2015年6月13日 (土)

ガブリンチョ

 日本全国の小学校が全て同じではないと思うが 私の街の小学校の特別支援級は 知的障害児学級と位置づけて 社会福祉的な知的障害者ではなくても(愛の手帳の有無は関係なし) 小学校の中で 教育委員会さんとのやりとりで自分の子供が知的障害ありと認める書類にサインすれば移籍できる。 養護学校の知的障害学級は愛の手帳が入学の要件である。 
 クラスメイトの個人情報は守られ 他所の子の事情は知らない。 でも娘にかみついたお友達が ダウン症であるのは顔を見れば明らかだった。 でも保護者会で初めて顔を合わせた親に 「多動?」 「自閉症?」 「ダウン症?」 など突っ込んだ話なんてできない。 私も娘は心臓病であると説明したが 病名等は言わない。 ワーファリン服用の注意点は 担任にはもちろん 保護者達には青あざができやすい体質と説明した。 私にとってよその子の障害が未知の世界であるように 相手にとって一回顔を合わせた相手の話をどれだけ覚えているかなんて・・・ お互い様である。
 娘が入院中 何人ものダウン症児に会った。 症候群というのはいろんな病気の詰め合わせで ダウン症児で心臓障害を併せ持つ子も多い。 そして無脾症の娘もいろんな障害を伴っていた。 成長発達が遅く悩んだ時にダウン症の育児 = 歩き出したの2歳とかそういう部分を参考にした。 だから私の認識としても ダウン症 = ゆっくり発達する子どもというイメージだった。

 支援級に娘を入れて思ったのは 支援が必要な子の集まりであると言うことの意味を知る もっと大変な子が多かったというのが現状である。 私自身も3月になってから 心臓障害で障害者手帳を持つ娘を 本来なら養護に入れるべき子だったと言われ混乱した。 錯乱した。 動揺した。 だから現実を調べ矛盾を感じた。

 娘からの聞き取り調査を連絡帳に示し 相手をボコした=暴力を振るったことにショックを受け電話できなかったことも記載し 見事に歯型の青あざが残ったことを記した。 病院から帰宅した頃 最初は相手が言った言葉 娘が押したから噛んだと事実調査したのかしてないのか不明だが 相手の言い分を記載し噛んだことに いけないことだと指導したと記載されていた。 この時担任は2年生の男の子を 別室で見ていてその場にいなかったことを主張した。 でも誰もいなかったわけではない。 介助員の先生が見ていたそうだ。 
 掃除の時間だったのか 机を一緒に並べていたら 娘が相手の気に障る言葉を吐いたから噛んだみたいだという主張に変わった。 相手に噛みつく・ひっかく・靴をなげる等の問題は 今始まったことではなく この子の個別指導計画に入っているので注意してみていた上での事故だと言っていた。

「噛まれた跡が青あざになったことを伝えたので お母さんから電話がいくと思います」 と言って電話が切れた。 ちょっと消化不良気味だった。

 相手の母親は今にも泣き出しそうな 申し訳なさそうな声で謝罪していた。 私は娘が服用している薬の関係で ちょっと押されただけでも青あざになりやすい体質だと説明した。

「手加減なしで噛まれたと娘は言っていましたが その間なぐりつづけたと言っていて・・・ 叩かれた場所に青あざや傷等は大丈夫だったでしょうか。」 
「家の子が悪いので 叩かれて当然のことをしました」 と娘を責める発言はしなかった。 
「学校の先生から電話があり・・・ 先に娘が 早くして とか言ったのが原因らしいとのことです。 本人は否定してますが・・・ もしそのような言葉を吐いたのならお詫びします。 娘も普通学級にいた時に体育の授業など 早く走れないのに早くと言われストレスを感じていたはずなのに どの様な状況でどんな気持ちでそのような言葉を吐いたのか見当がつかなくて困っています。」 
 娘は そんな言葉言ってないという。 でも言った言わないは 子供だから忘れちゃうし それを見ていた大人(介助員)が 娘が先に何かしたといわれれば 娘にも非があることになる。 ・・・というか 噛まれたこともショックだったけど 殴っちゃった時点で何も言えない。

「家の子は 言葉が遅くて他のお友達のように言葉が出ないから噛む・つねる・足を踏んでしまうなどの行動をとってしまうのです。」
「私も心臓病棟でダウン症のお子さんを見てました。 娘も成長発達が遅くて支援級に移動したのですが・・・ もしかしたらダウン症のお友達はもっとゆっくりなのかもしれませんね。 私も 娘には早く出来ない子には早くと言わないよう親として指導したいと思っています。 他に出来る事はありませんか・・・?」
 彼女は何も言わなかった。 他のお友達とも何度も同様なトラブルを起こし 親も謝罪の電話に疲れ果てているようだった。 ただ・・・ 障害は違えど 母親同士協力出来る事は何か情報交換したいと思った。

 小学校の担任は 各自児童のハンディを理解している。 それは個人情報守秘義務のベールに隠される。 翌日の連絡帳のコメントに お母さん同志話し合えてよかったと思いますと コメントが書かれていた。 
 こういう事故が起こってから お互いの情報交換をして 分かり合えれば担任として問題解決と思っているのだろうか。 青あざのできやすい娘が支援級に移動する上での懸念事項として私は言える場所には言った。 でも相手の障害を理解できたら 噛まれたことも納得出来ましたね・・・といわんばかりの対応 ← こう考えてしまうのは母親の被害妄想かもしれませんが・・・ は 見守る役目の担任に対して不満がつのる。
 言葉の発達が遅れる障害の子だから 噛むのは仕方ない事なのだろうか。 成長発達が遅い子を 年齢だけが基準で同じ土台に乗せる事に無理はないのだろうか。

 噛まれた場所・押された場所で青あざが増えると その分血栓ができやすくなる確率が増える。 それはイコール 死ではないけど・・・ リスク説明として 脳障害や心停止 指先に飛べば切断もと言われてる親としては 恐怖をイメージしてしまう。 普通の子の子育てでは そんなこと考える方が心配性と笑うでしょうが・・・。 親バカですね。

 後日 娘が登校すると先生が娘を呼び 皆の前で歯型の痕を見せたそうだ。 ガブちゃんは卵の様に丸くなって決して娘を見なかったそうだ。 先生がよれば逃げる 娘の腕を見せようとすれば かたくなに丸くなる。 きっと母親からこっぴどく叱られたのだろう。 そんな体験したら 息子は絶対学校に行かないと布団の中で丸くなるタイプである。 学校まで来て丸くなるのは 働く母親を彼女なりに理解して そして 申し訳ない気持ちで娘の顔が見れなかったのだろうと 思いやった。 
 
「先生がね・・・ 私の腕を見せようと何度もガブちゃんの方へ腕を引っ張るんだけどね 教室の端から端まで移動するんだよ。 一日中丸くなってたの。 卵みたいで面白かったよ。」 

 娘は笑って話してくれた。 私は笑えなかった。 
   

2015年6月10日 (水)

Wの悲劇

 娘が怒り心頭で帰って来た。 ダウン症の子にかまれたという。 その場所を確認するとうっすらと赤く よく見れば歯型の痕に見えなくもない。 直感で思った。 これは絶対 内出血=青あざになると。 娘は泣くでもなく 淡々と語った。
「なにもしてないのに いきなりかみついた」 と。 子供目線の出来事である。 無意識下で何かしたかもしれない。 でもそれが娘が分かっていない = 同じことを繰り返す可能性ありと示していた。
「病院に 行きますか?」 
「何で?」 
「ん~・・・ 例えば 破傷風(狂犬病)の注射打ってもらう・・・とか?」
「注射は いやだぁ~~~!!!」 
 だよね・・・ 他に思いつかなかった。 相手の子が病気持ちという意味ではない。 心臓病 = 雑菌が入る = 心内膜炎の可能性 という発想しかない。 だから 移籍前から教育委員会さん 校長他懸念事項について話し合ったのだ。 結果 かみつかれた。 支援が必要な子の集まりである。 言葉が未熟な子とのコミュニケーションでは こういうことも起こりうるだろうと想定済みである。 そして事実起こった。 これに対する学校の対応が焦点である。
 連絡帳を 開くと担任からのコメントがあった。
「娘が押したから噛んだと相手がいっています(?) 理由はどうあれ噛むことはいけないことだと指導いたしました」 
 言葉が見つからなかった。 これは相手の言い分である。 娘に 状況説明させた。 
「噛まれた分 ボコしたから(殴り続けたという意味) もういいのchick」 
「なんだって?」 状況が全く理解できなかった私は 頭が白紙になったというか 全く娘の言っている意味が分からなかった。 
「先生は いなかったの?」
「いたよ(後日 分かったことですが介助員の先生) 先生は相手の子が 噛むのを止めようとしたけど間に合わなくって・・・ 私がボコしてるのを見ていて ・・・そろそろ 止めたら・・・ って言ってたchick 自分が噛んだくせに泣いてたから 許したchick」 
 言葉が出ない位衝撃だった。 少なくとも 普通学級にいたころは 勉強は出来なかったけど 他人を傷つける子ではなかった。 支援級に移ってからの変化に親として 衝撃を受けた。 娘が歯型をつけられた 傷つけられたことより 力で解決に持ち込んだ その考え方が何の解決にもならない 結果噛むのを止めて 相手を泣かせたけど この行為で 子供のケンカになり 被害者でなく ケンカ両成敗という対応を受けたことに唖然とした。 
 歯型のあざというのは 学校に電話して事実確認すべき案件だけど 気力をなくした。

 翌日 娘は学校を休んだ。 精神的ショックを受けたとか そういうのではなく 子供病院の循環器科外来の初診である。 カルテ作りという重要かつ 意味不明の無駄な時間である。 入院の為に必要な作業だけど たてわり仕事で 病院という同じ箱に入っているのに母親という伝書鳩を使わないと 意思疎通もできない手間のかかる作業に一日ついやした。
 家に帰り一息つ入れたリラックスタイムに 息子が泣きながら帰って来た。 折れたものさしを持ち クラスの友人にダメというのに勝手に持ち出し 折って返されたという。 しかも担任の先生に報告したら 「あら・・そうなんだ・・」 で終了した。 話し合いもなしである。 普通に解散・帰宅である。

 定規一本 100円ショップでも買える品である。 値段なんかたいしたことはない。 問題はそんなことじゃなく 学用品を持つもの・持たない者が 学校に存在し 先生目線では 友達同士 助け合い なんとかなったという構図を維持したいのであろう。 人間関係助け合いは大事である。 でも・・・ 自分も使うからダメという息子の静止を聞かずに奪い取り 気に入らないから 落書き&折って返す で泣きながら帰ってきた息子 ← このあたりがイラつくぐらい弱い 聞き取り調査では 普段から定規を持ってこず誰かに借りているらしい父子家庭 = お母さんが側にいないから不備がある = 社会的弱者であるという構図 
 息子の説明は 的を得なくて 被害者意識バリバリで 子供のことだから無視しようかとも思った。 定規を折るレベルのことなんて 子供社会の中では日常である。 よくある事故である。 新しいものを 買ってと言いたいのか 何本も持っているから当面困らないのか 状況把握できないもどかしさもあった。 困らないなら放っておこうとも思った。 
 問題は 担任の 「そうなの…」 という対応である。 娘は数々の学校に持っていっったらダメよ製品 例えばキャラクターのえんぴつ とか 学校が指示してないのに定規とか持って行って取られて言えなくて泣いていた。 相手の親(学校は通しません)に電話したら 名前記載にも限らず 「気前のいい子が隣の席に着いたと思っていたんです」 と母親から言われた。 親なんてそんなものだ。

 沸騰寸前の私を前にして 泣いてる息子を連れ 折れている定規を持ち 夫が学校に電話連絡後 乗り込んだ。 弁償ではなく 反省文を提出せよと要求した。 

 翌日私は仕事(放課後教室)があった。 帰宅した6時頃担任から電話が入った。 20分休みと昼休みを使って丁寧に対応したことを強調していた。
「相手の子は 故意に折った訳ではなくて 二人で引っ張り合って折れた訳ですから 相手の子一人が悪いと言う結論ではありません」 という。 
「それは 昨日 息子から聞いた話と違います。 でも息子は今 スイミングでいないし 私も仕事から帰ったばかりで 今日どんな話し合いを持ったか確認出来てない状況です。 それで感想文は どうなりましたか?」 
 感想文の提出は 私の意見でなく 夫のアイデアだった。
「相手の子の言い分では 自分も昔 定規を折られたことはあるが 謝罪文なんて書いてもらわなかったから 書きたくないと言っています。 私は今日 20分休みと40分休みを費やして充分な話し合いをしたと思っています。 本人も反省しています。」 
 担任は言い切った。
「その反省を文章にしてくださいと昨日夫は伝えたはずです。 それに以前定規を折ったのは息子ですか?」 
「ちがいますが・・・ 嫌がるものを 無理強いするのは子供の人権に抵触するので書けません。」 
 こんなことで子供の人権を持ち出す息子担任。 Kaoに向って 子供の人権を語り合いたいなら受けて立つ そう 私の地雷ポイントを 意識してか 無意識かこの人は踏んでしまった。
「息子の話では いつも定規を持ってなくて借りていると言う状態だそうです。 貸してと言って ダメだと言い 取り合いになり折れたから 両成敗ですか? 相手は悪くないという言い分ですか?」 
「この問題に関して言わせていただけば 十分な時間をかけ聞き取り調査をしました。 既に相手は謝罪し 息子は謝罪を受け入れたので昨日の時点で 問題は解決しているんですよ お母さん! 彼ら二人は普段から仲良しなんです。 こんなことでを乱したくありません。」 
 すごく強気な態度だった。 定規を折られたのに 息子にも問題ありのような言い方に聞こえた。
「今日・・・ 私は息子と話していません。 本日仕事が入っていることは 昨日夫が伝えたと思うのですが・・・ 何で昨日 夫が反省文の依頼をした時に子供の人権の話をせず 今日になってそんなことをいうのですか? 昨日息子は泣いていたんですよ。 折られた定規を見せて 先生に報告して そうなんだ・・・で終わらせたことに問題があるんじゃないですか。 なんでその場で解決 話し合いをしなかったんですか!」 
 即座に担任は反応した。

①定規は見せてもらったけど 相手に折られたとは言わなかった。 折れた定規を見せてくれたと思った。
②泣きながら帰宅したという情報は 今 始めて知った情報ですと断言した。

「夫と学校に向った時 泣いていませんでしたか? 泣きはらした赤い目をしていませんでしたか?」 
「全く気付かず 普段と変わりませんでした」

 私も放課後教室で 他所の子を預かっているが 表情の暗い子 顔の青い子 遊ばず寝っころがってしまう子等 子供の様子は気をつける。 それでも 母親程 完璧には見抜けていない。 でも 既に4月から3か月付き合った担任が 息子の泣きはらした赤い瞳を 普段通りだったと言い切ったことにもガッカリだった。
 まるでICUでむくみ丸くなった風船 破裂寸前娘の顔を 悲鳴を上げたい気持ちを押え 主治医や担当医に何が起こっているのか説明を求め 「この子はもとからこういう顔でした」 と言われたような気持ちだった。 担任も所詮こんなものかと割り切れた。
 感想文は元から夫のアイデアだった。 反省の色が見えないと言えば 子供の人権を繰り返す平行線だった。
「・・・・ わかりました。 管理職に変わりますので お待ちください」 
「そうですね。 ぜひ そうして下さい!」 

 保留音は長かった。 いきなりフラれた管理職(副校長)も困惑しただろう。 人間自分の都合の悪い部分は省略するものである。 電話口に出た 副校長の口調は穏やかだったが いきなり本題に入った。
「お母さんは 嫌がる子供に反省文を書かせることが ご希望で 担任は子供の人権の為それは出来ないと説明ましたが 納得できないということで・・・」
「そういう意味じゃなくて・・・」

 Try Agein ・・・ この不毛な会話を最初から説明するのかと思うとうんざりした。 小学校は 本当に私と子供の人権を語りたい? 突然降られた副校長もお気の毒である。 結果 翌朝 息子と当事者と副校長とで再度聞き取り調査である。

 子供は軽くウソをつく動物である。 うちの息子もまたしかりである。 折られた定規が残されてダメと言葉で断った結果 ひっぱりあって二人で折った。 ごめんと言ったから問題解決? それなら何で息子は泣きながら帰って来たのか。 それは知らなかたと担任は言う。 40分の1の出来事。 一人だけを見つめるなんて担任には出来ない。
 でも問題の相談を受けて 受け流すか? 私は学校にいない。 大人に助けを求めて 断られた絶望感を代弁したい。 しょせん 100円未満の品である。 相手もゴタゴタするなら弁償で収めたいだろう。 弁償というのは簡単・手軽かつ楽である。 定規を貸せなかった理由は 落書きである。 そこまで根っこを掘り下げず出来事だけに焦点をしぼった担任。 嫌という ダメという言葉の意味 言葉のキャッチボールの練習をする場所が小学校なのにね。
 だから こんなつまらないレベルの問題ばかり次から次へ・・・ これは支援級ではなく 普通学級の話である。 

 レベルはどちらも どっこい どっこい。


 *注意点*
   この内容は 定規が折れた対応結果を電話で受け取りイライラしている状態で 眠れなかったから書きました。 冷静さや客観的に物事見えず記載していますが 母親のイライラ日記としてお楽しみください。
 私の電話対応を受けて 担任と副校長と子供達二人で話し合いがもたれました。 そして子供二人の心の変化について目を見張るものがあったので 後日続きを記載します。 しばし お待ちください。

2015年6月 8日 (月)

つねる

 娘が以前のクラスメートと放課後に公園で待ち合わせた。 メンバーを聞いたら微妙な組み合わせだったが いってらっしゃいと送り出した。 夕方のチャイムが鳴る前に娘が帰ってきたのも珍しかったが 息を吸うのも忘れるくらいの勢いでしゃべり始めた。 時々 赤黒くなる顔をみながら深呼吸を促した。

  娘は多分クラス一番のバカだった。 しかも担任公認で ひとり漢字テストを ひらがなで書いていた光景は 周囲から見ると不思議ちゃんである。 これも娘のIQを年齢に換算して配慮よろしくと言ってしまった自分に原因があったと今では思う。 多様化する子供の障害について教員資格は持てども 各方面に対し専門教育を受けていない担任教師へ伝える事の難しさを学んだ。 
 なんでその日の遊びに娘も誘われたのか 子供の人間関係は分からないが 最初楽しく公園で遊んでいたが つねる癖をもつ女の子が 「お前バカだから支援級に行ってしまえ~」 と数人の男子に囲まれ大泣きする事態になったらしい。 娘は泣かなかった。 泣かずに他の女友達数人と学校へ行き 先生を呼び助けを求めた。 この学年の主任が対応し事態を掌握し 収めたと娘は言っていた。 

「子供だけで解決できないってすぐ分かったから 他の女の子と学校に行ったの」
 この判断力は正解である。 絶対誰か大人がいた方がいい問題だった。 また放課後でのことだが 対応してくれた学校の先生にもお礼がいいたかった。 
「ちなみに・・・ お前も の ”も” は誰のことでしょうか・・・?」
「・・・ わたし」 首をかしげながら娘は答えた 「自分がバカだと分かっているから大丈夫」 と泣かなかったことを自慢した。

・・・ 強くなったね ・・・

 その女の子は勉強が全くついていけない状態だった。 2年生の時から担任の先生が ことあるごとに 「お母さんに学校に来てもらって 現状を見てもらいます」 と言っているのを 子供達は 皆聞いていた。 けど母親を 見かけた子らはいなかった。 
「お前の母さん いつ学校に来るんだ~!」 「お前の親は知ってるのか? 勉強についていけてないことを!!」 
 男子が次々に 言葉を投げかけた。 娘は突然だったと言っていた。 彼女が先に何かしたのがきっけかも知れないし それは分からないと言っていた。 全然楽しくなかったと。

「支援級には 私がいるからね・・・・ って言ったから・・・」 
 娘がそうつづけた時に ヤバイと思った。

「さそわないで! 支援級に行けと言えば移動できるものでもないの。 誰でも簡単に来れる場所じゃないのよ。 いろいろ検査したの覚えてる? あのステップを踏むのは 誰でもつらいの。 普通の子と違う場所を見つけるんだけど・・・ 違うことは悪くないんだけど 悪いと言う人もいるからね 」 
 私が言えば 娘もテストは嫌いと言っていた。 
「それとね。 支援級は 彼女の親が決める事。 学校の先生が何を言っても 最後に決めるのは親なの だから誘わないでね」 

 娘は わかった・・・ とつぶやいた。

 まだ親権がどうのとか 勉強が出来ない=知的障害ではないことは 幼い娘に理解できないだろうと思った。 そして周囲の子供達も同じである。 でも最近の娘は 支援級の楽しいことばかり友人にPRしている。 そっちを禁止したかった。 勧誘禁止と。 

 小さな瞳は見ている。 担任が問題児と決めた子の親が 授業風景を学校公開でもないのに見学する姿を。 それが何を意味するかも なんとなく知っている。 
「早く 親に きてもらえ~」 その背景には 子供の前で 親を呼び出すと宣言する学級担任の姿もある。 これは いじめだろうか。 それとも 子供同士のよくある トラブルなのだろうか。
 とにかくこの件に関して 学校は知らぬ存ぜぬを 決めなかったことを 評価したい。

 

2015年6月 5日 (金)

家庭科の授業

 小5の息子が家庭科の授業でお料理した。 料理名はサラダ ・・・ ゆで卵とゆで野菜などである。 昨年度のクラブ活動が 料理手芸で唯一の男の子だった。 
「女に囲まれてラッキーだったじゃん♪」 と言えば 「え~ 俺 男一人だから皆に使われて・・・」 と皿洗いでもやらされているのかと思いきや・・・ 自分の班以外でも コンロに火をつける役目らしい。 幼児期からホットケーキ作りを一緒にやっていたので ガスコンロの火をつけるのを特に怖いと思ってない息子。 なぜ女子は怖がるのか不思議がっていた。
「点火する時 一瞬強火になるからね。 直ぐに中火(ホットケーキは弱火)にしないと 火の勢いは怖いかも・・・」 
 そんな話を 家庭で一年間していた。

 そんな ちょっと料理できる男(10歳)が見た家庭科・・・はじめての調理実習物語である。

 子供にはいろんな特性がある。 昔に比べていろいろ便利になった現在 欲しいものはお金を出せば手に入る。 例えば靴 ちょうちょ結びが出来なければ マジックテープやそうでない靴を履けば良い。 そんな左近 家庭科の調理実習で一番最初の難関は エプロンである。 デザインにもよるが 背中で結ぶタイプのオーソドックスなものから カフェ・エプロンのように 手前で結ぶもの・・・ そして発達検査を幼少期から受けていたり 自分の子供のことを理解している母親は かぶるだけのスモッグタイプのものや 手作りのマジックテープで軽く止めるものも作っていたりする。 学校からのプリントは エプロンとしか書いてないから 母親働いて祖父母が用意すると 昔ながらの背中で結ぶエプロンが用意されたりする。 その一コマを 目撃したらしい。

「あのね~ クラスのお友達が リボン結び出来なくて 皆にバカにされて泣いてた~」

 息子は笑いながらその時の様子を語った。 でも私は笑えなかった。 悲しい事に何が起こったのか分かってしまったのだ。 1年生の時 発達障害と診断を受けた友達がいた。 当時の私はそういう方面にうとかった。 診断をうけた子の母親は正直な人だった。 1年生なのにリボン結びが出来ないとか 補助輪付きの自転車に乗れないと頑張っていた。 小学校が求めるのは そういう家庭での努力である。 

「1年生でリボン結び出来ない子は たくさんいるよ~」
 当時の私は他人事のように笑って聞き流した。 2年後の娘の就学相談で手痛い洗礼を受けるまでは。

 5年生になってリボン結びが出来なくても困らないで日常生活は送れる。 出来るようになるまでつきっきりでやる機会も必要性も昔に比べて減った結果である。 また発達検査を受けてシラミつぶしのように幼少時に 徹底して訓練した子は 逆に出来ない事の意味を知っているのだ。 
 もし・・・ この子に社交性があれば 友人に 「やって」 と言えただろう。 つまり母親が完璧にフォローしなくても 小学校生活は困らない。 そのどちらも欠けていたから泣くまでいびられたらしい。

「あなたが 今度の調理実習でその子に 教えてあげたら?」
 発達の問題に触れずに促した。 息子は面倒だから嫌だと答えた。 ちなみに息子はサッカーのシューズがヒモ靴だったので  3年生位には結べるようになっていた。 それでも1年生では無理だった。 それは息子も専門機関の発達検査を受ければ 発達に問題アリと引っかかっていた可能性を示している。 

 その後 ゆで卵を フタしてはいけないと先生が指示したのに 鍋にフタして遊んでいて見ていなくて怒られた子の話(結果 ゆで卵はできた)や 沸騰した鍋を覗き込みながらフタを開けようとした子に 危険を教え フタを手前に盾のように持ってあけると 水蒸気が顔面に当たらないことを教えたら 「なんでそんなこと知ってるの?」 と聞かれたそうだ。  息子は保育園育ちなので 幼少期から調理していた。
「何で知らないの?」 と不思議に思ったと言っていた。
 私は笑いながら答えた。
「普通の親は 子供に勉強してほしいから 料理は教えないかもね・・・」 と。

 そして少々事件が勃発。 息子小2で自分でチャーハン作れると言い張り 「見てる」 という私を拒否。 味付けの塩・こしょう 少々を こんなものだろう・・・と スプーン山盛り塩を入れた。 意地っ張りで 最初無言で食べていた息子。 娘の食べっぷりが悪く お茶ばかり勢いよく飲むので 味見したら食べれる味ではなかった。
 そしてブロッコリー担当の子が こしょう少々で ブロッコリーの上に黒山を作る。 息子は経験からか 見ただけで危険を察知。 いち早く先生を捕まえ 現物を見て試食したくない旨を伝えた。 
「許可する」 先生は一言言った。 お家で料理しない子たちは 試食して現実を知る。 その後 チャレンジャーたちが列をなし 試食後 白目をむいて倒れたそうだ。 ← 注意:パフォーマンスだけなので本当に救急搬送された訳ではありません

 この調理実習の為に 毎日ゆで卵を作る練習をした子もいたそうだ。 当然 毎日ゆで卵を 作った分だけ食べる羽目になり 学校までゆで卵か・・・ でもその生活も今日でお終いと喜んだ子もいたらしい。 

 教師は 結果を評価するだけ。 そしてリボン結び出来ない子が 何か言われていても子供同士の問題と片づける。 助けない。 出来るようになるまで特別に特訓するでもない。出来るか・出来ないか全体を見て評価する。 出来ないことは出来ないと評価され問題を先送りする。 それが小学校である。

 学校は教育を提供する場であるという 遠い昔の娘の就学相談で語っていた教育委員会さんの言葉を思い出した。 そして家庭環境の多様性を思い浮かべ 今度自分が担当する小学校の放課後教室で リボン結びを見てあげようと思った。 育成はしてはダメというルールであるが・・・ 提案してみようと思った。 
 発達の悪い子供の親の目線である。 言うのはタダ 私には決定権はない。 発達に問題ない普通の子の親には関係ない話だし 役所職員はルールを重んじる。 やってみようと言ったところで 苦手分野に子供は自主的にとりくまない。 出来る事はしてあげたいと思った。 ただそれだけである。

2015年6月 3日 (水)

ありのままで・・・ *小3 自転車安全教室*

 きっとみんな笑うでしょうが 小3の娘の自転車安全教室に補助輪付きの自転車で参加しました。 普通の小学校3年生 小さいころから自転車に乗る練習をしていたら 補助輪は当然取れている年齢です。 でも赤ちゃん時代から心臓の手術を繰り返し母子手帳通り成長しなかった娘(小学校ルールでは知的障害)は 血液サラサラのお薬(ワーファリン)を飲ませている関係で血が出ると止まりにくく 内出血(青あざ)しやすい体質です。 娘の安全を考えて 娘を愛する父親の一言 「一生補助輪は はずさない」 と決定しました。

 なぜ 心臓障害の娘に自転車を買い与えたかというと理由は以下の通りです。

①兄(健康優良児)は自転車に乗る楽しそうな姿を目撃 ← 購入前は小金井公園のレンタル自転車で練習 また障害者手帳の掲示で 娘の分は無料だったので おもわず補助輪付き自転車を 乗らせてしまった

②兄の自転車購入時に一緒にあさひ自転車に行き アンパンマン(当時大好きなキャラクター)自転車にまたがり 動かなくなった

③子供の体は成長するもので いつまでもB型バギーに乗れなかった & 混雑したエレベーターの中でバギーは邪魔な存在である(幼児教室時代) 子育て終了世代の奥様方が遠慮なく歩けない娘に対し批判した ちなみにBバギーの体重制限は9Kgまでで この時はビミョーだった 近隣を歩く(スパーとかATMとか)移動手段として必要(?)

④「誕生日プレゼント何が欲しい?」 おばあちゃんが聞けば 「アンパンマン自転車」 と答えた娘。 しかも公園で楽しく補助輪付き自転車を乗り回す姿を目撃 & お買い上げ
孫の笑顔が見たい義母は 心臓病児を育てる上でのリスク説明なんて医者から聞いてないし 親子の関係で 親が子の意見なんて聞く訳がないsweat02 自分が目撃した孫の笑顔が全ての基準である そして夫も自分の親のしたことに文句は言えず ・・・ 現在に至った結果 「補助輪は一生はずさない」 になりその条件を娘は受け入れた。

 子供の自転車事故が多い左近 自転車に関する法律も変わった。 この自転車安全教室を受けて免許証を与えるまで 子供は自転車を一人で運転してはいけないルールになっている。 もちろん息子が3年生になるまで そんなルール知らなかったし 気付いた頃には後の祭りだった。 
 だから娘には特に厳しく助言した。 結果 自転車を持ってないお友達が 娘の自転車(補助輪付き)にのり 娘は歩いた。 公園へ自転車を 運ぶのも親切なお友達だった。 ちなみに公道(歩道も含む)でのキックボードも禁止なので 何人かのお友達に注意したが 女の子は口が達者だった。 つまり子供にとって 法律は未知の世界である。 その子供達に道路交通法を おまわりさんから説明してもらう授業が 自転車安全教室なのだ。

 この授業の為に 自転車&ヘルメットが必要で 事前アンケートにて レンタルできる自転車を 募集した。 当然この年齢で補助輪付きの自転車なんて持ってくる人はいないから 「貸出OK ただし娘の安全の為 補助輪付き きっと笑われるでしょうが配慮をお願いします」 と記入して学校側に提出した。
 その後 学校からの連絡は何もなく当日を迎えた。 娘には 「皆 補助輪とれているから笑われるかも知れないよ」 と言ってみた。
「分かってる。 気にしないから平気chick」 そう答えていた。
 事実 1-2年時のクラスメートは既に補助輪付きの自転車を乗りまわす娘を目撃し 何か言う子はとっくの昔からからんでくるし 娘の周囲の女の子は 娘の事情を理解してくれるので 味方になってくれていた。

 その日の連絡帳には 支援級担任の先生からニコニコマーク付きでコメントが入った。
「補助輪付きの自転車があったので 他のお友達(支援級の子)も自転車に乗ることができました。 とっても良かったです。 ありがとうございました。」
 発達検査を受けると分かるけど 子供の社会性を見る項目で あやとりやリボン結び・補助輪付きの自転車に乗れるかとか 子供の出来る事・出来ない事で○歳位の発達年齢とコメントが入るものがある。 これにとらわれ始めると(母親は全員通る道) それだけを子供に集中させて特訓する場合が見受けられる。 キャッチボールの練習(相手が取れる位置に返せるか)とか なわとび連続30回とか・・・ うちの娘は心臓障害だったから その辺は あきらめがついたというか 捨てた。 夫婦二人で出来なくて当たり前と納得できた。 その上で出た発達年齢だった。
 身体健康な いわゆる発達障害ボーダーの子の親の頑張り具合は 目を見張るものがある。 週末 公園での親子のコミュニケーションは 体を使った遊びを頑張る。 これが学校の言う現実を認めた上での親の努力というものだろう。 自転車を乗る練習もしかりだ。 
 けど・・・ みんなが自転車を子供に買い与える余裕があるかとか 出来ない子に かつて算数を教えていた母親だから分かるけど 出来るようになるまで付き合うのは 根気と体力が必要な作業である。 支援級の中には 平日働く母子家庭もある。 働いて疲れて 子供の障害とつきあって・・・・一人。 自転車に乗らす練習や それを乗り回すためのルールを あきらめてしまう親もいるだろう。 これが お友達にとって初めて自転車になることもある。 そうなると補助輪なし自転車だとキツイので 学校も児童の安全を優先して 見てるだけの参加になっていたみたいだ。 見てるだけと 体験するの違いは大きい。 

 それが良かったのか 余計だったのかは 分からないが 娘の我流も役に立った気分である。
「補助輪付きで バカにされなかった?」
 娘に聞いてみた。 かつてのクラスメートの男の子が バカにしたらしい。 名前を聞いたらそういうことを 言いそうな子だった。
「それで?」 
「うるさい! 私はこれで いいんですって言ったら黙ったchick」 
 折り紙をしながら 目線を合わさず淡々と答えた娘。 どうやらストレス貯めずにその場で消化できたみたいだった。 一応連絡帳に 相手の名前を伏せて報告。 すると3年生の学年主任が 娘の自転車について全体的に説明してくれたみたいだった ・・・ 教えてくれてありがとうございますと添えてあった。
 学校側も配慮してくれていたことが分かった。 子供相手なので こういうことも計算済みなのが母親である。 
「いつもどおりだよ ・・・ ママchick
「そうだね」
 二人でちょっと笑い合って それを言われたからと言って 娘が学校に行きたくなくなった訳ではないことを確認した。 

 ちなみに・・・ 補助輪付きで参加した安全教室ですが 自転車免許証は まだもらえてないみたい。 もらえる日は来るのか 来ないのか不明である。 

2015年5月31日 (日)

あっかんべ~

 支援級には支援級のやり方がある。 諦める所はあきらめ 伸ばすところは伸ばす。 勉強以前の日常生活に密接な部分も 学校でやってくれるが お友達が嫌な事をしても普通学級のような担任の先生が仲介に入り話し合いは どうやらないらしい。
 注意: 娘の話から察すると・・・というKaoの個人的見解

「先生! お友達が机をガタガタ揺らすので 字がかけません。」 と娘が言えば 「この子はこういうタイプの子です。 わかりましたね。」 と切り返されるそうだ。 *注意: 娘から聞いた話です*

「先生! お友達が靴を踏みます。 痛いです!」 と娘が言えば 「先生は見てないから知りません」 と切り返されるそうだ。 ちょっと悲しい気持ちになったら 介助員の先生が 「見てました! 確かに踏んでました」 と証言してくれて ウソじゃないって分かってもらえて うれしかったと言っていた。
「それで どうなったの?」 
 娘に先を促させる。 「じゃあ 二人で話し合って下さい」 と言われ 帰りの支度をする頃に 「話し合いましたか?」 って聞かれて 「まだです」 って答えたら 「わかりました」 で終わって 支度が終わったらお友達は帰ってしまい 何もなかったらしい。 *注意: 娘から聞いた話です*

 みんな支援が必要な子の集まりである。 いろんなタイプの障害があり それぞれいろいろあるだろう。 特にしつけの部分は 学校というより 家庭での問題である。 調理や縫い物やパソコンも良いが・・・ 友人との距離感・コミュニケーションを取る為のポイントも ハンディを持った子が 社会に出る為に必要なのではないだろうか。
 私は見ていませんでしたという担任の対応は 事実だろうが 親として微妙な気持ちになる。 

 そしてある日 娘が言った。
「彼女(娘の靴を踏む子・痛いと言っても止めない子)とは もう友達じゃない!」 
 こんな言葉を聞いたのは 始めてだった。 普通級にいた時も嫌いな子・苦手な子はいた。 でもこんな風に断言したのは初めてである。
「しちゃいけないことなのに・・・ 私に向って あっかんべ~ってするし つねるし・・・ もうヤダ!!」 
 幼稚園の時に お友達に あっかんべ~ってして 「お友達にはしちゃいけない事なんだよ」 って別のお友達に指摘され 泣いてしまった娘。 彼女目線では そんなの赤ちゃんだってわかってることだよね! になる。
「あなたが教えてあげればいいんじゃない? あっかんべ~ってすると お友達になれないよって」
「もう・・・ 友達じゃないからいいの!!!」 

 少人数なのに これはこの先厳しいなぁと思った。 

 普通学級にも 怒るとつねる子がいた。 娘にそのお友達を語らせると お祖母ちゃんが母親をそういうふうに育て 母親も当然 子供をしつける為に手をつねった。 彼女の兄姉も いう事を聞かないとすぐつねり 今は祖母が(近くにいるのか同居してるかは不明)働く母親を応援する為に 彼女の側にいて悪さすると しつけとしてつねっているそうだ。 
 で、 当然その子は 小学校の人間関係で 思い通りにならないとつねるようになる。 教師のいない場所で そういうことが起きるが 子供が誰か必ず見ていて 担任には情報が集まる。 ある日親を呼び出してこの問題行動の話し合いをしようと思ったが 働く母親の代わりに祖母が来て 担任の前で言ったそうだ。 
「今度つねったら 普通級にいられなくなって 頭のおかしい子のクラス(=特別支援級のこと)に入れられるからね。 分かったね。」
 彼女と担任の前で祖母は言った。 これでキチント言い聞かせましたから・・・というパフォーマンスなのか 分からないが当初娘からこの話を聞いた時衝撃を受けた私。 
 そして3年生から支援学級に移動すると 私がカミングアウトして ナチュラルにこのお友達は娘に言ったそうだ。 
「頭のおかしい子のクラスに行くの?」 
 娘は冷静だった。 なぜそのお友達が自分に対してそんな言葉がけをしたのか冷静に分析して彼女の家族の物語を 彼女がそういうタイプの人間であることを冷静に受け止めていた。

 だとしても多分これが 普通に育った子の支援級に対する見方なのだろうなぁ・・・ と当時の私は思った。 そしてこの子も問題行動が多いから 教師の多い 手厚い支援を考えたらどうですか・・・と 担任は振りたかったのだろうか。 それを察した親は来ない。 もちろん働いているのはウソじゃないだろう。 決定権(親権)のない祖母に迎えに行かせるのは 賢い選択ともいえる。

 先日公文に送る為 娘と大通りを歩いていたら 道の反対側にいるその子が 娘の名前を呼んで手を振った。 
「偉いね。 がんばってるね。 私たちは今も友達だよ~。」 
 彼女にとっての支援級は どう映っているのだろうか。 娘もニコニコして手を振った。 

「彼女も手をつねるよね。 友達なの?」 
 さり気なく聞いてみた。
「今はクラス違うから つねられることないし・・・」 
 どうやら そういう問題らしい。 

 学校の中のことは やはり学校の先生にお任せしたい。 近くにいるから人数が少ないから 余計に他の友達と遊ぶという選択肢がなくなるのだろう。 でも・・・ 先生は見ていませんなら 親が娘から聞き取り調査して 青あざを記録(写真など)に収めて話し合うしかないのかなぁ・・・ ワーファリン飲んでる = 青あざできやすい体質とは伝えてある。 でもあざにならなかったら 娘に我慢しなさいと指導するべきなのか。 あざになったら・・・ これは やりたくない話し合いである。 
 悪癖で苦情が多い子に 発達検査を受けさせるのはフェアじゃないと思う。 発達検査なんて受けさせれば 何処か何かに引っかかるはずである。 IQ90のハードルは高い。 それこそその数字を根拠に 支援級行を進めるのがこの街のやり方なのだろうか。 
 つねるという行為は 一人付きっきりでトイレ休憩も無く かつての娘の病院の付き添い介護みたく食事もままなら無い状態で 目を離さないでいないと治らない。 息子3歳ー保育園で噛まれまくった時 一人の犬を飼っていた子・犬が友達だった子のコミュニケーションで噛んでいたという事実受け止め 話し合い 一人の保育士がつきっきりで見守りこの悪癖を治した。 今 子供達はそんなこともあったのを忘れて親友である。 同じ釜の飯を食った仲間である。

 子どもにも子供の世界がある。 子供達を見守りそんな世界を垣間見た。

 心中複雑で頭が痛い問題である。 

 そしてまた かつてのクラスメートだったお友達の言葉や振る舞いを見て思った。 家族から支援級について間違ったインフォメーションを受け取った彼女は 娘を見て 彼女なりに感じる事 またクラスメートからの情報(彼女の母親は保護者会に出席しなかったけど その他の母親情報から) 子供同士のネットワークでいろんな話を聞きかじるだろう。 
 きっと彼女なりに 彼女の目で娘を見て 娘がどういう人間か知っているから 「私たちは今も友達だよ・・・」 と道路の反対側から大声で手を振ってくれたのだと思った。

 問題行動をするから 手厚い支援のあるクラス = 特別支援級へ移籍を促す担任もいる。 でも現実は 友人と言葉のキャッチボールが出来ず つねる(暴力)で対応する子が 私の街で支援級に移籍しても問題解決にはならないであろうことが 何となくわかった。

 これはKaoの個人的見解である。

 

2015年5月26日 (火)

仕事には役割分担がある

 フォンタン手術は脱水に弱いと新しい主治医は言っていた。 それは医者なら誰でも知っている情報なのか この先生だから気付いたことなのか私はしらない。 でもこの言葉で 冬のある日を 思い出した。

 脾臓という臓器がないから免疫力が他の人より弱い娘は 冬になると 咳(風邪と診断) → 嘔吐(胃食道逆流症) → 学校に行けない(お嬢さんラッキー) → 家から出ないから体力の低下 → いつまでも咳が続き 鼻水かみすぎて中耳炎 → 嘔吐するから食べなくなり・・・発熱(脱水の初期症状) が見られ地元クリニックに薬をもらいに行き レントゲン撮って心臓が以前より大きくなっていたので  町医者は 「心肥大が認められので」 と言って かかりつけの心臓専門病院に電話を掛け 救急(通常の外来以外は常に救急)扱いで対応してくれた。
 心臓の状態はおいといて母親目線では とにかく具合の悪い娘。 要は生理食塩水一本どこの病院でもいいから打って欲しかっただけだった。 でも食事を食べているか否かなら 多少は口から摂取していた。 が、 入院中に水分計測してた頃より食べてないし 嘔吐してるし 母親的には心配だった。 それだけである。
 で 主治医ではなく 日直(若い研修医)が対応する。 もちろん もう何年も手術してないので直接的なかかわりはない。 先生のタイプも分からない。 熱があるから感染予防で隔離部屋である。 これはインフルエンザ対策なので納得できる。 心臓の弱い子達が患者である。 院内感染は避けたい病院側。 けど親は脱水と判断してるから この対応は息苦しい。 理解できるが 息苦しい。 だって付き添う親も トイレ以外外出禁止 しかもドアに貼り紙がしてある。 職員の誰が見ても分かるように 発熱患者 隔離中と書いてある。 
 理解できるが 心の中で思う。 ・・・ うちの娘は 病原体か ・・・

 入院中にも 逆流で隔離され 昨日まで世間話していた母親達が 誰も口を聞いてくれなくなる孤独を 何度も味わった。 マスク・手袋して汚物処理。 私への感染はないが・・・ 誰もが予防する母親たち。 気持ちが理解できるが苦しかった。
 そして生理食塩水を点滴しながら 採血・レントゲンの結果 専門医として結論を出す。

「こんなの心肥大と言えるほど 肥大していません。 いったい地元クリニックさんは 何を見て心肥大と判断したんですか?」 
 担当でもない患者 この研修医からみれば一文の得にもならない患者である。 時間の無駄と思ったのであろう。 その不満を母親にぶつけたのは理解できる。
「知りません。 以前のレントゲンと比較して心臓が大きくなったって言われて こちらに来ただけです。 そういう事は私じゃなく クリニックの先生に電話して言って下さい。 もう何カ月も咳が止まらず 嘔吐して弱ってるんです。 私は点滴を打って欲しかったんです。 それに町医者は 心臓専門医じゃないんですよ。」 
 あまりにも失礼な物言いに 私もイライラして言いかえしてしまった。 その時言われた一言が 『いつも脱水』 つまり採血すれば確かに脱水状態ではあるが 過去のデーターを確かめたら 血液検査上はいつも脱水状態なので これが この子(娘)にとって正常なのだと言われた。 
 で 笑い話ではないが 外来の際に主治医に報告すると 今度は主治医が激怒する。

「血液検査の どのデーターを見て 彼は そう言ったんですか お母さん!」 

 数字やアルファベットの羅列に興味はなく 赤字か(H)(L)が気になるだけ。 細かくネットで調べれば何処かに情報は乗っているのだろうが・・・ 日常で忙しくしていて 元気に動く娘を見ていれば(赤ん坊の頃のぐったり具合と比べて) 一個一個調べる気力はない。
 もう 本当に胃が痛かった。 私 医学学んでないし 高卒だし 看護資格を持ってるわけでも無い。 ただ母親として 娘を看病して 具合悪いから病院連れて行って いわばたらい回しにされただけなのだ。 
 重度心臓病の娘である。 町医者で見落とし 何かあったらいけないから 専門病院=かかりつけに 仕事を振ったのだ。 もしかして子供の点滴(血管細いし 専門病院のような小児用の点滴針がなくて)嫌だっただけかもしれない。 そんな医者の心中は察せられないが 万一の医療ミスを避けたのなら 親としてうなずける。
 で 専門病院の内科医たちは 「この病院は外科病院です」 と位置づけている。 医療連携プレーを うたい 「風邪レベルでは来ないで下さい」 とグレン前の状態でも言われた。 主治医は 「いつでも来なさい」 と言ってくれたのに 日直の先生が拒否する。 相談の電話で 拒否して親が努力しろと担当以外は 無残な扱い。 
 慣れてしまったが 病院とはそういう所だと あきらめるしかなかった。

 その感覚が役立ったのだろうか。 娘の知的障害を調べていくうちに 感じた疑問や違和感。 至る所に存在するダブルスタンダート。 家庭支援センターとか スクールカウンセラーに相談して 「障害福祉的な知的障害児と 学校が定義する知的障害児は 違うのだとお母さんが理解していれば 大丈夫です」 と他人事のようなコメント(事実他人事である) を頂く。 
 心というのは そんなに単純に割り切れない。
「そういうものですか・・・?」 思わず質問してしまった。
「そういうものなんです」 以上終了。 割り切れない感情を 割り切った。
 私の中の 割り切れない気持ちが 不眠や嘔吐という症状を くりかえす = うつ病。 たくさん泣いて 泣いて ブログを書いた。 こうしてストレスを 小出しに発散した私。

 小児慢性の書式が変わり 病院名を全て挙げ連ねて欲しいのは 小児慢性を利用する = その医療費(研究目的でもある)は 国が負担するということであり 財政難な地方自治体(日本全国財政難でない自治体があるのか不明)の職員の目線では 病院名を全て記載しろである。 
 でもね・・・ 書式が突然変わり(医療関係者や役所の人間は知ってた情報だろうけど) 診断書は不要と 医者の負担は減らしたけど 突然病院名をあげろろ言われても どこまでが娘の障害と直結してるのか理解できない私。 もともと心臓障害の分野の難病である。 あやしい発作を 主治医に相談すれば 「それはてんかん発作だね」 と私の報告から 出産病院でもあった市立病院の小児科・神経外来(だったかなぁ・・・間違ってたらゴメン) へ紹介状を書き医療連携プレーで押し通す。 この医療連携プレーというのは 心臓しかみない病院の都合でもある。 心臓病の研究機関でもあるのだ。 つまり心臓の問題以外は 自分たちの(専門の)仕事じゃないと放棄するのだ。

 母子手帳通り成長しなかったのは 心臓が不完全だったからである。 循環が悪いとミルクも飲めない=経管栄養 それでも嘔吐(胃食道逆流症) した娘。 口から飲めない10ccのミルクも注入できない状態まで様子をみて 病院へ連れて行き入院して点滴。 でも担当医(若手の医師)の言葉は 「もっと死にそうになってからでも間に合いますかれね お母さん」 だった。 私の目 母親の目では もう充分死にそうに見えた。 でもそれは母親の錯覚だと医師は言う。 それは心臓に障害のある子ばかり 死にそうな子ばかり見ている医師の視点でもある。
 当時の私には 苦しかった。
 
 医療連携プレーで紹介された市立病院 発達の遅れ(知的障害)を指摘された発達検査を受けた病院ではなく セカンドオピニオンの大学病院を記載した私。 でも医者の助言を求めろという福祉課の職員。 助言を求める期会もなく 母親判断で病院名を記載した私をののしった。 完璧に書かれた書類を受け取り 都から怒られないように申請者を指導する仕事として 当然の視点である。 理解は出来るが腹が立つ。
 結果 紹介状を持って新しい病院の医者に聞いても 医療事務スタッフに聞いても 不明。 消化器科(血便問題)だったので 「うちの科は小児慢性関係ないし・・・」 だった。 当然の意見 消化器科の医師の視点である。
 でも結果 入院が必要なら循環器としての管理もしないといけないので・・・ で心臓病院から再度 循環器科宛の紹介状をもらって予約という手順を踏んでいる最中である。 循環器(心臓)がからむなら 病院名を記載する処置(更新前でも役所での手続き)が必要である。 するとこの医者も そんな発言してたら病院として勉強不足であり 親を不快にさせる。 でも仕方ないのである。 全ては自分の仕事以外の分野である。 きっとこれから学ぶのであろう。 制度は変わったばかりである。 親に求められるのは 広い心=寛容性である。
 自分の子供の状態が 「良くないね~」 と言われるのに ざわつく心を押えて なだめて 嵐の前の静けさを保つ。 笑顔・えがお・笑顔。 

 私の失敗は 小学校に対する不信感から 教育委員会に対するだまされた錯覚から その怒りを 転任してきたばかりの担任に正直に伝えてしまったことである。 娘の限界点はどこなのか主治医に確認する。 生まれつきの低酸素である。
 娘の入院に付き添った経験で疑問に思ったことがある。 中隔欠損の手術で肺高血圧になってしまった子が 94%で 「苦しいから」 という理由で在宅酸素で障害1級である。 じゃあ 何故 娘は70%以下で酸素なしで帰宅したのか。
 当時 2歳の息子の側に帰りたかったのも事実である。 1週間のトレーニングと聞いて付き添い介護を承諾したが 付き添いが始まったらそんなに簡単ではなかった現実。 10日経っても帰れなかった。 夫が 母が 「まだ帰って来ないのか。 話が違う!」 と息巻いた。 なぜなら幼い息子が質問するからだ。

 「ママはいつ帰って来るの?」

 だから退院を願い出た。 息子の為に・・・ 仕事する為に・・・ 1か月持たなかった帰宅と2度目の手術。 あの時・・・ 酸素を付けて65%以下だった。 その経験があったから 医師が 「70%まで病院へ来なくて良い」 という言葉を 酸素飽和度が70%まで学校に行かせるのが親の義務だと解釈し 担任・校長に伝え協力を訴えた。 医師がそう言っていたと。
 後日 知的の障害の問題で 児童相談所に電話で相談し 親が正当な理由なく学校に行かせないのは児童虐待と言われ泣いた。 80%後半までサチュが落ち 苦しくて歩けないと言うので学校を休ませた。 
「妹はずるい」 と兄は文句を言いながら学校へ行く。
 そして始まる兄弟ゲンカにイラつく私。 これは虐待行為なのかと・・・疑問に思った。 この決断は合っているのか 人から育児放棄と指摘されるポイントなのか混乱していた。 でも 学校に行かせて 医療行為の出来ない担任の先生の責任になるなら 虐待と誰かに指摘されても自分の責任で 娘を学校に行かせるのを止めようと決めた。 

 この決断が 法に触れるのか 触れないのか私は知らない。 でも・・・ 普通70%台なら歩けないでしょう。 ここから救急搬送されて呼吸器入れて 手術の順番待って 一命を取り留める可能性のある数字だと時間をかけて理解した。 そして それは担任や学校に伝えるべきでなかったと反省した。 誰かに虐待通報(あそこの家の子は 学校に行ってないらしい)とか 育児放棄と言われ続けても この責任は 親である者が自己責任で決断を下すべきだった。  
 なぜ・・・ 看護資格もない私の側なら こんな数字でも家に置いておけると医師は判断したのか知らない。 死にそうなギリギリの状態まで 面倒を見るのが家族の 母親の義務なのだろうか。 判断を誤れば 自分の手で殺してしまうかもしれない。 いやそれを寿命と言うのだろうか。

 ずーと低酸素だった娘。 症候性てんかんと 娘のてんかんとの違いが私には分からない。 そんな説明受けたこともなかった。 知らなかったから質問しなかった私がわるいのだろうか。 常に勉強。 常に前進あるのみである。 

 心臓は心臓の医者 逆流症は小児外科 発達検査は療育センター てんかんは神経発達外来(小児科) 小児慢性の診断書は心臓の医者 愛の手帳(知的障害)は児童相談所 障害者手帳(心臓)の更新は心臓の医者 それにかかわる福祉は市役所の障害福祉課 小学校の問題は教育委員会の担当

 これを全部理解して 整理して繋ぐのが母親の役目。 もちろんこの仕事に給料はでない。 

 でも娘の笑顔と未来への希望(将来)は プライスレス。



 

 

2015年5月21日 (木)

グレーはグレーのままでいい *小児慢性の更新*

 8月生まれの娘の小児慢性更新の書類が届きました。 前回外来時に診断書を依頼、 今までは診断書は添付されてたのに医師が(病院が)書式をダウンロードして申請書を作成するシステムに変わりました。 つまり事前に内容はチェック出来なかった。
 先週の外来で 「いつまでに必要ですか?」 と聞かれ 「失効が8月なので7月までにお願いします」 と答えた。 まあ だいたい診断書の作成に2~3週間かかるのが常。 5月現在で7月までという期限は長すぎる。 けど申請する側としては それで困らない。 しいて言えば 6月までと7月からと書類が微妙に変わる。 それだけである。

 で その書類が届いた。 内容を確認すると・・・

 3 その他の所見の欄の 2.心臓以外の術後後遺症、 合併症の続発症は あり になっていたが
 d. 精神発達遅延 と f.症候性てんかん が なし になっていた。

 娘のIQは発達検査で また てんかんは前主治医が紹介状を書き 市立病院で投薬治療 & 経過観察中である。 母親として見逃せなかった。

 で 心臓の病院へ電話した。 主治医に電話を繋いでもらい 事情を説明するが・・・
「そこは 小児慢性の申請に関係ない欄なのでそのまま申請できます」 との見解だった。
「そういう問題ですか」 思わず確認する。
 思うことはあったけど 主治医がそう言うなら 書き直せとは言えない。 多くの患者を抱えている身である。 本日もカテ日である。 よくぞタイミングよく電話がつながったと それだけで奇跡だと思った。 
「じゃあ このままで 結構です。 ありがとうございました。」 いう事はなかった。

 で 根暗なKaoは 東京都の窓口に速攻電話して 確認する。 市役所は役立たずなのを 知っているから封筒を見て都の窓口に電話した。 事実 娘はてんかんと 支援級へ移動する作業で発達検査も受けた。 その経緯を前の主治医に伝えたが そのIQは電子カルテに記載せずだった。 
 そして 先日の外来でも小児慢性更新の書類作成に必要なデーターの聞き取り調査を 病院側はしていたが  外来で特別支援級に移籍した旨を伝え カルテに医師が記入していたが その作業に必要な過程として発達検査がワンセットである旨は 心臓専門医である主治医は知らない。 ただ発達検査を受けた機関である療育センターの名前は記載していた。 それは見ていた。
 前主治医も 学校側といろいろもめてる経緯は聞いてくれたが 娘のIQ等は伝えたが電子カルテには記載していなかった。 それも見ていた。 その部分はスルーするんだ・・・と思っていた。 でも心臓の手術である。 心停止を伴う手術を何回もして フォンタンが完成するまで低酸素状態である。 なぜ在宅酸素じゃなかったのか・・・ それは主治医の判断なので私には分からない。 在宅酸素なら知的を伴わなかったのか・・・ それは分からない。 酸素をつけなかったから 今があるのかも知れない。 それは専門家の判断である。 結果があるのだ。 例え小学校が娘を 知的障害児と位置づけても。
 悔しくないか・・・ そりゃ 悔しい。 愛の手帳が養護の知的障害児学級の要件だと 説明しても 役所の障害福祉課で 「母親が申請しなければ 知的障害児にならない」 と言われれば 母親のプライドにかけて 娘を知的障害児に出来ない。 福祉目当て 助成金目当てで子供を障害児に喜んでする親という視線は たえられない。 特に障害福祉課に相談して それを言われれば 論外である。
 
 これは病院を 批判する訳ではない。 心臓医には心臓医の視点がる。 その為見落としている部分があると思ったから 記載しているKaoの視点である。

 主治医が小児慢性に この部分は訂正の必要なしとみなした。 なら親はこれから続くであろう長い付き合いを考えて引き下がった。 でも疑問に思った。 事実てんかん治療中でIQは70以下である。 『IQ54』 そんなタイトルで記事を書いた事もあった。 娘の知的障害を認める作業。 母親にとって辛い現実だった。
 結果 確認作業として 封筒に記載されていた電話番号(都)へ電話した。 親切丁寧だった。 都の医師に確認して折り返し電話を頂いた。  そして 私が疑問に思った部分は カルテとして残す部分であって 娘の小児慢性の審査部分には関係ないことが判明した。 つまり病院の主治医の言い分 「このままで問題ない」 はある意味正解である。

 娘が 発作を起こしそれがてんかんであり 心臓の病院から市立病院へ紹介状を書いてもらい 現在投薬治療&経過観察中である旨を伝える。
症候性てんかんとは 手術と因果関係があり 何らかの理由で低酸素になり てんかんが認められた場合当てはまる」 という。
 娘はてんかんを認められたが それが低酸素との因果関係を明確にされているかというのは不明である。 だから伝えた。
「娘は生まれつきの低酸素で シャント手術でSPO2 70% グレンで80% で在宅酸素なしでフォンタンにたどり着きました。 手術との因果関係を 証明しろと これからも長い付き合いになる病院に私は言えません。 ただ命を救ってくれたことに感謝しています。 で、 心臓の病院が この件に関し 手術と因果関係ありと認めると私は思わないし 親として追及したいと思いません。 ので 主治医がなしと記載するのであれば 私はそれで良しと思います。」 
 相手は 少し間をおいて 「そうですね・・・」 と答えた。

 次にIQ(精神発達遅延)の件である。 娘の就学相談で母子手帳通り成長していない事を 知的障害と指摘された。 支援級へ移籍するための手順として発達検査がある。 IQも出る。 その数字は54だと 前の主治医には伝えたが カルテに記載していなかった。 
 主治医が交代して 療育センターで検査したことはカルテに記入したいたが 詳細は 「専門でないから見ても分からない」 と言っていた。 スルーしたのだ。  
 心臓の病院のカルテにその記載はない。 だから小児慢性の診断書も 「ない」 でお終いである。 母親として不満だったが それを今後も世話になる病院 主治医にぶつける訳にもいかなかった。 
 ので 電話の相手にぶつけた。 事情を説明した。 だまって聞いてくれた。
「それで・・・ 愛の手帳は取得したのですか?」 当然の質問だった。 IQ54は 愛の手帳が取得できる数字である。
「市の障害福祉課に 小学校問題で養護の知的障害学級の入学要件であると伝えた上で 必要性の有無の相談をしました。 結果 私が 母親が自身の子供を知的障害児にしたいのか! 親が申請しなければ子供は知的障害児にならないと言われました。 そんな事を言われて 申請できると思いますか?」 
 と問いかけた。 電話の相手は無言だった。 

「心臓で障害者手帳3級を既に取得しています。 特別児童扶養手当を頂き 上下水道代の免除・ゴミ袋を頂いたり 頂ける福祉は頂いています。 その上で 心臓障害で手帳を持つ娘を 知的障害児に改めてする作業の意味が私自身分かりません。 でも小学校の振り分け作業で必要なら それをしなければ児童虐待だと言われれば・・・ 親としてしない訳には いきません。 でも障害福祉課で 親がしなければ・・・と追及されれば 知的障害児にしたい訳ではないのでしません。 愛の手帳は取得しません。 したいとも思いません。 子供を障害児にして福祉で金を儲けようと思っていると思われること自体心外です。」
 息つくヒマも無く 言い切った。 相手はそうですかと返事した。

 そして この部分は 今後のカルテの研究材料として残す部分だと教えてくれた。 まだ先になるが 児が就学免除で救える部分があるのか検討する材料としての参考部分だと教えてくれた。 
 これは私が 次の世代 娘には与えてあげれなかったが 同じ病気・障害を持つ子に与えてあげれるかもしれない 重要な部分だった。 しいて言えば 一歩前進である。
「なら・・・ なおさらIQの部分は 自分の担当じゃない医者にスルーして欲しくないですね。 でも心臓の医者の担当でないことは 長い付き合いで私には分かってしまうんです。」 と切り返した。
「次回更新の際 お母さんからタイミングよく IQをカルテに残し 小児慢性更新の書類に記載してもらうよう先生にお願いして下さい」 と言われた。 次世代の為に絶対そうしようと思った。

 病院によって役割分担がある。 発達の問題は心臓専門医の分野ではない。 それが分かっているから タイミングを見計らって 自分の子供には関係ない分野でも 次につなげていく地道な作業がいる。 医師のプライドを傷つけるのではなく 上手に誘導するスキルが 母親に求められている。 
 それを 記載してもしなくても 小児慢性は通る。 それは事実であろう。 +α 未来に繋ぐカルテ・・・ 自分の子どもには直接関係ないとしても こういうふうに変わっている事を評価したい。 

 私一人では出来ない何かを感じた。 共感してくれた皆さま ありがとう。
 

2015年5月18日 (月)

ソーシャルワーカーにお任せ

 小児慢性の面倒な問題も心臓専門病院のソーシャルワーカーに任せた。 事前に電話して次の外来日に電話でなく会って話す約束を取り付けた。 主治医交代初日に懐かしい人に会った。 娘がシャント手術の時に左心でノーウッド手術に来ていて相部屋になり 娘の入院生活は長いので何度も入院が重なった。 脱水入院だのオペ後なぞの胃腸炎隔離だの 隔離されててもドア開きっぱなしで立ち話してた。 感染隔離で誰もが冷たい視線を送る中 彼女は娘の逆流を理解して 隔離されるたびに 「若い研修医の誤診じゃないの~」 と笑ってくれていた。 たいていロタだけど 兄弟の数が多いので ロタを気にしない一人だった。 私の辛かった入院性生活での 数少ない楽しい想い出である。

「久しぶり~♪ 元気~?」 とお互い機関銃のようにしゃべる・しゃべる。 
「うちね~ フォンタンの後 ペースメーカー入れて 感染して1か月半の入院が一番痛かったんだ~」 と言えば・・・
「それは言う相手を間違えたね。 うちは無脾だから 毎回通常3か月入院が普通で ICU3週間コースですから・・・」 と切り替えす。
 入院1か月半の辛さは理解できるけど・・・ 1か月半が 何? みたいな私。 軽く受け流す。 
「そうだった。 そうだった。」 と笑い合った。 でお互いの小学校の情報交換開始。 とても貴重な時間が流れた。 

 一応娘にも 覚えている訳ないが 「覚えている?」 って聞いてみた。
「知ってる。 覚えてるよ~」 と嘘つきが一人いた。 1歳半でフォンタンを終えた同級生。 最後に会ったのは娘2歳のフォンタンで 友人フォンタン1年後確認カテである。 そう覚えてるのはウソだが 年賀状のやりとりで顔を覚えている可能性はあった。 
「同じフォンタンという手術を お互い乗り越えた3年生同志だから 話してみたら?」 と母親は母親同士 子供は子供どうし・・・ 採血やら何やら楽しそうにしていた。

 そんな時に 8月誕生日の娘は そろそろ小児慢性の更新の時期。 診断書を依頼したら 今回から書式変更で 娘の出生体重など記入するフォームを渡された。
「これって 過去のカルテに書いてなかったけ?」 と余計なひと言をこぼしてから受け取る。
 世間の皆様は 母親ならいつまでも子供の出生体重や身長をいつでも・どこでも言えると思っているでしょうが・・・ 8年目です。 細かい数字は忘れました。
 で母子手帳を開く。 自分でも忘れていたが 記入されていない。 『白紙の母子手帳』でも記した通り 胎児診断なしだったので生まれてチアノーゼでバタバタした。 6時頃生まれて10時半に転院。 4時間程しか市立病院にいなかったから・・・という理由で 子供の出生届(義務)は書いたけど 母子手帳は義務じゃないという理由で 児が正常・異常・仮死状態で生まれたかは記入なし。 もちろん病院中がひっくり返る騒ぎだったので 身長や体重を計測する余裕もなかったのだろう。 その仕事は転院先の病院の仕事と軽くあしらわれた私の心の傷が ここでむき出しになる。

「あ~。 書いてないや~。 お嬢さん生まれたその日の手術で その時は覚えていたけど市立病院で記入拒否されて ほら・・・当時の研修医のコメントがここに・・・」 と友人に母子手帳を見せる。
「うわぁ~ 本当だ~ 懐かしいねぇ・・・○○先生」 
「でしょう」 とオバサントークさく裂し 傍らにたたずむ医療事務スタッフは無言。 若いしこの勢いに入れない。 いや・・・ 賢い女性は危険に自分から首をつっこまないに限る。

「ありません! 子供の体重忘れました。 4週間後はICUで2500以下まで体重落ちたので自分でその記録をかきました。 2700ぐらいだったけど 忘れました。」

 キッパリ・さっぱり・スッパリと言い切ったら 親切な事務のお姉さんが 過去のカルテを調べてくれて 黙って私達の話を聞いていて 戻って一言くれた。
「お嬢さんの出生体重は 確かに当院のカルテに残っていました。」 と2789gだと教えてくれて 私は今頃記載した。 あの頃は何かにつけて生まれた体重を記載していたので覚えていた。 母親なら忘れるはず無いと思っていた8年目の真実である。

「ご親切にありがとうございます。」 

 嫌な記憶と 人間の暖かさを感じた。 つまらない思い出だけどこの時知り合いが側に一緒にいてくれたから 泣き出さずにサラッと言えた。 娘に涙を見せずに済んだ。

 友人親子が先に診察室に呼ばれて 先に帰宅した。 診察室で世間話(貧血とか足の爪が紫とか)してサチュレーションを計る。 97%だった。 
「いいね~」 笑顔を見せる主治医。 血液検査の結果もフォンタン後としては正常らしい。 フォンタン術後患者は脱水に弱いらしい。 ので冬に生理食塩水一本で見事復活したのもうなずけた。 小児慢性の話を ちょっとして シャトルランの話をする。 
「大丈夫ですか?」 「よくないね・・・」 と続く 「学校側も もう少し学校生活管理表の意味を勉強して欲しいものだ。 全部そこに記されているのに・・・」 という。
 そして前の主治医と違う点が一点 「分からなければ電話下さいと伝えてもらって結構です」 と言ってくれた。 いろいろあった先生だけど 急に天使に見えた。
 そしてその後のソーシャルワーカーさんとの面談も 同じことを言ってくれた。 
「私から 学校の先生に電話を入れてもいいですか?」  
 迷うことなく即答で返事をした。
「宜しくお願いします」 と。 

 そして懸案事項だった役所の対応も 役所はそういうものだと母親が理解して悩まない。落ち込まないと 同じような境遇の母親にはアドバイスしているそうだ。 この難病は 普通の人が理解できる領域を超えているから めったやたらに口を開かないのが秘訣である。 理解してもらおうと言えば言う程 冷たい対応を受けるそうだ。 頑張らないに限ると。。。 

 思い当たる事だらけだった。
「そうですね」 そう言って終了した。 学校との橋渡しをしてくれるだけでも収穫は大きい。 娘の出生体重も思い出したことだし・・・ めでたし・めでたし。

2015年5月15日 (金)

支援級での個人面談 *May 2015*

 個人面談でまったりと共通の話題(娘)について 中年ガールズトークでやり過ごそうと思っていた私。 始まったばかりの支援級である。 カリキュラムとしてガッカリするところもあれば 授業は簡単で宿題も親に言われずやる気スイッチの入る娘。 学校に楽しそうに行く姿を見れば これで良かったと思うが
 ・・・ やっぱり就学猶予(2年程)が妥当だったんんじゃないの ・・・ ← しつこくてゴメンね
と思ってしまう。

「お前は 余計な事いわなくていいからな。 俺にまかせろ。」 という夫。 

 それは 私に黙って座っていろということですか と反論するとそうじゃないと言う。 やりすぎると小学校に娘や息子がいれなくなり 肩身の狭い思いをすることになると そっちを心配している。 かつて夫は親の都合で私立の小学校に通った。 大人の派閥争いに巻き込まれ 陰湿な教師からのイジメを受けたらしい。 結果 夫は自分の心を守る為 親の反対を押し切って公立の中学校に進学した。 夫にとって暗い想い出である。 
 子供社会である小学校で 唯一の大人 教師を敵に回す恐怖 自分に対する評価を決定する人間に嫌われる痛みを味わった人間の目線を 味わったことのない私には想像も出来なかった。  が、 黙ってればOKも おしゃべり女には苦痛である。 私なりにも聞きたいこと 確認したいこと等あった。 

 担当の先生から娘の個別支援計画表をもらい 説明を受け ご意見があれば赤で訂正と説明を受ける。 問題は体育。 字を書かせる練習を兼ねた 翌日の時間割を記す生活表は 保育園の連絡帳みたいに先生からのコメントと 親からの連絡事項日常の様子を 必ず記入してやりとりしなければならない。 普通級で連絡帳に記入して 「分かりました」 と記されてお終いなのと対照的に ノルマ的な連絡帳は個人的には苦痛である。 が何かしら書くことがあるから不思議である。 やはり娘は支援が必要な子なのだろうか。
 この生活表に 貧血・疲れ・家に帰って眠って宿題出来ない等 フォローを記入。 血便問題も口頭でも書面でも記した。 でも2時間連続体育で シャトルランである。 腹筋10回以上・・・ 休み時間に鬼ごっこ。 鬼になりたくないから頑張ってしまう = 走れる姿を担任他 教師が目撃 = 学校生活管理表がおざなりである。

 ・・・ 「D」 判定って何だぁ ・・・ 

 私だって分からない。 それが診断書の代わりである。 『息子の骨折』 で利き手(右手)にヒビが入った時に 発表会とかぶり学年主任から 「痛くないのに痛そうなフリしない」 と喝が入った。 で・・・ 本当に痛いのに嘘つき扱いされた ・・・ と泣きが入った息子(小2) を接骨院につれていき ヒビが入っているのを確認。 ドクターストップで右手を動かさない旨を 書面(連絡帳)や電話等で確認した。 診断書は不要というので お金もかかるし割愛した。 廃品利用のお店屋さんごっこで 自分が設計したフーメラン(牛乳パック利用)が採用され 張り切ってしまった息子。 ハサミを安静にしている右手を使ってしまった。 多くの教師が目撃。 右手を痛がるから板書(授業中)や宿題を 免除にしてもらったのに 痛いのはウソと言われてしまった苦い経験がある。 居残りの宿題。 結果学校に行けなくなってしまった息子。
 同じように心臓障害で手帳を持っていても 遊びは頑張れても 体育は頑張れないのは 教師目線では認められない = 校庭2周とか 頑張ろうとこえがけして 娘が苦しいと訴えても励ます体育。 しかも2時間連続。
 家族旅行でグッタリする娘の姿と 体育を頑張る娘の姿が一致しなかった。 させるべきか・ させないべきか・・・ 親に甘えてしまうのは仕方ないだろう。 だから学校で厳しくしつけられるべきでもある。 それが母子分離の意味合いももつが・・・。 
 夫婦共通の見解は このままでは 娘の心臓は停止するだろう・・・ である。 

夫 : だから体育は 見学するよう親がセーブさせるべき

Kao : 可能性は引き出すべき。 万が一 心停止しても心臓病である。 10年生存目標の8年目である。 学校生活管理表も提出し (意味を理解しているか不明) 話し合いも教育委員会指導部から校長(管理職ただし4月で選手交代)とも担任3人とも際どい話をした。 やれることは全部した。 その上で心停止なら致し方ない。 AED + 救急車と保護者連絡の手順を再確認すべき。 それが他人に子供を預けるということである。

 そして個人面談で 最初はおとなしく聞いていた夫婦が 意見不一致のまま 各々の意見 = 夫婦意見は一致していませんが・・・ と見解を述べたから 担当した先生(20代)は もろ涙目であった。
 普通の知的障害児は 体は健康である。 今までそんな児童の世話を担当してきたのであろう。 心停止は 学校にとって不祥事である。 きっとPTAも黙っていないだろう。 嫌でもゴタゴタに巻き込まれるそんな自分を想像すれば涙も出て来るであろう。

 夫は言った。 
「必要なら 役員会でも保護者会でも どこへでも行って自分の口で説明します。」 
 これは 最初の指導部先生・以前の校長他管理職・私達夫婦で娘を地元小学校で受け入れる(就学相談の白紙撤回)話し合いをした時に 他の児童の精神の安定の為 娘の心臓病は伏せる方針(新校長がその流れを受け継いでいるかは不明)に従い 公の場で 親の口から説明などしたことがなかった。 が、 Kaoは直感で暴走した。 カミングアウトしまくった。 その時の担任(2年)は 退職した。 これも衝撃である・・・ ご免ね。
「いえ・・・ それは必要ありません・・・」 
 担任はそう言ったが 私は言葉を続けた。
「支援級の保護者会では 娘の心臓障害をカミングアウトしたわよ。 ある程度は理解してくれたと思うけど・・・」 
 そうですね・・・ と言わんばかりに首を縦に振る担任。

 でも口を開いてから思った。 教育委員会とも小学校(校長)とも散々話し合った娘の障害。 相手は理解しているはず・・・ と思って動けばたいてい痛い目にあう。 特に教育委員会。 結局 クラスの振り分けに関しては医者の意見は聞かなくて良いとマニュアルらしきガイダンス(本)書いてある場所を指差して終わり。 そう・・・ あなたたちに間違いはない。 けど・・・ このやり方を貫ぬくのは危険な香りがすると 親は警鐘を鳴らしているだけである。
 カリキュラムに教師は逆らえないのか。 何ものも逆らえないのか。 ならば万が一の場合は 私達夫婦は この年若い教師を きっと糾弾される立場になるこの教師を 養護しなくてはいけない。 心の中で ・・・ だから あれほど 言ったでしょう ・・・ と思っても 事故です。 担任に過失はないと 熱くなる保護者達を 親である私達が表に出て盾になることを 今 約束したのだ。 残酷である。 でも仕方ない。 

 昔・・・ 病院で母乳を搾乳し 冷凍した。 ナースステーション内にある冷蔵庫は 一つの引き出しが私の母乳パックで一杯になった。 自宅に持ち帰れとある日主任に言われた。 ニュウビで脂肪分の制限食になり 母乳も飲めなかった娘。 じゃあ・・・ 娘と離れて自宅に帰宅する時間を与えてくれるのか・・・ といえばそうでもなかった。 言うだけ言ってお終い。 分かりましたね お母さんで お終い。
 困って あっちこっちに相談した。 某看護婦は 冷凍庫の他の2段はガラガラだと教えてくれた。 実際見せてくれた。 でも主任は持ち帰れと言う。
 困り果てて・・・ 主治医が 母乳解禁にしてくれた。 でも預けた母乳の解凍は日付を無視して新しいものから渡された。
「お母さんが キチント 日付の古いものから解凍して下さいと言わないからいけないんです!!!」 担当看護婦(新人)は解凍した看護婦(主任)に意見が言えなかった。 溜息しか出ず 泣いていたら 親切な看護婦が残業して 日付ごとに整理して ストックが何個あるかリストにして渡してくれた。 後に サービス残業だったことが分かった。 結果 いろいろ疲れて仕事を辞めてしまった。 親切な人ほど止めてしまう。 仕事と割り切り 心臓病棟=母乳の知識なし = それは私の仕事ではありません的な看護婦ばかり残った。

 学校生活管理表の見方が分からないと校長から指摘された時 当時の指導部先生は 「担任が決まったら お母さんと一緒に主治医に会いに行き 不明な点は指示を仰ぐことも必要・・・」 と校長に向って指導していた。 きっと障害者手帳もち児童市内一例目なので 校長はこの先生の言葉の意味を聞き流していたと思われる。 なぜなら 1-2年の担任が 一緒に病院へ来た事はない。 上司が認めなければ 遠くの病院まで担任が仕事として来ることはないであろう。 私も教師に勉強して欲しいが サービス残業やボランティアしろとは言い難い。 他市や他の区の公立小学校の先生は動いていると 病院のママ情報から聞いたとしても 娘の小学校の先生がやりません・ 指導部もそれを指導していませんでは 自治体で方針が違うんだ・・・って確認できただけである。
 市立病院(市内)の先生も 心臓病専門病院(市外)の先生に変わって 学校生活管理表の体育の授業の説明をすると言ってくれた。 それを指導部に伝え その準備があることを伝えたが 動かなかった。 なぜなら この問題に関して医師のアドバイスは不要なのである。 結果 教師はきける人がいなくて 独自で判断している。 だからシャトルランの練習になるのだ。
 きっと 娘は苦しいと言ってますと伝えても 「聞いてません」 になるのだろう。 想像出来るから言わない。 ただ貧血や血便・内出血をPRする。 そして一言・・・
「倒れたら救急車やAEDも 躊躇なく 積極的に利用してください。 救急車読んだら 同時進行で 母親・父親と必ず捕まるまで連絡してください。」 
 私の腕の中で 息絶えたならあきらめがつく・・・・
「校医の近所のクリニックの先生も 心臓以外 いや心臓だとしても面倒みると言ってくれてるので呼び出して下さい」 
 夫も私の言葉につづいた。 きっと彼なりに 私が言った言葉 AED利用も視野に入れている・・・ 心停止も仕方なし ・・・ という言葉の意味をかみしめたのだろう。

 この夫婦の勢いに 担任の目は 涙であふれた。 心停止という担任教師からみれば怖い言葉を 日常のことのように淡々と話す夫婦に怯えたのだろうか。 これが重度心臓病児を育てる親の覚悟である。 この覚悟を受け継ぐのは 重たかっただろう。

 知的障害児学級とパンフレットに記載され そのカリキュラムは病弱児に合わないと 移籍前に警鐘を鳴らした。 生徒の人数の割に担任3人なので 融通が利くと軽く請け合った教育委員会さん。 私の言葉は届かなかった。 これから変わるのか 変わらないのかは・・・ 見守るのみである。

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