと、お金だけでなく、お金といい関係を保っている人全てが嫌いになり、しまいには社会(世界・地球)全体が嫌いになり、自分の居場所がなくなる。
(勿論、私たちは別のシステムを利用した新たな社会を創造することもできる。だがそのことも、今日は触れない)

先ずは、お金は中立(無実)だということを知ろう。
お金に責任はない。
きっと、あなたの周りには、お金の悪口を言う人が、お金を嫌う人がいたのだ。
だから、あなたは「お金は悪いものだ」と思ってしまったのだと私は思う。
あなたは、お金の味方をするのではなく、その人たちの味方をしているのだ。
もしかしたら、あなたは世界中の「貧困の問題」を見つめているのかもしれないし、品格のない強欲な金持ちの姿、そして自分がしたお金の苦労や嫌な思いなど、ネガティブな体験の意識から抜け出せないのかもしれない。
(世界中の貧困の問題も、今日は触れない)



みな、お金を求めている。
求めていいんだ。
先ずは、求めよう。
抵抗しないで。

求めることを、自分に許せるようになったら、それだけで幸せになれる。
お金に限らず、これは全てに言えることだ。
自分の望み(願望)を否定すると、ネガティブな気分になる。
自分が嫌になり、人生が嫌になり、幸せを感じられない。
だが、自分の望みを受け入れ、肯定すると、ポジティブな気分になり、幸せになる。
望みを持つだけで、幸せな気分になれる。



あなたが、自分の望みを考えて、幸せな気分になるとしたら、あなたは OK だ。
あなたは、自分の望みを肯定しているということだ。
自分の願望を肯定すると、自分の「内なる存在」(内なる自分・宇宙)と調和してハッピーな気分になる。
何故なら、「内なる存在」は、いつだってあなたの無限の願望を実現しようとしているからだ。

全ては、私たちが自分を肯定しているか、受け入れているか、ポジティブかネガティブか、内なる存在と調和しているかどうかという問題だ。
全ての物事が、ただ見方・考え方・受け取り方によって、良くも悪くもなる。
そう流れていく、動いていく。
いつだって、私たちがその物事に、「どんなエネルギーを注ぐか」(与えるか)という問題だ。
私たちが意識を向けず、私たちのエネルギーなしに存在できるものなど、「私たちの世界」には何一つない。



その物事が好きな人は、肯定している人は、その物事と良好な関係が結べる。
その人にとっては、その物事が「幸せの象徴」となる。
これは、全ての物事に言える。
自分の世界の全てが、ただ自分の与える「意識」(エネルギー)と「意味づけ」によって存在しており、動いている。
全てが、自分の「意識」(エネルギー)の反映・投影であり、つまりは「自分自身」だ。



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2015年06月02日

「スピリチュアルなお金論」


私は長いこと信仰に生きてきた。
精神的な満足以外は、ほとんど求めなかった。
そうやって何十年も生きてきた。
様々な願望を持つことを、嫌っていたのかもしれないし、抵抗していたのかもしれない。
でも、もう今は、「昔のこと」はすっかり忘れた。

だが、「願望を持たないこと」も「精神的に生きること」も同じく願望だ。
人は願望を持たないで生きることはできない。
成長も、誇りも、人格的な満足も、「信仰心に生きたい」・「スピリチュアルに生きたい」と願うことも願望だ。


私は、「人のために生きたい」と願ってきた。
「社会のために」、「世界のために」と生きてきた。
だが、人を変えることはできないと知った。
人の波動は、私には変えられない。
何故なら、私が人に変わって思考することはできないからだ。
そして、世界は変わらない。
そこに現れているのは、常に「私自身」(私の波動・思考)が現れた世界だからだ。
私が引き出している世界だからだ。

何年か前に、「人の役に立ちたい」と願い、店を始めた。
そして、納得いくまで自分と格闘し、そして店を畳んだ。
私は人生観を変えた。
今の私は、ただ自分の波動・思考を整えて、自分の世界を整えるだけだ。


今一番私が欲しいものは、「お金」だ。
私は人を変えることはできないが、お金はある意味簡単に、自分や人々に様々な利益や喜び・満足を与えることができる。
今私は、本当に豊富なお金を手にしたいと願っている。
私は、裕福な人間になり、もっともっと人生の大きな喜びや豊かさを味わいたいと思う。

勿論、お金が人生の全てではない。
健康、人生のパートナー、ゆとりある時間、心の安らぎ・安心感などが人生には不可欠だと私は思っている。
でも、それらと同じように、お金は人生にとってとっても大切なものだ。
お金があるお陰で、私たちはあらゆる豊かさを手にすることができるからだ。


お金は、人生の「豊かさの象徴」だ。
これから、私の「お金についての考え方」(思考)を、少しずつ書いていこうかなとも思っている。
きっと、とても素敵な、私の「スピリチュアルお金論」になると思う。



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2015年05月26日

フォトアルバム。 2015年5月

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今年も、「お出かけ」(歩け歩け運動)を、あちらこちら沢山しようと思っています! 手(チョキ) 



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2014年12月28日

THE LONG AND WINDING ROAD. (7)

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LET IT BE. (なすがままに…)
ありがとう。 揺れるハート


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THE LONG AND WINDING ROAD. (6)

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LET IT BE. (なすがままに…)
ありがとう。 ぴかぴか(新しい)


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THE LONG AND WINDING ROAD. (5)

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LET IT BE. (なすがままに…)
ありがとう。 るんるん


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THE LONG AND WINDING ROAD. (4)

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LET IT BE. (なすがままに…)
ありがとう。 ぴかぴか(新しい)

 
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THE LONG AND WINDING ROAD. (3)

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LET IT BE. (なすがままに…)
ありがとう。 るんるん


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