宿坊の掲示板 (巧妙に結託、師匠である池田先生を追放した最高幹部、54年問題総括の場)
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★まとめマックス★
http://jbbs.shitaraba.net/study/12481/
悪は暴かねばならない。
断固たる怒りをもって、徹底して追い詰め、打ち砕かねばならない。
悪を容認すれば、さらに多くの人びとが苦悩の辛酸をなめなければならないか
らだ。中途半端な戦いでは、邪悪をますます増長させていくだけである。
「瞋恚は善悪に通ずる者なり」とは御聖訓の一節。
大悪と戦う正義の怒りは、大善を生むことになる。
極悪と戦えば、極善になる。
善人の勝利、善の繁栄こそが、邪悪への最大の復讐となるのである。
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法華経の智慧 23
投稿者:
まなこ
投稿日:2015年 6月15日(月)06時25分40秒
斉藤: 大聖人が御義口伝で列衆を論じられているのも、この最初の阿若?陳如と、最後の阿闍世王についてです。
名誉会長: 御義口伝では、列衆の意義を生命論から解明されている。
阿若?陳如については、「我等法華経の行者の煩悩即菩提生死即涅槃を顕したり」(御書p710)と。
また父を殺し、母をも殺そうとし、釈尊に背いたのが、阿闍世王です。その反逆の生命については、法華不信の心や貪愛・無明を殺して成仏を遂げていく「逆即是順(逆即ち是れ順なり)」の原理を顕すとされている。
遠藤: その他の大衆も同様に、生命論から考えていくことができます。
須田: ところで、迦葉や舎利弗などの大声聞が列衆の冒頭に挙げられているのは、彼等が歴史的にも釈尊の教団を支えてきた有力な弟子であったことから当然といえますが、その直後に、摩訶波闍波提比丘尼や耶輸陀羅比丘尼を代表とする女性の声聞が挙げられていることが注目されます。また、阿闍世王の名を挙げる時も、母親の韋提希夫人の名を挙げています。
名誉会長: 「女人成仏」の象徴として、提婆達多品(第十二章)の「竜女の成仏」は有名だが、法華経で女性の成仏が説かれるのは、ここだけではありません。
勧持品(第十三章)では、比丘尼たちに、将来、仏になるという記別が、すでに決まっていることを確認する形で授けられている。そのときの代表が、摩訶波闍波提比丘尼や耶輸陀羅比丘尼です。
その女性の代表が、男性と並んで序品に紹介されている。法華経の特徴とされる「女人成仏」は、序品から既に予定されていたとみてよいでしよう。
常不軽菩薩は「あなたがたは皆、菩薩道を行じて必ずや仏になることができる」と、男性にも女性にも、同じように呼び掛けている。法華経全体からみれば、仏になることにおいて男女に差別がないことは、当然のこととみなされていたのだね。
斉藤: 重要なポイントだと思います。
次に登場するのは、八万人にも上る菩薩たちです。これらの菩薩については人々を救おうとする慈悲の行動が称えられています。
名誉会長: 初めに声聞、次に菩薩が挙げられている。法華経全体の対告衆を見ても、初めは舎利弗らの声聞だが、法師品(第十章)以降は、薬王らの菩薩に交代する。
後に詳しく語ることにしたいが、声聞から菩薩へという担い手の転換が、法華経を理解する一つのカギになっている。
遠藤: 序品で登場する菩薩たちの名前も興味深いですね。文殊菩薩、観世音菩薩、弥勒菩薩、薬王菩薩などはよく知られていますが、常精進菩薩、不休息菩薩、宝掌菩薩、大力菩薩、宝月菩薩など、あまり聞いたことのない菩薩の名もあります。
名誉会長: それらも、すべて菩薩の生命のさまざまな側面を示したものと考えられる。
常精進菩薩、不休息菩薩は文字通り、常に仏法のために休みなく戦い続ける生命を象徴している。「不休息」は、サンスクリットでは“重荷を捨てない”という意味であるという。<「アニクシプタドゥラ」という>
発迹顕本
投稿者:
アルベア
投稿日:2015年 6月15日(月)05時43分6秒
発迹顕本あえて、キツイ事を投稿する。慈悲のかけらもないアルベアです。
ミスターセカンド
投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 6月14日(日)22時51分59秒
・何を持って発迹顕本と言うか
・どうすれば発迹顕本できるのか
共戦様より極めて重要な問いかけがありましたので、私の考えを述べさせていただきたいと思います。
一人ひとりの発迹顕本とは何を指すのか。それは、自分自身が第二の山本伸一になること(通称ミスターセカンド)を決意することであると考えます。
⇒考えても、述べても何も変わらないことに気づくことだ。そこから覚醒と言う発迹顕本が起こるからだ。
「考えても何も起こらない」戦後70年を迎えようとしているが、その時々の先輩たちが「何を
持って発迹顕本と言うか・どうすれば発迹顕本できるのか」と問いかけていたのを思い出すが、
誰一人「成した人はいない」愚考であるからである。愚考に「気づけない」から愚考というの
だ。
大聖人は法華経を身で読まれた。いわゆる身口意の三業である。この事なくして発迹顕本はな
い。
「宿坊の掲示板」は、愚考の議論の繰り返しで書き込む意識の愚考が見える。しょせん、何かあ
るたびに「発迹顕本」と叫んでいた諸先輩たち意識と同じである。「日蓮と同意」とはならじ、
「山本伸一と同意ならじ」である。書き込む人間の不安・恐怖・臆病さがあるだけである。
さっさと、「発迹顕本」してみやー、いつまでにするんけ、ぐたぐたしているうちに命つきるの
しってるけ、
先生、先生と求めるわりには、愚考やのー、
創価学会の発迹顕本、やってみーや、はようーせんか! 信濃町の人びとの愚考、理解力のな
さ、責任感のなさ、自分自身の確認のための投稿作業は今日も続いている、これで、いいんか
い、いいんだろうね。うつぽい世界を繰り返し生きているのかな?
「先生の最晩年」だから、なんじゃい、「師弟不二」言葉じゃないだろうが、
学会用語羅列し、執行部を糾弾し、なんと幼稚な手法か、と指摘する、これは投稿者の多くが
やっている手法を用いたものだ。わかるか?わからないから愚考と言うのだ。
こう投稿すると「人を責める、攻める」ことしかできない、自身の命の底をみることができな
い、まさに三毒強情の衆生、アルベアも同類項、
みなさん、頑張って、皆さんの言う発迹顕本やって見せて、そうすれば創価学会という集団意識
も変わるのかもしれませんが、しつこいですが、
いつまでに、どうやって、どうなればいいんですか、発迹顕本になったら、どうなるの?
どうでもいい事ですが、あまりの愚考に怒りを感じたので投稿しました。
なお、
全てに対する、文句・悪口はいつものようにお続け下さい。愚考者の生命の特徴ですから、それが
ないと、何も書けない、考えられないから、今日も、明日も、愚考という迷宮の中で、ただ年取るだけ、
以上が「俯瞰し見えた」世界でした。
共戦様
投稿者:
ジョーカー
投稿日:2015年 6月15日(月)01時08分37秒
極めて重要な問いかけ、まことにありがとうございました。
皆が欲している問いを発する人がいてこそ、仏法は弘まっていきます。故に、どれだけ質の良い問いを発することができるかが勝負でもあります。そういう意味で、共戦様は、とても素晴らしく、すがすがしい信心であると感じました。
第二の山本伸一になるという決意というのは、立場や肩書、いかなる境遇にあろうともまったく関係がありません。万人に開かれた道であり、今、この瞬間に変わることができるのです。最高幹部であろうと、一会員であろうと平等であり、まずは決断し、題目をあげはじめるところに信心があり、師弟不二があると思うのです。「自分なんかが」という思いになりがちですが、それをかなぐり捨てて題目をあげること、その心意気が大事でありましょう。
先日6月14日付の聖教新聞一面の「光の言葉 幸福の曲」の中で先生はトルストイの言葉を引用されています。
「人間は本来の使命に目覚めた時、あらゆる悩みを解決できる」
本来の使命=発迹顕本=第二の山本伸一=師弟不二
このようにとらえることができます。自分中心の信心から脱却し、師弟不二の信心へと昇華していくことが、本来の使命を果たす道でもあります。そしてその出発でありゴールこそが、「第二の山本伸一になる」という決意の題目なのです。妙法というのは、原因と結果が同時の蓮華の法であり、決意した瞬間、すべてが変わります。今こそ一人ひとりが、この決意の題目をあげる時であり、現実にあげてこそ、本門の池田門下の証であり、宣言でもあるのです。共戦様の「決断の題目をあげていきます」との即座の反応と心こそが、信心の要であり、それが因となります。
因果倶時であるが故に、決意の中にすべてが含まれます。師弟不二は特別な人間でなければ体現できないものではありません。決意した人間だけが体現することができるものであり、万人に実践可能な道なのです。しかも、今、この瞬間から入ることができるのです。決意の題目をあげれば、求道心となって、師を求める心が湧いてきます。「師の真意を汲み取ること」、「師の指導を現実に実践していく」という形となって表れてきます。その一つ一つの行動が、触発を生み、幾万の山本伸一を呼び覚ましていくのです。
共々に、すばらしい人生を歩んでまいろうではありませんか。
ありがとうございます
投稿者:
共戦
投稿日:2015年 6月15日(月)00時25分53秒
信濃町様
通りすがり様
寝たきり様
ジョーカー様
皆さん、お忙しい中、貴重な御意見を教えて頂きありがとうございます
ジョーカーさんは師弟不二アーカイブで、一念とは、決断することと書かれていましたね。
山本伸一になる!と決断することが発しゃく顕本ですね。
これは思い切った決断です。
でも、そこまで決断する人がでてこなければ、この板の価値がないですね。
そこまで決断する人が出てこなければ、結局、誰が会長になっても、同じ問題が起きます
そこまで決断した人が1人でも出てくれば、今日、世界に広がった奇跡の団体を守り、発展させることも可能になります。
決断し、決断のお題目を上げていきます。
貴重な話、ありがとうございます
この板はありがたいですね。
こんな大事なことを話合うことができるのですから
ありがとうございます
じつは、今日、考えていたことがありました。
第2次宗門問題の時、先生が良く引用されていた御書がありました。
崇峻天皇御書です
日蓮と殿が地獄に堕ちたなら、地獄も地獄ではないという御書です。
今、外部の人は先生のことを悪く言う人がいっぱいいます
内部は悪く言う人はいない。
しかし、このまま放置しておくと、内部からも先生批判が起きるのでは?
否、あの人達が先生を悪者にして行く?
そうなった時、先生の真心を話した時、今は皆感動して聞いてくれる。
しかし、そうなった時も迷わず、伝え続けて行こう!
と決意しました。
そして、この決意が地獄まで一緒に行こう!と言う思いでは?
と思っていました。
山本伸一とは、ある面、いい時ばかり、先生!先生!と言うのでもなく、
ついて行くと得するからついて行くのでもなく、
いい時も悪い時も、損することばかりでも、先生について行こう!と決断することでしょうね。
この板に投稿されている皆さんはきっとそんな思いで投稿されているのでしょう。
何の得もない、むしろ危険をかえりみず、先生の思想を正しく実行したいが為に頑張っている
素晴らしいです。
皆さん、ありがとうございます
2000.9.15
山本伸一が、いない!と先生。
今、15年経ってこれからドンドン出てきます
高い一本の木では森になりません
山本伸一森を作っていきましょう!
「我が国を取り巻く環境が厳し」くなったから武力体制を強化
投稿者:
うらら
投稿日:2015年 6月15日(月)00時02分30秒
編集済
多様性万歳さまのお話も緻密かつ完璧で、いつも大変勉強させていただきます。私は十数年前、内部ですでに集団的自衛権を標榜する動きがあることを知りましたので、現在の公明党や創価内に対してはさらにシビアな目で観ています。もっと言えば、言論問題くらいにまで遡って( いえ、本当はもっと前かもしれませんが ) 、
公明党は元来保守だよ、右だよ、と指摘する人がいるように、数年前までは先生の厳しい存在でなんとか庶民の党、福祉の党などの仮面を着けていられただけなのだな、と考えてしまう今日この頃です。
先日、国会議員に確認したところ、原案文がそのまま法律化するようです。だからこの曖昧な文面のまま、法律文になるようで…。
ecoさまも指摘くださった、ポジティブリストと言われる、「具体的に出来ない事項」でも事細かに挙げ連ねでもしなければ、憲法違反でないとする証明にはなり得ないと思います。
でも、けっして作らないでしょう、今の公明党は。
「専守防衛を堅持」「個別の範疇」といくら刷り込んでも、会員はだませても国民には通用しないし、これで何を守れるのか、「勘違い」の難を回避したつもりでいても今度は確実に( ゆがんだ正義ゆえの ) 質の悪い難に見舞われる選択を取ってしまったわね、とつくづく思います。
https://www.komei.or.jp/news/detail/20150516_16976
フェイク 第1485号
投稿者:
宿坊
投稿日:2015年 6月14日(日)23時48分37秒
(発行=15.06.14)
法華講員はノルマ信仰に辟易
地方部総会の低迷が示す日蓮正宗の凋落
北海道第一地方部などで参加者が激減
日蓮正宗では法華講員の減少に歯止めがかからない。宗門は「法華講員の五
十%増」のあと、平成三十三年の日蓮大聖人御聖誕八百年までに「法華講員八
十万人体勢の構築」などと無謀な発破をかけ続けている。
だが、末寺での新年勤行会や月例御講の参詣者数、登山会の参加者数は一向
に増えず、今年も夏期講習会は毎期とも定数に満たないとの宗内情報がある。
特に、各地方部が結集に力を注ぎ、連合会幹部が担当した地方部総会の出席
者数は増えるどころか、昨年に比べて減少した所が目立つ。良くても、せいぜ
い横ばい状態で、なかには激減している地方部もある。
今年の三月、未達成の十一ケ寺を除いて、全国の末寺が本当に「法華講員の
五十%増」を達成したのであれば、地方部総会の参加者は五十%増しとまでは
いかなくても、相当数の増加がある筈である。
だが、反対に参加者数が減少しているということは、折伏自体がデタラメで
名前だけの幽霊講員が増えている証拠である。
しかも、折伏の苦労など何も知らない早瀬日如、布教部長の阿部信彰らに折
伏のノルマを押し付けられたうえ、末寺坊主からは「登山せよ」「供養を出せ」
「末寺の御講に参加しろ」等々と強要され、加えて三門・五重塔の改修・修復
工事の費用まで請求されるなど、疲弊した講員達のなかには「これが信仰なの
か?」と疑問を抱き、辟易して法華講から離れる者が多いという。こうして低
迷の一途を辿る地方部総会が日蓮正宗の凋落を如実に物語っているといえよう。
激減した典型的な例が北海道第一地方部で、昨年より約百人も減っている。
同地方部は北海道第一布教区の末寺に所属する法華講で構成されており、同布
教区には今年二月、能化に昇級した日正寺の長倉教明(日延)がいる。支院長は、
本紙で何度も紹介した悪名高い藤原広行で、長倉と共に責任を問われることに
なろう。
自分の折伏体験は
語れぬ幹部と坊主
法華講連合会の関係者によると、北海道第一地方部の他にも静岡西地方部、
京都地方部、北中国地方部、愛媛地方部、香川地方部などが参加者数を大幅に
減らしているということだ。
各地方部総会では難病や人間関係に苦しむ体験発表、勧誘のチラシを配布し
た等の活動報告の後、連合会委員長の永井藤蔵ら法華講幹部と担当の坊主が異
口同音に「平成三十三年に向けて折伏を実践せよ、全支部が御命題を必ず達成
するように」と強調していた。
法華講幹部や坊主の中には学会員宅を回って入講させるよう煽っていた者も
いたが、自分自身の折伏体験を語る者はいなかった。
滑稽なのは世界各地での戦闘行為、国内では地震や御嶽山・口永良部島の噴
火などが続いているが、これは邪宗邪義が蔓延っているからであり、これらの
災害、不幸を救うため我々が折伏していく以外にはない、と狂信的な邪教・顕
正会の浅井昭衛の口真似をする坊主がいることだ。
今や、日蓮大聖人の御精神を忘れ、邪宗に成り果てた日蓮正宗には何一つ功
徳はないと断ずる。
同盟題目終わります。
投稿者:
信濃町の人びと
投稿日:2015年 6月14日(日)23時33分33秒
本日もありがとうございます。スッキリと題目があがりました。
これも外部の方の意見や
投稿者:
傍観者
投稿日:2015年 6月14日(日)23時27分14秒
よう的を突いとるなぁ。
【創価学会は公明党を「自らの組織を守るため」
に利用しているのが明らかです。
現時点では、過剰防衛で暴走してますが。
安倍政権と心中するつもりでしょうか?】
おやじさま~
投稿者:
うらら
投稿日:2015年 6月14日(日)23時13分0秒
編集済
おやじさま こんばんは。普段は憲法の条文をまじまじと読む機会など私の生活にはないことでしたが、そうも言っていられないですね。上げていただいた、
第99条
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」
おっしゃる通り、まずこの憲法を国民の代表として各種権力を司るものに対する誡めと捉えるのが自然な読み方だと思います。今の内閣閣僚は、先日の、憲法より法律を基準にする防衛大臣の発言に如実に現れていましたが、この基本すら読めていない、無自覚で低能な陣容だと思います。
「多数決で決める事は必要である。
しかし、多数決で奪ってはならない価値もある。
そのときどきの多数決で奪ってはならない価値→人権。
そのときどきの多数決でもやってはいけない事→戦争。
これらを明文化したものが憲法である。」
非暴力の9条を据えた世界に誇る平和憲法。
現行憲法の真理を突いた、素晴らしい表現だと思いました。 ずっと、覚えておきたいと思い、これからますます追求すべき価値観だと思います。今日も良い事教えていただき 、ありがとうございます。
同盟題目23時からです。
投稿者:
信濃町の人びと
投稿日:2015年 6月14日(日)22時59分14秒
決意を固めた唱題をしていきましょう。
(ジョーカー様の投稿より)
志ざしとは決意であり、決めることなのです。ミスターセカンドになると決めることができるか否か、ここが問われているのです。ミスターセカンドになるという自分自身の決意が因となり、そこから幾万の山本伸一が生まれてくるのです。これが仏法です。山本伸一にしか山本伸一を育てることはできません。先生は山本伸一になる種を蒔いて下さいました。私はその先生の意志を継ぎ、自分自身がミスターセカンドになると決意しています。
ミスターセカンド
投稿者:
ジョーカー
投稿日:2015年 6月14日(日)22時51分59秒
・何を持って発迹顕本と言うか
・どうすれば発迹顕本できるのか
共戦様より極めて重要な問いかけがありましたので、私の考えを述べさせていただきたいと思います。
多くの会員は、今の創価学会は盤石(数も多い)であり、しかも本門の池田門下とも呼ばれています。当然、執行部や職員等の幹部は、先生から直々に訓練を受けた弟子であり、正しく先生の意志を継いでいると思われていると思います。そのような人たちが、よもや簡単に間違いを犯したり、道を踏み外すことはないであろうし、あったとしても一部であり、大部分は健全であると捉えているのではないでしょうか。ある種、それが普通の感覚であり、だからこそ組織を信じて、日々、活動を推進しているところでありましょう。
しかし、教学部レポートによって、内情が暴露されました。尊敬され、信頼されるべきはずの最高幹部の横暴で、傲慢な振る舞いがそこにはありました。まさに教学部も驚愕する振る舞いだったのです。心ある人が読めば、当然教学部と同じような印象を受けることかと思いますし、とても困惑することは想像に難くありません。先生の側近で本物なんだろうと思い込んでいた錯覚は、悉く粉砕されたわけです。
思い込みほど恐ろしいものはありません。これだけ多くの会員を有し、多彩な人材のいる創価学会なのだから盤石であるという錯覚は、「誰かがやるだろう」という思考に陥りがちです。54年の時もそうですが、「誰かがやるだろう」は、結局のところ「誰もやらない」ということだったわけです。
では、一人ひとりの発迹顕本とは何を指すのか。それは、自分自身が第二の山本伸一になること(通称ミスターセカンド)を決意することであると考えます。人生というのは、自分自身の一念の反映であり、それが結果となります。いくら行動をしても、一念がおかしければ、その一念通りの人生となります。故に、行動をみるのではなく、一念を観ていくのが観心であり仏法なのです。行動に捉われるのは策であり、肝心要は一念なのです。それは絶対にごまかしは効かず、例え行動が正しかったとしてもダメなのです。それを大聖人はわかりやすく「心こそ大切なれ」と表現されています。
宿命の転換というのは、「一念の転換」であり、それが為されてこそ人生は変わります。逆に、どれだけ信心しようとも、一念が転換されなければ、いつまで経っても同じことで悩み続けるわけです。自身の一念を意識し、転換させていくことを心掛けなければなりません。そして、一念の転換をしていくためには「決意」が大事になります。教学部レポートを仏眼で見るならば、まさに一人ひとりに対しての一念の転換を促している文章であると読むことができるのです。また、そのように読むことが価値であり、傲慢な幹部の振る舞いを通し、「よし、それならば、自分自身が第二の山本伸一になろう」と決意する。これこそが発迹顕本であり、本門の池田門下の生き方、考え方であると思うのです。
御書(p1596)
「凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり」
志ざしとは決意であり、決めることなのです。ミスターセカンドになると決めることができるか否か、ここが問われているのです。ミスターセカンドになるという自分自身の決意が因となり、そこから幾万の山本伸一が生まれてくるのです。これが仏法です。山本伸一にしか山本伸一を育てることはできません。先生は山本伸一になる種を蒔いて下さいました。私はその先生の意志を継ぎ、自分自身がミスターセカンドになると決意しています。
ジンギスカン空軍中佐様
投稿者:
ミネルヴァの梟
投稿日:2015年 6月14日(日)21時55分44秒
自由にものが言えない座談会ですか。
戦時中、牧口先生の話を止めさせた、特高警察みたいな地区幹部ですね。
申し訳ないが、、、このクソたわけ者がぁぁぁ~~あっっ!!と言わざるを得ない気分です。
除名なんて言葉を、軽々しく口にするとは…。最低です。
自分では気が付いてないんでしょうが、もうすでに、立派なファシストですね。
ご本尊様から除名されるのは、その人の方でしょう。
そういう場合、座談会では一般的な批判にとどめておき、四人組の話などには触れなければいいのかな、と思います。
集団的自衛権については、マスコミで報道されている、反与党的な記事を紹介するだけでも、相当意味があると思います。
盲目的な公明党無謬論者の迷妄を開く、ひとつのきっかけになるかも知れません。
四人組に関しては、インパクトが強過ぎる話なので、私も座談会では話していません。
本当に信頼できる人とだけ、話し合っています。
私の言う、地下に潜るとは、そういう意味で使っています。
みすみす玉砕する必要など、無いと私も思います。
まだ気が付いてない内部に対しては、折伏ではなく、摂受で行けばいい。
では、お身体お大事に。
共戦様へ
投稿者:
通りすがりの者
投稿日:2015年 6月14日(日)21時49分25秒
初めまして。投稿を読まさせて頂いてふと思った事を書かせて頂きます。
お題の「発迹顕本」とは関係ないかもしれませんが。
大聖人様が大御本尊様を御図顕されるきっかけは、熱原の法難(でよろしかったですよね)。
無名の庶民が時の権力者と衣の権力者に迫害され、正義の声をあげ、最後までその信念を貫き通しました。
それがきっかけで、大聖人様の出世の本懐である大御本尊様をあらわされたのですよね。
今この時、時の権力者(与党の某党)と宗教団体の権力者(執行部)が正義の声をあげる庶民に圧力をかけてい
る。そう考えると、先生に山本伸一があらわれなかったのは、何か意味があるのでしょうか?
ネット対策さま
投稿者:
信濃町の人びと
投稿日:2015年 6月14日(日)21時39分51秒
自民党から離れると攻撃されるから
安保法制をギリギリの妥協点を探っただけで
池田先生の思想は曲げてもよい。
これが、今の執行部の判断ですよ。覚悟がないのです。
>>悪事を自民党に握られている。
かつて、国税の調査の時に、野中氏が聖教グラフや聖教新聞に写っていた調度品や美術品を調査し、リストアップしたとか。
弱味を握られている某弁護士さんが一番の悪人<<
安全保障関連法案③
投稿者:
信濃町のネット対策チームの対策
投稿日:2015年 6月14日(日)21時28分0秒
信濃町のネット対策チームの対策です。
そもそも憲法とはどのようなことが書いてあるのでしょうか?
日本国憲法の前文(一番最初の部分)を紹介します。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。
われらは、
「これに反する一切の憲法、法令」
及び詔勅を排除する。
とあります。
公明党の支援者の皆様はこの前文を読んでどう感じますか?
「」の部分をどう読みますか?
「公明党は政府与党です。そして集団的自衛権を認めて戦争に近づく行為」をしようとしています。
「憲法違反とたくさんの学識者が批判している安全保障関連法案を推進」しているのは公明党です。
信仰心から公明党を支援していますが、信仰以前に国民として、憲法違反をする政党を支援して良いのですか?
原田会長にお聞きしたいのは、「日本国憲法から排除」されている法案を公明党が推進しています。
支援団体として何も言わないのは正しい民主主義ですか?
皆様、ゆっくり憲法を読んで下さい。
難しくはありません。
公明党議員や創価学会の首脳に騙されてはいけません。
私は、本当に憂慮しています。
こころある方も同じ気持ちではありませんか?
共戦様
投稿者:
寝たきりオジサン
投稿日:2015年 6月14日(日)21時06分53秒
「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」
この覚悟がすべてだと思います。
共戦様
投稿者:
信濃町の人びと
投稿日:2015年 6月14日(日)20時57分13秒
ありがとうございます。
一言で言うならば創価学会を背負って立つ覚悟です。
本気のひとりです。
池田先生の覚悟は殉教の精神です。
開目抄の一節にある、会長就任時の先生の覚悟です。
2008年3月の本幹で
世代世代が勝たねばならない。
それぞれの世代が勝て。私の仇を討つのは誰だ?
と問われました。
ここです。
先生の仇を討ち、先生を宣揚することができる人。
だと。
これを具体的にひとりひとりが覚悟できるのか?
いや、一人いれば良いのかもしれません。
発しゃく顕本
投稿者:
共戦
投稿日:2015年 6月14日(日)20時34分38秒
うらら様 賛同して頂きありがとうございます
また、皆さん、いつもながら活発かつ、鋭い視点の御意見ありがとうございます
本当はここで話していることが、普通に組織の中で話せたら、うちはもっと発展できますね。
54年問題について考えていました。
当時の会長や秋谷さん、原田さんも先生を守るのではなく、辞任させる方向に追い込んでいったことは、この板を読んで行くと明らかです。
それでは、なぜ、先生は40年間もその人達に大事な学会を任せていたのでしょうか?
会則で名誉会長の権限が抑えられていたからでしょうか?
それだけで、秋谷さんに27年、原田さんを会長にさせるたのでしょうか?
原田さんが会長になる前に選挙したら、博正さんにたくさん票が入った。
しかし、先生が世襲は駄目!と言われ、再度選挙し、原田さんになったと聞いています。
何故、54年問題の原田さんの会長就任を先生は了承されたのでしょうか?
54年、全幹部が裏切った。
そのことを先生は北条さんが悪い、秋谷さんが悪い、原田さんが、悪いと考えているのではないように思います
弟子たちの機根が整っていなかった。
先生が永遠の師であり、特別な人であると言う事が分かっていなかった
私達も、3.4.5.6代と順番に会長になっていくものなんだと思っていたと思います
たまたま時の巡り合わせであの時、執行部にいた人達が辞任させることになったが、誰が執行部になっていても、同じ事態になったと思っておられるのではないでしょうか?
何故か?
一言でいえば、山本伸一がいなかった
そして、今もいない。
先生の偉大さ、構想を理解し推進していく弟子ではなく、足を引っ張り、辞任させようとする弟子。
師匠を師匠として認識出来ず、自分の方が上だと思う弟子。
2000.9.15
山本伸一がいない。
このままでは私がいなくなったら学会は無くなってしまうかも知れないと。
組織の問題を人事で解決しようとしても、解決出来ないことはよく、あります
戸田先生は、夫を変えても自分の宿命を変えなければ同じと。
会長を変えても、同じことが起きるのでしょう。
勿論、5年任期は守って欲しいですが。
それではどうすればいいのでしょうか?
1人1人が発しゃく顕本していく時なのだと思います
何を持って発しゃく顕本と言うのか?
どうすれば、発しゃく顕本できるのか?
聡明な皆さんの御意見を伺いたいと思っています。
1人の人間革命が1国の宿命転換をも果たすことができると言うのが、創価学会の思想です。
であるならば、1人の発しゃく顕本が学会の宿命転換を果たすことになると思います
皆さんの御意見を教えていただけますか?
ジョーカーさん、
教えていただけませんか?
四条金吾も、富木殿、池上兄弟も大聖人が大好きで命がけでついて行きます
しかし、亡き後、皆、御本尊ではなく、釈迦仏を本尊にします。
大聖人が末法の御本仏であることを理解していなかった
人本尊開顕の書、開目抄を頂いた四条金吾も分かっていなかった
何故なんだろう?
池田先生を守りぬけば広宣流布できることを戸田先生だけがきずかれていた。
だから、あらゆる会合で三代を守れ!といわれた。
しかし、他の人は分からなかった
唯仏与仏
私達が、発しゃく顕本しなければ、本当の先生の偉大さが分からないのでしょうね。
本当に先生の偉大さが分かっている人が山本伸一。
そして、今はまだいない。
いわゆる「新3要件」について
投稿者:
多様性万歳
投稿日:2015年 6月14日(日)20時24分51秒
編集済
私自身、一国民として『安全保障関連法案』に明記された武力行使に歯止めをかける条件である、いわゆる「新3要件」について考えてみました。
間違っているかもしれませんが、みなさんが自分の頭で考えるきっかけになればと思います。
まず、ご存知のように「新3要件」とは次の通りです。
① 我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は
我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し
、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
② これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
上記傍線部「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」の部分だけを見れば、それに対する武力行使は「集団的自衛権」を想起しますが、実際には、それに対して、次の2つの要件が加えられています。
① これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
② これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
個人的には、これらの要件によって「個別的自衛権」の範囲内と考えるほうが妥当と考えますが、みなさんはどう考えますか?
我が国と密接な関係にある「他国に対する武力攻撃」が発生した場合に、上記の2つの要件を満たす状況とは、どんな状況でしょうか。一体どこの国が、「我が国の存立」を脅かすために、世界一の軍事力を誇るアメリカを攻撃してくるのでしょうか?もしくはアメリカを攻撃することで、結果的に「我が国の存立」を脅かす事態に発展する可能性があるのでしょうか?
私自身は、ほとんどこのような状況は起こりえないと考えますが、例えば、万が一、日本を防衛するため日本に停泊しているアメリカ艦隊が攻撃され、そのことで結果的に「我が国の存立を脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」が生じれば、その攻撃を武力によって排除しなければならない状況が出てくるのかも知れません。しかし、この場合の武力行使は、あくまでも結果的に「我が国の存立」を脅かす攻撃から自国を守るための「自国防衛」になるので、「個別的自衛権」の範疇なのではないでしょうか。
前回の投稿の中で、法律の運用について、法律とは必要最低限の社会生活や国際関係の秩序を維持するためのルールであるため、それ自体完璧ではなく、そのために運用(解釈)次第では善にも悪にもなると述べました。
みなさんもご存知のように、私たちが支援する公明党は、大変に「人がいい」。
よって公明党の法律運用の考え方は、「善意の解釈」(性善説)に立っていると思うのです。つまり、曖昧な部分(政府の裁量に任される部分)は、どこまでも国民第一の観点から解釈される。
しかし、これまで様々な法律の成立過程や法律運用の歴史などを学んできた法学者の方たちは、世の中、全てが「性善説」に基づいて法律が作られたり、運用されたりするとは限らない事例をいくつも知っているがゆえに、この法案が「悪用」される余地(曖昧な部分)を残していることに対して、「憲法違反」の可能性があると警鐘を鳴らしているのではないでしょうか。
私も、今国会において法案審議が始まり、安倍首相を含め、自民党閣僚たちの答弁を聞くまでは、まさか「新3要件」と「事前の国会承認」によって縛られたこの法案から「集団的自衛権」が可能という解釈が生まれるとは、想像もしていませんでした。しかし自民党閣僚の国会答弁を聞いていると、やれ場所は地球の裏側までだの、同盟国はアメリカだけではなくオーストラリアを含み、さらに今後、同盟国が増えるだの、「集団的自衛権」自体を認めるだけでなく、その範囲も際限なく広げて解釈しようとしていることに正直、驚きました。
なるほど、「性善説」のみで解釈されるほど、世の中は甘くはなかった(笑)。
現在の自民党の方針は、ご存知のように安倍首相の悲願である「戦後レジームからの脱却」を実現するために、民主主義の対極にある「国家主義」に染まりきっています。
公明党が武力行使に関して、「新3要件」や「事前の国会承認」で歯止めをかけたと思いきや、自民党の「国家主義」への情熱は、それで歯止めが効くほど、やわなものではなかった。
そして残念ながら、自民党にとっては、まだいくらでも法案の文言について、拡大解釈できる余地が残されています。
例えば、
「我が国と密接な関係にある他国」(なぜアメリカだけと明記しない?)
「明白な危険」(何をもって明白な危険なのか?)
「他に適当な手段がない」(武力行使に代わる適当な手段とは何か?)
「必要最小限の実力行使」(どの程度が必要最小限なのか?)
公明党は、裁量の余地を自民党に残しすぎたのではないですか?
公明党は「個別的自衛権」のみと言っていますが、自民党は「集団的自衛権」が容認されると言っています。
なぜ、この根本的な解釈さえ、法案作成時に合意されていなかったのでしょうか?
自民党は公明党のように「性善説」に立つ政党ではありません。(少なくても安倍政権は)
よって「歯止め」というからには、まずは自民党に対し、この法案は「個別的自衛権」のみを容認するものだという合意をしっかりと取り、そして「曖昧な文言」を明確な文言にして、政府(自民党)裁量の余地を最小限にすべきだと考えます。
それが出来ないのなら、残念ながら現在の法案の内容では、自民党に「悪用」されるのが目に見えていますので、法案を潔く撤回すべきではないでしょうか。
結論として、私は、公明党の主張(この法案は「個別的自衛権」のみを容認するものであって、「新3要件」と「事前の国会承認」を設けることによって、それに歯止めをかけているので、従来の見解(昭和47年「自衛権に関する政府見解」)を逸脱するものではない)は間違っていないと思います。ただ、法案の中に曖昧な文言を残してしまったために、政府(自民党)裁量の余地を大きくしてしまった。しかもその自民党は、国民第一ではなく国家第一、つまり「国家主義」の観点から、曖昧な文言については、とんでもない解釈を平気で行う政党だった。この点が公明党の誤算だったのではないでしょうか。
このまま自民党の「国家主義的な体質」を甘く見て、この法案を強行採決でもしようものなら、取り返しのつかないことになると懸念しています。
みなさんはどう考えますか?
以上
http://
ある地域での出来事
投稿者:
だいせーどー
投稿日:2015年 6月14日(日)20時17分4秒
座談会で会則変更について取り上げようとしたところ、圧力が。
座談会に出ないか、出ても話題にしないようにと。
また、別の地域ですが、会則変更の中身について質問したところ、答えられずに
上の方で検討しているからちょっと待てと。
昨年の11月に発表、そもそも小委員会の検討は2013年の9月からです。
それから相当の年月が経過しているのに、いまだにきちんとした解釈説明ができない。
2014年11月のSGI理事長への説明で、台湾理事長から質問されたが
今は質問の場ではないと逃げた原田会長。
どうなっているのか。
人間主義とか対話以前に、こんなやり方はあり得ないでしょう。
仮にも教義の変更でこんな杜撰なやり方は。
ジンギスカン空軍中佐様
投稿者:
寝たきりオジサン
投稿日:2015年 6月14日(日)19時46分13秒
除名なんてとんでもない!!なんて腐った幹部なんだ!!!
応援の題目送りますよ!ジンギスカン空軍中佐様みたいな大人材に
なんて罰当たりな!!
法華経の智慧 22
投稿者:
まなこ
投稿日:2015年 6月14日(日)19時09分29秒
§序品§(2)
二処三会 ---- “永遠”と“今”との交流
■ 列座大衆 ---- 登場人物たち
斉藤: 冒頭の「如是我聞」の後、序品は「一時、仏、王舎城耆闍崛山の中に住したまい」(法華経 p119)と続きます。ここでは、法華経が説かれる「場所」が示されています。すなわちマガダ国の首都・王舎城の郊外にある耆闍崛山 ---- 霊鷲山です。更に続いて、その説法の場(会座)に、どのような衆生が参列していたか(列座大衆、列衆)が挙げられていきます。
名誉会長: 法華経のドラマが始まるにあたって、「舞台」と「登場人物」が紹介されているわけだね。
────────────────────────────────────────
序品から
「一時、仏、王舎城耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆、万二千人と倶なりき。 ---- 其の名を阿若?陳如、摩訶迦葉 ---- 阿難、羅ゴ(目ヘンに侯)羅と曰う。是の如き、衆に知識せられたる大阿羅漢等なり。復、学無学の二千人あり。摩訶波闍波提比丘尼、眷属六千人と倶なり。羅ゴ(目ヘンに侯)羅の母、耶輸陀羅比丘尼、亦眷属と倶なり。菩薩摩訶薩八万人あり。 ---- 韋提希の子阿闍世王、若干百干の眷属と倶なりき。各、仏足を礼し、退いて一面に坐しぬ」 (法華経 p119)
あるとき、仏は王舎城(郊外)の耆闍崛山(霊鷲山)におられた。大勢の比丘たち一万二千人と一緒であった。 ---- その名を阿若?陳如、摩訶迦葉 ---- 阿難、羅ゴ(目ヘンに侯)羅といい、人々によく知られている大阿羅漢たちであった。また、これから学ぶべき者(学)と既に学びおえた者(無学)が二千人いた。また摩訶波闍波提比丘尼は六千人の従者とともにいた。羅ゴ(目ヘンに侯)羅の母である耶輸陀羅比丘尼も従者とともにいた。更に菩薩・摩訶薩が八万人いた。 ---- また韋提希の子の阿闍世王は、数十万の従者と一緒であった。これらの者は、各々、仏の足もとに礼拝し、退いて一面に座った。
────────────────────────────────────────
須田: 霊鷲山には、私も第一回のSGIインド青年文化訪問団(一九九〇年)の一員として訪れたことがあります。幽玄な霊地かと期待して行ったのですが、場所そのものは何の変哲もない岩山でした(笑い)。
名誉会長: それほど高くもないようだね。霊鷲山と呼ばれるのは、一説に、山頂の形が鷲に似ているからだと言われているが、その頂上付近が、釈尊の説法の場所だったと伝えられている。
遠藤: 「登場人物」ですが、経文の順に示すと次のようになります。
(1)阿若?陳如や迦葉・舎利弗など、声聞の最高位である阿羅漢の境地を得た一万二千人の比丘たち。代表して二十一人の名が挙げられています。
そのほかに学(阿羅漢果を得るために戒定慧の三学を学んでいる者)や無学(阿羅漢果を得て学ぶべきものが無い者)の二千人の声聞もいます。
(2)釈尊の叔母・摩訶波闍波提比丘尼、釈尊の出家前の妻・耶輸陀羅比丘尼とその眷属数千人。
(3)文殊菩薩、観世音菩薩など八万人の菩薩たち。代表して十八人の名が挙げられています。
以上の声聞衆、菩薩衆のほかに、次のような娑婆世界のさまざまな衆生が集っています。
(4)帝釈天、四大天王、梵天など天界の王や天子たち。その眷属は七~八万、数え方によっては十数万になります。
(5)八人の竜王とその眷属。
(6)四人の緊那羅王とその眷属。
(7)四人の乾闥婆王とその眷属。
(8)四人の阿修羅王とその眷属。
(9)四人の迦楼羅王とその眷属。
(10)阿闍世王とその眷属。
以上、ざっと数えて、少なくとも、数十万、解釈の仕方によっては数百万の衆生が法華経の聴衆です。
名誉会長: 実に多彩かつ膨大な大衆だね。天界の神々や竜王、緊那羅王など、人間ではないものも挙げられている。もちろん、これほど多くの大衆が、同時に霊鷲山に集まれるはずはない。
須田: 実際に訪れた感じを言いますと、釈尊が説法したとされる場所は、百人座れるかどうかという程度の広さです。しかも岩山ですから日陰もなく、真夏など到底、長時間座っていられるような場所ではありません。私たちが行ったときも、余りの暑さに、案内してくださったインドの人が倒れてしまうほどでした。
名誉会長: 戸田先生が言われたように(本文 p85参照)、法華経が表現しているのは、仏の己心の世界、悟りの世界です。何万人の大衆が登場しても差し支えない。
斉藤: その意味で、列座大衆のそれぞれは、全て生命の働きの象徴と考えられます。十界でいえば、菩薩界、声聞界、天界、人界、修羅界、畜生界の衆生がいる。そこに挙げた大衆をもって九界全体を代表させているようです。つまり、序品の大衆は、仏の己心に包まれた九界の衆生の姿といえるのではないでしょうか。
遠藤: そうとらえると、挙げられている大衆のそれぞれに意義があるはずですね。代表的なものの意味を考えてみましょう。
須田: まず最初に挙げられている阿若?陳如。彼は、釈尊が成道した後、初めて教化した五人の比丘の一人です。
名誉会長: いわば釈尊の最初の弟子だね。最後に挙げられている阿闍世王は、提婆達多と共謀して、釈尊に敵対した人物です。釈尊の晩年になって自らの罪を悔い、釈尊に帰依したと伝えられている。最初の弟子と最晩年の弟子がいるということは、釈尊の一生の間の門下をすべて含めている象徴と見ていいかもしれない。
アーカイブブログより
投稿者:
プロジェクトX
投稿日:2015年 6月14日(日)19時09分6秒
編集済
【地涌の菩薩 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策】
信濃町のネット対策チームの対策です。
今まで日興上人が師匠・日蓮大聖人の「御在世」に独歩の法門を演説されなかったことを、書き込みしました。
以下に日蓮大聖人の滅後に、日興上人と五老僧が師匠の立場をどのように考えたかが分かる御書を記載します。・・・・・
http://sgi-shiteifuni.com/?p=5107
灰太狼さん
投稿者:
解説者
投稿日:2015年 6月14日(日)18時41分26秒
いつもおもしろいですね。ポイントをよく突いていますね。
ジンギスカン空軍中佐様
投稿者:
解説者
投稿日:2015年 6月14日(日)18時21分20秒
その話が事実ならば、あまりにも理不尽ですね。
いつから政治的心情やその表明を制限し取り締まるようになったのでしょうか?
それ、池田先生にお手紙を書きませんか?
あまりにも酷いです。
うらら様
投稿者:
おやじ
投稿日:2015年 6月14日(日)17時53分51秒
こんにちは。私は以前仕事の関係で、伊藤真氏の講義を受けた事がありまして、共感する事がありましたので、投稿します。さらっと流して頂ければと思います。まず話があったのは、「憲法を尊重し擁護する義務を負うのは誰か。第99条天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。とある。これは正式な手続きなしに、解釈変更等は出来ないという事というような説明があったものと記憶してます。この段階で現在はもう憲法違反だと思うのですが。後心に残っているのは、多数決で決める事は必要である。しかし、多数決で奪ってはならない価値もある。そのときどきの多数決で奪ってはならない価値→人権。そのときどきの多数決でもやってはいけない事→戦争。これらを明文化したものが憲法である。我々はもう一度しっかりと考えないといけませんね。
第1回信越男子部幹部会
投稿者:
大勝利
投稿日:2015年 6月14日(日)17時39分41秒
53年2月19日
https://youtu.be/hEqmQz68sSw
アーカイブブログより
投稿者:
プロジェクトX
投稿日:2015年 6月14日(日)17時37分49秒
【京都乃鬼新聞 紙上座談会⑤ 2015-2-10】
編集長:前回の宗門との仮想問答は大変好評で反応が凄くありました。その中のご意見で「男子部を育成する為にも、黄金柱の壮年部がドンドンと鍛えて欲しい」とありました・・・・・
http://sgi-shiteifuni.com/?p=811
海氏へ(最後通告)
投稿者:
管理人
投稿日:2015年 6月14日(日)16時20分27秒
海氏は、まず管理人の質問に返答するように。
何度も言わせないでください。これ以上同じ愚を繰り返すのであれば、
管理人への回答も含め、一切の投稿を削除するようにいたします。
「「教学部レポート」が弘安二年の戒壇大御本尊に拘っている」という文証を示すように。
「「遠藤文書」が弘安二年の戒壇大御本尊に拘っている」という文証を示すように。
「「当掲示板」弘安二年の戒壇大御本尊に拘っている」という文証を示すように。
再掲 投稿者:管理人 投稿日:2015年 5月23日(土)14時07分52秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/25077
海氏へ 投稿者:管理人 投稿日:2015年 6月 6日(土)15時11分43秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/25821
どこかの国とどこかの団体!
投稿者:
灰太狼
投稿日:2015年 6月14日(日)15時59分15秒
ーーーここはどこかの国の官邸の一室・・・・・
「あべさま、そうおっしゃられても・・」
「なにを言うのだ、すがさま。このことは、アメリカとの堅い約束なのだ。これを推し進めなければ、私の命は保障されない。」
「・・・わかりました。以前学会の佐藤さまに教えたことをやってみます。」
「なんだね、それは?」
「学会も、執行部が推し進める、教義変更を教学部のメンバーが反対してまして。その時、私は、『学会教学部というのは現執行部の意見を反映する教義解釈をするのが、仕事だろう。』と教えたのです。」
「そうか、憲法学者どもも、我々、国の執行部の考えを解釈の基準にすべきだというのだな。」
「・・・はい・・」
ーーーー大誓堂の屋根の上ーーーー
「なにを、もじもじしておられる原田様。」
「はぁ、またアベさまに呼び出されて、こっぴどくおこられはしないかと・・・・・」
「そのことについては、谷川様が、佐藤さまを通じて、北側さまに十分言い含めているはずです。」
「そう、北側さまがおっしゃるには、『公明党は歯止めになっている。といえば、単純な学会員はそれで安心する』ということで、会員にはわからずに現政権に協力できると。」
「これで原田様もあべさまとお会いした時、鼻が高いというものです。」
「そうですね、・・・ん???」
そのとき、上のほうでまたしても・・・・ブ~ン!!
「ううう・・・またドローンですか。・・・」
はらださま、万歳!万歳!万万歳!!!
アルベアさん
投稿者:
ルパン二世
投稿日:2015年 6月14日(日)14時54分4秒
アルベアさん
ありがとうございます。
動画をまず観ています。
これは面白いです。
詮索はしませんが、
私はアルベアさんが先生に近い人だと思っています。
これからも宜しくお願い申し上げます。
【再掲】
投稿者:
備忘録者
投稿日:2015年 6月14日(日)14時33分19秒
誰を師匠とするか 投稿者:ロマン
投稿日:2014年11月13日(木)18時21分8秒
いつの本部幹部会(2000年代)かは忘れましたが、池田先生が「誰を師匠とするか」について、後世のためにと強く指導されていたことを思い出しました。
それは、『現代において誰が三類の強敵を呼び起こしたか』だったかと。
先生がいながら、なぜそのような指導をされるのかと思いましたが、本部内の派閥への戒めだったのではと思っております。
【再掲】
投稿者:
備忘録者
投稿日:2015年 6月14日(日)13時11分10秒
会長の嘘(または誤解) 投稿者:備忘録者
投稿日:2015年 2月23日(月)22時36分52秒 編集済
では責任をもって発表された教義改訂がどのような経過で行われたか。
その一部を確認してみましょう。これを読むと原田会長を嘘をついたことは明らかです。
以下は【教学部レポート1】のごく一部です。
【10】 御本尊の問題は、いつか完全に決着をつけねばなりませんが、それをやるには1ミリの狂いもないような論理構成を考えねばなりません。本部の方針が1ミリでも狂えば、現場では10メートル、100メートルの狂いとなって大混乱を引き起こしてしまいます。「教学部は黙って従え」と言わんばかり会議が何度も続き、進退窮まって、教学部として9月19日の夜、原田会長に直に指導を受けることにしました。夜9時半過ぎに遠藤・森中・宮地の3人で会長のところに伺いました。この数日前にも会長にご指導頂く機会があり、その折にも「教学部の皆さんの思いは、よく理解しました」とのことでしたので、率直に、紛糾する会議の実情をご報告しました。会長の話は、以下のように、全く予想に反するものでした。
① 小委員会の方針は、全て先生のご指導を受けて進めている事である。きょうも、その点について先生のご指導を受けてきた。
② 宗門問題で、大御本尊を巡る問題がまだ残っている。今こそ大御本尊とも決別する。大御本尊は、学会とは関係ない存在だ。
③ 学会常住御本尊が、新しい大御本尊という意義づけをするんだ。それを総本部完成の新たな体制の出発する今、やるしかないんだ。
④ 全て先生のご意志だ。教学部は戦う覚悟がない。腹を決めなさい。大変厳しい叱責であり、教学部としては、先生のご意志ということですので、「分かりました。やらせていただきます」とお答えしまた。
【11】 会長からのご指導を頂いた後、念のため、先生のご指導の細かなニュアンスを大山・第一庶務室長に確認しました。大山室長は、とても驚いた様子で、
「先生は全くそのようなことを言われていない。学会が損をしたり、学会員が苦しんだりしないようにということで、先生は一貫されている。
今までやってきたことが間違っているとならないようにというのが、教学に関する変わらぬご指導だ。慌てて事を進めるなどということは、一切言われていない。
原田会長も先生の前では『いろいろな意見がありますので、慎重の上に慎重に進めます』と言っていた。
こんなやり方をしては、学会の信心も教学も崩れてしまうではないか」とのことでした。会長が先生にご説明したのは、
① 宗門は700年、護持の名に隠れ、広宣流布を進めてこなかった、
② だから、大御本尊を持っていても、功力は出ない、
③ 大御本尊が一切の電源で、書写本尊が端子というような関係ではない、
④ 学会常住の御本尊を根本に広宣流布を進めていく
という範囲だったようです。「先生のご意向のもと、大御本尊との決別を今この時に宣言する」
という、先生のご指導は、
全くの作り話だったのです。
その翌日、会長が先生にご指導を受けた際に同席されていた長谷川本部長にも確認しましたが、大山室長と全く同じ見解でした。
>>創価学会としての決定事項を会長が責任をもって発表した―問題はここなんですよ。
決定事項を会長が責任をもって発表した―としても、学会は三代の会長を永遠の師匠と定めている。
それは歴代三代会長の指導のままにいくということなんですよ。
三代の会長の指導に矛先が向くのは必定ではないですか。
先生に矛先が向いてよい? どうしてそうなりますか(笑)<<
(無題)
投稿者:
うらら
投稿日:2015年 6月14日(日)12時39分20秒
ジンギスカン空軍中佐さまのところは、本部長も腐ってるってことですね。
そのまた上も狂ってるんでしょうね。
除名って…
政治団体じゃないんだから。
そのうち、「政教一致だ」、なーんてしっぺ返し喰らうのわからないのかしら。
自分たちの首締めてることわからない、おばか。
異体同心の団結なのだ。
投稿者:
ジンギスカン空軍中佐
投稿日:2015年 6月14日(日)12時12分9秒
異論を吐くのは同体異心。団結の輪を乱すからダメとも言われました。
http://www.peacedepot.org
来週21日が地区座談会。
投稿者:
ジンギスカン空軍中佐
投稿日:2015年 6月14日(日)12時09分3秒
で、集団的自衛権問題の話をしないように地区幹部から事前の口封じをされました。もし破れば、本部長に報告して、除名も含めた処分を検討して貰う、と。黙しています。除名されたくないので。
http://www.peacedepot.org
法華経の智慧 21
投稿者:
まなこ
投稿日:2015年 6月14日(日)12時02分53秒
■ 聞法の意義 ---- 声仏事を為す( p101)
須田: ところで「聞く」ということは人間生命にとって、とりわけ深い意義があるように思われます。「見る」「嗅ぐ」などという他の感覚よりも早い段階に経験します。
遠藤: この点について、ニューヨーク大学の音楽教師、バロウズ氏は次のように述べています。
「胎児は子宮のなかで、戸がバタンと閉まる音にびくっとする。子宮のなかで聞える豊かで温かい雑音が記録されている。赤ん坊にとって自分の皮膚のさらに向うにある世界について、その存在を示してくれる最初のものの一つが、この母親の心臓の鼓動や呼吸なのである」(アンソニー・ストー著、佐藤由紀・大沢忠雄・黒川孝文訳『音楽する精神』、白揚社)
須田: 五感の中で最初に獲得されるのは聴覚らしいのです。広く言えば、「聞く」ということは、聴覚だけでなく、宇宙に満ち満ちた不思議なるリズムを感じとる、生命のカと言ってもよいでしょう。
大聖人は「此の娑婆世界は耳根得道の国なり」(御書 p415)と述べられています。自分の経験からいっても、本で読んだ知識は、すぐに忘れがちです(笑い)。でも講義など、音声によって真剣に受け止めたものは、何倍も印象が強く、よりしっかりと記憶に定着するようです。
遠藤: 日寛上人は、人が亡くなった後でも、しばらくは題目を送って、聞かせてあげるべきであると言われています(『富士宗学要集』第三巻 p264)。
斉藤: 法華経でも「法を聞く」(聞法)ということが大変に重視されています。とくに方便品(第二章)や寿量品(第十六章)などの重要な説法の後では、必ず「法華経を聞く功徳」が説かれています。
名誉会長: 大聖人も「此の経は専ら聞を以て本と為す」(御書 p416)と仰せです。だから、仏の「声」が重要な意味を持っている。「妙法蓮華経」の「経」の意義について、「声仏事を為す之を名けて経と為す」(御書 p708)と述べられるゆえんです。
遠藤: 大聖人は、仏の三十二相の中では「梵音声相」が第一の相であると仰せになっています(御書 p1122)。
「梵音声相」とは、音声が遠くまで明瞭に達し、しかも清浄で、聞く人を喜ばせるような声です。実際に釈尊の声も、そうだったのでしょう。
名誉会長: 素晴らしい声だったからこそ、人々の生命を揺るがし、蘇らせることができたのだろうね。それは、仏の己心に悟った成仏の法を顕す「真実の声」であった。
「声」は生命全体の響きです。声にはその人の生命、人格そのものが現れている。あるフランスの作家は「声は第二の顔である」と言った。姿・形はごまかせても、声はごまかせないものです。
須田: イギリスの科学雑誌「ネーチャー」に興味深い記事が載っていました。人々はどのようなメディアの情報に騙されやすいか、調べる実験をしたというのです。新聞とテレビとラジオを使って、同一人物が真実を語るインタビューと嘘をついているインタビューを並べて掲載・放送し、読者・視聴者に嘘を見破ってもらうというものです。
その結果、人々が一番騙されやすいのはテレビ。逆に、四分の三もの人が嘘を見破ったのはラジオでした。新聞はその中間だったそうです。人々は、映像には騙されても、声には騙されなかったとみることもできます。
斉藤: 「南無妙法蓮華経」という題目自体に不思議なリズムを感じます。念仏が“哀音”といわれるように、陰々滅々とした暗い音調であるのに比べて、題目には人を勇気づけ、躍動させる力強い音律があります。
須田: 題目のリズムといえば、世界的バイオリニストのユーディー・メニューイン氏が、池田先生と対談されたときに語っておられたことを思い出します。
---- 「南無妙法蓮華経」の「NAM(南無)」という音に、強い印象を受けます。「M」とは命の源というか、「マザー(MOTHER)」の音、子どもが一番、最初に覚える「マー(お母さん)、マー」という音に通じる。この「M」の音が重要な位置を占めている。そのうえ、意味深い「R」の音(蓮)が中央にある ---- と。
名誉会長: いずれにせよ、題目こそ宇宙の根源のリズムであり、尊極の音声である。
大聖人は仰せです。南無妙法蓮華経には、一切衆生の仏性を「唯一音」に呼び現す無量無辺の功徳がある(御書 p557)。また、凡夫という無明の卵を温め、孵化させ、仏という鳥へと育てる「唱への母」であると(御書 p1443)。
そして大聖人は「声もをしまず唱うるなり」(御書 p328)と述べられている。声も惜しまずといっても、声の大小ではない。一切衆生を成仏させようという慈悲の大音声です。
学会の行動も、この大聖人の御精神を我が心とし、広宣流布のための「声も惜しまぬ」行動である。
題目を真剣に唱える声を根本として、温かい励ましの声、毅然とした勇気の声、心からの歓喜の声、真剣な誓いの声、明快な知恵の声、等々に満ち満ちているのが創価学会である。そこに無量の功徳がわいているのです。
学会こそが、惜しみない声また声で、広宣流布という偉大な「仏事」を為している教団なのです。
残念な話し⑧
投稿者:
信濃町のネット対策チームの対策
投稿日:2015年 6月14日(日)11時57分23秒
信濃町のネット対策チームの対策です。
婦人部と男子部と話す機会がありました。
お二人に共通するのは池田先生に対する純真な信心です。
私はこのお二人の池田先生に対する信心を見習わなくてはといつも思っておます。
そんなお二人ですが、もう一つ共通するのは全国幹部は池田先生の「近く」にいるから間違うことはないとする考え方です。
この掲示板の主題であります54年の池田先生辞任。
池田先生の「近く」にいた幹部が池田先生を辞任に追いやったことは、池田先生の御指導にある通り事実です。
池田先生の一番「近く」にいた秋谷元会長が本部幹部会で皆の前で土下座したことは、皆様も御承知なことと思います。
弓谷元全国男子部長のように池田先生から「獣」と記別された「全国男子部長」もいます。
決して池田先生の「近く」の幹部だから池田先生を「裏切らない」ことはないと言う証明です。
ましてや、原田会長と言えども池田先生と頻繁にお会いすることがない「現在」です。
創価学会は池田先生の思想を根本としていれば、間違いはありません。
しかし、池田先生の「近く」にいると言うだけの全国幹部の「話し」を根本とすると間違います。
竹岡全国男子部長が各地を回って「話し」をしていると、この掲示板にも書かれています。
彼の「近く」の人が彼がこの掲示板をとても気にしているとの話が聞こえてきます。
集団的自衛権に対しても正義の言論が出来ない竹岡全国男子部長の「話し」を学会活動だからと聞かなくてはならない男子部が可哀想です。
皆様、池田先生の「近く」と言う言葉に騙されてはいけません。
54年の池田先生辞任は「近く」の幹部が先生を裏切ったのです。
職員の皆様、外郭職員の皆様どう思いますか?
しっかし
投稿者:
関西男子部
投稿日:2015年 6月14日(日)11時20分16秒
舞の海登場は確信犯なのか単なる無知なのか...
いずれにしろ事態は深刻ですね
法華経の智慧 20
投稿者:
まなこ
投稿日:2015年 6月14日(日)08時40分11秒
■ 如是我聞の意義
斉藤: 序品の冒頭の「如是我聞」の意義についても、“普遍的法華経”の観点から捉えていくことができるのではないかと思います。つまり、「如是」とは何を指すのか、“このように聞いた”中身は何かという問題です。それは一応、「法華経二十八品」を指していると言えますが、それだけにとどまりません。
遠藤: この「所聞の法体」 ---- “何を”聞いたのか ---- について妙楽大師は「二十八品全体」だと普通に解釈しました。しかし大聖人は、その上で、法体とは「諸法の心」であり、それは「妙法蓮華経」であると仰せです。
御義口伝では、天台大師の「如是とは所聞の法体を挙ぐ我聞とは能持の人なり」(法華文句)という言葉を挙げて、そのことを教えられています(御書 p709)。
名誉会長: 大聖人は「文・義・意」という原理を示されている。
文とは経文の文面のことであり、義とは文が指し示す教義・法理に当たる。経文の文面を見ているだけでは、この「義」までしかとらえられません。
しかし、いかに法華経の「文」と「義」を論じても、その「心(意)」に触れなければ意味はない。大聖人は、結論的に「法体とは南無妙法蓮華経なり」(御書 p709)と仰せである。
「法体」「諸法の心」とは、二十八品全体に脈打つ「仏の智慧」そのものです。その智慧が「南無妙法蓮華経」です。
それを「その通りに聞く(如是我聞)」とは、「信心」です。「師弟」です。師匠に対する弟子の「信」によってのみ、仏の智慧の世界に入ることができる。「仏法は海の如し唯信のみ能く入る」と、竜樹(大智度論)や天台(摩訶止観)が言っている通りです。
この観点から言えば、法華経の「如是我聞」とは、全生命を傾けて仏の生命の響きを受け止め、仏の生命に触れていくことです。「如是」は、「その通りだ」と聞き、生命に刻んでいく信心、領解を表している。また、それが全人格的な営みだからこそ「我聞」とあるのです。
全人格としての「我」が聞くのであって、単に「耳」が聞くのではない。
また、この「我」とは、普通は、経典結集の中心者とされる*阿難等です。しかし、その「心」は、末法の今、この自分自身が「我」である。自分が、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の説法を、全生命で聞き、信受していくのが「如是我聞」の本義なのです。
大聖人は「廿八品の文文句句の義理我が身の上の法門と聞くを如是我聞とは云うなり、其の聞物は南無妙法蓮華経なりされば皆成仏道と云うなり」(御書 p794)と仰せです。自分の外に置いて読むのではない。すべて「我が身の上の法門」であり、「我が生命の法」であると聞くべきなのです。
* 阿難は釈尊十大弟子の一人。多聞第一といわれ、釈尊滅後、仏典結集に中心的な役割を果たした。
遠藤: それで明快になりました。
竜樹の『大智度論』では「如是の義は、即ち是れ信なり」と言い、天台の『法華文句』では「如是とは信順の辞なり」と言っています。
この「信」について、竜樹はおもしろい譬えを述べています。すなわち、信は柔らかい牛皮、不信は硬い牛皮で、柔らかい牛の皮は、用途にしたがって使えるが、硬い牛の皮はそうはいかないと。つまり、信ある人は仏の教えにしたがって、その通りに聞いていけるが、不信の人は、その通りに聞けないわけです。
天台の「信順」という言葉も、意味深いと思います。この「順」について天台は「順は則ち師資の道成ず」と述べています。順ずれば、そこに「師弟の道」が成り立つと。
名誉会長: 「如是我聞」の心とは「師弟不二」の心です。それが仏法伝持の極意です。
一切衆生を救おうとする仏の一念と、その教えを体得し弘めようとする弟子の一念が、響き合う「師弟不二」のドラマ ---- それが「如是我聞」の一句に結晶しているのです。
しかも、法華経は「滅後のための経典」です。「仏の滅後の衆生救済をどうするか。だれが法華経を受持し、弘めるのか」。序品の舞台からすでに、この根本のテーマが奏でられている。
日月燈明仏の後を継いで、弟子の妙光菩薩が法華経を説き、日月燈明仏の八人の王子をはじめ人々を成仏させていく ---- これも、その一つです。
斉藤: 未来永遠にわたって衆生を救うことに仏の願いがあり、仏が出現する目的があるわけですね。
名誉会長: その通りです。日蓮大聖人は「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(御書 p329)と仰せになっている。
次元は異なるが、一般にも、本当に民衆を思う強い一念は、その人が亡くなった後でも人々の心を動かしていく。マハトマ・ガンジーは、こう遺言したと伝えられている。
「私の精神が世界の光明であり得るなら、私は墓の中からでも語り続けよう!」と。
そして、未来の人類まで救おうという師匠の一念を「不二」で分かちもつ弟子の戦いによって、現実に人は救われていく。現実に「法」が、慈悲の働きを及ぼしていくわけです。
師匠がいる間は、まだ、いいかもしれない。師弟というのは、それが本物であるか否か、師がいなくなったときに試されるのです。仏法は厳しい。
釈尊が入滅して、皆が嘆き悲しんでいたとき、一人の老僧がもらしたという。「やめなさい、友よ。悲しむな。嘆くな。われらはかの偉大な修行者からうまく解放された。<このことはしてもよい。このことはしてはならない>といって、われわれは悩まされていたが、今これからは、われわれはなんでもやりたいことをしよう。またやりたくないことをしないようにしよう」(中村元訳『ブッダ最後の旅 ---- 大パリニックバーナ経』、岩波文庫)と。
この老僧を、諸君は、とんでもない人間だと思うだろう。しかし、現実に人の心というのは、こういうものなのです。
二十一世紀のリーダーである諸君の使命は重大です。
斉藤: はい。心してまいります。
さきほどの序品の話ですが、妙光菩薩が、日月燈明如来の滅後、如来と同じように法華経を説いたことも「如是我聞」の実践となるのでしょうか。
名誉会長: そうなるだろう。仏の入滅を転機として、“救われる弟子”から“救う弟子”へと転換したのです。これこそ法華経の精神です。
だから「如是我聞」の心とは、弟子が決然と立ち上がることです。「さあ、師と同じ心で、民衆を救っていくぞ」と、困難を求めて突き進む、その“大闘争宣言”とは言えないだろうか。
法華経成立の観点からいえば、二十八品の法華経は、仏の滅後、仏と同じ境涯に立って全民衆を救おうと「如是我聞」した弟子たちによってこそ、まとめられたのであろう。その意味からも、法華経は「師弟不二」の経典です。
また戸田先生の「獄中の悟達」も、一次元から言えば、先生が法難の中で、御本仏日蓮大聖人の「常住此説法(常にここに住して法を説く=寿量品の文」を「如是我聞」された姿とは言えないだろうか。
須田: 弟子が立つといえば、池田先生の『若き日の日記』の、戸田先生が逝去された後のところを読ませていただき、改めて感動しました。一日一日、恩師の心を我が心として、学会をどう守り、築いていくか、苦闘されたことが記されています。恐縮ですが、一部を紹介させてください。
「当日の焼香者、十二万人。誠心の人であり、先生を、心からお慕い申し上げる方々である。今後、この方々を、更にさらに、無量に指導し、幸福にしてあげねばと決意。父にかわって」(昭和三十三年四月八日)
「多数の幹部たちは、先生の死を忘れたのか、と憤りを感ずることあり。くやしい」(同五月二十五日)
「恩師の慈悲が、生命に脈々と流れている感じの毎日」(同十一月十日)
「若あゆのごとく、躍動する若人。この人たちのため、自分は一生戦おう。犠牲になってもよい。恩師がそうであった」(同十二月十二日)
「恩師の生命の叫びが、一日一日、消えゆくようでならない。断じて消してはならぬ。
組織あり、教学あり、社会の地位あり ---- 大切なのは、慈悲だ。慈悲ある人だ。不退の求道だ。無限の求道の人だ」(昭和三十四年二月二十日)
「首脳たちが、もっと会員のことを真剣に思うべきである。自己を投げだして、会員に奉仕することだ。その叫びに、その姿勢のみに、皆は喜んでついてくるのだ。ずるい指導者になるなかれ。会員が可哀想だ」(同七月二十三日)
名誉会長: 今も、まったく同じ気持ちです。
ともあれ、法華経は徹頭徹尾、師弟不二が魂なのです。
今週のことば
投稿者:
どうみょうてん
投稿日:2015年 6月14日(日)08時22分34秒
人間革命は会うことから
広宣流布は語ることから
皆が幸福をつかむ
創価家族の世界へ
一人でも多くの友を!
声仏事をなす
投稿者:
うらら
投稿日:2015年 6月14日(日)07時22分45秒
編集済
せんじつ、自民・谷垣議員の登壇した、安保法制に理解を促すための街頭演説が新宿西口で行われた。
道を挟んだ対面に、おのおの独自で手作りされたプラカードを手に、あっちでもこっちでも、法案を強引に通そうとしている政権を非難する声が上がる。車壇の上の議員たちは、今まで経験したことのない雰囲気に、目覚めた民衆の恐ろしさを感じてでもいるような面持ち… 声をあげる人たちはけっして集団ではない。一人一人が止むに止まれぬ思いで、発せられている姿だった。年配の男性、働き盛りの世代の男性が、女性・若者以上に多かった。
そのうち「帰れ」コールがひとまとまりに。初めての経験に、谷垣議員は動揺しながらも、
「帰れと叫ぶだけでは平和は守れない」と反発したが、結局20分で切り上げられることとなった。
「どうして?」と疑問を発するだけでもいい。支持者として、1人の国民として、会内で当然の話をする、できること、から。何を言われたとしても、「今」という時は、必ず現証として結果が出る、というのは私の体験。
なんたって、先生が見守ってくださっていることを実感する。
行動とは声を発すること。
「声仏事を成す」その威力はとてつもなく大きいのだと、演説の模様を見て、改めて感じました。
ルパン二世 様
投稿者:
アルベア
投稿日:2015年 6月14日(日)06時29分49秒
ルパン二世 投稿日:2015年 6月13日(土)22時35分58秒
気分転換・上質な音楽をどうぞ
アンドレリュウ I Will Follow Him
https://www.youtube.com/watch?v=FcLF5wopyjo
https://www.youtube.com/watch?v=yyAPjSAMed8
https://www.youtube.com/watch?v=ghHE_kVWXxM
58分23秒
https://www.youtube.com/watch?v=hNP_y0V7X6M
【映画】 [ 日本語字幕 ] 美しき緑の星
https://www.youtube.com/watch?v=LaBh9kfMtf4
意識の覚醒がもたらされると「俯瞰的な眼差し」となり、すべてが「わかる」ようになります。
様々な現象は、意識進化のために起きているのです。「掲示板」は中心核となる意識の働き作用
で相互に引き寄せあって「不安」「恐怖」を解消している意識の働き作用にほかなりません。
原田会長へ
投稿者:
虹と創価家族
投稿日:2015年 6月14日(日)04時24分52秒
編集済
「あいつは変わり者」
こんなレッテルを、正義の人に貼っても無駄です。
現場を誤魔化すことはできません。
真実は永遠に朽ちることはない。
当人を知る現場会員は、幹部が何を言おうと惑わされることはない。
現場会員の中にこそ、先生がいらっしゃる事を忘れないで下さい。
【長編詩】大空を見つめて 愛する学園の わが子に贈る
投稿者:
虹と創価家族
投稿日:2015年 6月14日(日)02時54分33秒
編集済
ある日 ある時 ふと 私は妻に漏らした
「嫉妬うず巻く日本を去ろう 世界が待っているから」
その時 妻は 微笑んで言った
「あなたには 学園生がいます 学園生は どうするのですか? きっと 寂しがりますよ」
そうだ! そうだ 学園がある! 未来の生命たる 学園生がいる!
君たちのためなら 私は いかなる迫害も いかなる中傷も いかなる試練も まったく眼中にない
1979年(昭和54年)せめてもの思いで訪れた 東京校の栄光寮
生徒たちに声を掛けながら 各部屋を歩いた
「健康に気をつけてね」 「お父さん お母さんに 心配かけないように」
散らかし放題の部屋もあった
だが みな わが子だ みな 元気だった みな 若獅子であった
何よりも 師弟の道を熟知している 彼らであった
本当に会えることが嬉しかった
「随筆 桜の城 P.326~328」より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
学園生の方は、忘れないで欲しい。会長辞任の当時の、先生と奥様のお気持ちを。
本年3月16日の学園生卒業式、音声中継された先生の学園生への思いを。
54年当時からずっと変わらず、先生と奥様が、どれほど学園生の為に身を犠牲にし、題目を送り続けて来られたのだろうか。
愛する学園生の皆さんは、先生と奥様の宝なのです。
恩を感ずる学園生ならば、四人組と公明党の愚行に対し、黙っていてはいけない。
仇討ちこそ、最高の恩返し。
先生から「わが子」と詩って頂いた思いに立ち上がる時は今。
ファシズムの萌芽
投稿者:
ミネルヴァの梟
投稿日:2015年 6月14日(日)00時33分11秒
200人以上の憲法学者が違憲だと考え、合憲だと考える学者は、僅か10人。
そんな状況でもなお、自説を曲げようとしない与党の政治家って、公明党も含めていったい何なんですかね。
もう完全に破綻してます。呆れ果ててものも言えないレベルに、なって来ました。
小学生でも騙せません。
なのに真剣な顔をして、もったいつけて、なおゴリ押しする姿の中に、はっきりとファシズムの萌芽を見ました。
追い詰められて、危険極まりないこの政権の本質が、まる見えになって来ましたね。
私は種々の会合に於いて、安保法制の話を、ごく普通にしています。
この話題をタブー視する、変な雰囲気は感じていますが、そんなのは無視。
先生の絶対平和主義を守る為、とにかく題目をあげていこうと訴えています。
たとえ公明党のインチキっぷりに、まだ気が付いていなかったとしても、題目さえあげ抜いていけば、道は開けると確信しています。
こんばんは
投稿者:
誠実一路
投稿日:2015年 6月14日(日)00時13分56秒
思想が乱れ、万民が乱れると言う立正安国論の通りの世相になっている。憲法解釈の議論にせよ、時の権力であっち行ったりこっち行ったりの議論になるならば、いずれ憲法そのものが意味を成さない状況になるのではと感じてしまうし、既にその段階に足を突っ込んでいるのではないかと思う。学会の中途半端な会則変更も、会員に納得のいく丁寧な説明も無く、ある日突然捉え方を変えましたという状況は今のハムともリンクする所が多く、飛躍的に申しますとこのまま行けば御本尊の必要性・学会の必要性を根底から無くしてしまうのでは無いかと感じます。
本当に学会本部もハムも一体何がしたいのですか?その流れを汲んで地方の幹部も議員も堂々とやりたい放題やっている人がチラホラ見受けられますよ!その姿を見て会員さんは学会から心が離れていってますがどうするんですか??真面目に働いている幹部や議員の方が可哀想です。金の問題、異性問題などなど男女問わず行われている事、末端の会員さんも知られていますがどうするのですか??バレていないと思っている御本人が会合で登場するたびに頭の中で悲しい音楽が勝手に再生されてしまいます。ロマンさまや八風さまが仰られる様、先生の思想を自ら学び語り切っていかないと、会員一人一人の心から池田先生を切り離されてしまう。師匠は強い、だからこそ池田門下も強くなければならない。
「立ち上がるべきです」
投稿者:
うらら
投稿日:2015年 6月13日(土)23時50分3秒
熱原や三代の「死身弘法」こそが日蓮大聖人の御遺命だ、とある方がTweetされていて、
共戦さまが、「法華経に傷をつけない道を選ぶべき」とおっしゃった。
とても重いお話だと思う。絶対避けてはいけない使命、と。
牧口先生、戸田先生は、「国家」の上に「人間の道」を置いていた。
国は大事かもしれないが人類共通の「人道」はもっと大事だ。
日本も大切だが、「人類全体」はもっと大切なんだ、と。
…
だから、人殺しなど「人道」に背いた場合、自分の国であっても、「悪いものは悪い」と言っていくべきなのです。
(『青春対話』普及版2・p.277~)
国家主義という転倒の思想によって、何百万、何千万という尊き、かけがえのない命が散らされた。
その暴虐を「やめろ!」と叫んだのが牧口先生、戸田先生です。
それは最高の愛国者の行動であった。
そして「人間宗」というべき法華経への殉教であった。
国家のためではなく、人間のために命を捨てたのです。
この歴史を、両眼をしっかと開いて見つめなければならない。
そして今こそ、新たな国家主義、権力主義の動きに対して、立ち上がるべきです。
(『法華経の智慧』5巻 p.150~151)
幸一君へ
投稿者:
のび太
投稿日:2015年 6月13日(土)23時36分4秒
70年安保(日米安全保障条約の批准)のとき、公明党は自衛隊は違憲という解釈のもと完全否定のスタンスから段階的解消へと現実路線に舵をきった。
学園紛争と言われ、多くの学生が大学を封鎖した。君も新学同(新学生同盟)の議長としてメッセージを発信していたよね。そして、あなたたちは、那覇からヴェトナムへ飛ぶアメリカ軍の戦闘機を、横須賀に寄港する原子力空母を言論の力で指弾したのではないですか?
竹入矢野をはじめ、中央幹部の多くが、新学同解散への圧力をかけていたことを、あなたが一番判っていましたね。そして新人間革命にも書かれているように師匠だけが守ってくれたことも覚えていますよね。あなたが発信しなければならないメッセージは、訳の判らない御本尊解釈ではありません。
岐路に立つ日本の政治状況です。そして師匠の憲法に対する考え方は一貫して変更されていません。去年の5月、明日から自民党との協議に入る前日に創価学会広報室として発表された見解です。
師匠の想いを体現するのが弟子の姿勢ではないでしょうか。
間もなく関西で本幹がはじまります。
真の弟子とはどういう事か判るでしょう。
同盟題目→23時半終わりました。
投稿者:
信濃町の人びと
投稿日:2015年 6月13日(土)22時55分41秒
編集済
23時から開始します。よろしくお願いします。
ありがとうございました。
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