小学生で不登校!?

娘(りさ 12才)は小2から不登校気味になり、小3の3学期から一日も学校に行かないまま小学校を卒業しました。制服はいらない、学校も行かないと宣言して中学生に。一日25時間周期でフリーダムな生活を堪能している娘とそこにたどり着くまでの日々。


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またまた続きです。これで終わります。

現代の学校とは、経済産業界の意向を大いに取り入れていて、「使える人材」を養成する場になっています。
経済産業界と政治はしっかりと結びついていますし、政治と教育も結びついていますからね。

そうなってくると、学校は「できる」「できない」で評価される場となり、お互いがお互いの能力を測り合う競争社会というか、なんだかギスギスした場になってきます。

もちろん多くの先生はそうしたくないと願って、苦労して教育に尽くされているのでしょうが、この大きな波に逆らうのは難しいことでしょう。

そして、不登校になる子どもは、この独特な学校の雰囲気に拒否反応を示していけなくなるという独自の感受性を持つ子が多いといいます。

この独特な「感受性」を持つ子どもは、しばしば「なんとなく学校へ行くのが怖い」といいます。

目に見えない学校のある種の雰囲気に敏感に反応します。

学校から連想するイメージは「集団が怖い」なんです。それは学校の中の集団です。

「別に何もわることをしていないのに悪いことをしたみたいな気持ちになる。」

「別にみんなが白い目で見ているわけではないのに、白い目で見られているような気がして、自分がそこにいてはいけないような圧迫感、負い目を感じる。」

といったようなものです。

これは、今の学校の体質から漂ってくる、たとえば、

お互いがありのままの自分であってはいけないような雰囲気、

うわべは適当に相手に合わせるけど、裏では出し抜き利用する。

建前では規則に従いながら、本音ではそれをバカにする。

怖い先生の前では静かにし、怖くない先生の前では先生をバカにして騒ぎまくる。

そういう集団の人間関係は、人間への信頼を損ない、潜在的な疑心暗鬼顔帯の心を支配し、うっかり自分を素直に出せない恐ろしさを感じさせます。

自己肯定感がしっかりできていたり、自己受容が出来ていて内面から支えられている子は、そんな雰囲気を感じても乗り切ることができますが、自己肯定感、自己受容が揺らいでいる子は、その「感受性」ゆえに敏感にそれに反応してつまずいてしまうのです。

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長くなってしまいましたが、この本で紹介したところは自分自身、そして自分の子ども自身に大いに当てはまる事がありました。

いま、りさは「集団って苦手。学校を思い出すから」といっています。
この文章を読むと、なぜそうなったのかわかるような気がするのです。
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