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【群馬】

「人権思想 脈々と」 谺さん「栗生楽泉園」で1周忌

谺さんの遺影を前に追悼する竪山さん=草津町で

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 ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会(全原協)の会長を務め、昨年五月に八十二歳で亡くなった谺(こだま)雄二さんの一周忌が十三日、入所していた草津町の国立療養所「栗生(くりう)楽泉園」で営まれた。元患者や支援者ら計約七十人が参列し、差別と闘い、人権の尊さを訴え続けた故人の遺徳をしのんだ。 (菅原洋)

 「谺さんの冥福は祈らない。ハンセン病の差別問題が全面解決するまで、まだ死なすわけにはいかない。彼の思いは生き続けている」

 取材に対し、約二十年の親交があり、谺さんとのコンビで国賠訴訟を闘った全原協事務局長の竪山勲さん(66)は力を込めた。元患者の竪山さんは鹿児島県から足を運んだ。

 国が患者を強制隔離した「らい予防法」などの責任を追及した国賠訴訟は二〇〇一年、原告勝訴で確定。その後も差別と闘うため、〇四年に谺さんに全原協の会長へ就任するよう、「あんたしかいない」と口説いたのが竪山さんだった。

 竪山さんは谺さんを「権力には厳しいが、人間味あふれるおおらかな人だった。国との交渉などで出す判断は筋が通り、人権や元患者の将来に対する考え方が的確で、自分たちの羅針盤だった」と振り返った。

 一周忌は支援者でつくる「群馬・ハンセン病訴訟を支援し、ともに生きる会」(高崎市)と、入所者自治会の主催。谺さんが今年一月、東京弁護士会から人権賞を受賞したため、その記念の集いも兼ねた。

 参列者はまず、園内の納骨堂で献花。一周忌は中央会館で営まれ、入所者自治会の副会長だった谺さんと活動した藤田三四郎会長(89)が「谺さんとは三十年ほど前に出会い、自治会では右腕になってくれた。人権のために命を燃焼した生涯だった」とあいさつした。

 参列者の前で、国賠訴訟の群馬弁護団を務めた吉村駿一弁護士(前橋市)は「谺さんの言葉には説得力があった。人権賞の受賞は谺さんにふさわしい。谺さんの人権思想は脈々と生き続けていく」と追悼した。

 

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